孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

子供を優しく育てますか、厳しくしますか、また親の満足と不満で子育てしていませんか、

2015年04月23日 | Weblog
この世人間関係は「どうすることも」できない矛盾・不完全意識の集まりですから、良いことが悪いことになったり逆に悪いことが良いことになったりしてコロコロと変化することが事実にあります。

だから優しさ思いやりで子供を育てることが必ずしも良い結果になるとは限りません。
ちなみに子供が録画したテレビを見ながらにして母親に何か欲しいものを持ってくる様に頼んでいるのを親が親切に応じることがあります。

ところが私は放任で育っていますから、自分のことは自分でする癖みたいなのが身に付いていますから、私が出来ることを妻や家族に頼んだことはありません。
然るに妻の帰りが遅くなって空腹なときは自分で台所に行き卵と鰹節の「猫まんま」チャーハンを作ったり、また何でも混ぜるチャンポン焼き飯、卵かけならぬ牛乳かけご飯などと自己流で作って食べていました。
そして空腹こそが(美味しくいただける)最高の贅沢にもなるのです。

また子供は厳しく育てるのが良いと思う親もいますが、その厳しさが必ずしも良い結果になるとは限りません。
概ねながら親に対する反発心が根強く残ります。
またそれが良くもなれば悪くもなります。

然るに私は上でも下でも右でも左でもない真ん中の「どっちでもない」普通が性に合っていますから、結果的にその人任せで「ほっとく」ことになりました。

また子供の学業成績が良ければ親は一応安心しますが、しかしその成績が落ちることを親や子は心配しますから、然るに成績が良いことで満足するも常に不安心配が付きまといます。
しかも事実にしてその成績が落ちればいったいどうなることでしょうか?

ところが私は遊ぶことに忙しかったから学業成績はビリ?だったと思いますが(何たって成績順位なんか気にしていなかったから)その記憶はありません。

それでも高度で精密な電子機器・映像機器を使うビデオ撮影制作を先駆けることが出来ました。
そして説明書などの活字嫌いの私が精密な電子機器を使うことで悟ったのが「覚えるよりも慣れろ」でした。

ちなみに先々のことをあれこれ思い浮かべ予測したり計画を立てたりすることよりも「何とかなるだろう=当たって砕けろ」如くの成り行き任せが性に合っているということです。

ところで不平不満の多い人は=人が「してくれた」こと言わずにして=自分に「してくれなかった」ことの不満を言う人が多いことです。

と言うことは自我が強いことからして、自分に都合が良い人には己を気に入ってもらいたいがために(精一杯)優しく親切で心配りも十分に出来ます。
ところが自分に都合が悪くなると(必要ではなくなれば)(好きからイヤになると)あれだけ優しくて親切で心配りをしていた人がそっぽを向いたり反旗さえもひるがえします。

然るに人の優しさ思いやり親切には必ず裏があるのです。

と言うことからして不完全で矛盾のある人間関係の中で生きていくからには、上下左右の無い中心点の真ん中の「普通意識=自然体」でいることが重要になるのです。

然るに優しくもないが厳しくもない、親切でもないが不親切でもない、信頼しているようでもないが不信をもっているようでもない、守っているようだがほったらかしている、利口でもないが無知でもない、決めているようで決めていない、熱中集中しているが無理がない、
然るに良くもないが悪くもない、然るに矛盾する結果にならない、然るに拘りも未練も執着にもならない、然るに満足でもないが不満でもない、然るに成るようになったその結果を味わうだけで一旦終わる、

そして必然ご縁があれば(仕組まれば)素直に従ってみる、また先に結果を求めるのではなくして成るようになったその=後付け結果=既に終わっているから&後戻りできないから=そこで己の意識が原因で「仕組まれた」ことに気付けば=その結果に拘り未練執着することにもならずに(自己満足・不平不満にもならずに)一旦終わります。

然るに拘り・未練・執着もなく、否定反発も束縛制限もない、その自由にして、己の中の苦楽・喜怒哀楽の矛盾からも開放されます。

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