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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

DEEP PURPLE/Concerto for Group & Orchestra

2007年07月14日 15時01分15秒 | ROCK-POP
 ディープ・パープルこのところ、黄金時代の諸作に続いて、最初期のアルバム群もボーナストラック満載の構成でリマスターしているが、これもその一枚。このアルバムの評価が地獄のように低い日本ではそうでもないだろうが、音楽的陣容としてはディープ・パープル史上で初期から中期にかけての橋渡しのような作品、かつまたロイヤル・アルバート・ホールにおけるオーケストラとロックバンドの共演というエポック・メイキングなコンサートの実況録音盤であり、本来であれば記録面そして音楽面から極めて貴重なものとなるはずであった。ところが、これは従来のアナログ盤やCDも含めていえることなのだが、大編成+ライブという悪条件を考慮した上でも、聴こえてくるのはあまりひどい音質の演奏であったから、これはまさに待望のアイテムであった。

 構成はバンドだけパフォーマンスで、「ハッシュ」「リング・ザット・ネック」「チャイルド・イン・タイム」を収めた第1部、そしてロイヤル・フィルとの競演による「グループとオーケストラのための協奏曲」及びアンコールが収録された第2部がそれぞれのディスクに分けられた2枚組となっている。オリジナル盤は第2部のみを収録したものだったが、CDになってからは「リング・ザット・ネック」と「チャイルド・イン・タイム」がボーナストラックとして収録され、今回は「ハッシュ」とアンコール(「協奏曲第3楽章の後半」)を加え、いよいよあの伝説的コンサートが全容が明らかになったというところだろう。なにしろメンバーのリニューアルにより、

 さて、気になる音質であるが、どうやらこれはリマスターではなく、マルチマスターからのリミックスを施したらしく、目を見張るような音質向上が図られている。まずなんといっても驚くのはオーケストラのバランス。オリジナルはロック・バンドの後方にモノラルのオケがべったりとくっついてもやもやと鳴っていたという感じだったが、今回はそのあたりが一新し、左側にヴァイオリン群、右側にヴィオラとチェロというオーソドックスなオケの配置が明瞭に聴き取れ、なおかつホールの残響もふんだんに取り入れた立体的なものに変貌しているのである(残響についてはデジタル・リバーブで付加された可能性が高い)。もちろん、近年敢行された再録音に比べればレンジはナロウだし、鮮度という点でももどかしいが、それでも旧盤に比べれば雲泥の差である。ついでにいえば肝心のバンド側の演奏も非常にソリッドで腰の強い低重心の音質に様変わりしており、立体的なオケの音響とあいまって、全体としては従来の腰高の音調にものからきわめて安定度の高いものに変わっているといえよう。

 従来私はオリジナルの演奏について、まともに聴くには音質とオケの演奏に不備が多すぎて問題があるという立場をとってきたのだが、こうしたリニューアルした音質で聴くとオリジナルの演奏もなかなかどうして素晴らしい。音質がリニューアルしたからといって金管のとちりやアンサンブルの乱れがなくなるワケではないが、響きが充実しただけでも全体の印象というか聴き映えが違うは意外な程だ。付け加えれば、1970年、バンド自体がリニューアルし、心機一転バンド内のパワーが沸騰しそうなくらいに、盛り上がっていた時期のパフォーマンスなだけに、バンド自体のテンションの最高潮である。第1楽章のバンド演奏による主題の再提示の部分など、おそらく彼らの残した最高のパフォーマンスのひとつなのではあるまいか。

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2003年に書いたものですが、何故か書きかけのまま放置してありました。ちょっと前にこのアルバム(99年のLSOとの共演盤も一緒に)をWalkmanに入れて、出張先に赴く電車の中とかで、けっこう聴きまくっていたので、書きかけの部分を補完してのっけてみました。
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ディープ・パープル/ライブ・イン・ストックホルム1970

2007年06月15日 23時47分07秒 | ROCK-POP
 去年の今頃、シリーズ物のつもりで「ライブ・イン・ジャパンの研究」というのを書いたのだが、ゲームが忙しくて「ハイウェイ・スター」が終わったところで頓挫しているのだが、このアルバムはその時に購入してそのまま放置してあったものだ。1970年はスカンジナヴィアでのライブということだが、この時期、つまり第2期ディープ・パープル最初期の頃のバフォーマンスはBBCのイン・コンサートだとか、「ロイヤル・フィル」のボーナス・トラックだとかいろいろ出ているが、それらを聴く都度、実はこのメンツが一番凄いライブをしていたのは、「ライブ・ジャパン」でお馴染みの1972年ではなくて、ひょっとすると1970年だったのではないだろうか、などとも良く思ったりもする。この時期のパープルは、メンバーを刷新し新バンドとしてスタートしたフレッシュさが充満し、かつ60年代の頃の彼らにあったサイケというかカオスのような激しさがまだまだ残存していて、思うにそれらが合わさって、とんでもないパワーと獲得していたと思う。

 このアルバムはこの時期の彼らを捉えたライブ盤としては、おそらく最良のものではないだろうか。デンマークのスカンジナビアというローカルなロケーションでのライブのせいか、BBCのライブのような取り繕ったところもなく、ほとんど野放図で怒濤のパワーをこれでもかというほど放出している。なにしろそれぞれの曲が長い。定番のアドリブ大会「リング・ザット・ネック」と「マンドレイク・ルート」は各々30分というのも凄いが、冒頭の「スピード・キング」をアドリブをふんだんに取り入れて、11分半もやっているのには恐れ入ってしまう、まさに60年代的なパワーの垂れ流し、カオス状態である。彼らのライブはこうしたカオスとパワーが徐々にコンパクトな形で構造化して、1972年の日本公演あたりでは、それがもっとも洗練された形で完成したとも考えられるけれど(カリフォルニア・ジャムあたりを聴くと、それが袋小路に至ってしまっているがよく分かる)、そのどちらをとるかは人それぞれといったところだろうが、このライブはマスターが放送用8トラック録音ということで、音質はほとんど正規盤に準じたコンディションなので、その意味でも、「ライブ・イン・ジャパン」を補完するライブとして長い生命を保つのではないだろうか?。
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CHICAGO III

2007年06月05日 22時44分32秒 | ROCK-POP
 71年の第3作。全体に前作、前々作の延長線上にある野卑なロック的なダイナミズムと実験精神、サイケ的な賑々しさのようなもの横溢した作品ですが、ヴァリエーションは更に拡がり、その掘り下げ方も各々深度を増し、音楽の作りもよりプロフェッショナルな色彩を漂わせはじめてきた....という感じで、いうなれば「やや落ち着きを見せた順当な第3作」といったところでしょうか。このあたりは旧A面の冒頭のやたらとファンキーでかつジャム風な「僕等の歌を」、ちょっとジャズとロックのボーダーみたいなスタンスで仕上げた、まるでBS&Tみたいな「孤独なんて唯のことば」、ウェスト・コースト風なコーラスとサウンドをフィーチャーした「朝の光」、ニューロックというよりは明らかにハードロック的な重さのある「欲しいのは君だけ」という4曲のヴァリエーションから既に明らかといえましょうか。

 ちなみにアルバムはこれ以降、つまり旧B面以降はこの時期のシカゴらしくメドレー形式で組曲に仕立てた曲が続きますが、まずは全6曲からなる「トラヴェル・スイート」。1曲目「フライト・ナンバー602」はまるでCSNY風なフォークというか、アコスティック・サウンドで、ドラム・ソロの「火星へのモーターボート」をブリッジに、やっとシカゴらしい「自由になりたい」が登場して安心させてくれます(シングルカットされてそこそこヒットしましたよね)。「自由の祖国」はピアノとフルートをフィーチャーした印象派風な作品。この手の実験的作品は前作、前々作にもいくつか収録されてましたけど、その後のシカゴを知っている人にとっては、やや時代に置き去りにされた感もなくはないですね。その後、メロディックでコーラスがポップな「僕等の夜明け」と「フライト・ナンバー602」の雰囲気にやや近づいた(といってもこちらは後半かなりジャズ的になりますが)アコスティックな作品「ハッピー・コウズ・アイム・ゴーイング・ホーム」で締めくくる構成になってます。

 旧C面はタイトルの割にはやけに軽快に始まり、あらぬ方向どんどん展開していく「母なる大地」、これもシングル・ヒットしたポップな「ロウダウン」が独立曲を並んだ後、再び「シャワーの時間」という5曲からなる組曲になります。こちらは全編フォーク風なアコスティック・サウンドやコーラスをたっぷりフィーチャーし、曲も一貫した流れがあってなかなかよくまとまっている作品。旧D面を使い切った「エレジー」は、詩の朗読に始まるドラマチックな作品で、ボーカルの出番はほとんどなく、ブラスやSEを筆頭にかなり重厚なインストをメインにだしています。現在の耳で聴くとやはりいささか散漫な感じはぬぐえませんが、ともあれこの時期のシカゴはやはり自他共にインスト・バンドとしても自負があったんでしょうね。ともあれ、シカゴのヒストリーからすると(次のライブを総決算とすければ)、この手の組曲というのは「若気の至り」というのはあんまりですが、熱病みたいなもんだったんでしょう。とにもかくにも作品が打ち止めになる訳です。
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ボプ・ウェルチ/フレンチ・キッス

2007年05月18日 23時51分53秒 | ROCK-POP
ボブ・ウェルチは有能なギタリストの相次ぐ脱退による解散の憂き目にあいかけていたフリードウッド・マックを救った人である。ただし、解散はしなかったものの、その時期のマックは売れていたとはお世辞にもいえない。どちらかといえば、ウェルチ在籍時のマックは通向きB級バンドといった感じで、そうそう売れる訳でもないが、そこそこ手堅いセールスを記録するバンドだったように思う、ただ、ウェルチ在籍時の最後の頃にはその後モンスター・グループになる彼らのひな形のようなものはしっかり出来上がっているのは興味深い。付け加えるとそうした傾向はクリスティン・マクビーの曲はもちろんだが、ウェルチの「シー・ビーロングス・トゥ・ミー」が一番それ的だったりすることからして、ある程度ウェルチはいわゆる「ソフト&メロウ路線」を敷いた上でマックを脱退したという気もするのだ。

 さて、その後のウェルチはなにをトチ狂ったかハード・ロック系なバンド、パリスを結成するが(マック同様英米混合というところがウェルチらしい)、音楽的にはともかくセールス的には大失敗。起死回生の一作が、この作品、つまり77年の「フレンチ・キッス」だったという訳だ。
 当時、マックはスティーピー・ニックスとリンジー・バッキンガムをフロントに擁して、まさに「世界一のピック・バンド」になっていたが、1曲目の「センチメンタル・レディ」はバッキンガムのプロデュース、ドラムにミック・フリートウッド、キーボードとバッキング・ボーカルにクリスティン・マクビーが参加するなど、ほとんどマックの全面的バックアップによる作品に仕上がっていて、これをシングル・カットして大ヒットさせたのである。ボブ・ウェルチが一気に大スターになった一瞬であった。

 ところで、しばらく前に私はYouTubeをいろいろ検索しながら、ひょっとしてあるかしら?と見事探しだしたのは、カリフォルニア・ジャム2でのウェルチのステージだった。歌うは「センチメンタル・レディ」ではなく、「エボニー・アイズ」だったが、スティービー・ニックスをバッキング・ボーカルに従えて、意外にも70年代的なエキサイティングな演奏を繰り広げていて、ウェルチ・ファンの私は少しばかり感無量となった。なにしろウェルチはその後、セールス的には急速にフェイドアウトしてしまうのだから、このステージはまさにホブ・ウェルチがメジャー・シーンで一番輝いていた時の姿だったからである。
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ブライアン・フェリー/フランティック

2007年05月06日 17時14分29秒 | ROCK-POP
 2002年に購入して、2,3回聴いたまま放置してあった作品ですが、もう5年も経ってしまったんですね。ブライアン・フェリーといえば、ロキシーの「アヴァロン」とソロの「ボーイズ・アンド・ガールズ」があまり極上のAORサウンドして完成され尽くしていたため、その後の作品はどうもこの2作を引きずりつつも、これを超えられないという感じが強かったですが、この作品では前作のノスタルジックなジャズ・スタイルの導入で吹っ切れたのか、ようやく「アヴァロン」の呪縛が解けたような仕上がりとなっています。一口にいえば、70年代中盤~後半のソロ作品の雰囲気に戻ったというところでしょう。全面的に参加している訳ではありませんが、その時期のソロ・アルバムの常連だったポール・トンプソン(ロキシーのドラマー)、クリス・スペディングなどを久々に起用しているあたりで、音楽的狙いはもは明らかといったところでしょう。

 アルバムは「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」からスタート。冒頭のボーカルを聴くと、まごうことなき初期型フェリーのヘナホナしたあの歌い方が復活していて、おもわずにやりとします。バックでうっすらと絡むストリングスの細い響きはアン・オデールのアレンジを思い出させたりしもしますし、カントリー・フレイバーは「ベールをぬいだ花嫁」に近かったりもして、私のようなオールド・ファンにはたまらまく懐かしい音ですね。ともあれ、これまでのフュージョン系のミュージシャンと打ち込みを起用したきらびやかなサウンドとは全く別物の音になっていることだけは確か。
 気がついたところだと、4曲目「ゴッデス・オブ・ラヴ」あたりは、初期型ロキシーの賑々しさ+ハウスという感じでけっこうモダンなサウンドですし、アラン・レネの「24時間の情事」を題材にした「ヒロシマ」も似た路線で楽しめます。カントリー・フレイバーが強い曲も多いですが、11曲は「サンシメオン」だけは「アヴァロン」路線のゆるやかな空間サウンドですかね。

 そうそう、フェリーといえば、つい最近ディランのカバー大会をやらかした「ディラネスク」というアルバムを出しているようですが、イーノが大分関わっているらしく(「マムーク」あたりからイーノとは本格的に復縁した模様です-笑)、これまたおもしろうなのです。ただ、私はディランの歌あまり良く知らないので、おもしろ味半減かもしれませんが。
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WAS(NOT WAS)/ホワット・アップ・ドッグ?

2007年04月10日 23時10分00秒 | ROCK-POP
 86年に発表されたWas(Not Was)の第3作。Was(Not Was)はデヴィッド・ウォズとドン・ウォズのコンビが核となり、ヴォーカリストとしてスウィートピー・アトキンソンとサー・ハリー・ボウエンズを加え、随時多彩なゲスト陣を向かえて作られた一種のブロジェクトだったが、ワールドワイドではこの作品あたりが出世作ということになると思う。当初はイギリスで受けていたことからも分かるとおり、このプロジェクトは基本的にソウルやファンクを白人流にモダンにリニューアルした音楽をベースにしつつも、時にアブストラクトでエキセントリックなサウンドを見せたり、ボーダレスなゲスト陣を連れてきたりと、けっこうマニアックに受けていたように思う。

 これが出された当時はバブル最盛期で、日本でも洋楽はニューロマが過去のものとなり、シャーデーなんかに代表されるイギリスのジャジーなブルーアイド・ソウルが真っ盛りの頃で、実は私のその線で購入してきたのだった。ただし、実際聴いてみると、悪くはないと思ったものの、ソウルっぽい部分はより本物志向が強い「濃い音楽」になっていて(なにしろ半分はブルー・アイド・ソウルではなく本物なのだから....)、自分の波長とは微妙に合わなかった。また、マニアックに受けていた、途中何曲か入るエキセントリックなナンバーは、私には全く不要なものに思ったものだった。これだけサウンド・プロダクションが巧妙で、一頭地を抜けた音楽センスをもっているのなら、どうしてもっと洗練されたソウルやファンクばかりで、スタイリッシュな構成しないのだろうと思った訳だ。

 さて、今久しぶりにこのアルバムを聴いているのだが、このアルバムの「濃さ」も「エキセントリックさ」も大分抵抗がなく聴けるのは、やはり20年という時代の流れなのだろう。この程度のクセではもはや驚かないどころか、もう当たり前になってしまい、その分、このアルバムの元々もっていたはずの「良質なポップ・アルバム」という地肌が私にも見えてというところなのかもしれない。バリー・ホワイト風な「愛はバッド・ラック」、AOR風な「夜の出来事」なんて、フランク・シナトラJrをフィーチャーした「愛の誓い」なんて、こんなにポップないい曲だったっけと感心した....とはいいつつ、やはりこのアルバムは、冒頭の「アメリカの何処かで」~「愛のスパイ」の2曲に尽きる。この2曲を聴くと、もう20年も前になってしまったバブル期のきらびやかな都会の風景がよみがえり、すこしばかり胸が痛くなってきたりするのである。
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ABC / Beauty Stab

2007年04月10日 01時08分22秒 | ROCK-POP
 ABCといえば80年代前半を飾るニューロマ・ブームの一翼を担ったバンドとして、「ルック・オブ・ラブ」などのきらびやかなイメージが強いが、単なるポップ・バンドではなく、けっこうな音楽主義的な面をもったバンドでもあった。実はそれが故にポシャったバンドでもあるのだが、その原因となったのがこのセカンド・アルバムだ。ABCはファースト・アルバムで、トレバー・ホーンという当時最高にヒップなプロデュースを起用して、前述の「ルック・オブ・ラブ」をはじめとして、ニューロマ系のバンドのアルバムとしては、ほとんど最高の音楽的クウォリティのアルバムを完成させたが、反面、あまりにトレバー・ホーン色が強く、ほとんどトレバー・ホーンとアン・ダッドリーで仕切ったところが歴然とした仕上がりでもあった。マーティン・フライを筆頭としたABCの面々が、それを潔しとしなったのは、想像に難くない。

 そこでこのセカンド・アルバムで彼らは何を考えたといえば、ニューロマからのイメチェンである。モデルとなったのはおそらく最初期のロキシー・ミュージックだったろう。ABCがロキシーズ・チルドレンだったことは間違いないが、最初期のロキシーをモデルとし、そこに更にエッジの切り立ったギター・サウンドを加味、よりヘビーでストロングなロック・サウンドを作り上げようとしたのだ。リズム隊は当時のロキシーのリズム・セクションであるアンディ・ニューマークとアランスペナー、ストリング・アレンジにはロックとクラシックの境界で活躍していたデビッド・ベッドフォードを起用して、まさにニュー・ウェイブの流れとは断絶した、当時でいうオールドウェイブとニュー・ウェイブが妙な具合に入り交じった古くて新しい、今にして思えばとても斬新なロック・サウンドをでっちあげることに成功した。しかし、その音楽の折衷ぶりが当時のリスナーにはハイブロウ過ぎたのか、商業的には全く惨敗に終わる。

 さて、このアルバム、旧A面の6曲は、まさに「80年代初頭ににリファインした最初期のロキシー・サウンド」であろう。猥雑で騒々しく、そのくせポップで、しかもやけパワフルというなサウンドは、最高にマニアックな音となっているし(3曲目などニューマークのドラムス共々「アヴァロン」にさえ近づいてしまう-笑)、イナタいサックスのプカプカ音はアンディ・マッケイを思いおこさずにはいられず、マーティン・フライのボーカルはまさにアラ・フェリーだ。
 一方、旧B面の「アビー・ロード」のB面でも意識したのだろうか、ほとんど全ての曲がメドレー風につながった一大組曲である。導入の「Hey Citizen!」からカッインして始まる「King Money」のめくるめく展開(中間部のギター・サウンドのカッコ良さ)、「Bite the Hand」のいかにもデビッド・フォードなモダンなストリングスと対比して爆発するギター・サウンドのなんともクレバーなサウンド、アップ・テンポでぐいぐい盛り上がるハイライトともいえる「Unzip」、トラッドな旋律がポップな「S.O.S.」、大曲のエピローグ「United Kingdom」とほとんど申し分のない構成となっている。

 という訳で、今聴いても....というか、このアルバム、むしろ今聴いた方がよほどしっくりくるサウンドではないだろうか。思うにマーティン・フライとマーク・ホワイトは頭が良すぎ、ロック評論家であり過ぎたのだ。全ては遅すぎる話だが、こういう音楽はせめてバンドのカラーを確立した後しばらくして、具体的にいえば4枚目とか5枚目で出していれば、このアルバムの評価も全く違ったものになっていたと思う、惜しいことをしたものだ。このアルバムも発表以来、やがて四半世紀を向かえる。ぜひ再評価されることを期待したい一枚である。
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WARFARE / Hammer Horror

2007年03月27日 21時04分30秒 | ROCK-POP
 昨日とりあげた「Classics Scores From Hammer Horror」の隣に、なんとこんなアルバムも紛れこんでました。同じシルヴァ・スクリーン・レーベルだし、きっと一緒に購入したんでしょうが、ほとんど記憶ない!(歳は取りたくない-笑)。内容ですが、サブタイの「A Rock Tribute To The Studio Dripped Blood」から分かるとおり、サントラのスコア演奏のコンピレーションではなく、イギリスのロック・バンドWARFAREによるハマー・ホラーのトリビュート・アルバムです。

 WARFAREはドラムとボーカルを担当するEVOという人がリーダーらしいバンドで、音楽的にはパンクメタルとでもいうのかな、幼児的稚拙でもって壊れたような迫力のあるパンクなドラムとヘビーでソリッドなギター・サウンドに、アシッドで暗黒っぽいボーカルがのるというスタイル。私はこの手の音楽はほとんど縁がないのでよく分からないのですが、時にメロディックな展開になったり、オーケストラっぽいシンセや女性コーラスが絡んでみたりと、けっこうドラマチックに盛り上がる曲が多いです。また、パンクとメタルの他にもドイツのテクノっぽいムードを感じさせたりして、まさになんでもありという感じ。

 なお、冒頭や途中何カ所かにリンク・トラック風に、「ドラキュラ」のサントラを無理矢理挿入したり、シンセのインストパートが入ったりする部分があって、そのあたりはホラー・トリビュートっぽい雰囲気なのですが、それ以外はほとんどオリジナル作品で構成されているので、オリジナル曲の方が続くと、割と普通のロック・アルバムという感じで、ジャケほどにはおどろおどろしい感じがしないのが少々残念かな。きっと歌詞とかはそれらしいものなんでしょうけど。
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スウィング・アウト・シスター/ホエア・アワ・ラヴ・グロウズ

2007年03月20日 23時53分01秒 | ROCK-POP
 2年ほど前に「アナザー・ノン・ストップ・シスター」を取り上げた時、「そういえば最近のSOSってどうなんだろう?」と思って購入し、一聴してレビュウしようと思いつつ結局2年近く放置されていたアルバムである。2004年の発表だから既に3年が経過してしまった訳だけれど、スタジオ作としては2007年となった現在でも目下の最新作というこになるようだ。ちなみに本作は本国では発表されておらず、日本でのみ発表されているらしく、いうなれば「日本人のためのブリティッシュ・ブルー・アイド・ソウル」ということになるかもしれない。ジャズなんかだと昔から「日本発の洋楽ジャズ」みたいなものはけっこう昔からあるけれど、いやロックの方でもそういうものが出る時代になったということか。

 内容的には2作目以降のスタイルを踏襲した、もはや不変の路線を本作でもやっていて、60年代のバカラック、ソウル、映画音楽といった音楽をSOS流に翻訳した音楽をやっている。音楽的にはますます洗練されているし、センスも悪くないのだが(そんなに良いとも思わないが)、故に初めて聴く気も全くしないのはいかがなものだろう。彼らの場合、2作目以降リズム面のアレンジがたいてい凡庸なのはほとんど致命的だと思うし(リズム・セクションが暴走したジャズ・カフェのライブは別として)、そのあたりも含め、結局のところ音楽の目的が、自分達の音楽の趣味性を満足させることだけが究極の目的となってしまっていて、余りに音楽が微温的というか、いってしまえば、小綺麗な一人暮らしのマンションかなにかでBGMとして流している時だけ、その機能性を発揮するみたいな毒にも薬にもならないような音楽になっているのは、デビュウ作の刺激に満ちた音楽で彼らを知った私としてはいかにも不満を感じる。

 こんなこといったら、彼らに怒られるかもしれないけど。もうこれだけ好き放題にルーズな音楽作ってきた訳だから、今の趣味性に少しブレーキをかけ、音楽職人とし有能なことは証明するようなアルバムもそろそろ一枚くらいは作ってもいいのではないか。例えば、映画のサントラやらせるとか、トミー・リピューマがプロデュースする、あるいは新メンバーいれるなどして、いつもと違う環境下で、このほんわかした二人が柄にもなく奮い立ったようなテンションで音楽をやっている様を聴いてみたい。そういう実力のある人達だと思うのだが....。
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Donald Fagen / Morph the Cat

2007年03月19日 00時44分13秒 | ROCK-POP
 93年に「Kamakiriad」以来のソロ作です、なんと13年振り!。「Nightfly」から「Kamakiriad」までだって11年ですから、それより長いとは....。そんな経ってたけっかって感じですよね。まぁ、「Kamakiriad」の後、なんとスティーリー・ダン本体が復活して、2000年に「Two Against Nature」と2003年に「Everything Must Go」とほぼ3年のインターバルで出してますから、あんまり長くも感じられないんでしょうが、それにしてもどうして今更、ソロ作ということになるんでしょうか。そもそもドナルド・フェイゲンってソロとスティーリー・ダンとは音楽的にどう差別しているつもりなのか、分かりそうで結局分からない(笑)。

 さて、本作ですがなかなかいい感じです。ソロ復帰作「Kamakiriad」とバンド復活作である「Two Against Nature」は、個人的にはどうしても休養明けのリハビリ作(+打ち込み病)みたいな印象どうしてもあり、あまり満足できる仕上がりではなかったのですが、バンドの「Everything Must Go」は往年の感触を取り戻してつつあるような感じがありましたので、この作品も前作の上向き加減をそのままソロに持ち込んだ....というところなんでしょう。まぁ、単に昔のホギャブラリーを使うことに抵抗なくなったということだけなのかもしれませんが(笑)。ともあれ、身も蓋もない言い方をすれば、「Everything Must Go」が「ガウチョ」や「エイジャ」あたりの思わせとすると、本作はすばり「Nightfly」を彷彿とさせる出来といえます。
 具体的にいえば、ウォルター・ベッカー好みの太いリズムに変わって、リリースの短いジャストでシャープなリズムを愛好しているところや、ギターを細かく割り振って独特なノリを形成する点、あとディテールで見せるマニアックなジャズ指向あたりは、「Nightfly」で見せたバンド本体とはほんの少し違うフェイゲン独特の世界ですが、それをここでも再現しているといったところです。

 ちなみにメンツ的にはヒュー・マックラケンが懐かしいくらいで、ほとんど知らない人ばかりです。ただし、演奏は手堅いの一言、前作に参加したビル・チャーラップは今回参加していませんが、チャーラップといい、90年代のバーンハートといい、平然とジャズピアニストを連れてくるセンスはあれはベッカーのものだったのかな?。そういえば、ジャケの方も「Kamakiriad」と「Two Against Nature」は、一目みた段階でほとんど脱力ものでしたが、今回のジャケは誰だって「Nightfly」を思わせずにはおかない、モノトーンでハードボイルドなもので、音楽の仕上がりもそのあたりが全てを物語っているのもしれませんね。とりあえず傑作といっときましょう、。
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CHICAGOⅡ (シカゴと23の誓い)

2007年03月14日 22時45分36秒 | ROCK-POP
 70年に発表されたシカゴ第2作。第1作に続いてまたしても2枚組という掟破りなボリュームで当時のファンをあっといわせたのは有名なエピソードですが、記憶が正しければ、このアルバムのマテリアルのほとんどは、第1作の制作時に同時に収録されたもので、いってしまえば第1作の残り物でもって構成されたアルバムだったようです。が、これはネガティブな意味でいわれていたのではなく、「仮に残り物だったとしても、これだけのクウォリティとヴォリュームのアルバムを作ってしまうから、やっぱり当時のシカゴは凄かったのだ」みたいないわれ方が多かったような気がします。真偽のほどは定かではありませんが、確かに音的には前作とほぼ同じ、インパクトある曲は1枚目にもってかれたのか、こちらのアルバムはより渋い曲が多いような気もしますが、全体のまとまり、統一感の方はこちらの方が上という気がします。例によって、主要な曲をメモっておきます。

 旧A面の4曲は、有名な?「ぼくら」シリーズで、比較的ポップな曲が並んでいます。シカゴというバンドは歴史的にみると、むしろデビュウ作に収録された実験的な曲の方が例外なような気がしないでもないので、例えば1曲目のように「ぼくらは何処へ」のように、基本的にはポップな曲なんだけど、ちょっと味付け程度にフリーなインプロをいれてみました....くらいの方がシカゴらしい気がしますね。続く「ぼくらの道」「ぼくらの詩」は、ダイナミックなプラスとギクシャクするようなニュー・ロック的な感触を持ちつつも、メロディックさ、親しみやすさを倍加するコーラスなどなど、その後AOR路線をちょっと予告するようなポップさがあります。ブルージーに「ぼくらの国」はエンディングの気の持たせ方がカッコいい。
 B面は「サタデイ・イン・ザ・パーク」を思わせるジェントルな「朝日よ輝け」を露払いにほぼ片面を使い切った組曲で、ジェームス・パンコウが主導した作品らしく、当時のシカゴがもっていた様々な音楽が墨流しのように走馬燈する構成。ちなみに頭と結尾に登場するのは有名な「ぼくらに微笑みを」、シカゴらしいパワー感とノリとブラスのアレンジが実にカッコいいです。

 C面はサイケっぽい「空想の色」から始まりますが、ハイライトはなんといっても「長い夜」がハイライトでしょうね。私自身、13歳の時「クエスチョンズ67/68」の次にシカゴで購入したシングル(本当はEP盤)がこれでした。あのベースのイントロ、これぞブラス・ロックってな疾走感にはしびれたものです。続く4曲はやはり組曲仕立てで、こちらはテリー・キャスが仕切っているようですが、何故か室内楽風な弦や木管がフィーチャーされたクラシカル雰囲気が徐々にシカゴ・サウンドに浸食され、やがてボーカルが登場する流れ。BSTの2枚目の影響でもあったのかな。
 D面は「栄光への旅路」と題された組曲、構成する曲のタイトルも第×楽章という気負ったものになっていて、この曲のインスト指向の強さを感じさせますが、実体としてはジャム的な要素も強い曲なんでしょうね。第1楽章はテーマ的なポジションですが、第2楽章ではフルートを大きくフィーチャー、第3楽章ではブルース調、第4楽章は元のテーマが回帰するというパターンですが、やや帰納的、即興的にまとめたという感じで、それほど盛り上がる訳ではありません。むしろ、この後、セテラのポップな「約束の地へ」をクロージング・ナンバーのように出てきますが、長いインストの後だけにポップさが際だってます(この曲も何故かよく覚えてます、前述のEP盤に入っていたかな?)。
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Kate Bush / AERIAL

2007年03月04日 18時22分46秒 | ROCK-POP
 昨年、購入しながら放置されていたアルバム。一昨年の発表された作品のようですが、その前の「レッド・シューズ」から、なんと12年ぶりの新作だったらしいです。私の場合、彼女の作品はデビュウ作から追いかけますが、「ハンズ・オブ・ラブ」あたりからあの自己膠着した世界にほとんど辟易してしまい、この2作くらいは一応購入はし続けたものの、中身を聴くことはほとんどなかったので、新作をきちんと聴くはほとんど20年振りくらいになるんじゃないでしょうか。なんでもこの空白期間は、子供が生まれて、その子育てしてきたとかいうことらしいんですが、このアルバムは恐らくそうした精神的にも身体的にも安定した期間の産物ということになるんでしょう。このアルバムの音楽は、ニュー・エイジ・ミュージック?と思うような明るく穏やかな色調のジャケに全てが現れているといってもいいような気がします。

 聴いてみて感じるのは、とにかく力が抜けていること。80年代後半以降の彼女の音楽にあった、例の夜叉の如き鬼気迫るぴーんと緊張感の張りつめたボーカル、男性とは明らかに違う思考回路で作っているとしか思えない、どろどろした情念で出来上がったようなサウンドといった、まぁ、よくいえばアーティスティックな趣がほとんど消えていて、なにやら日常生活から生まれる想いのをそのまま延長してきたような音楽になっているという感じです。とにかく、ケート・ブッシュのボーカルが声をほとんど張り上げず、ほとんど地声というか、まるで鼻歌かなにかのような感じで、淡々と歌っている曲が多いのには、さすが驚きますし、サウンドの方ももかつて愛好した打ち込み、サンプリング・サウンドは隠し味程度に後退し、生ピアノ+アンプラグ的なスモール・コンポもしくはオーケストラがメインとなったものが多く、ボーカルも併せて、音楽全体が隙間の多い、風通しのよい仕上がりになっているのが特徴でしょうかね。

 なお、アルバムは2枚組で、1枚目には「A Sea of Honey」、2枚目には「A Sky of Honey」というサブタイトルが付けられていて、独立したコンセプトを持ったディスクになっているようです。あえていえば、1枚目が小品集。2枚目が組曲風な大作で割とドラマチックな仕上がりという風に形容できるかもしれませんが、音楽的にはそれほと明確な違いがある訳ではありません。ちなみに参加しているメンツはスチュアート・エリオット、バディ・プッシュ、ダン・マッキントッシュといったほとんど常連ばかりですが、ドラムスにピーター・アースキン、コーラスにロル・クレーム、オケの編曲にマイケル・カーメンといった大物の名前もみれます(もちろんケート・プッシュだからして、その扱いは極めて地味....なのはいつもの通り)。

 といった訳で、実に久々にケート・ブッシュの新作をよーやく聴いた訳ですけど、前3作よりは数段好感がもてる仕上がりです。非常にシンプルで穏やかな音の声の中に、はっとするような深いヴァイブレーションを感じさせる部分が随所に鏤められているあたりは、さすがケート・ブッシュとは感じました。ただし、彼女の作品はいつもそうですが、けっこう聴き込まないと、真価がよく分からないところもあるので、しばらく聴きこんでみようと思います。うむ、やっぱ彼女のアルバムは芸術作品だ(笑)。
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ブラッド・スウェット&ティアーズ/子供は人類の父である

2007年02月27日 00時07分39秒 | ROCK-POP
 先日、シカゴのデビュウ作を聴いたからという訳でもないが、今度は70年代初頭シカゴと並び称されていたBSTのデビュウ作を聴いてみた。私はシカゴはほとんど聴いてこなかったけれど、BSTについてはある程度聴き込んでいたので、どちらかというとBST贔屓になってしまうはご承知いただきたい。さて、記憶によれば当時は「音楽性の高さでBST、ニュー・ロック的パワーと現代性でシカゴ」みたいな捉え方をされていたと思う。今聴くとこのふたつのバンドが持っていた音楽性は全くといっていいほど違うことがわかるのだが、当時は「ブラスロック」というカテゴリーでほとんど同一視されていたのだ。洋楽後進国だった頃ならではの話である。

 さて、BSTのデビュウ作だが、体裁としては冒頭と結尾にオーケストラによる序曲と終曲が一種の額縁にように配置され、、その間にバラエティに富んだ楽曲を配しつつ、最終的に一個の作品のようになるべく、つまりビートルズに「サージャント・ペパー」のようなトータル・アルバム的構成になっているのが特徴である。音楽的にはブラス・ロックとはいうものの、自前のブラス隊の他、序曲や終曲の他にもストリングスも容赦なく取り込み、ついでにテープの逆回しだの各種イフェクトも登場して、その後のBSTと比べれると全体としてはかなり賑々しいサウンドとなっている。このあたりは、サイケデリックの残り香のような影響もあったのだろうが、アル・クーパーという一種の元々インテリで音楽マニアが講じてミュージシャンになった彼の素地が出たともいえるではないか。

 具体的にいえば、「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユール・エヴァー・ノウ」、「サムシン・ゴーイン・オン」はブルース・プロジェクトの後塵をはいしたブルース、「彼女なしには」は本格的ボサノバ、「ミーガンズ・ジプシー・アイズ」「ハウス・イン・ザ・カントリー」はサイケ、バカラックの影響がちらほらする「マイ・デイズ・アー・ナンバード」「ソー・マッチ・ラヴ」、正統派ニューロックである「アイ・キャント・クイット・ハー」、エルトン・ジョンみたいな「プラトンとディオゲネスとフロイトの現代的冒険」といった具合に、何しろ曲がバラエティに富みすぎているである....。まぁ、だからこそ序曲と終曲という額縁が必要だったのかもしれないが。

 ともあれ、今聴くとBSTとシカゴの音楽性の違いは明らかだ。ここに収録されているバラエティに富んだ楽曲は、おしなべてアル・クーパーという人の批評眼から生まれた産物で、意識的なきっちりとアレンジで出来上がった代物という気がするのに対し(だから上手いミュージシャンを集めたのだ)、シカゴは当事者意識のかたまりみたいな音楽で、理屈抜きでオレ達のやりたい音楽やるんだという野放図なパワーが溢れている。ようするにそういう違いがあったのである。BSTはこの後、アル・クーパーが抜けある意味デビュウ作以上に音楽主義的なバンドになっていくのだが、それはまたいずれ....。
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Jeff Beck / There And Back

2007年02月21日 23時27分20秒 | ROCK-POP
 恥ずかしながら、この名作を私はきちんとした形で聴くのは、今回が初めてのような気がします。このアルバムが発売になった頃といえば、日本でもバンクとかニュー・ウェイブ、あとテクノといった音楽がシーンを席捲していた時期であり、私もそうした音楽をあれこれ聴きながら、なんとかシーンについていこうと必死になっていた頃でしたから、まさにそうした時期、大御所の新作が出たところで、なんか出し遅れの証文のように感じてしまい(思えば、そのくらい短期間にロック・ミュージックの大々的地殻変動が起きたというのも凄いことですが....)、結果的に手を出さないまま、今に至ったってなところだと思います。

 さて、このアルバムは有名な話ですが、「ワイアード」と同様ヤン・ハマーとのコラポレーションのような形でアルバムが制作され、一旦は完成をみるものの、ベックがその仕上がりに不満を感じ、ハマーに変わって、キーボードにトニー・ハイマスを向かえて録音し直した結果、出来上がったアルバムがコレ....ということになるようです。出来上がったアルバムは冒頭の3曲がハマーとのセッションでの曲、残り5曲が新布陣によるものと、割とメンツの違いがイコール音楽の違いになっていることが歴然とした構成です。これはベックが主としてパートナーの作った曲を素材として取り上げることが多い関係上、仕方ないことなのかもしれませんね。

 ともあれ、前半の3曲はゴリゴリしたテクニック史上主義的な面とファンキーでポップが妙な具合に混在するハマーらしい楽曲が並んでいて、それこそ前作「ライブ・ワイアー」の続編のような仕上がりになっているのですが、ハイマスがパートナーとして加わった後半では、同じようなフュージョン路線とはいえ、彼の楽曲の方が大分ナチュラルでストレートにベックのギターをフィーチャーしているような気がします。要するハイマスはあまりハマーのような「オレがオレが」的な自己顕示性がなく、アンサンブルの中でさりげなく自己の優秀性をアピールするタイプのようなのが(アコピを多用するあたりにもそういうところが感じられます)、ベックには気に入られる要因にもなったんでしょうね。

 という訳で、後半は結果的に「ブロウ・バイ・ブロウ」的な滑らかな流麗さに回帰しているともいえます。おそらくベックとしては「ハマーは確かに凄いけど、あいつと汲んだら軒を貸して母屋とらちまう」とでも思ったんじゃないですかね。旧セッションと比率が3:5というのが、なんかベックの心境物語っているようで微笑ましいです。
 ちなみに、曲目としてはハマーと「Stra Cycle」、ハイマスがハマー役となってバトルを繰り広げる「Space Boogie」が圧巻です。後AORみたいな「The Goldden Road」も良かったな。
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CHICAGO TRANSIT AUTHORITY

2007年02月17日 12時45分47秒 | ROCK-POP
 私がロック関係の音楽を自覚的に聴くようになったのは、確か小学6年の最後の頃で確かビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ」を10chで放映したのがきっかけで、そこからラジオなども聴くようになり、ビートルズ以外のロックなども耳に入ってくるようになったのですが、その72年の初め頃、ニッポン放送や文化放送で頻繁にオンエアされていたので、シカゴの「クエスチョンズ67~68」という曲。この曲が日本で洋楽シングルとしてヒットしたのは多分もう少し前のことだったのかもしれませんが、とにかく来日に合わせていろいろな番組で大々的にオンエアされたので、すぐに覚えてしまったんですね。ドラムのフィルからから始まりブラスが先導するイントロのカッコ良さ、ピーター・セテラのパッショネイトなボーカル、サビの意外性などなど、とにかくロック的カッコ良さ満載なところが良かったんでしょうね。

 ともあれ、これをきっかけにシカゴのシングルは沢山買いました。「クエスチョンズ67/68」「長い夜」「僕らに微笑みを」「サタデイ・イン・ザ・パーク」などなど(ちなみに「クエスチョンズ67/68」がシングルに切られたのは71年の10月だったようです)....でも、私は当時LP盤を買うとしたら、どちらかといえばビートルズが欲しかったし、そうこうしているうちにブリティッシュ・ロックの方に入れ込んでしまうようになったことと、シカゴの自体も次第にAOR化してしまったことも併せて、結局現在に至るまで彼らのアルバムというのは、まともに一枚買っていなかったのですが、しばらく前に当ブログで継続的にやったサンタナ・レトロスペクティブ・シリーズ(?)に続いて、今度はシカゴでもやっつけてみようかなと、1枚目と2枚目を購入してあったのですが、今、ようやく1枚目の方を聴いているところです。

 さて、オリジナルタイトルは「Chicago Transit Authority」、ですが、私に限らずリアルタイマーには「シカゴの軌跡」の方がしっくり来ますよね。デビュウ・アルバムにして2枚組というボリューム、ブラス・ロックという新しいスタイル等、反体制的メッセージ性なとなど当時いろいろな話題性があった作品ですが、とにかく一曲目の「イントロダクション」だけでも圧倒されます。私はこのアルバムをきちんと聴くのは多分これが初めてですが、さすがにロック・ヴィンテージ化している曲だけあってこの曲は馴染みがありました。様々なリズムや楽想をブラス・セクションをともなって、めまぐるしく展開していく様は、今は聴いても斬新だしきわめて新鮮です。
 2曲目「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」はなんか現音系なピアノに始まりますが、基本的にはロバート・ラムらしい、バカラックの影響を感じるジェントルなミディアム・バラードで、改めて聴くと「結局、シカゴってさ、最初からこういうAORみたいなポップな側面があったバンドだったんだよな」とか思います。
 3曲目の「ビギニングス」も名曲で、こちらはアコースティックなギター・サウンドとブラスの組み合わせに始まり、次第にホットでかつ分厚いサウンドに展開していくあたりが、いかにも高カロリーで「ニューロック」を感じさせます。そしてこれに続くのが「クエスチョンズ67/68」、ちょいと地味ですがこれまたシカゴらしい「リッスン」という具合で、ここまでの5曲はほとんど文句のつけようのないロック・ヴィンテージですね。

 あと、気がついたところでは、「クエスチョンズ67/68」のB面に入っていたのが、旧C面の「アイム・ア・マン」で、当時は非常に地味な曲に聴こえたものですが、今聴くととても聴き応えのある典型的なニューロック・サウンドで楽しめした。旧D面をしめる社会性の強い組曲(なんでしょうね、あんまりそういう感じしませんが)は、後半のジャムっぽい「解放」が楽しいです。いかにもニュー・ロックっぽいインプロのタレ流しなんですが、トランスがかった熱気がいかにも60年代の残光を感じさせます。まぁ、曲調は「解放」というよりは、「お祭り」って感じですが....。垂れ流しといえば、旧B面最後の「ポエム58」と、続くC面の「フリー・フォーム・ギター」はテリー・キャスのギターの垂れ流しで、まさにこの時代だからこそ許された楽曲ですね(アル・クーパーの「月面軟着陸」とか思い出しました )。
 そんな訳で、非常に楽しめました。2枚目は既に購入済だから、このまま5枚目まで突っ走ってみますかぁ?>シカゴ。
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