孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

同じことを意識する者が増えると101匹目の猿が如きのテレパシー現象が仕組まれることがあるようです。

2015年04月03日 | Weblog
このブログを書き続けることで新たに気付き納得確信したことを付け足すような形になっていますから、然るに同じ言葉や似たような内容になってはいますが、しかし奥深くなっていたり前より自信確信をもって書いていることもあります。

然るに過去にご縁があった愛の霊能者の場合もまた完全真理の耕栄さんの場合でも見られたのが、彼らの摩訶不思議な能力に魅せられて居残り続ける人が多くいても、本来の精神世界を学び知り自覚納得するために来ていたはずと思われるような人が(私よりはるかに能力的に優れた人が)いつの間にやら遠ざかり離れていくのが気になっていました。

然るにそれが自力でもって独り歩きが出来るようになったのなら結構なことなのですが、しかしどうやら初心の摩訶不思議の熱が冷めてそれほど期待することでもなくなり、そのままずーと続ける気持ちが失せて離れていくようでした。

然るにこのブログに期待できるものがありませんし、また同じような文書が何度も書かれているようなことからして(見飽きて)離れていく人も多いと思っています。

然るに「どうにか成る」ように思われた仲間の人が結局は「どうにもならない」ままにして完全真理から離れているようにも思えます。
すなわち精神世界に関わるのも何がしの他力的な結果を求めているようです。

だから親切に指導してくれるとか、誤った思いや間違いごとを指摘してくれるとか、また超能力からして(2000年や2012年のような)何らかの将来的&暗示的&予言的な要素を望んでいたりするわけです。

然るにそれに失望すると離れることになるが、しかし独り歩きも出来ない己の未熟さが心精神に影をなし、その精神世界を語り聴くことが何んだか無性にして苛立ち毛嫌いすることにもなるようです。
だから最初は「聞く耳」があったのにいつしか振り向きもしなくなるのです。

然るに「どうしようもない」のが人間だと諦めてしまえばいいのですが、しかし「何とかなる」のも人間意識です。
ところが「何とかなる」はずの(それだけの個性感性をもっている)人が中途半端になっているのも事実にあります。

だから(不完全意識ながらも)仏門にくだりお坊さんやお寺さんになったり教会の牧師さんになったような(素直に真面目に熱心に取り組んだ)人が(優しく親切で)世間に特別に引き立つことにもなるのです。

そこで私が思うにそれら優れた能力の持ち主よりも、何か世間的に劣るような人のほうが完全真理とその自己縮小に向く適性能力&素質要素があると見ています。

然るに眠っていた(元は神なる)その意識精神が目を覚まし蘇るかもしれません。

と言うもの、世間で目立たなかったことは、その世間に出ることを何かと抑えられていた、然るに早く出過ぎて世間に惑わされたり潰されたりする事が無いように仕組まれて守られていたとも言えるからです。

然るに(中途半端に止まらない)意識的に確かな人が此れから先に何人も出てくるかもしれません。

然るに暴力的・病的・自傷的な引きこもりや不登校ではなくして世間に馴染めないで静かにしている人や思うが侭に動いているフリーターやニートやホームレスの中から(多かれ少なかれ)出て来る可能性があると思っています。

然るにそれが101匹目のサルが如くにして同じような意識の人が複数になればなるほどその意識力エネルギーが他の人の意識に以心伝心&伝達記憶される(テレパシー的な)現象が起こるわけです。
然るにそれが日ノ本の国&日本国&ジャパンから始まると(霊感・予言)言われています。

然るにこの世を動かしているのも(流行性&市場占有率&視聴率のような)同じ志向性&方向性の意識の集まり&集合意識が原因にあります。

だから自己縮小の実践が今は無理でも、その実践意識になれるだけの納得確信&自力自信を高めることを意識していれば「何とか成ること」は何とか成りますから、然るに簡単に諦める事無く続けていてください。
と言うことになります。

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「この3月に仕組まれたこと」の中に何れを選ぶかの「選択肢」が絡んでいることに気付いたでしょうか、

2015年04月03日 | Weblog
意識が原因からして必然ご縁が仕組まれその結果が出ることを「この3月に仕組まれたこと」で紹介しましたが、その仕組みの中に何れを選ぶかの「選択肢」が絡んでいることに気付いたでしょうか、

然るに納入業者を担当する者が(出てきた炊事婦さんを後回しにして)私を選んで「次の納品は?」の質問に即座に答えていれば納入ミスにならずに済んでいたはずです。だから納入ミスに到る仕組みが起きたのも、担当者が両者のいずれを(後回しにしないで)必要として選択するのか、その選択意識が原因にもなったわけです。

また納入日に納品に来なければ電話で注意なり催促すれば何とかなったのに、その日に納品に来なかったことで(常に在庫は3日分程度あるのに)次の日に他の業者に納品させることは、自分の思い通りに行かなければその相手に罰を与えたくなる(飴と鞭を使い分ける)意識をもっていることになります。

となれば施設側と業者と互いがお陰様&お互い様の関係で共に必要としている関係ではなくして(特権的に)業者を軽くあしらっていることになります。
然るに私方を必要と思われていなかったことからして成るようになった結果なのです。

そして私方も納入して利益を得ていることよりも(仕事の儲けよりも)精神世界の仲間である担当者とのご縁が薄れかけていたのにそれを守り続けたがっていた私の意識が原因で仕組まれたことでもあります。

また妻が私の要望に応えて(妻自身の思いを優先せずに、私の思いを優先して)封筒を開封していれば契約更新を見逃さずにいたかもしれません。
この場合は私が妻に対する意識が軽薄だったのが原因でもあり、また妻の私に対する意識が軽薄だったのが原因ですから、然るにお互い様の関係であり、然るに「成るようになった」結果なのです。

然るに人は皆「思い&意識」で行動して生きているのです。

そして「必要とするか否か」の二者選択でその「良いとこ取り」をしているのです。

その「良いとこ取り」意識からして「必要」と思われなくなったら(お粗末な結果の事例が示すように)たとえ今は親密な関係であってもいつしかその関係が(仕組まれて)崩れるのは当たり前なことです。

然るに人は現れた結果の苦楽ではなくして、その結果の原因となる「意識」で生きていることになるのです。

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