私達人間は「良い悪い」で判断してその「良いとこ取り」したがる欲を持っていますから、然るに自己満足することもあるがその裏が出て不平不満になることも多くあります。
そして自己満足が自惚れ慢心になったり、それが「私は正しい」と主張堅持することになり、同時にその裏が出て「守り戦う」防衛本能&守り意識が強くなり、
そして自分に都合が悪いことならば否定反発したがる事にもなり、その私は正しいからして悪は排除しても良いという潔癖完璧主義や正義感にもなり、そして自分達に都合が悪いと思う形やその人達を排除したり抹殺することになり、
然るにそれが結果的には略奪侵略や人殺し戦争になっています。
また自己満足の裏側の不平不満からして不安心配恐れや苛立ち怒りや憎しみ嫉妬にもなり、それが腹いせ仕返しの報復復讐になり、そこで手当たりしだい何でもぶち壊したくなる破壊意識にもなり、然るにそれが他者破壊&自己破壊の他殺や自殺になっています。
久々にクソ丁寧に書きましたが、
要するに良いとこ取りしたがるその欲からしてそれが自己満足になろうが不平不満になろうが、いずれにしてもそれが原因からしてこの世人間関係がヘンテコな具合になっている事実があるのです。
然るに「小から大になる」その小さな事から大に至るその経緯を簡単明解丁寧に書いたわけです。
ところで以前に私が「静寂にして暮らしていてそこで客人が来て賑わい去っても元の静寂に戻るだけ」で済むことを書きましたが覚えていますか?
ところが(前項に書いたような)不平不満から始まる諸々の精神感情を抱いていれば静寂で穏やかな精神状態ではありませんから、すぐさまその苦悩する現実問題に直面しますから決して穏やかな精神状態とは言えません。
然るにどんな立派な仕事を成しても、然るに立派な肩書き名誉名声権威や権力や財を得て持っても、また贅沢で高度な多種多様の趣味嗜好娯楽を味わっても、とどのつまりは己の意識が原因のその不平不満生活がずーっと続くのです。
だから(不満不安不信からして)巷の趣味嗜好娯楽に興じていても何か心が満たされずに&味わいきれずに&中途半端に終わり不完全燃焼が如くの納得できないままに終わっているはずです。
然るにそこで何度も繰り返したがることになるし&依存する事になるし、また今以上の優れた結果を得られる形を欲し捜し求めるその繰り返しもずーっと続くわけです。
然るにそれで時代が進化発展して来ました。
また素晴らしい学業成績や仕事の成果業績を上げて一時喜ぶもすぐさま現実の精神状態に引きずり戻されますし、しかもそれを守り維持するためにまたしても頑張り続けなければあとは下降するだけになります。
だったら元から欲張らずにして(成り行きに任せて)(仕組まれながらにして)己に最も似合った居場所&位置にいた方が「楽だった」のではありませんか?
然るに欲張って苦労するだけで終わったも同然になりませんか?
そして自己満足なんてことは儚く淡いものだと思いませんか?
然るに虚しくなるだけです。
だから孤独感を持つことになるのです。
然るにどんなに賑わい華やいでいても内なる心は孤独だったのです。
だったら元からして「孤独の自由」を味わっていれば諸々の柵シガラミから離れた開放感&自由を味わいながらにして自己啓発することになり、然るにその自力自信の精神に見合った独自独歩の生き方になります。
然るに元からして孤独なのに皆して結果を出す競争に励みまた変化刺激&快感快楽を互いに求め合ったことからして結果的に虚しさを味わいそれが孤独感になったのです。
どうですか、未だ疑問違和感がありますか、
この文書をよく噛みしめて味わいましたか、
然るに誰のためでもない、貴方のためになることです。
※このブログを書きながらにして始めて「自己啓発」なる言葉が登場しました。
つまりは記憶の知識からして書いているのでは無くして私の実感からして書いている内に(成り行きからして)言葉が浮かんでくるのです。
そして自己満足が自惚れ慢心になったり、それが「私は正しい」と主張堅持することになり、同時にその裏が出て「守り戦う」防衛本能&守り意識が強くなり、
そして自分に都合が悪いことならば否定反発したがる事にもなり、その私は正しいからして悪は排除しても良いという潔癖完璧主義や正義感にもなり、そして自分達に都合が悪いと思う形やその人達を排除したり抹殺することになり、
然るにそれが結果的には略奪侵略や人殺し戦争になっています。
また自己満足の裏側の不平不満からして不安心配恐れや苛立ち怒りや憎しみ嫉妬にもなり、それが腹いせ仕返しの報復復讐になり、そこで手当たりしだい何でもぶち壊したくなる破壊意識にもなり、然るにそれが他者破壊&自己破壊の他殺や自殺になっています。
久々にクソ丁寧に書きましたが、
要するに良いとこ取りしたがるその欲からしてそれが自己満足になろうが不平不満になろうが、いずれにしてもそれが原因からしてこの世人間関係がヘンテコな具合になっている事実があるのです。
然るに「小から大になる」その小さな事から大に至るその経緯を簡単明解丁寧に書いたわけです。
ところで以前に私が「静寂にして暮らしていてそこで客人が来て賑わい去っても元の静寂に戻るだけ」で済むことを書きましたが覚えていますか?
ところが(前項に書いたような)不平不満から始まる諸々の精神感情を抱いていれば静寂で穏やかな精神状態ではありませんから、すぐさまその苦悩する現実問題に直面しますから決して穏やかな精神状態とは言えません。
然るにどんな立派な仕事を成しても、然るに立派な肩書き名誉名声権威や権力や財を得て持っても、また贅沢で高度な多種多様の趣味嗜好娯楽を味わっても、とどのつまりは己の意識が原因のその不平不満生活がずーっと続くのです。
だから(不満不安不信からして)巷の趣味嗜好娯楽に興じていても何か心が満たされずに&味わいきれずに&中途半端に終わり不完全燃焼が如くの納得できないままに終わっているはずです。
然るにそこで何度も繰り返したがることになるし&依存する事になるし、また今以上の優れた結果を得られる形を欲し捜し求めるその繰り返しもずーっと続くわけです。
然るにそれで時代が進化発展して来ました。
また素晴らしい学業成績や仕事の成果業績を上げて一時喜ぶもすぐさま現実の精神状態に引きずり戻されますし、しかもそれを守り維持するためにまたしても頑張り続けなければあとは下降するだけになります。
だったら元から欲張らずにして(成り行きに任せて)(仕組まれながらにして)己に最も似合った居場所&位置にいた方が「楽だった」のではありませんか?
然るに欲張って苦労するだけで終わったも同然になりませんか?
そして自己満足なんてことは儚く淡いものだと思いませんか?
然るに虚しくなるだけです。
だから孤独感を持つことになるのです。
然るにどんなに賑わい華やいでいても内なる心は孤独だったのです。
だったら元からして「孤独の自由」を味わっていれば諸々の柵シガラミから離れた開放感&自由を味わいながらにして自己啓発することになり、然るにその自力自信の精神に見合った独自独歩の生き方になります。
然るに元からして孤独なのに皆して結果を出す競争に励みまた変化刺激&快感快楽を互いに求め合ったことからして結果的に虚しさを味わいそれが孤独感になったのです。
どうですか、未だ疑問違和感がありますか、
この文書をよく噛みしめて味わいましたか、
然るに誰のためでもない、貴方のためになることです。
※このブログを書きながらにして始めて「自己啓発」なる言葉が登場しました。
つまりは記憶の知識からして書いているのでは無くして私の実感からして書いている内に(成り行きからして)言葉が浮かんでくるのです。