孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

不平不満は進化拡大するが、満足は止まることを知る。

2010年04月30日 | Weblog
不平不満を持たなければいつも心は穏やかですから・・・(私の場合)特別な趣味嗜好娯楽や刺激が無くても日々の生活に何ら支障はありません。
だから逆に言えば・・・珍品名物や希少価値のあるものや美味しい物を次々と欲しがる、自分に無いものを欲しがる、何か特別なもの・形を持ちたがる、快適便利を追求する、観光娯楽施設に行きたがる、刺激や快楽を求める・・・ すなわち今のままでは不満足なのは・・・今の自分の生き様に納得していない(不満を抱え込んでいる)ばかりか、不信感や孤独感に覆われていたり、自分の思惑と違っていることなどから・・・それらに対する不服・苛立ちや先々の不安心配・恐れから一時的にでも忘れていたい思い(逃避)を持っている場合が多いようです。
・・・だから不平不満が多いほど・・・多くの金銭・物質が必要になり・・・その結果思い悩み苦悩することにもなっているのです。

しかも・・・その多くの金銭・物質が得られないと・・・更にその不平不満・苦悩が高まることになり・・・ そうなりながらも繰り返され続けて金銭物質の時代が進化拡大し・・・今や末期現象が見えてきている現状が既に実在しているのです。

ところが・・・金銭的に貧しくても、物質的に貧しくても、快適便利でなくても・・・今の自分の生き様に納得確信・自信があれば・・・居場所・生活環境に関係なく、快い居心地のいい生活になることは間違いありません。
・・・すなわち・・・不平不満を持たなくてすむのです。

私の場合(世間的な不平不満や将来の不安心配・病気や死に対しての不安や恐れをあまり持っていないことから)・・・月5万円の年金過疎地暮らしでも十分居心地のいいものです。 
・・・しかも今では・・・(半年前に頼まれて)肉牛の餌やりのバイト(午前8時と午後5時の二回=実働時間約3時間)を雇用主と二日交代制で月15日間従事し約5万円の収入に恵まれています。
だから(必要以上の収入を得る事になって)以前よりも生きるための金銭的な余裕が出たことから・・・更なる生活の安定・天下泰平の気分を味わえているのです。

・・・それも・・・縁もゆかりも無いよそ者・他県人で縁者の無い私が・・・そのバイト先を捜し求めたわけではないのに・・・まったくの成り行き任せで・・・(数少ない)一つのご縁が次のご縁に続いて・・・今のご縁につながっただけです。
すなわち・・・(これまでの幾多のご縁・必然に恵まれた過去と同様に)・・・自らが先立って欲し・急ぎ慌てないままにして・・・与えられるチャンスに気付けるように(常に意識力を高めておいて)・・・余裕のある平常心のままに「その時」が来るまで・・・与えられるまで「待つ」という・・・その真理の実践から生まれ出た必然のご縁・結果なのです。

しかも・・・私の暇で退屈な時間がその分だけ減り・・・しかも・・・それが結果的に余分な収入を得ることになり・・・
しかも・・・年中無休で毎日働いていた雇用主・夫妻が休暇を取れる事になって喜ばれ感謝されているのですから・・・
しかも・・・毎日が暇で退屈していた私に・・・役割仕事の時間と自由勝手な時間を交互に味わえる事になりましたから・・・
関わる誰にも不服の無い・・・すべて良しの(裏の無い)結果・形になっています。

このことに対して違和感・不信感を持つ人もいるでしょうし・・・ 私の言葉を素直にとらえる人もいるかも知れませんが・・・ それは読まれた方の自分の「思い」であって真実は知りませんから・・・それが確かな事実・実在・本物とはなりません。 
だから・・・嘘か真かの本当のこと(事実・本物)を知るには・・・自分が実際に実践する方法しかありません。

だから・・・不完全なこの世の仕組みの中でその不完全なことを成し遂げて自己満足したり自惚れることよりも・・・
(己の意識が不完全で未熟であっても)矛盾や妥協の無い完全真理を実践している生き様のほうが人間として実に成る実在の生き方になるのです。

(注)・・・「与えられるまで待つ」中にも・・・その選択・決心・決断が含まれるときがあります。
その選択が中途半端になったり、その選択が間違いになるのも・・・先走った思惑や私欲に惑わされているからです。
だから思惑や欲が無ければ・・・思いがけないご縁・必然に恵まれながら・・・成る様になって行きますが・・・ 何らかの欲があれば成るのもが成らなくなったり、方向性・選択を間違ってその不完全な欲に従う(深みに入る)結果にもなり、迷い混乱・思考錯誤する不完全な生き様の方向に突き進むことにもなります。

見えない神や愛を「信じる」ことではなく、完全真理で神や愛を<知る>ことが先決です。

2010年04月15日 | Weblog
この世で言われている神や愛を信じると裏切られることがありますが、完全真理の神や愛は裏(矛盾)が無いから裏切り関係はありません。
だから神や愛を信じるのではなくて・・・「完全真理」によって神や愛を知ることが先決なのです。

しかし完全真理を知らない人が大勢居ますから、それらの人々が神や愛を知りたくなっても形が無いことから見ることも出来ないし、人様に聞いても様々に言われますから不確かです。
そこで神や愛のことを知りたくて(神頼みの依存心も兼ねて)宗教に関わる人も出てきますが、しかしその宗教に都合が良い神や愛の形しか教えてくれませんから、他の宗教で言われる神や愛と相違があったりして不確かなものになり、どうしても「信じるか否か」の選択が必要になります。

そうして・・・信じた宗教の神や愛に従うことになれば・・・聖書経典を憶えて唱える事や神に祈ることになったり、善行をしなさい、施しをしたり施しを受けたりしなさいと、ああしなさいこうしなさいと言われるままに何かと束縛制限されることになったり、金銭物質・お布施を献上することになったり、宗教組織内の奉仕活動や布教活動に借り出されたりして・・・その宗教に都合がいいように振り回されることにもなりかねません。

それでも・・・その宗教の言われる神や愛しか知らないままに平穏無事に終わればありがたい事になりますが・・・
しかしこの世の矛盾の中で生きていますから、その宗教の神・愛を信じて祈って言われるままに動いているだけでは解決できない問題が出てきて迷い苦悩する事になりますから、結果的には(信頼しきれないで)裏切られている事になります。
・・・その点・・・完全真理で知った神や愛は完全ですから絶対に裏切りません。
・・・その反対に・・・完全真理で言われるところの神や愛を裏切っているのが・・・我々人間であることを悟り「知り」ます。

スプーン曲げや時計の早回しのできるユリ・ゲラーや空から物質を出すことが出来るサイババが有名ですが・・・そのユリ・ゲラーやサイババの持つ意識エネルギー(意識力・念力と言われるパワー出力)によって摩訶不思議なことが成されていますから・・・マジックやインチキではないから本物になります。
しかし・・・私たち皆が同じように出来ないことから・・・やはり「信じるか否か」になり、多くの人は事実を信じられないでいます。

同じく・・・この世の最初で最後となる完全真理を説く山田耕栄さんも・・・その耕栄さん自身が持つ完全意識エネルギー(宇宙・神・愛の意識エネルギー)によってファバラシールや世界初の製法による「味かくし」などが作られましたが、そのファバラシールや味かくしで色んな摩訶不思議が起きている事実がありますから・・・本物になります。

しかし・・・そのファバラによって必ずしも皆に同じことが起きないことから・・・やはり「信じるか否か」になる場合がありますが・・・そのファバラを「信じて」愛用する人は・・・先ほどの神や愛を説く宗教・カルトと同じ信仰になります。
だから・・・信じて結果が出なければ裏切られた格好に思え・・・そのファバラから意識が離れるだけで終わらずに、作った張本人の耕栄さんからも離れることになったり・・・
しかも・・・宗教・カルトではない、信じるか否かではない、矛盾の無い完全な回答・結果を言葉で出してくれている、その完全真理からも意識が離れていく人が後を絶ちません。
・・・その原因は・・・完全を説く完全真理を知ることより先に・・・
過去に大病を患ったことから宇宙意識に到達したと言われたり、これまで誰にも成し得なかった凄いことが出来ると言われている山田耕栄さんを知ることになれば・・・(その事実を見ていない人は)・・・その耕栄さんを先ず「信じる」形から始まる場合が多いからです。
・・・ちなみに・・・耕栄さんを信じられなければ足早に離れているはずです。

またその耕栄さんが製品化したファバラも・・・耕栄さん同様にそれを信じ信頼するその意識力(思い込み・すりこみ現象、暗示・洗脳の一種)によって起きた効果効用・結果に惑わされている可能性も否定できません。

だから・・・耕栄さんを信じる、ファバラを信じるのは・・・宗教の言う神・愛やその教祖を信じようとしている事と同じですから、その信じる心に裏と表・矛盾が出てくることから・・・やがて自分の都合やその思いが通らなくなれば不信感に様変わりして、そして完全な完全真理までが不確かに思えて(その不信感から)離れていくことになるのです。
すなわち・・・他力の形を信じることが優先されて肝心の完全真理を理解していなかった結果なのです。

15年前から宇宙エネルギー(意識エネルギー)の実在とその摩訶不思議な効果効用を十分学び知り体験している私が・・・完全真理を知るきっかけを与えてくれた(道先案内人となった)娘に・・・完全を説く完全真理だけでいいのに、何でいまさら宇宙エネルギー・ファバラエネルギーを製品化したのか疑問を言ったことがありました。
それはすなわち・・・形ある(人間)耕栄さん、形で結果を出すファバラとなれば・・・「信じるか否か」の宗教・カルトになる可能性があったからです。

だから・・・このブログでは・・・(知ることの出来ない)宇宙が先か神(創造主)が先か? 鶏が先か卵が先か? また過去にあったことや未来・予言を書いてそれを信じなさいとか、見えない神仏・神や愛を信じなさいとか・・・また形で見えている完全真理や耕栄さんやファバラを信じなさい・・・とは書いていません。
・・・ただし・・・完全で裏の無い事柄を「信じきる」必要がある場合はその事を書いています。

すなわち・・・完全を説く完全真理を知れば「すべて」の疑問・謎が解けるから信じる必要がなくなるのです。
だから「信じる」のではなくて<知った>ことを実践していけば自分の物・自力・本物になっていくのです。

とは言っても・・・私も未熟で不完全ですし、読まれる方も不完全でしかも多くを知りません。
だから・・・(見えないことや知らないことになれば)信じるか否かの判断になるときがありますが・・・その内容・解釈に言い訳正当化や矛盾が無ければ完全となります。

その矛盾を生じないための基本に・・・元は同じで「すべてはひとつ」・・・その宇宙万物に意識があり、その意識にエネルギー出力があること・・・またその万物の形姿に違いがあっても差は無く(皆同じで特別は無い)・・・
だから・・・すべてはひとつのものを「良い悪い」で分離判断しなければ矛盾・混乱・問題は出てきません。
そして「不平不満」を持たなくなり、心安らかなままに調和で生きることが出来るようになります。

生涯未婚や孤独死・無縁死は当然であり、未婚・無縁社会ビジネスは必然から生まれた形です。

2010年04月07日 | Weblog
人は生まれたときから自分さえ良ければの自己中心の個人意識でもって・・・自分の都合を先ず考えて生きていますから・・・人は皆(生まれながらにして)孤独なのです。
その孤独同士が寄り集まって家族や社会を成しているのだから・・・孤独死や無縁死になるのも・・・成る様になっているだけで・・・昔からあったことであり・・・情報化が進んだ今だから世間で騒がれているのです。

昔ほど・・・生きることで精一杯だったから・・・人が寄り添って生きる必要・必然があったが・・・時代の流れで・・・「お一人様」でも生きていくことが出来る時代になったことから・・・当然ながら生涯未婚や離婚率が高くなるのも、また孤独死や無縁死になるのも当たり前のことですから・・・特に問題化して気にすることでもないのです。

昔は喰い口減らしで身売りされたり奉公に出されていたのが・・・今では援助交際やホームレスの形になったり・・・
昔の姥捨て山が・・・今では老人ホームや在宅介護になっているように・・・
また昔は(動けるうちに死を覚悟して旅立つ)野たれ死を覚悟しての(死に装束を着た遍路旅)四国霊場巡りが今では多くが観光巡りになっているように・・・ それも時代の流れです。

縁者に囲まれて死ぬことを望むのは・・・死の恐怖や孤独感から少しでも救われたい思いがあるのかも知れませんが・・・私は死があの世の意識次元に続くことを知っているので(単なる肉体の死と捉えているので)・・・出来れば多くの迷惑をかけないですむことを意識しているし、また余計な口出しお節介をされないままに・・・静かな孤独死・無縁死を望んでいます。

子供たちに親孝行を望むのは・・・自分の老後や死後の事を思ってのことかも知れませんが・・・私は最後の最後まで自力で生きることを覚悟していますから・・・子供たちや妻に迷惑をかけない生き方として(家族と離れて)・・・過疎地でのお一人様生活・無縁生活をしていますが・・・それでも意識が通じ合う人や分かり合える仲間に巡りあえるようになることを意識しています。

その意識・氣が病の元であるその「病気」を治すのに・・・昔は神頼みや祈祷や魔術師だったのが(意識力・念力・気力)・・・今は物力・技術力の薬や医者の医薬局になったのも・・・時代の流れです。
その気の病・病気を恐れての健康志向が強いはずなのに・・・逆に病気が増えている矛盾は・・・人は「意識」で生きていることを知らずにして・・・原因意識の現れである結果・形を気にするあまり、「他力」すなわち物力・技術力に頼りすぎている・・・その弊害副作用が原因にもあります。
だから・・・医者と薬屋さんはビジネスとして儲かりますが・・・それだけに競争も激しい時代になりました。

苦悩する意識の救いを求める人がいれば・・・宗教というビジネスが増えるように・・・
またその意識が原因の病気や怪我に対応するビジネスが増えるように・・・・
また困った問題を抱えている人がいればそれを解決するためのビジネスが増えるように・・・
それが時代の流れです。

また同じように・・・(携帯電話の普及で)振り込め詐欺やネット犯罪が増える事になったり・・・貧困が言われる頃に生活弱者を食い物にする貧困ビジネスが出てくるように・・・
無縁孤独の無縁社会に似合ったビジネス・被害が増えているのも当たり前であって・・・成る様になっているだけです。

だから・・・昔は特異分野だった「おくりびと」葬儀屋さんが・・・今では大きなビジネスになっています。
だから・・・葬儀会場・お寺・お墓の石材店・花輪店が儲かるビジネスになっています。
また・・・派手な葬儀や立派な戒名の仏壇やお墓を望む人も多いことからもそのビジネスが成り立っております。

無縁死・孤独死によって無縁墓地・共同墓にお骨を収めるビジネスも増えています。
孤独死・無縁死の後始末をする「特殊清掃」ビジネスも増えています。
孤独死・無縁死された人の遺骨や遺品を受け取らない遺族親戚も増えています。
孤独無縁者相手の「電話会話サービス」ビジネスも大繁盛しているようです。
また代理墓参ビジネスや自分の葬儀を生前に決めて委託するビジネスも以前から出ています。

またビジネスで始まったネットカフェーを宿泊代わりにする人がいますが・・・そのネットのツイッターやメール交換が無縁者同士のつながりにもなっています。

それらは・・・良い悪いで判断して不平不満を持った「差のある不完全意識の人間」が築いた時代の流れですから・・・有っても無くても「どうでもいい」ことになります。
だから私の場合は・・・その時代の流れに飲み込まれない自分流の生き方を通して・・・時代の形・結果ではないところの・・・本文とする意識・原因を見極め、悟り気付けるだけの自力を養っているところです。

だから・・・我が身に現れた結果を素直に見て(言い訳・正当化しないで)その原因(自己意識)を見極めることが出来るようになればと思っていますが・・・
我が身をもって知ったことにあるのが・・・(以前とは逆な生き方となる)・・・「私欲」を出さなければ不平不満にならないことを知りましたから・・・(病気や老後や死のことは成り行き任せにして)今を生きるために今を楽しむ工夫や今を活かす工夫に意識を使っています。

そしてこの先も家族や他力やビジネス関係機関にあまり依存しない生き方を通して生き続け・・・もし病気になったり肉体が滅び死する時が来ても慌てず騒がずに素直に従う心意気で暮らしていますから・・・時代の流れに構築された諸々のビジネスをあまり必要としない生き方と同じく・・・この先の老後や病気や死に対する対応や覚悟を伝えており・・・またその死後の諸々も全てが無駄なことだからと伝えており・・・生前と同じような対応をするように家族に伝えています。

すなわち・・・己の中の不平不満(未練執着)を持ち続けて辿り着くところの「あの世」ではなくて・・・出来れば・・・宇宙・万物の意識が通じ合うところの完全意識の至福の次元に行きたいのです・・・ すなわちそれが(永遠に続く命・意識を持った)人間としての本分だと知ったからです。