天地創造・地球人類を創造したのが神であれば、その創造に係わったすべての万物人類も神になります。
だからどれ一つとっても神になりますから何処にも差はありません。
だからどれ一つとっても特別なものはありません。
ところが精神世界を語る者にその差をつけて特別扱いする者が多いことからして精神世界がややっこしいことにもなっているのです。
そこで伊勢白山道が言う太陽は良いが月は悪いと言う風になれば不自然・不完全になりますから、その伊勢白山道は事実ではない己の思いを出して皆に教えている邪を持つ者となり語っていることがまやかしになります。
またそれを信じる者がいれば、それは伊勢白山道の信者になります。
しかしお金を徴収していませんから実質的な損害被害はありません。
しかしそれよりも重要なのは、事実とは違うことを信じているその意識が此れから先に何かと問題になっていく可能性は否定できません。
私が思うに伊勢白山道が言う「生かされていてありがとう御座います」の感謝の心を語るだけのシンプルさで十分だと思っていますから、信じるか否かの不完全を多く語る必要はないと思っています。
また宗教・超能力者・霊能者が人様からお金を出せていることを否定反発しているようですが、お金を出してもそれを必然とする者がお金を払っているのですから、巷の商取引やの手数料と同じく何ら問題はありません。
ちなみに否定反発することは自分の思いを(自分の無料相談を自尊する)正当化するためになります。
だから超能力エネルギー・念力・手かざし等のエネルギーで人様を癒し助けることも、それを求めている者がいるその必然からしてある形ですから、巷の整体士が患者さんを整えるのと同じく料金を頂くことは正当な報酬になります。
そこで私が思うに、超能力エネルギーを必然とする者や相談ごとを持ち込んできた者にたいして、それが有料であれ無料であれ、求められたことを手助けできるその能力を出す事が役割であれば問題はありませんが、伊勢白山道が言うようにリピート客を作る結果になると精神世界を食い物にする邪な者と言われても仕方がありません。
だから人様が困っている事を手助けしてから後に精神世界を説いて聞かせるのが役割・本命かもしれません。
またそのリピート客を作らないためにも、人間意識(己の意識)が原因で表れている結果であることの真実事実をしっかり語り続ける必要があります。
すなわち不平不満や不安心配はその人の中にあることですから、外部の者が係わりお節介手出しすることではなくして、先ずは自らの意識を変えない限り絶対に解決することもなく何度も同じことが繰り返されるというその事実真実を(対面しあって)しっかりと教える、その絶対的必然性があります。
だから超能力者自身が役割を果たすと同時に自らが自惚れることがないように自粛するその自己縮小も絶対的に必要と思っています。
私はそれがその超能力者に課せられた役割と使命だと思います。
またそれを実践していたのが過去にご縁があった霊能者でした。
だからサイババ等のように大勢の人を広場に集めておきながらごく少数の者にサンプル的に施すのは信者・リピート客を大勢作ることになりますから私は不適切・邪道になると思います。
そして何よりも指導者自らの意識が不完全であることの自覚からして、その教え語る中に自分の不適切な一方通行の思い込みが紛れ込むことがありますから、やはり完全な真実事実を繰り返し語るにこしたことはないとおもいます。
また必然ご縁のあった限られた人との係わりだけの方が互いに真剣になれます。
そこで見せ掛けではない自由・平等とその調和の真実、それには特別が一切ないこと、またお陰さまとお互いさまの関係であること、生かされていることの感謝、だから欲張らない無理しないこと、それが自己縮小につながること。
そして不完全なこの世の形や人間関係の矛盾・裏表をしっかり味わって、その矛盾のない生き方の中に生きているその真価があることを親切丁寧に説明する事になればいいと思っています。
だからどれ一つとっても神になりますから何処にも差はありません。
だからどれ一つとっても特別なものはありません。
ところが精神世界を語る者にその差をつけて特別扱いする者が多いことからして精神世界がややっこしいことにもなっているのです。
そこで伊勢白山道が言う太陽は良いが月は悪いと言う風になれば不自然・不完全になりますから、その伊勢白山道は事実ではない己の思いを出して皆に教えている邪を持つ者となり語っていることがまやかしになります。
またそれを信じる者がいれば、それは伊勢白山道の信者になります。
しかしお金を徴収していませんから実質的な損害被害はありません。
しかしそれよりも重要なのは、事実とは違うことを信じているその意識が此れから先に何かと問題になっていく可能性は否定できません。
私が思うに伊勢白山道が言う「生かされていてありがとう御座います」の感謝の心を語るだけのシンプルさで十分だと思っていますから、信じるか否かの不完全を多く語る必要はないと思っています。
また宗教・超能力者・霊能者が人様からお金を出せていることを否定反発しているようですが、お金を出してもそれを必然とする者がお金を払っているのですから、巷の商取引やの手数料と同じく何ら問題はありません。
ちなみに否定反発することは自分の思いを(自分の無料相談を自尊する)正当化するためになります。
だから超能力エネルギー・念力・手かざし等のエネルギーで人様を癒し助けることも、それを求めている者がいるその必然からしてある形ですから、巷の整体士が患者さんを整えるのと同じく料金を頂くことは正当な報酬になります。
そこで私が思うに、超能力エネルギーを必然とする者や相談ごとを持ち込んできた者にたいして、それが有料であれ無料であれ、求められたことを手助けできるその能力を出す事が役割であれば問題はありませんが、伊勢白山道が言うようにリピート客を作る結果になると精神世界を食い物にする邪な者と言われても仕方がありません。
だから人様が困っている事を手助けしてから後に精神世界を説いて聞かせるのが役割・本命かもしれません。
またそのリピート客を作らないためにも、人間意識(己の意識)が原因で表れている結果であることの真実事実をしっかり語り続ける必要があります。
すなわち不平不満や不安心配はその人の中にあることですから、外部の者が係わりお節介手出しすることではなくして、先ずは自らの意識を変えない限り絶対に解決することもなく何度も同じことが繰り返されるというその事実真実を(対面しあって)しっかりと教える、その絶対的必然性があります。
だから超能力者自身が役割を果たすと同時に自らが自惚れることがないように自粛するその自己縮小も絶対的に必要と思っています。
私はそれがその超能力者に課せられた役割と使命だと思います。
またそれを実践していたのが過去にご縁があった霊能者でした。
だからサイババ等のように大勢の人を広場に集めておきながらごく少数の者にサンプル的に施すのは信者・リピート客を大勢作ることになりますから私は不適切・邪道になると思います。
そして何よりも指導者自らの意識が不完全であることの自覚からして、その教え語る中に自分の不適切な一方通行の思い込みが紛れ込むことがありますから、やはり完全な真実事実を繰り返し語るにこしたことはないとおもいます。
また必然ご縁のあった限られた人との係わりだけの方が互いに真剣になれます。
そこで見せ掛けではない自由・平等とその調和の真実、それには特別が一切ないこと、またお陰さまとお互いさまの関係であること、生かされていることの感謝、だから欲張らない無理しないこと、それが自己縮小につながること。
そして不完全なこの世の形や人間関係の矛盾・裏表をしっかり味わって、その矛盾のない生き方の中に生きているその真価があることを親切丁寧に説明する事になればいいと思っています。