孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

生きている中での余暇の暇つぶし時間つぶしに不完全意識の人間関係は必要なく、然るに孤独で十分です。

2014年08月29日 | Weblog

人間誰もが良い悪いで判断して、その良いとこ取りをするが、しかし都合の悪いことを否定反発排除しているからには、如何なる神仏霊魂の世界や精神世界や有能な人間関係をもってしても、その良いと悪いの矛盾した苦楽の結果が現れることからして、然るに無駄で無理で余計な事になります。

然るに産まれ立ての赤ちゃんから死にかけている人までが、今よりも少しでも(自分の都合が)良くなりたいという欲でもって生きています。
だから「人が集る所に欲あり」でして、それが例え親子夫婦家族の関係であっても己の欲絡みですから、然るに一家団欒や和気藹々や相思相愛などは絵に書いた餅同然になります。

だから互いの欲でもって親子や夫婦や家族の絆を強くすることは出来ても(自分に都合が良くなるように出来ても)自由平等調和の関係にはなりません。

だから互いの思いを言い合う会話、愚痴小言を言い合う関係、不満不安不信や心配を言い合う関係、また互いが主張し合いぶつかり合い怒り合う関係、また義理人情絡みの不本意ながら妥協協調し合う関係などがあっても、お互い様&お陰様の意識でもっての調和関係はありません。

然るに不調和&不完全意識の者同士が同じ屋根の下で共同体となって暮らしたり、また趣味嗜好娯楽&変化刺激快感快楽の為に共に集まり合って、その不調和不完全意識から出てくるその結果のその苦楽&喜怒哀楽を味わうことで人生の大半の時間を潰しているようなものです。

ちなみに孤独だと相手がいませんから、共に言い合う関係や張り合う関係がありませんから、然るに頑張り合う&欲張り合う&見栄を張り合う&主張し合う&喧嘩し合う関係がありません。
然るに私は孤独の自由にして、タダ食って寝て糞をするだけのような生き様にして、然るに自己満足も不平不満も少ない、然るに苦楽&喜怒哀楽の少ない、無駄も無理も無く、また余計な口出し手出しも無く、然るに至って呑気気楽の楽チンの生き方になっています。

ちなみに親子兄弟夫婦間で遠慮なく愚痴や小言&不平不満が言い合えるから(会話できるから)(孤独にならずにすむから)(依存し合えるから)その夫婦関係&人間関係が続けられる人もいるでしょう。

然るに自己満足や不平不満不信&不安心配&怒りや憎悪や嫉妬や否定反発や束縛制限支配し合ったり、また裏切りや仕返し報復があったり、また山あり谷ありの波乱万丈があるからこそ、その人間として生きている価値が有ると思っている人もいることでしょう。

しかし心身ともに疲れます。
そして老後が心配です。
然るに何らかの他力や癒しを求めます。
しかしその人工的・人為的・創作的な特別な形の癒しも元からして不完全ですから、その矛盾&苦楽を味わったりまたその弊害や副作用が出てきたりしますから、また別件での精神安定や癒しが必要にもなります。

また多くの方々は趣味嗜好娯楽&変化刺激快感快楽でもって余暇の暇つぶし時間つぶしをしているようですが、しかし私の暇つぶし時間つぶしは自由&素朴&省エネにして呑気気楽に過ごすことになっています。

だからそれだけ自己満足や不平不満も少なく、然るに不安心配不信&恐れ怒りも無く、然るに人間関係で頑張り欲張ることも見栄張ることも目立つことも無く、然るに心身ともに軽やかにして独り静かに成り行き任せの安心安全の心持でもって自由勝手気ままに暮らせているのです。

終わり良ければ全て良しとなる、また矛盾の無い価値ある納得人生で終わるには、

2014年08月24日 | Weblog
このブログの書き込みを5月末でもって停止したことで尚更に暇で退屈な時間が多くなり、正に食って寝て糞をしながらにしてタダ生きているだけのような、然るに変化刺激の少ない、然るに自己満足も不平不満も少ない、然るに喜怒哀楽の少ない、然るに素朴で単純な生活が更に深まってきました。

然るに趣味嗜好娯楽、即ち人工的創作や人為的な変化刺激や快感快楽を味わうその必然性も薄れてきましたから、然るに特別が少なく、然るに何だか味気ないような単調な日々が続きます。

だから以前よりも更に自然界と接し触れ合う時間が多くなりました。
然るに目線の高さで見られる朝焼けや夕焼けや月夜を見入る時間や夜空の星を仰ぎ見ることも以前より時間的に長くなりましたし、日没や夜明け前のモノトーンの景観を見入ることも、また漆黒の闇夜さえも意識してその雰囲気を味わうことにもなりました。

また会話の無い孤独からして時おりラジオを聞くときがありますが、しかし身近な自然を意識しているときになれば、その人工的なラジオ音声が雑音騒音にもなりました。
更に変化刺激&過激活劇&華やかさ派手さが売り物の映画ドラマをPCで観ていると時にそれが荒々しくも騒々しくも馬鹿げたことにもなってきました。

然るに人工的に創作された諸々や身近な音楽や&歌謡歌手に魅力を感じたり心が引き付けられたり癒される時があると言うことは、その裏を返せば、その分だけ心精神が荒んでいるのです。
然るに心が静寂であれば聞こえてくる意気揚々たる音楽が騒々しくもなりますが、しかし心が落ち込んでいればそれが快くも感じるのです。
ちなみに桜見物や紅葉狩りやキャンプをしているのにそこでカラオケしたり派手に振舞って大騒ぎをしているのと同等の意識になります。

ところで認知症が増えているようですが、その原因に欲張り見栄張りの執着心が関係しているようです。
然るに表向きは心静かで微笑が出ていてもその裏心内心は不平不満に執着して怒りになっていたりしたはずです。

ちなみにその怒りを隠して溜め込んでいた為に認知症や五体不満足の症状が出て、然るに内臓疾患や腰痛&頭痛&難聴を患うことになったり、また排便もままならない認知症や寝たきり老人のその苦に満ちた&生きた心地がしない老後が死ぬまで続くことにもなります。

と言うことからして若くても年老いても、その心身が健全健康でなければその苦&症状を味わい続けることにもなります。

然るに頑張り欲張らず見栄張らずに気楽にして不平不満&不信不安心配やその怒りが出てこなければ(執着しなければ)、然るにタダ食って寝て糞をしているだけのようなシンプルな生き様ほど(趣味嗜好娯楽&変化刺激に執着しないほど)、その人間として生きている真価価値を心静かにして十分に味わえますから、然るに未練後悔も無い納得人生でもって楽に生きて楽に死ぬことが出来ると私は確信しています。

だから喜怒哀楽&変化刺激&快感快楽&価値観に左右される&山あり谷ありの矛盾人生ではない、然るに心静かな静寂にしてこの世の様々なことを(自然界の醍醐味やこの世の裏表の矛盾もあわせて)味わい深く生きることができれば、
然るに(楽にして生きて楽に死ねれば)その終わりが良ければすべて善しの結果となって、その価値ある納得人生で終えることが出来れば、然るにそれがこの世の精神世界&意識の世界で心身ともに健全で穏やかにして生きてきたことにつながるようです。

2009年以来連続で今年も謎の発光体を目撃しています。

2014年08月10日 | Weblog

今年も8月になってから5回ほど、夜中に青白く光る小さなホタル大の発光体を見ました。

その5回目は台風11号が徳島に上陸しての暴風雨の中でして、4mほど離れた庭先の雑草や雑木が生い茂る中で、3個体ほどが不規則に発光していたのですが、今回は今までと違って瞬間的に強い光を放しているのが1体いました。

目撃した事に特別な意味合いは無いと思いますが、摩訶不思議なことだけに私は喜んでいます。

これ等の異次元現象&摩訶不思議に関心があれば、2010,5,16日投稿の「付録=私の住む所は異次元スポットかな・・」をご覧下さい。