原因(意識)から結果が出ていますが、その結果がまた原因となり新たな結果が出続けています。
だから原因はひとつであっても、その結果は幾重にも広がりながら未だに結果が出続けていますし、また今の結果は途中結果ですから、その結果もどんなに変わっていくかは定かではありません。
・・・だから原因となる自らの意識が最も重要なわけです。
だから不完全意識が多く強く出るほどにその不完全な結果も大きく出てきます。
すなわち大きな不平不満が大きな不安心配や恐れ怒りになり、それが原因で人殺しや戦争やテロにもなっています。
またごく小さな事であっても、その小さなままに推移する事無く、それに執着すればするほど進化拡大していくのが不平不満なのです。
しかもそれが個々の個人であっても、その不平不満が集合意識となれば地域社会や国家や地球までも動かすエネルギーになりますから、その必然性から時として英雄・ヒーロー・主導者・革命家・独裁者が出てくることにもなりますし、地球規模の真坂の有事に見舞われることにもなります。
しかもその集合意識に支配されますから、中にはのけ者にされたり、弾圧されたり、異端者にされたり、魔女にされるなど、皆の集合意識に不都合な意識を持ったものが邪魔な存在になり、否定反発排除されることにもなります。
しかしそれらも途中の結果ですから、その結果が永遠に続くことはありませんから、やがてまた別な集合意識によって色々と様変わりするその繰り返しで、此れまで続き続いた結果である現在がありますが、その現在の結果がこの先どんな結果になっていくかは定かではありません。
それが一般的な家庭の中でも同じことです。
だから豊かな生活が必ずしも良いことにはなりません。
すなわち「良い」ことの自己満足が多くあれば、その裏の不平不満が出てきて「悪い」結果も多く出てくるのは確かなことなのです。
そしてその不平不満を何とか解決して自己満足すれば、その自己満足したことがやがて不平不満に変わっていくのが不完全意識の人間なのです。
簡単に説明すれば、自転車で良かったことがオートバイや車になり、そして新品に乗り換え続けたり、高性能・豪華さになり、それで物足りなければ飛行機になりと、最初で止まらないのです。
また成績・業績が良くてもその成績・業績が落ちれば悪く思うように、また悪かった成績が上がれば良かった事にもなるが、その成績がいつも良いばかりではありませんし悪いばかりが続くわけでもありません。
・・・だからすべてにおいて同じことが言えるのです。
・・・だから苦と楽の苦楽、喜怒哀楽で生きている事になるわけです。
その事を何度も書いているのですが、それでも良いとこ取りしたがる人間意識・不完全意識は消えません。
だからその自己満足とその不平不満の繰り返しが延々と続くのですが、それでもお構い無しに良いとこ取りを繰り返し続けていれば、その裏が必ず出てきて困ったことの有事になっていますが、それが一般家庭と同じように地域・社会・国家も地球規模でも困った事になっています。
・・・それでも自分さえ良ければの意識に変わりはありません。
だから家庭でも国家や地球規模においても、予め懸念されている有事が起き続けていきます。
しかもその原因が良い悪いの自己満足と不平不満ですから、自己満足を多く持っている人ほど困ったことの有事が多くなります。
そしてその有事に強いのが質素・素朴であり、小さな満足で十分な人ほど多くを持っていませんから、その分だけ大きな不平不満にはなりません。
しかも人間・肉体を終える結果になっても、それも肉体が消えた結果ですから、その原因「意識・命」は実在し続けますから、その死に至るまでに持ち続けていた感情や精神は意識・命の中に残っていますから、人間を死して後も、その原因の結果が出続けます。
すなわち安らかなあの世なのか、憎悪に満ちたあの世なのか、苦楽の感情に支配されたあの世になるのか、新たな次元意識の世界になるか否かの分かれ道でもあります。
しかもそれで終わるのではありません、まだまだ原因意識の結果が出続けますから、その先行きは不確かです。
だから原因はひとつであっても、その結果は幾重にも広がりながら未だに結果が出続けていますし、また今の結果は途中結果ですから、その結果もどんなに変わっていくかは定かではありません。
・・・だから原因となる自らの意識が最も重要なわけです。
だから不完全意識が多く強く出るほどにその不完全な結果も大きく出てきます。
すなわち大きな不平不満が大きな不安心配や恐れ怒りになり、それが原因で人殺しや戦争やテロにもなっています。
またごく小さな事であっても、その小さなままに推移する事無く、それに執着すればするほど進化拡大していくのが不平不満なのです。
しかもそれが個々の個人であっても、その不平不満が集合意識となれば地域社会や国家や地球までも動かすエネルギーになりますから、その必然性から時として英雄・ヒーロー・主導者・革命家・独裁者が出てくることにもなりますし、地球規模の真坂の有事に見舞われることにもなります。
しかもその集合意識に支配されますから、中にはのけ者にされたり、弾圧されたり、異端者にされたり、魔女にされるなど、皆の集合意識に不都合な意識を持ったものが邪魔な存在になり、否定反発排除されることにもなります。
しかしそれらも途中の結果ですから、その結果が永遠に続くことはありませんから、やがてまた別な集合意識によって色々と様変わりするその繰り返しで、此れまで続き続いた結果である現在がありますが、その現在の結果がこの先どんな結果になっていくかは定かではありません。
それが一般的な家庭の中でも同じことです。
だから豊かな生活が必ずしも良いことにはなりません。
すなわち「良い」ことの自己満足が多くあれば、その裏の不平不満が出てきて「悪い」結果も多く出てくるのは確かなことなのです。
そしてその不平不満を何とか解決して自己満足すれば、その自己満足したことがやがて不平不満に変わっていくのが不完全意識の人間なのです。
簡単に説明すれば、自転車で良かったことがオートバイや車になり、そして新品に乗り換え続けたり、高性能・豪華さになり、それで物足りなければ飛行機になりと、最初で止まらないのです。
また成績・業績が良くてもその成績・業績が落ちれば悪く思うように、また悪かった成績が上がれば良かった事にもなるが、その成績がいつも良いばかりではありませんし悪いばかりが続くわけでもありません。
・・・だからすべてにおいて同じことが言えるのです。
・・・だから苦と楽の苦楽、喜怒哀楽で生きている事になるわけです。
その事を何度も書いているのですが、それでも良いとこ取りしたがる人間意識・不完全意識は消えません。
だからその自己満足とその不平不満の繰り返しが延々と続くのですが、それでもお構い無しに良いとこ取りを繰り返し続けていれば、その裏が必ず出てきて困ったことの有事になっていますが、それが一般家庭と同じように地域・社会・国家も地球規模でも困った事になっています。
・・・それでも自分さえ良ければの意識に変わりはありません。
だから家庭でも国家や地球規模においても、予め懸念されている有事が起き続けていきます。
しかもその原因が良い悪いの自己満足と不平不満ですから、自己満足を多く持っている人ほど困ったことの有事が多くなります。
そしてその有事に強いのが質素・素朴であり、小さな満足で十分な人ほど多くを持っていませんから、その分だけ大きな不平不満にはなりません。
しかも人間・肉体を終える結果になっても、それも肉体が消えた結果ですから、その原因「意識・命」は実在し続けますから、その死に至るまでに持ち続けていた感情や精神は意識・命の中に残っていますから、人間を死して後も、その原因の結果が出続けます。
すなわち安らかなあの世なのか、憎悪に満ちたあの世なのか、苦楽の感情に支配されたあの世になるのか、新たな次元意識の世界になるか否かの分かれ道でもあります。
しかもそれで終わるのではありません、まだまだ原因意識の結果が出続けますから、その先行きは不確かです。