人間は意識を持った命ですから、意識が無ければ命も存在できません。
その意識・命を持った生命体が人間の形を成しているのですから、鶏が先か卵が先かで言えば、意識・命が先(原因)であって、人間の形を成している肉体は意識エネルギー(全知全能のエネルギー)によって創造された形(結果)になります。
だから人間の赤ちゃんとしての形を成す以前から意識・命は存在・実在していた事になり、それが世間で言われている魂の世界・前世・意識の世界・神や愛の世界などと言われている人間には見えない世界・異次元界になります。
それを分かり易く言えば・・・あの世があるから(原因)、この世(結果)があるので、あの世が無ければこの世も無い完全な無になります。
と言うことから言えば、生まれたての赤ちゃんは両親の意識・思いで産まれたというよりも、(あの世の仕組み・必然によって)自らの意識が働いた原因があるからその結果として両親を得たことになりますから、原因は己の意識にあり、その結果が両親と言う関係になりますから、簡単に言えば(必然から)「子が親を選んで」生まれた事になります。
また己の意識によって思い通りに生きていけますから、例え自分の思い通りにならないことがあったとしても、(そのままにしていられずに)(それが気に入らなくて)何らかの行為表現をするに至るのにも(原因として)自分の思い・判断・意識が働いたことになりますから、すべて自分の思い通りに生きようとしている原因とその結果になります。
その事を自己責任で生きているとも言われますが、それを言い訳正当化して他者責任に負わしたがる意識が「私は正しい」という自己主張に見られ、その「私は正しい」の意識を持つことから自分に都合が悪くて気に入らないことがあれば、その不平不満や不信感からそれらを否定反発・拒否することが多くなり、それが原因でいろんな問題が起きている現実がこの世にあります。
そして自分に都合が良いか悪いかの判断をしてその良いとこ取りをしたり自己主張して不平不満を解決したとしてもそれは自己満足ですから一時的に満足しても心が豊かになる満足・至福には至りません。
だから、もっと欲しい、もっと願いを叶えたいと更に欲張るようになり、たとえそれを実現させても、それも欲から出た自己満足だけですからいつまでもきりがありません。
しかも欲から出た自己満足や良いとこ取りで得た自己満足には必ず裏がありますから、(プラス・マイナスのバランスから見れば)得て得をした者がいればその裏で失ったり得られなかった犠牲が潜んでいますから、誰かが必ず不平不満を持つことにもなり、それら不満の者を解決させるための手立て(妥協)も必要になり、その不平不満のバランスをとるために更に複雑に絡み合い、その欲(良いとこ取り意識)の絡み合う複雑な構図の中での欲得損得で比較競争・差別することにもなっています。
しかも人それぞれに違った意識・思惑が絡んでいますから、あらゆる問題が解決する事無く更に問題が複雑多様化されながら次々と進化拡大しているのがこの世であり、人間の力ではどうしようもないのが現実にあります。
だから、この世の形をどうにかすることよりも、まず個々の意識を改革するしか他に道は無いのです。
そのために(他のことはさておき)今の自分の意識がどうあるべきかを学び知るための完全真理がこの世に初めて登場したのです。
そして良い悪い(善悪・優劣・損得)で判断せずに(比較競争差別しないで)事実だけを見ることが出来る「そのまま、このまま、あるがまま」の自然体意識や特別ではない神や愛の真理(意識エネルギーの実在)を説いて、その真理の実践を促しているのです。
その完全真理が比較競争・差別の無い平等・自由・調和のある真理であることを自覚納得・悟るためには必ず「自己縮小」が必要なのです。 その自己縮小を実践意識していると自ずと不平不満が消えていって心の満足を得られるように意識が変わっていくのです。
すなわち、欲(意欲・目的・理想)を持たなくても、また新たに物や金を出して使わなくても(今の中に)心に十分満足できるものがたくさん用意されていることにも気付けるのです。
しかしその喜び感謝の満足に気付けないのは「真理を意識」していないで、よそ事ばかり気にしてそれに意識が縛られているからです。 それが衣食住を極めることや財を成すことであったり、喜怒哀楽や生老病死を気にしていることであったり、多様性のある趣味嗜好娯楽・刺激を味わうことであったり、名誉権利権威を持つことであったりするから、それら以外の事に意識が向けられないないし、事実現実をそのままに見ることも出来ないで不平不満に思いそれに未練後悔執着しているからです。
それら意識の世界を説く「完全真理」は・・・矛盾も妥協も一切無い「真実」に気付く意識を学び知り味わうことの出来る完全な真理なのです。
その意識・命を持った生命体が人間の形を成しているのですから、鶏が先か卵が先かで言えば、意識・命が先(原因)であって、人間の形を成している肉体は意識エネルギー(全知全能のエネルギー)によって創造された形(結果)になります。
だから人間の赤ちゃんとしての形を成す以前から意識・命は存在・実在していた事になり、それが世間で言われている魂の世界・前世・意識の世界・神や愛の世界などと言われている人間には見えない世界・異次元界になります。
それを分かり易く言えば・・・あの世があるから(原因)、この世(結果)があるので、あの世が無ければこの世も無い完全な無になります。
と言うことから言えば、生まれたての赤ちゃんは両親の意識・思いで産まれたというよりも、(あの世の仕組み・必然によって)自らの意識が働いた原因があるからその結果として両親を得たことになりますから、原因は己の意識にあり、その結果が両親と言う関係になりますから、簡単に言えば(必然から)「子が親を選んで」生まれた事になります。
また己の意識によって思い通りに生きていけますから、例え自分の思い通りにならないことがあったとしても、(そのままにしていられずに)(それが気に入らなくて)何らかの行為表現をするに至るのにも(原因として)自分の思い・判断・意識が働いたことになりますから、すべて自分の思い通りに生きようとしている原因とその結果になります。
その事を自己責任で生きているとも言われますが、それを言い訳正当化して他者責任に負わしたがる意識が「私は正しい」という自己主張に見られ、その「私は正しい」の意識を持つことから自分に都合が悪くて気に入らないことがあれば、その不平不満や不信感からそれらを否定反発・拒否することが多くなり、それが原因でいろんな問題が起きている現実がこの世にあります。
そして自分に都合が良いか悪いかの判断をしてその良いとこ取りをしたり自己主張して不平不満を解決したとしてもそれは自己満足ですから一時的に満足しても心が豊かになる満足・至福には至りません。
だから、もっと欲しい、もっと願いを叶えたいと更に欲張るようになり、たとえそれを実現させても、それも欲から出た自己満足だけですからいつまでもきりがありません。
しかも欲から出た自己満足や良いとこ取りで得た自己満足には必ず裏がありますから、(プラス・マイナスのバランスから見れば)得て得をした者がいればその裏で失ったり得られなかった犠牲が潜んでいますから、誰かが必ず不平不満を持つことにもなり、それら不満の者を解決させるための手立て(妥協)も必要になり、その不平不満のバランスをとるために更に複雑に絡み合い、その欲(良いとこ取り意識)の絡み合う複雑な構図の中での欲得損得で比較競争・差別することにもなっています。
しかも人それぞれに違った意識・思惑が絡んでいますから、あらゆる問題が解決する事無く更に問題が複雑多様化されながら次々と進化拡大しているのがこの世であり、人間の力ではどうしようもないのが現実にあります。
だから、この世の形をどうにかすることよりも、まず個々の意識を改革するしか他に道は無いのです。
そのために(他のことはさておき)今の自分の意識がどうあるべきかを学び知るための完全真理がこの世に初めて登場したのです。
そして良い悪い(善悪・優劣・損得)で判断せずに(比較競争差別しないで)事実だけを見ることが出来る「そのまま、このまま、あるがまま」の自然体意識や特別ではない神や愛の真理(意識エネルギーの実在)を説いて、その真理の実践を促しているのです。
その完全真理が比較競争・差別の無い平等・自由・調和のある真理であることを自覚納得・悟るためには必ず「自己縮小」が必要なのです。 その自己縮小を実践意識していると自ずと不平不満が消えていって心の満足を得られるように意識が変わっていくのです。
すなわち、欲(意欲・目的・理想)を持たなくても、また新たに物や金を出して使わなくても(今の中に)心に十分満足できるものがたくさん用意されていることにも気付けるのです。
しかしその喜び感謝の満足に気付けないのは「真理を意識」していないで、よそ事ばかり気にしてそれに意識が縛られているからです。 それが衣食住を極めることや財を成すことであったり、喜怒哀楽や生老病死を気にしていることであったり、多様性のある趣味嗜好娯楽・刺激を味わうことであったり、名誉権利権威を持つことであったりするから、それら以外の事に意識が向けられないないし、事実現実をそのままに見ることも出来ないで不平不満に思いそれに未練後悔執着しているからです。
それら意識の世界を説く「完全真理」は・・・矛盾も妥協も一切無い「真実」に気付く意識を学び知り味わうことの出来る完全な真理なのです。