孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

伊勢白山道なる霊能者の太陽信仰の過ち

2018年05月31日 | Weblog
50代後半から仕組まれ続けているのですが、宇宙エネルギー浄水器・波動水に魅せられた竜神さん&霊能者が東京から訪れたことからして思いもよらない展開となって霊魂の世界・想念の世界を知ることになりました。

その霊能者は縄文時代のムー大陸のお姫様の過去性を持つと言われ月信仰の竜神さんだけに水に深いご縁がある人でした。

ちなみに月信仰の縄文時代を終わらせた弥生時代ころの過去性を持つ霊能者は太陽信仰でして水よりも火にご縁が深いようです。

そして生贄人柱・人身御供・血祭りと言った奉げまつる供養風習が盛んになったのも弥生時代以降の太陽信仰から始まったことです。

ちなみに伊勢白山道なる霊能者は天照大神の流れを持つ太陽信仰で、太陽を善とし月を悪としている、差別があっても愛がなく野心のある霊能者となります

ちなみに水は上から下に流れながら大地を潤し汚染を浄化しています。
そして大海に流れることで汚染された水が更に薄まり大海の水でもって浄化され水蒸気となり雲となり雨ともなって再び大地を潤いながら汚染を浄化していくサイクルとなっています。

ちなみに大洪水や津波は人間によって汚染された大地を浄化するために起きている自然界の仕組みとも言えます。

その大海の水を循環させている海流は月の引力によるところが大きいです。
…ちなみに海流がなければ死の海ともなります…
…また海流によって気温が調整調和されています…

また汚染された水は微生物プランクトンによって浄化されていますから、タンカー事故で原油が流れ出して海岸に付着していてもいつの間にやら綺麗に浄化されています。

ところで私が住むところにニョロの木の大木がありますが、そのニョロの木の生命力が凄いようで、境界線を示す杭代わりに打ち込んだ切り枝が根を張り芽を出し大木となったことからして地元大学の学者先生が視察に来たことがあります。

そのニョロの木の生命力からして…訪れた地元の太陽信仰の霊能者の気力が吸い取られるように感じたことからして早く伐採したほうが私のためになると言ってくれましたが…私はニョロの木の気エネルギーを出しながらも・周辺の人の邪気陰気を浄化してくれているとして自覚認識しています。

ちなみに悪想念の人間の吐き出した汚れた空気を吸収し浄化してくれているが如くにです。

またニョロの木の周辺で謎の発光体が9年連続で現れています。

また私が住むところは四国のへそと言われる四国四県が交わる過疎地に位置しますが…
それ以前の月信仰の霊能者とご縁が続いているときに…
私が四国を整えるお役目があると言われ、また四国は裏側のオーストラリアにもご縁がつながっているとも言われましたが、妻との初めての海外無料招待旅行がオーストラリアであり、そのオーストラリアの2000年オリンピック開催日に訪れたのが現在の場所です。

そして19年間孤独の自由にして過疎地でもって暮らしています。
ちなみに8月9月のフルムーン満月は目の前の目線の高さから現れ出ています。
また謎の発光体も同じ時期ですが月の光が差し込まない暗闇で発光しています。

何はともあれ…人間は自然界の一員です。

だから肉体や感情体でもって楽しまずとも四季折々の自然界とその恵みと接し触れ合っていればそれで十分なのです。

また宇宙自然界万物のすべては意識でつながっていますから…欲張りすぎたり・比較差別したり・否定反発排除したがる敵対心がなければ…
その意識からして…人間に害をなすと言われる生物昆虫動物から危害被害を受けることにもなりません。
…欲張っているからそのしっぺ返しの危害被害となるのです…

だからせいぜい蚊に刺されてかゆくなるくらいですし、そのかゆくなることで何らかの抗体免疫力が増しているかもしれません。
…それが摩訶不思議な自然界の成す<調和>なのです…

なのに伊勢白山道なる霊能者が太陽が善で月が悪などと善悪で判断し差別すること自体が人間失格なのです。

また大勢の人が当たり前が如くに肉体と感情体に拘り執着し、不満と欲に執着するのは…人間意識ならぬ…人間を滅ぼす悪魔サタン意識なのです。

だから…不満が諸悪の根源となっている事実があります…
だから…不満のストレスからして万病の元となってる事実があります…

ちなみにサタンと言われ何か文句があるならば…ブログではなくして…己の精神に欲張っちゃダメよと一言文句を言えば…それが自覚認識となって御身が救われ助かるのです。

また虚像偶像や霊力念力超能力に惑わさない・他力に依存しない・自力と自信の精神力が必要となるのです。

精神体の天使よりも感情体のサタンが強い

2018年05月30日 | Weblog
人間は概ねにして肉体と感情体と精神体にして成り立っています。

そしてこのブログでは肉体や感情体に拘り執着することなく精神体でもって自問自答しながら生きて行くことが人間本来の生き方としています。

ちなみに好き嫌いの感情でもって判断し、その思いを肉体でもって行動表現していますから、肉体と感情体は一体となっています。

そして肉体と感情体に拘り執着して生きている限り自由平等調和の幸せにはなりませんで、極悪非道の人殺し戦争の繰り返しとなっている事実があります。

だから感情体で生きていることは極悪非道の悪魔サタンになります。

ちなみにそのサタンが幸せになるはずもありません。
言い換えれば…幸せになることを否定しているからサタンとなったのです。

然るに欲張ることは…幸せになることを否定しているのです…だからサタンとなっているのです。

何はともあれ…感情体は熱しやすく冷めにくいところがあるし、激情すれば手の付けようがないくらい乱れますから、精神体でもってしても自粛することにはなりません。

だから精神体を超えるのが感情体なのです。
それを言い換えれば…精神体の天使よりも感情体のサタンが強いのです。

だから天使が如くの心静かな愛を超えるのが悪魔にも変化する人情愛情なのです。
だから感情体で生きている人はサタンの手先となるのです。

ちなみに有限の世界で欲張ることが罪を重ねるのと同じように…感情体で生きている人は犯罪ではありませんが人間界に罪を犯しているのですから…その自覚認識が精神世界で問われるのです。

だからサタン感情のままに生きるのか、そのサタン感情を抑えて物静かな精神体の天使が如くに生きるのか、その選択が課せられているとも言えます。

その選択次第で先行きが決まってきます。
然るに意識が原因の結果が出てくるのです。

またその結果の積み重ねが将来につながっているのです。

そしてサタン意識の感情のままに人間を終えるのか、それとも天使さながらの穏やかな精神体で生きて終わるのか、その選択でもあるのです。

ちなみにそれが人生の集大成となる老後とその死に様に結果として現れてきます。

だから他人ごとではなくしてあなた自身に関わる重要な事柄です。

だから人様のことを気にしている場合ではなく、己自身のことを真剣に取り組むことになります。

だから…あなたは大丈夫ですか…と問い掛け書き続けているのです。

欲張らない実践と孤独の自由

2018年05月29日 | Weblog
幼い赤子として生まれ育ち・人の世話受けながら成長し・やがて独り立ちできるようになり・そして成人となれば自立し独自独歩でもって世渡りしながらも・やがて歳追えば幼い子供のように人の世話なくしては生きていけない老後となり・さらに赤子のようにウンチの後始末もできないような状態になるのが人間の運命人生です。

すなわち赤子として生まれ赤子の如くになって人生が終わるのです。

ちなみに赤子の時に受ける世話は幸せに満ちていますが…年老いて受ける世話は幸せでしょうか?

ちなみに私は人の世話になるのが嫌いなことからして・自分にできることは自己流と人まねとその創意工夫でもってやってきましたから・多くの自力とその自信からして此れまで生きてきました。

だから老後となっても人の世話を受けないままに過ごし天寿を全うすることを意識しながら生きています。

ちなみに…私は少年時代からして孤独の自由が似合っていたのです。
だから趣味嗜好娯楽でもって人が集まる・群がる・たむろすることもなく・自力と自信のひとり遊びが多かったのです。

また習うよりも慣れろ如くにしていましたから学校の教科書や参考書も用なしでしたし製品機器の説明書もろくに読まずに手あたり次第触ってどうなるか確認していました。

ちょっと横道にそれましたが…他力依存型の人は老後ほど困ったことが多くなりますが、それも他力依存でもって解決したがりますから、その人間関係も必要になるし、また金銭的な出費もかさむから貯蓄に励んでいることでしょう。
…だからその苦労も絶えないでしょう…

ところが私は父親に似て…江戸っ子は宵越しの金を持たず…にして有り金を使い果たすタイプですから…いまだに財産らしい財産はもっていません。

然るに…何事か起きても・自力でもって成るようになるとして…前もって計画することも面倒で苦手でしたから…やりたいようにやりながらにして結果が出てくる…その成り行き任せからして現在があるのも事実です。

また横道にそれましたが…習うよりも慣れろ・計画なくして成り行きに任せることは…自然体…だったのです=後で知った過去形です=

そして何度か書いていますが…必然ご縁の仕組みの連続からして現在がありますが、その仕組みに素直に従ったから・横道にそれずに・何ら迷わずにして・真直ぐな一本道が如くにつながりながら現在となったのです。

ちなみにそれも…欲があれど欲張らなかったから一本道でここまでこれたのです。
…どっかで欲を出していれば横道・邪道になったのは間違いありません…

だから仕組まれながらにしていつの間にやら孤独の自由に慣れ親しみ現在のブログの内容にもなっています。

また欲張っていないから…健康で明るい老後となっているのです。
…ちなみに欲張っているのに健康で明るい老後となるでしょうか?…

また成り行き任せだから先々の不安心配がないのです。

また成り行きに任せられるのも欲張らないからです。

また欲張らなくなったのも…この世人間関係が不完全にして矛盾偽善に満ちていることを学び知り自覚納得確信となっているからです。
…だから迷いがないのです・だから自信たっぷりなのです…

そして欲張らない実践と孤独の自由からしてストレスのない精神安定にしてのんき気ままに暮らしているのです。

ちなみに素朴謙虚であっても・貧乏貧疎とは思っていません。
だから誰もが味わっていない私だけの最高の料理を食し・誰もが真似できないような私だけの最高の贅沢をし・誰もが味わったことがない優雅な老後となっています。

そしてこの先も欲張らなければ人生安定にして過ごし安らかな精神にしてあの世に還ることでしょう…

孤独を楽しむことは明るい老後につながる

2018年05月28日 | Weblog
歳追うごとに孤独となっていきますが…皆さんの老後のイメージは明るいですか?

私の姉は90歳近いのですが…老人となって旅仲間と一緒に4回ほど100日間世界一周船旅に参加しています。
だから世界各地の有名なところはすべて制覇していますが…思い出の写真と記憶で一旦終わっていますから、長い老後の糧とは成り難いところがあります。
ちなみに旅仲間と長距離電話で長話をしているようですが…それもしょっちゅうは無理です。
また仲が良かった趣味仲間や同級生などが次々と死んでいきましたから寂しい思いをしています。

何はともあれ…歳追うごとに知人友人仲間が少なくなるだけではありません、
自分のウンチの後始末もできない惨めな老後・要介護や認知症も待っています。
…しかも死ぬまで続くのですから決して侮ることがないように…

ちなみに医者や接骨院のみならずパチンコ通いの老人が増えています。
また暇なときは迫力のある大型テレビを前にしてテレビ漬けだったのが歳追うごとに好みが合わずに色あせて飽きてきます。
また海外を含めた旅行もいいが…しょっちゅう行けるわけでもありませんし…また仲間がいなければ心細くもあり面白くありません。

然るに贅沢三昧して明るい老後のようであっても…実は孤独との闘いなのです。
だから物質金銭に満ちた贅沢三昧は…明るい老後に見せかけた…偽善になります。

ハッキリ言えば…人間人生は孤独との闘いなのです。

何たって不完全意識にして矛盾偽善に満ちている人間界だから・否定反発束縛制限し合うからには…心から馴染めるはずがないから…孤独が当たり前なのです。

ところが贅沢にして生きて行くために・楽しむために…己の心精神を裏切ってまで…諸々の人間関係を守っているのです。

しかし挙句の果ては…孤独感に満ちた人生で終わるのですが…それは己を偽って生きてきた罪滅ぼし・しっぺ返しになります。

ちなみに孤独感に満ちた老後の親の面倒をみることになる子供たちも本来は孤独なのですが、矛盾に満ちた偽善の家族関係を守ることで精いっぱいだから、その子供らが老後となれば親と同じような罪滅ぼし・しっぺ返しの老後ともなるのです。
…原因と結果は同じで…偽善は偽善を生むから…同じ繰り返しとなるのです。

然るに私は孤独の自由にして…自己結果と自己責任にして…自力と自信の精神にして…己の心身のために…また身近な家族の世話にならないためにも…欲張らない実践をし続けているのです。

そして何度も書いているように…孤独の自由が天国にもなり・貧乏が優雅な道楽にもなり・何でもない雑多が変化刺激の自己満足となり・人間関係から離れた孤独が孤独感にならずにして…日々穏やかな精神安定にして…苦悩のない明るい老後となるのです。

だから早い内に…贅沢三昧から離れ…面倒な人間関係から離れ…素朴謙虚な孤独に慣れることです。

ちなみに…皆が欲張らなければ何事もないように…皆が孤独の自由になれば…否定反発束縛制限し合う人間関係も必要なくなるのです。

だから間違った選択ではないのです。

然るに…己一人の孤独の自由にして欲張らずに生きて行くしか他に人間の道はないのです。

たかが不満されど不満からして人生が狂う

2018年05月27日 | Weblog
満足は一時で終わるが、不満は長く続くのが人間のサガにあります。

だから良かれと思ってちょこっと口出し手出しして喜ばれることがあっても、ありがとうの感謝で終わり足早に忘れるのが一般的です。

ところが不満となると根が深く・執念深く・後々まで引きづることになります。

だから不満が納まったように思っていても(相手の顔を見ると)ひょこっと表に出てくるときがあります。

ちなみに職場関係やご近所関係や家族の人間関係でも満足よりも不満が多いことからして…何やら面白くない・ぎこちない関係になります。

そして相手が頑固者や厳格な人や口うるさい人となると付き合いにくく、またどうしても満足よりも不満が多くなります。

また余計なことや面倒なことを避けて通りたがることからして・必要以上に人と関わりたくない思いからして…人間関係は面倒くさいのが本音にあります。

しかしそれを表に出していれば世間では生きずらいだけに隠しているのです。

それだけに(よけて通れないから)尚更に厄介で面倒なのです。

ちなみに私は孤独の自由にして過疎地で暮らしていますから必然ご縁に限ったごく少ない人間関係となっていますから気楽です。

何はともあれ…人間関係はよけて通れないだけに…そのストレスを日々積み重ねていることになります。

ちなみに身近な夫婦関係や家族関係のほうが親密なだけになおさらストレスが多いかもしれません。

だから私から言えば…皆さん毎日ご苦労さんですね…となります。
またそれで…本当に大丈夫ですかと…付け足しています。

たかが不満されど不満からして…とんでもない破局を迎えるのが人間関係ですから…いくら人間関係を大切に守っていても…それが無駄となる可能性が大いにあります。

然るに…何を成してもダメとなる…不完全にして矛盾偽善に満ちている人間関係の結果であり実情です。

ダメ人間を卒業する

2018年05月26日 | Weblog
宇宙自然界の仕組みからして生まれたからには…此れまでのダメ人間をから卒業する時です。

ちなみに私たち人間は完全なる宇宙・神・愛の仕組みからして創造された宇宙生命体であり、永遠の命と意識を持っています。
…このブログでは意識体とか精神体とも書いています…

そして自然界の万物は完全なる調和意識でもって生きていますから、弱肉強食ながらも宇宙・神・愛の仕組みのままに素直に従って有限の地球時間を過ごし、その役割使命が終われば永遠に続く宇宙時間の中で万物は万物なりに過ごし、また何かのきっかけ仕組みからして進化した万物となって再び地球で有限の時間を過ごすことになる…その繰り返しでもって万物なりに進化発展しています。
…青い地球のままにしてゆっくりと進化していけます…

そんな自然界の調和の中に悪さをする・自然界に害をなす不調和で不完全意識の人間が「わざわざ」創造されたからには…絶対的な…意味目的原因があるはずです。

だから何度も書いているように…元は自然界同様の調和意識を持つ宇宙生命体である人間に不調和の矛盾意識が仕組まれ、その不完全な矛盾意識の苦楽を味わいながらにして、やがて気付き悟り元の調和意識・完全意識に戻るための実践生き様にして死ぬまで生き続けて行くのが役割使命なのです。
…要するに…不完全を味わい完全の良さを自覚認識することにあります。

然るに…自己拡大を味わい自己縮小でもって生きることの価値・真価を味わうことにあります。

ちなみに私は仕組まれながらにして自己縮小の実践にして生きているさ中ですから…その様を「お伝え」するお役・役割を兼ねて暇つぶしに書いています。

何はともあれ先ほど書いたように…不完全意識のままにして・その苦楽の繰り返しばかりで生きていることから早く卒業しなければ…
宇宙・神・愛の仕組みの次元上昇・宇宙の進化拡大の仕組みに乗り遅れるばかりか…
死すれば4次元の幽界・霊界で止まることになり…永遠の命意識を持ちながらにして…二度と3次元の人間に転生できないかもしれません。
…信じるか否かになりましたが…

何はともあれ…自然界の万物の長にして生まれ出てきたからには…その自然界に悪さをする喜怒哀楽の繰り返しをやめない限り…人間本来の価値真価を味わえないばかりか…自然界の異変と併せて人類滅亡の危機に見舞われることになるのは間違いなさそうです。

…となれば永遠の命意識を持った人間の魂…宇宙生命体としての意識体・精神体はいったいどうなることやらわかりません…

多分ながら…どっか他の銀河系の星々の中で自然界が進化し青い星となったところに原始人となって仕組まれ…一から人間やり直すことになるでしょう…

…原因と結果は同じですから…原因の猿が進化して人間となることは絶対ありません…ちなみに猿は猿なりに進化するだけです。

何はともあれ…次元上昇となった意識体・精神体は5次元以上ですから…童話星の王子が如くに好きな草木や花が満ちたところや動物にあふれたところや自然界の美を見下ろせたり…またUFO宇宙船などとなり・その瞬間移動でもってあちこちの星を見物見学に行くことができたりするかもしれません。

だから私が住むところの夏場に9年間連続にして現れてくる…発光体であり飛行体であり透明体なる「謎の発光体」が当てはまるかもしれませんし、また生体実験用のマウスが天井から落ちてきたり。身近にUFOを目撃できたのも当てはなるかもしれません。

とにかく自然界に悪さをする三次元意識のままに人間を終える繰り返しばかりしないで、自然界と調和できる自由平等調和意識にして生きる実践を始めるときがきているのです。

すなわち…宇宙自然界の仕組みからして生まれたからには…ダメ人間を卒業する時がきているのです。

だから欲張り続けていてはダメなのです。
…人間の犠牲となっている自然界に申し訳ないことになるのです…

なのに欲張り続けている人は…宇宙万物自然界の中で(最も優れた肉体や感情体を持っていても)最も劣る精神体を持った宇宙生命体・意識生命体となるのです。

非常識を優雅に楽しむ

2018年05月24日 | Weblog
学校で習った学識や世間の常識をブログに書く人がいないように…単なる学識知識や常識を自慢する人はいません。

ところが常識知識を超えた自然界のあり様や生物動物の生態となれば話のネタになるし聞く耳があります。

ところで私は逆は真なりにして非常識を優雅に楽しんでいます。

ちなみに朝起きて顔も洗いませんから目やにがついたまま朝の食事となり、しかも手も洗いません。
また牛糞まみれの牛舎のパートから帰っても顔や手を洗わずにして昼の食事となっています。
また暖かくなるとパートや野良仕事で汗ばみますが、その汗が乾いてシャツに塩がふいて縞模様になっていますし、また額の汗が目に染みると痛くてたまりません、そんなことになってから水で顔を洗うことがあるのですが石鹸を使ったことがありませんから、使ったタオルが汚れで染みつきますが、それを見て面白がって笑っているのが私です。
…昔なら当たり前ですが…今どき石鹸も使わない人がいるでしょうか…

ちなみにスーパーの賞味期限からして半額となったお総裁や牛乳やパンを多く買い込んで数日間食しています。
だから食した後で変質していたりカビが発生していたことに気付くときもあります。
また食しているときに転げ落ちた物・かたまりを拾って平気で口に入れることもあります。

ちなみに洗いざらしの肌着や作業着がほころびていたりハセが切れていてもボロボロになるまで使い切っています。

だから私には…否定反発排除したがる衛生観念や清潔感や潔癖症や完璧主義はありません。
だから…成り行き任せの何でもありの人生となっています。
だから…束縛制限支配したがることにもなりませんから…自由と平等・調和意識があります。

ところで家族の元へ山菜などを持って帰る時もこざっぱりしたジーパンとシャツですが、山のフキを持って帰る時に20年ぶりに折り目のついた黒ズボンをはいて帰り、それを面白がって見せて皆で大笑いしました。

後日談ですが…摩訶不思議を含めて上記に書いたようなことを娘家族に話して聞かせることが多いのですが…その孫たちが…爺ちゃんはいつも楽しそうに面白そうに話しているね…と感心していたようです。

…ちなみにそれも…イライラ憂鬱がない・悩み苦悩がない・明るい気分で元気に暮らしているからです。

何はともあれ…暇で退屈していますから一般的には面倒くさいような雑多であっても、その雑多があることが・手短に簡単に何か成すことがあると・それがありがたくもなり・作業することが面白く楽しくもなります。

然るに逆は真なりにして…日々忙しく事を成している自己拡大中は雑多が面倒くさかったのですが…矛盾偽善からして自己縮小して事を成さなくなって暇すると…そのどうでもよかった雑多の数々や自然界に接することに生きている価値・本来の価値があることに気付いたのです。

だから素朴謙虚に暮らしている生活が楽しくも優雅にもなるのです。

だから…空腹こそが最高の料理となる。
だから…貧乏こそが最高の道楽であり贅沢となる。
だから…非常識を優雅に楽しむ。

だから…世間離れした生活を大いに自慢しています。

だから人間離れした生き方を…人間の肉体や感情体とは異なる宇宙生命体の精神体でもって…自問自答しながら生きているとしています。

ボロを着てても心は錦…となります。

2018年05月23日 | Weblog
人間は生まれながらにして欲を持っていますから、その欲を否定しているわけではありませんで…欲張っちゃダメとして…欲に「拘り執着し未練」を残すことにならないようにと書いています。

だから食欲が出れば素直に食べればいいのですが…あれが欲しいと拘り執着すれば欲張っていることであり、美味しかったことが未練となり何度も欲しがる事になれば問題になるし、更に美味しさを追い求め欲張れば問題が更に大きくなるのです。

ちなみに性欲も同じです。

そして趣味嗜好娯楽の類も必然で実在しているのですから否定せずに一時楽しめば納得できます。
ところが楽しかった思いや未練からして拘り執着すれば問題となるのです。

またお気に入りになったことで拘り執着して他と比較競争したり差をつけるために上を目指したりすると問題になるのです。

また映画やドラマや芝居などの創作ものに拘り執着すると芸術性・表現性を追求したり企画演出やストーリーの変化刺激性や斬新さを高めることの繰り返しからして現実にそぐわない超越した形になりますが、それでも懲りずに欲張るからSFが如くにもなっていきますし、それらに魅せられる人間性にも問題があります。

また他力に頼らなければ事が収まらないときは仕方ないが、自力でなんとかできることなのに安易に依存すると問題になるのです。

また自力でなんとかすることで創意工夫することにもなり、それがうまい具合になれば喜びにも自力自信にもなるのです。

また必然性からして実在している医科学や薬剤を否定しているのではありません。

また快適便利な機材や道具や器具などを否定していません。

ただ…拘り執着することからして…キリもなく開発され続けていることからして問題が大きくなるのです。

だから欲張ることをやめにして止まれば今以上に問題が大きくなっていくこともありません。

また欲張ることをやめにしたら…自己拡大から自己縮小に至れば…昔の素朴さがお気に召すことにもなるのです。

そして他力依存的だったのが自力を多く使うことの楽しさ喜びに気付くのです。

そして変化刺激に惑わされることもなくなるのです。

然るに人為人工的なものが次第に色あせてきて自然界を再認識したり昔の素朴さに馴染めるようにも意識が変化するのです。
…歌の文句にあるように…ボロを着てても心は錦…となるのです。

となれば変化刺激や喜怒哀楽のストレスからも離れることになり心穏やかな精神安定で暮らす価値が見出せるのです。

不満と欲とセックス絡みが人間の生き様

2018年05月22日 | Weblog
そんなに欲張っていないと思っている人は多いと思いますが、それは今まで欲張ってきたその欲ボケからして勝手に思っているだけです。

何たって事あるごとに欲張ってきたからちょこっと一休みをしているようなものです。

また中には生活状態からして…欲があっても今は欲張れない状態になっているだけです。

何はともあれ…欲はキリもなく続くのです。

だから人間界も自然界もヘンテコになっているのです。

ところで孤独の自由が必要として書いていますが…他力依存的なご婦人方には不向きなところがあります。

だから女性が自らの意識で世間離れした孤独の自由を味わっている事例を見たことも聞いたこともありませんが…
ちなみに成り行きからホームレスやニートになっている事例があるかもしれませんが…それでも多分孤独ではなくしてペアとなっていたり、また男性陣の思惑からして女王蜂が如くの思いをしているかもしれません。

ちなみに世間一般的に見れば…夫に先立たれ未亡人となり孤独を味わっている女性は多いです。
だから過疎地でも夫に先立たれたご婦人が独り暮らしをしている事例が多いです。

となれば…夫から解放された孤独の自由を味わっているが如くでストレスも少ないから何やら元気に暮らしています。

ちなみに後家狙いなる言葉があるように…その後家さんを狙っている知人をこれまで三人ほど知っていますが、妻がいながら美人の後家さんを狙っている人もいますし、地元の70歳代のご婦人が同じ年代のやもめ暮らしの男性を呼び込んでいる事実も見ていますし、また後家さん狙いだけではなく買春旅行に出かけているやもめ男が近くにいます。
…ちなみに年老いてもセックスは健在なのです…

そして人様にきれいごとを言っていても・見せかけていても・年老いていても・裏心を隠しているのが矛盾意識・偽善意識の人間であり、欲と不満とセックス絡みともなっています。
…ちなみに私も宇宙船から全裸の女性が降り立ち微笑んでくれることを思い願っています。

ちょこっと横道にそれましたが…不満と欲とセックスに拘り執着すると精神世界なる己の精神体を意識することが疎かになるのは事実です。

だからこの世人間界が矛盾偽善に満ちていることを自覚認識したうえで…
欲張っちゃダメが本物になっていなければ…
事あるごとに欲が出てきます。

そして自らを苦しめ自分の首を絞めるが如くにして墓穴を掘ります。

ちなみに自力自信の精神を書いているだけに他力依存の女性陣には不向きなところがありますから、多分ながらスピ系に属している女性が多いと思います。

…余談になりますが…このブログを読んで目から鱗が落ちたが如くになったご婦人さんがバカボン亭主から離れて過疎地で暮らす思いになったが…結果的には…人生楽しまなくちゃとなりました。

然るに欲張らない実践ができるようで無理なところがあるのは確かです。

だから矛盾偽善に満ちた生活が続くことにもなりますが、それが自力自信の精神力の未熟さなのです。

だからまずは自覚認識となるように意識し続けて横道にそれなければいつの間にやら確かな自覚となるはずです。

それが宇宙生命体である人間が持つ精神体&意識体なのです。

<不満>を自問自答で深く追求すれば己の人生が変わること間違いありません。

2018年05月21日 | Weblog
此れではダメだの<不満>と何とかしなければの<欲>からして生きているのが人間です。

だから不満と欲は一体であり、不満からして欲張っていることにもなります。

また不満になることでストレスの原因となっているし、そのストレスが<万病の元>となってています。

しかも不満を満足に変えるために<極悪非道>の人殺し戦争にもなっています。

然るに<不満>を自問自答でもって深く追求すれば己の人生が変わること間違いありません。

万が一人生が変わらなければ…生きている値打ちもなく…人間やめますかともなります。

また幸せと満足は根本的に異なります。

ちなみに不満からして満足に至っていますから、その不満を解決するために金銭的浪費や肉体的消耗や時間的浪費にもなっています。

また満足するために使われる「金銭」は労働によって得たものですから、肉体的疲労ストレスとその人間関係による精神的なストレスを積み重ねた結果です。

ちなみにサウナが好きな人が大勢いますが、サウナにも労働で稼いだ金銭が必要ですし、サウナの高温に耐える肉体的疲労ストレスが伴っています。

となれば…金銭的労働のストレスと高温のストレスの積み重ねを味わっているのがサウナとなります。
…すなわち苦労した後の解放感や満足感を味わっているのです…
…だから苦労した後の自己満足であって幸せではありません…

ちなみに茶道や華道や芸術関係やスポーツ関係や娯楽関係も同じようなもので金銭的浪費や時間の浪費や上達するための心身の疲労や人間関係などでストレスに満ちています。

然るに苦労したお金で食事をしたり買い物をして満足する程度の満足ならまだしもサウナのようなこと以上に命の危険までおかして大きな自己満足を得ようとしている愚か者もいます。

何はともあれ…人間を死の淵まで追い詰める不満と満足・苦楽・喜怒哀楽のストレスでもって生きている…そのストレスに満ちたおかげで…その満ち足りた満足感・自己満足・自惚れ慢心を味わっているのです。

そしてストレスに満ちたおかげで老後が苦労苦悩に満ちているのです。

しかも身近な人を巻き込んでまで長い苦労をかける要介護や認知症までが待っています。

しかも不満からして感情的なストレスとなっているのも事実です。
…何たって人殺し戦争にもなるくらいですから…

またオロオロするイライラするムカムカする・寂しいわびしい虚しいもストレスになります。

しかしそれでも何とか生きて行けるのは自己満足があるからです。

ところが…一時の満足よりも執念深い不満が多いのが人間です。

だから尚更に欲張って満足を欲しがるのです。

だから死ぬ間際まで執念深く欲張ることにもなるのです。

そのストレスまみれで生きて…果たして幸せでしょうか…

ところが逆に欲張らなければ幸せが味わえることになるとして事実を書いているのです。

然るに…矛盾に満ちた世界だけに…逆は真なりの…この世に稀なるブログとなっているのです。