矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

不完全で矛盾偽善のこの世だけに…逆は真なりの常識外れの番外ブログを再度読み直してみれば…

2016年11月30日 | Weblog
不登校や引きこもりになる学童は・基本的には誤った学校教育指導や親の押し付け・しつけから逃げるため・それら大人の世界・世間に馴染めないで困っている立場になります。

然るに一般世間とは異なる性格個性・役割使命からして・自分の思い意識に沿わない世間から自分の心精神を守るため&自分を守るための…致し方ない・どうすべきか解決できないままにいる・その行動表現になります。

然るに私から見れば…不登校や引きこもりになる原因が不完全で矛盾偽善のある国家政治経済や教育指導の過ちにあるとしていますから…不登校や引きこもりになっていることが悪いことではなくして正当な行動表現になります。

ところで先日のことですが…不登校からして・親のすねをかじりながらの引きこもりニートとなった成人男性と一時間くらい会話するチャンス・必然ご縁がありました。

その時に…人間は生きている…だけで・世のため人のために役立っているとして・その人間関係の「お互い様とお陰様」の関係を説明しましたが納得しませんでした。

その納得できなかったのが…社会的地位…になれないで・引きこもりになっている自分のもどかしさ・能力の無さ・哀れさ・苛立ちだったようです。

然るに皆さんの中で…生きているだけで十分…お互い様お陰様の関係からして世のため人のために役立っている…然るに特別はいらない…この世は人間同士が学び合っている関係だとして…納得確信になっている人は殆どいないでしょう。

然るに現在の社会的地位に立つ・その世間体・見栄を自尊心からしてしっかり守っていることでしょう。

だから中には我が子や孫たちが不登校や引きこもりになっている人もいるはずです。

然るに自己縮小の実践が理解できないでいるでしょうし、何とか理解できてもその実践には至りません。

然るに私から見れば…どうしようもない部類の…事の分からない・心もとない・矛盾偽善に満ちた心精神の持ち主となります。

だから自分を守るために世間に出られないで自己縮小の形の不登校引きこもりになっているのとは異なり…逆に世間に出て活躍することで自分を守りたがっていることになります。

然るに不登校引きこもりになっている人の中から…世間的位置を目指すのではなくして…Bライフ・サイレントテロなるが如くに自己縮小を先導する役割を果たすことになる人が多く出てくるかもしれません。

とにかく不完全で矛盾偽善のあるこの世だけに…逆は真なりの常識外れの番外ブログを再度読み直してみれば・自己縮小の必要性の理解が深まると思います。
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孤独の自由にして誰もが味わえない自由平等調和が事実に味わえます。だから自己拡大には戻りません。

2016年11月29日 | Weblog
自己縮小の実践は世界に通用する真理ですが、国家が弱体化して侵略されたり植民地化される恐れからして実践するはずもありません。

しかも人それぞれですから・地域社会やご近状や家族単位でも無理があります。

だから自己縮小の実践は孤独の自由でもって実践するしかないのです。

然るに孤独だから自由にもなれるし・人様と係ることが少ないことからして比較競争や差別意識も出てきませんし、あれこれと気にもなりませんから…誰もが味わったことのない「自由平等調和の世界」が事実にして味わえるのです。

然るに…孤独ながらも…その自由平等調和の生き様を長く味わうほどに…その価値真価にも目覚めますから…然るに二度と自己拡大には戻りません。

然るに暇で退屈しながらも心穏やかに暮らせるのです。

だから寝床の中で見る「夢」も自己拡大当時と現在とでは大きく違ってきました。

ちなみに若いころの夢は色あせた白黒に近い夢でしたが過疎地で暮らすようになってからは記憶に残るのが多くなり・次第に色付きだし・最近では自然色よりも色鮮やかな美的な映像になっているときもあります。

そして宇宙の流れ・時代の流れが変わる前兆を表すような宇宙的な摩訶不思議な模様や動画が空に浮かんだりする夢も続いています。

そして夢の内容が正夢が如くの現実的なことが多くなり、またその夢の中の記憶が多く残っているから、目覚めても、しばらくは夢の中で居るような夢心地の時間が続きます。

そして何よりも思うがままにならない苛立ち歯がゆさ無念さや不満不安恐れ怒り憤りや憎しみが出てこない穏やかさでもって・夢の中で自らが物語を創作進行しているような感じも多くなりました。

然るに嫌な思いの夢・後味の悪い夢が減っているのです。

しかも最近になって気付いたのが…美味しいイメージではなくして事実にしてその美味しさが味わえていたり、心ひかれる女性に接したときのぬくもりまでが実感となって味わえているのです。

然るに夢の世界で正夢を見ている感じです。

然るにこの分だと毎度書いている…宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれる夢を見ることができるかもしれません。

またそれに近いような夢を見ることもあります。

然るに寝ているときに見る夢も己の意識が原因になっているようです。

だから人間を終えてあの世の次元に行けば、姿形はないけれども・姿形があるような・正夢が如くの世界が待っているように思えます。

だから…あの世で過ごす・昼も夜も衣食住も趣味嗜好娯楽もない・しかも人間地球時間よりも計り知れないほどはるかに長い・宇宙時間を穏やかに過ごすには、過去を省みての諸々を清算するしかなく…当然ながら自己縮小の実践が何よりも大切だと確信するまでになりました。

然るに成り行きながらも60歳にして自己縮小の実践ができたことで…先行き予測不可能なこの世でも・あの世でも・何やら心強くなったのは事実です。

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ブログの世界を含めて…思ったことを言うだけの「思いの世界」が多いことに気付いていますか。

2016年11月28日 | Weblog
この世人間界が矛盾偽善に満ちていることの自覚認識が無ければ無駄で余計なことになるのです。

然るにこのブログが理解できないばかりか自己縮小の実践が縁遠いことにもなります。

ところである程度の能力があればあれこれと指摘して「言う」こと・ブログに書くことはできます。

然るに宗教やスピ系から離脱した人がその宗教やスピ系を…人集め金集め…などと批評することもできますし、自分の中にある思いを言ったり書いたりもできます。

ところがそれらの人の生活様式・生き様が一体どうなっているのでしょうか、
然るに趣味嗜好娯楽に興じることも多く車を乗り回し携帯電話を使い放題にして人間関係を構築しながらも、しかしその自己満足と裏の不平不満に満ちているかも知れません。

ちなみに災害被災地に係り支援活動でもって貢献している人がラジオ番組に出て語っているのを聞くと涙もろい私だけにすぐに泣けてきます。

然るに思うだけ言うだけではなくして・事実にして関わり貢献しているありがたい人になります。

ところがそれらの人も趣味嗜好娯楽に興じることもあるし、それら活動でもって人間関係を広げるためにその苦楽を味わっていることでしょう。

そして車は乗り放題・家に帰れば水や電機は使い放題・美食の食べ放題・真新しい着衣の着放題・使い捨てと粗大ゴミ放題・贅沢し放題になっているかもしれません。

またその援助救済・支援活動が良いことばかりではありません。
その窮したことから抜け出す創意工夫や自立心・自力自信を高めるチャンスを消すことにもなったり、また困った時の神頼みが如くの他力依存の人を生み出すかもしれません。

然るに私から見れば…人様のことよりも先ずは自分の精神を見つめ直す方が重要なのですが、
たぶん自己縮小なんて言葉さえも(必然性がないから)知らないかもしれません。

然るに俗世にどっぷりつかって人間が生きていくための大切な自然環境の悪化に拍車をかけていることでしょう。

然るに南海の孤島が水没する危機がありますし、酸性雨でジャングルが消えて砂漠化が進んで野生動植物が危機に面しているし、開墾開拓し過ぎて自然界が荒廃したり砂漠化したところも多くあるようです。

そして世界中のあちこちにいる生活弱者を更に追い詰めることにもなります。

然るに目先のことだけで自己満足し、またその苦も味わいながら、しかも自惚れ慢心からして精神が未熟なままにして、
真の精神世界・世のため人のため我が身のために・素朴謙虚にして生きる実践に気付かないことでしょう。

然るに皆さんも…思うだけ・言うだけの世界から早く卒業して・事実を味わう世界に身を置くことからして己の精神を磨き高めることにもなるのです。
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自由があるようで自由がない、その個人の自由無くして何んとする。

2016年11月27日 | Weblog
人それぞれに指紋が異なるように性格個性・役割使命も人それぞれに異なっていて当然です。

だから孤独なのが当たり前なのです。

それだから自由に生きていけるのです。

また主義主張思想の自由・宗教の自由・恋愛の自由・結婚の自由があります。

また人が集まる自由があります。

ところが人が集まると規約・規律・条件などで自由が制限されます。
と言うことは自由ではありません。

また結婚すれば行動を共にすること・一緒にいることが多くなり・そこで互いが何かと束縛制限し合う関係にもなります。
しかも時には否定反発・排除疎外されることもあります。

然るに結婚すれば自由を失うことになります。

何はともあれ…人が集まるところに自由はありません。

だから国家社会や仕事職場や地域社会や結婚や家族関係からしても個人の自由がなくなります。

しかも常識や伝統風習や儀礼儀式などのマナーやしかも道徳までが言われて窮屈しています。
然るに私が苦手とするところです。

然るに自由であって自由ではないという矛盾の中で暮らしています。

しかもそれが当たり前になっていますから個人の自由さえも悪いことのように思われています。

だから人が集まるところでは自分勝手なことをすると嫌われ者になります。

だから個人の自由を大切にしている・自分の思いを大切にする・自分さえ良ければの個人意識丸出しの私としては人の集まるところが苦手です。

ちなみに「何で人が集まる」のでしょうか、皆さんはどう思っていますか、自問自答したことがありますか?

そこで何度も登場するのが素朴謙虚だった縄文時代であり、その穏やかな縄文時代を滅ぼした・文明開化が始まった・自己拡大が始まった・弥生時代です。

その弥生時代のことを簡単に言えば…人が集まることで効率・能率が良くなり、結果的に文化文明が急速に発展進化することにもなったのです。

然るに現在で言えば南海の孤島やジャングルの奥地で暮らしていた先住民族に文明の利器を使って侵略し植民地にしたり、
また宣教師や開拓者がその文明の利器を見せびらかし与えることで・手なずけて・上手く宣教したり・支配したようにです。

然るに人が集まることで金も集まり何でもできるようになったのですが、それが原因からして侵略人殺し戦争にもなり、勝てば官軍負ければ賊軍となる、その歴史を繰り返しているのです。

然るに人が集まるところで生きていくための読み書きソロバンを教える学校教育さえも今では社会的ポジションを高めるための教育に様変わりしています。
だから第一次産業・地場産業・地元商店が衰退してきました。

然るに大学に通う金を奨学金として政府から前借借金までする学生が多いのも己の社会的位置を少しでも高くしたいがためのようです。

然るに貧乏でもいいから個人の自由にして思うがままに生きていくよりもピラミッド社会の一員として活躍することを望んでいることになります。

ちなみに私も60歳に至るまで人の集まるところで自分が思うがままに・好き勝手ながらも自己拡大をしてきた経緯があります。

ところが面白半分に始めた過疎地暮らしからして目覚め・目から鱗が落ちるが如くになり現在で16年になります。

ちなみにBライフ・サイレントテロなる形には及ばないが素朴謙虚にして生きるその価値に目覚めたと言えるでしょう。

そしてこの世に稀なる番外的な自己縮小のブログを暇ついでに書くことにもなりました。

然るに縄文時代に戻るが如くの内容になっていますが…
その縄文時代の形を真似るのではなくして…己の中の心精神意識でもって味わうことにあります。

然るに素朴謙虚に生きることからして束縛制限や否定反発されない=自由=を大いに味わうことにあります。

然るに自己拡大していた経験があるだけに尚のこと・人間の本文にある孤独の自由にして生きることで此れまで味わえなかったことや見失っていた感覚を取り戻して・生きることの価値を見出した感じなのです。

とは言っても…過去に思うがままの好き勝手にして十分自己拡大し続けていただけに…16年たっても未だに暇している感覚が消えません。

とは言っても南海の孤島やジャングルの奥地に移住することも無理があります。

だったら仕組まれしこの地でもって心静かに生きていくしかありません。

ただ絶対的に言えるのは…過去の自己拡大の矛盾偽善に満ちた生き様には…二度と戻りたくはありません。
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このブログは「思いの世界」で生きることを卒業するために書いています。

2016年11月27日 | Weblog
私たち人間は良い悪いで判断し好き嫌いの「思い」でもって生きているところがありますから、
然るに「思いの世界」で生きていることになります。

だからブログの世界も思いの世界の展覧会のようなものです。

また人様のことも気にしていますから…「覗き見る世界」でもあります。

何はともあれ己の生き様・事実からしての己の思いをつづる人と、己の思い付きひらめきを単に書いて満足している人もいます。

だから後者の場合は思い思惑理想目的・空想仮想を書いて世間に目立とうとしていることにもなります。

しかし人それぞれの思いの世界に他の人が踏み入ることには無理があります。

だから読んで自分勝手に・自分の思い想像をあれこれと巡らすしかありませんから、然るに「想像の世界」でいることになります。

またブログを書くからには内容を装飾美化したり、また事を大きく偽装して人の目を引き寄せるたがることにもなります。

となるとそれぞれのブログに集まる人は…それに魅せられ引き寄せられた…同じ思いの似た者同士・好き者同士が集まることにもなります。

ちなみに夢追い人のブログには…同じ夢追い同士・好き者同士が集まっているはずです。

また摩訶不思議・不確かな世界の謎解きが好きな人はその手のブログに集まっているはずです。

ところがブログの多くは現れ出ている姿形の結果からして良い悪い&好き嫌いで判断していることが多いだけに…精神世界と言えども…自分に都合が良い精神世界を選んでいるところがあります。

何はともあれ物事の始まりとなる原因があっての結果ですから、その原因となる人間意識が肝心なわけです。

その原因となる人間意識のことをいろいろと学び知るための精神世界が自分勝手な自分好みの選り好みになっているのだから…当然ながら自分に都合のよい神しか見れないことにもなります。

だから巷の人集め金集めの偽りの神に惑わされたままがずーっと続くことにもなるのです。

ところがこのブログは素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践がメインになっています。

そして精神世界は他力ならぬ己の中にある事として…自問自答を書いています。

となれば自力自信の精神力が無ければこのブログは絵に描いた餅が同然になります。

と言うことからして言えば…このブログにたびたび訪れる人は…似た者同士が集まることからしても…それなりの自力自信の精神力があってのことになります。

然るに自己縮小が基本だけに…番外だけに…俗的な好き嫌いを通り越した必然ご縁の関係となり、その精神力・原因意識からして当然ながら信じるか否かもない真実事実を深く理解することにもなっているはずです。

然るにこのブログを読んで理解し納得するごとに己の中の精神が一歩一歩と進化しているはずです。

然るにそれだけの自力・精神力が無ければこのブログから離れていくことにもなります。

それだけに多くの人が継続しているとは思えません。

となると私の思いに似合った…世間一般的ではない…非常識な番外が似合う…偏屈な人が居残っているくらいでしょうか…

ところがしかし…それが宇宙・神・愛意識の仕組み…「思いの世界」で生きることを卒業する…その流れに乗っていると自覚できているでしょうか…
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人間本来の価値を味わえる…知性ある人間…

2016年11月26日 | Weblog
人間は…何のために…生きているのでしょうか。

ちなみに宇宙が先か神が先か、卵が先か鳥が先か、
そんな堂々巡りするようなことの謎解きをするため・知るために人間として生まれたわけでは絶対ありません。

そんな宇宙の原理・生命の原理の知識を深く知ることで…人間として生きている価値が見出せるはずも絶対にありません。

然るに謎解きして学識知識を溜め込むために生まれてきたわけではありません。
なのに何で多くの人が学識知識が重要だと思っているのでしょう…

たぶん自分の好きなことをすることよりも・社会的地位の事を考えてのことでしょう…

ちなみに私は読み書きソロバンができる程度でしたが、自分の好きなことばかりしてきたから、それで十分でした。

それでは一角の人間になって世のため人のために役立つ存在となって世間に目立つ人間になるためでしょうか。

ちなみに私は人が喜んでくれることが大好きでしたから・ビデオ撮影制作や特殊効果のある健康食品やエネルギーグッズなどのビジネス絡みながらも・規模拡大や収益よりも・人が喜んでくれることで十分すぎるほどでした。

それでは趣味嗜好娯楽を楽しむために人間として生まれてきたのでしょうか。

ちなみに(精神世界を知ってからは)私は人間として生きていることのオマケ付録に思っています。


ちなみに人間関係はお互い様でありお陰様の関係で成り立っていますから、その人間として生きていること事態が世のため人のために役立っていることになります。

だから生きているだけで十分なのですから、それを超えた特別なことをする必要はまったくありません。

なのに寄付集めや援助救済支援活動をしたがるのは世間で目立ちたがる特別意識であり・私は正しいの意識を持ち合わせています。


それでは思い考え描いた思い思惑の理想目的達成のために頑張り続ける人間として生まれてきのでしょうか。

それとも神仏霊魂の世界を学ぶため・信仰するため・願い祈り頼るために人間として生まれてきたのでしょうか。

それとも巷で言われている神懸かり的超能力や念力手かざしやヒーリング・セラピー・カウンセラーなどを施し成せる術者になるために人間として生まれてきたのでしょうか。

ところがしかし…人間は生まれながらにして良い悪いで判断する不完全意識・矛盾偽善からして…何を成せども同じ不完全で矛盾偽善の結果になることからして…
然るに不完全意識の人間が何を成せども結果的に無駄で余計なことになる確かな事実があります。

となると残るは…人間として生まれたからには死ぬまで精一杯「生きていく」ことしかありません。

然るに「生きていくために=生きる」ことになります。

すなわち食って寝て糞をしながらにしてただ生きていくことだけになります。

然るに犬猫畜生と変わらないような生き方になりますが、その肉体の五感を精一杯味わうこと以外に…
人間に与えられた感情体や精神体の知性でもって生きていくことができます。

しかし先ほど書いたように不完全意識の矛盾偽善からして感情にも起伏があるし精神も乱れます。

然るに犬猫畜生とは異なる…感情や精神と調和した生き方・自由平等調和のある穏やかな生き様になることが…人間として生きる道しるべなのです。

ちなみに自然界の頂点に立つ人間がただ生きているだけの犬猫畜生と似たような生き方になっても…自然界と調和する生き様になり、その調和意識からして思い考え創意工夫する人間性あふれる・知性あふれる人間となり…此れまでの感情の起伏からしてのゴタゴタがどんどん減っていくのです。

然るに人殺し戦争のない平和な世界にもなっていくのです。

とは言っても皆と一緒には無理があります。

だから孤独の自由にして己一人から始め、そして己一人にして味わうしかないのです。

そして良い悪いで判断する必要もないほどの縮小した生き様になり…喜怒哀楽のない穏やかな精神でもって…人間本来の価値を味わえる…知性ある人間意識にも成長できるのです。
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親の思いで子供を育てるよりも、子供の思いをはぐくみ育てる親の方が個性豊かな子供に育つ。

2016年11月25日 | Weblog
人間として生まれたからには良い悪いで判断して善悪損得優劣や好き嫌いで選択することをやめることは絶対に出来ません。

また自分さえ良ければの個人意識を無くすることも絶対に無理です。

その「絶対に無理な」ことを…それではダメだ!として=否定反発=するほうが事実を知らない無知な人・愚かな意識の人となるのです。

となれば良い悪いで判断することや個人意識と仲良く暮らすしかありません。

だから(私の事例のように)好きなことだけやって・嫌いなことをしない、そんな得手勝手な自由と自分さえ良ければの個人意識丸出しの心偽らない正直素直にして・堂々と・真面目に生きていくことができれば…それが地上の天国にもなるのです。

ところがそれを許してくれないのが一般世間であり、味方であるはずの家族関係が邪魔・否定反発することでしょう。

然るに皆さんは嫌いなことをしていて楽しいはずはありませんね。

だったら好き勝手な自由にして生きていきたいと思っているでしょう。

然るに誰も皆が好きなことを好き勝手にしたい思いがあるのは「お互い様」だから何も遠慮しなくてもいいのです。

なのに何で好き勝手にしないのでしょうか?
自由に生きることが一種の罪悪に思っていませんか?
然るに自由を放棄して・自らが掘った墓穴の中で自縛しているからでしょう。

ちなみに学業成績で子供の人生が決まると早合点・思い違いしている親御さんもいる事でしょうが…
然るに「今は」勉強したくない子供に…親の欲目からしてしっかり勉強しなさいと押し付けたり、また勉強しなければならないとの強迫観念からして登校することや勉強が嫌いになり、結果的に不登校にも引きこもりになっていると思いませんか?

ちなみに嫌いなことを押し付けることで(反発心が目覚めても)それが自力自信になるはずもありません。
だったら好きなことを好き勝手にさせておく方が自力自信になるでしょう。

ちなみに私は親から放任でもって育ってきましたから(勉強もせずに)遊ぶのが大好きでした。
だから読み書きソロバンができる程度ながらも・ずーっと好き勝手なことばかりしてきたおかげで・我ながらも自信と自力が身に付きましたから、これまでも納得満足できる人生を歩んでいます。

とは言っても人為人工的な変化刺激に富んだものをやる事のその苦楽も十分に味わってきました。

然るにそれが自己拡大なのです。

とにかく好きなことが嫌いになったり・嫌いなことだったのが何かのキッカケからして好きにもなっていくのも人間なのです。

だから「今は」嫌いなことを頑張り無理しなくても大丈夫です。

然るに「今は」好きでなくても、いつしか好きになる「その時」が来るのです。

また矛盾偽善からして好きでもないことを・此れではダメだと無理して好きになることもありません。

とにかく何度も書いているように…
人間からサルが生まれることはないが…人間から人間が生まれるように…この世は…成るようになる…成ることはなる仕組みがあるのです。

然るに幼い子供をほっといても…生まれ持つ性格個性・役割使命・潜在意識からして・気付き続け・目覚め続け・覚醒し続けながら…成るようになっていくのです。

だから不完全な矛盾偽善のある教育指導やしつけをしないでほっとくほうが子供の自立心・自力自信のためになるのです。

それを(大人も子供も含めて)成り行き任せにしないで頑張り欲張り急ぎ慌てるから時期早々で失敗もするし、しかも二度と戻れない・取り返しのつかない人生・結果にもなっているのです。

然るに人類が歴史を作ってはいるが…その人類が宇宙の仕組みを動かしているのではありません。

その宇宙の仕組みに乗った者たち(仕組まれし者・選ばれし者)がそれぞれの性格個性からしてその役割使命を果たしているだけです。

しかもその結果に良いも悪いもなく、お互い様とお陰様の関係になっているのです。

そしてその現れ出た結果の事実からして…省みて…その原因となる意識を見極め見定めることができればそれでいいのです。

ところが仕組まれ選ばれし者・何かの能力に長けた者が己の欲からして横道にそれたままに途中で止まり終わっているのが多いようです。

何はともあれ…皆さんも仕組まれているのは皆同じですが…とにかく世間に目立つ一角の人間になるためでは決してありません。

だから…人間は何のため生きているのか…その偽り矛盾のない精神世界を学び知り気付きそれが実践できれば次のステップに進めるのです。
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浦島太郎・花咲かせ爺さん・竹取物語・鶴の恩返しが如くの世界・思いの世界で<閉じこもって>生きています。

2016年11月24日 | Weblog
人間として<生きて>いるから「有の世界&動の世界」が味わえているのです。

然るに衣食住を味わえています。

その衣食住を味わうために動き働くことが味わえています。

然るに生きているから味わえているのです。

だから死ねば味わえません。

なのに何が不満なのでしょう…何で不満になったのでしょう…

それが良い悪いで判断して・善悪優劣損得・好き嫌いで選択しているからです。

然るにそれらは「思いの世界」であって<事実の世界>ではないのです。

だから事実の世界で生きるよりも・思いの世界で生きることを選んでいるのです。

然るに夢幻や白昼夢が如くの「夢の世界」で生きているのです。

そして金さえあれば欲しいものを手にすることができることからして「金銭物質の世界」にもなっているのです。

また子孫を残す本来の生殖機能が変化刺激の快感快楽のセックスが生き甲斐のセックス依存症の「性欲の世界」にもなっているのです。

それが好き嫌いの感情・恋愛感情にもつながっていることからして「感情の世界」でもって生きていることにもなります。

またその好き嫌いの対象になるのに肉体が評価されますから「肉体の世界」でもあり、また金さえあればの金銭物質の世界も絡んでいるし、生きていくための働き仕事「職業の世界」までが社会的地位を重視しての選り好みになっています。

何はともあれ・好き嫌いの感情の世界でもって思い考える<思いの世界>想像の世界・仮想空想の世界に<閉じこもり>夢を追いかけていることになりませんか?

だからおとぎ話の浦島太郎・花咲か爺さん・桃太郎・一寸法師・鶴の恩返し・竹取物語の中で生きている「非実在の世界」で生きているのも同然になります。

それを現代的に言えば映画・ドラマや芝居の中で生きていて・己の思いを演じている主役役者演出者が如きになって・現実の中の事実では生きていない人・生きてはいるが事実では生きていない、そんなややっこしい・中途半端な生き様になります。

しかもあの手この手で上手く演じるものもの・矛盾偽善からしてうまい具合に事が進まないから、それが不平不満の思いにもなっています。

そしてその行き着くところにあるのが・人と人が殺し合う殺人や戦争があります。

そして映画ドラマや芝居やマンガの中のような「正義の味方」が登場してきます。

そして正義の味方と言えども…勝てば官軍負ければ賊軍となります。

然るに事の始まりは正義の味方であっても負ければ賊軍・犯罪者にもなるのです。

だからそんな矛盾偽善に満ちたややっこしい生き方をやめにして…
腹が空けば食い、糞がしたければ糞をして、眠たくなれば寝るだけの、単純な生き様の中で、人間の持つ視覚聴覚味覚嗅覚感覚の五感感性からして色々と味わえれば十分ではありませんか。

そして今あるものを活用する・創意工夫することで・これまた五感感性でもって色々と味わえます。

また持って生まれた性格個性・役割使命を自由に表現し行動すればそれも味わい深いと思いませんか。

然るに良い悪いで判断したり好き嫌いで判断しなければ…己の成したことの事実だけを味わえる…「実在の世界」で生きていくことができるのです。

しかしながらこの世人間関係が矛盾偽善の闇意識に満ちていることからして・その人様のことを気にしないままに・己一人にして素朴謙虚に生きる自己縮小の生き様しかないと書き続けているのです。
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誰もが自縛して墓穴の中で「引きこもり」になっている…

2016年11月23日 | Weblog
私たちは己の「思いの世界」己の「意識の世界」で生きているところがあります。

そして人それぞれに異なる思い意識を持っています。

だから良い悪い・好き嫌いで判断する・矛盾する思い意識も人それぞれに違っています。

だから常識となっている冠婚葬祭やの伝統風習を好む者と・好まざる者と・どうでもいいと思っている人がいます。

とは言っても人間関係からして大方の人が多数意見の常識に従って・己の非常識さを世間体からして隠している人もいます。

然るに精神世界に関心を持っている事さえも隠密にしている人もいます。

だから己の思いの世界と異なる人様の思いの世界に致し方なく巻き込まれているのが現状です。

ちなみに学校教育に馴染めなくて不登校になっている学童や・この世人間関係に馴染めなくて引きこもりになっている人たちがいますが、それは己の思いを守るために己の思いの世界に閉じこもり・自己主張していることになります。

だから人様の言うことに聞く耳がなく・耳を傾けることもままなりませんから・どうすることもできません。

然るに人様のことはほっとくしかないのです。

ところがところが「世間一般的な」人たちも・自分の善悪優劣損得・好き嫌いで判断した・その思いの世界&私は正しいの意識の中で・閉じこもっている人が多い事実に気付いていません。

すなわち…誰も皆が己の思い意識の世界に閉じこもって・自己主張をしていることに気付いていないのです。

然るに自分の心を偽ってまでも世間に出ている虚栄心の人と・己の心精神や個性性格からして学校や世間に出られないでいる人との違いがあるだけで・ひきこもりになっているは同じなのです。

しかし世間一般の常識からして不登校や引きこもりは悪いことで・精神に異常をきたしているとして思い違いしている人がほとんどです。

然るに虚栄心・偽善を丸出しで生きている人と・自分さえ良ければの個人意識丸出しで生きて、いずれも私は正しいと自己主張しているは同じです。

だから誰も皆がこの世人間関係の矛盾偽善で生きていることになるのです。

ただその生き様の形が違うだけで…己の思いの世界・己の意識の世界に…引きこもって生きているのは同じです。

そして世間に目立っているのと・目立っていない違いがあるだけです。

ちなみにこの文書を読んで…いやそんなことはない・私は正しいと・否定反発に思っている人もいることでしょう。

そして何度も書いているように…自己満足であれ不平不満であれ…私が正しいの原因からして行き着くところにあるのが…小からして大になる…神も恐れぬ未曾有なる…人と人が殺し合う人殺しであり戦争なのです。

だから自己満足にも不平不満にもなり難い自己縮小でもって素朴謙虚に生きていくしか他に道はないとしてブログに書き続けているのです。

そして己を自縛している事柄・思いの世界で引きこもっている現状から早く脱出し卒業して・己の心意識精神を開放した<自由な思い>で生きていけばいいのです。

とは言ってもこの世は常識で動いているだけに・非常識な番外的な生き様にも無理があり、然るに孤独の自由にして生きていくしか他に道がなさそうです。
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この世の精神世界の稀なる「番外版」のブログです。

2016年11月22日 | Weblog
私の自己縮小の実践が進むほどに暇する時間が多くなったことで、その暇つぶしに四苦八苦しているは事実です。

だから過疎地暮らしをはじめた当初のころの…過疎地暮らしを人様にアピールするため・人を呼び込むため・見栄や自己満足でやっていたことの過ちに気付いてから長年止まっていたけれども…また鶏を飼育することや猫の額ほどの畑でトマトを栽培したりすることが面白半分の暇つぶしにして再開しました。

しかし一日の大半は暇な時間だから…いてもたってもいられなくなり…一人遊びができるパチンコに行く回数も増えました。

そんな時にいつも脳裏によぎるのが…南海の孤島やジャングルの奥地で暮らしている人たちが…今を生きていくためだけで一日が終わっているその事実が…暇している今の私には羨ましくもなっているのです。

と言うことは自己縮小の本文は=生きていくために・日々を生きることで=十分納得できる意識になれば…何ら問題なく生きていけるのです。

然るに食って寝て糞をしながらにして生きていることの以外は特別であり贅沢なのです。

その特別で贅沢な限りを繰り返しているから汚染され荒廃した自然環境が目立つようにもなりその自然災害や温暖化の心配や放射汚染が危惧されることにもなり、また昔の人間関係よりもお粗末なかぎりになっているのです。

ちなみに縄文時代のように家族単位であちこちに散らばり自給自足の生活をすることが当たり前であれば文明開化が早まることもなく、各々が今あるものを創意工夫しながらの自力と自信の精神力でもって…人が火を使うことになったように…ゆっくりと時代が進化していったはずです。

然るに言葉が話せなくても人間は生きていけます。

その方が人間の潜在能力からして以心伝心・テレパシー・感受性が磨かれ進化しているはずです。

また何かを伝えるためには互いが向き合い・互いの目が向き合っていますから、その相手の思いや感情を見極め読み取ることも進化しているはずです。

然るに大した用事でもなければ人様の所へは出かけていくこともありません。

然るに個人の自由時間・孤独な時間が増えますから、当然ながら様々なことに自力・創意工夫がなされることでしょう。

またその分だけ人様のことを気にしたり余計な心配をすることにもなりません。

暗闇を明るくしなくても生きていけます。

その方が人間の視力や聴覚や嗅覚味覚の感覚が進化することがあっても後退することにはなりません。

人工的な趣味嗜好娯楽が無くても自然界と接し触れ合うことで喜びも楽しさもあります。

だからむやみやたらと耕し開墾したり開発することもありません。

ちなみに生きていくための労働で一日が終わりますから…何も特別を持っていませんから…その分だけ生きることに執着しません。

だから死ぬことも当たり前になっています。

だから盛大な葬儀法要もしません。

ちなみに樹齢の長い貴重な木材や金属などの材質を使う仏壇もいりません。

また自然界の貴重な岩山を壊した石材で作る墓石もいりません。

しかも身近な土地や野山の自然界を壊し開拓してまで広大な墓地を作ることもありません。

然るに遺体を土の中に埋めてその上に四季の草花を移植していれば掘り起こした土砂も自然に蘇ってきます。

何はともあれ世間に目立ちたがる輩が思い考えた事柄に洗脳され・それに馴染み親しんできた結果が現在なのです。

その洗脳が如くに踊らされて自己拡大を味わっていたからこそ=今の自己縮小の価値・ジャングルや孤島で暮らす民族が如くの・縄文時代が如くの人間性能力に富んだ・自力自信の精神力のある人間意識に戻る=その価値が=このように理解できたのです。

ちなみに読み書きソロバンが出来なくても生きていけます。

そうなると…先住民族・原住民のように…太古の人ほど自然界の中で生きていくための・今で言う潜在能力・超能力を多く使っていたはずです。

ところが人為人工的な文明開化が進むほどに五感を多く使うことになり、それが影響して潜在能力や超能力をしだいに失うことになり、
しかも文明開化に頭脳を多く使うことからして・読み書きソロバン頼りになり・それがなければ生きていけないような頭でっかちの人ばかりになったと思います。

また照明や騒音や強い香辛料や調味からして視覚聴覚嗅覚味覚がどんどん衰えてきたと思われます。

何はともあれ…人が集まるからには良い悪いで判断しない・好き嫌いでの感情で選択しないで、そして弥生時代以降の自己拡大を卒業しなければならないのです。

そんな自己縮小のことしか書いていない・この世に稀なる=「番外編ブログ」=がこの世で役立ちそれが普通になる日はいつのことでしょうか。
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