孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

過去の善を成す偽善者によって洗脳されている

2018年06月30日 | Weblog
過去の投稿文で毎日数人が来られている中に…捨てる神あれば拾う神あり…があります。
…ちなみに現在読んでも…さすが!と納得できます。

それを要約すれば…矛盾偽善の世界だけにその矛盾の裏表を学び知ることにあり、また拘り執着しないことであり、欲張らない実践になります。

何はともあれ…生まれる時も死ぬ時も裸であること…だから余計なものを持たないで捨てることで身軽心軽やかになる仕組みがあるのです。
…ちなみに今の私が当てはまります…

ところが人間の食欲性欲防衛本能からして捨てられないでいるのです。
…捨てたら損なのです…

また負け組よりも勝ち組でいたいから…負けるが勝ち・逃げるが勝ちとならないで…守り闘うことで苦労しているのです。

ちなみに物質的な損をして精神的に得をすることができずにいるのです。
…だから人間やめますかともなるのです…

また自分さえ良ければの個人意識を持っているのにそれを罪悪と思い隠し善を成すことが人間だと思い違いしているのです。

然るに過去の善を成す偽善者によって洗脳されているのです。

ちなみに善を成す洗脳から解き放たれて自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって家族から離れ孤独の自由を味わっているのが私です。

そして孤独の自由と貧乏丸出しでもって豊かな自然界の中で暮らしているから当然ながら自然界と調和することにもなり…

また人間関係から離れて気付いたのが「お互い様であり」「お陰様の関係」で成り立っていることであり…

結果的に自由と平等意識に目覚め調和でもって生きて行くことの重要性を自覚認識できました。

ところがしかし…誰も皆が不完全意識にして矛盾偽善で生きているからにはどうすることもできないから…己一人にして実践しそれを味わうしかありません。

さすれば…巷の矛盾偽善の火の粉を浴びずに安心安全で暮らせるし、また私の矛盾偽善に人を巻き込まずにして暮らせます。

然るに巷の矛盾偽善の被害者にも加害者にもならずにして・心穏やかな精神安定にして・己の人生をまっとうできるのです。

さすれば…貧疎ながらも悠々自適の老後ともなり穏やかな死ともなるのです。

人類滅亡&終末説の原因

2018年06月29日 | Weblog
豊かな自然界の恵みの中で生きているからには…

皆して金儲けのために働くことでもなく、また人為人工的な文化文明を発展させるために生きているのではありません。

まして人殺し戦争を繰り返すために人間として生まれ出たのではありません。

またセックス絡みの肉体や恋愛絡みの感情体に拘り執着して生きることではなく、縄文時代が如くに大元の自然界と調和した生き方からして己の精神体・心意識精神を磨き高めるために生まれ出ているのです。

それゆえに…数に限りがある有限の世界で…欲張っちゃダメなのです。

なのに弥生時代から此れではダメだ何とかしなければと不満と欲でもって人が集まり共に行動することからして不調和となり無茶苦茶な人間界となりまた自然界を破壊し汚染し続けているのです。

ちなみに…水が命の縄文時代を侵略し終わらせた弥生時代からして火が命(石炭石油核燃料)となり、それが集合化・組織化・勢力化となり人殺し戦争が絶えない時代となり、それがまた物質的な文化文明の発展となり、結果的には豊かな自然界や人間界が無茶苦茶になり危機的状況環境となっているのです。

ちなみに精神世界に関わるものなら欲張っちゃダメなのは自覚認識となっているのですが、世のため人のためならば欲張って良しとして正当化正義化されたのがそもそもの過ちなのです。

そして結果的には…勝てば官軍負ければ賊軍となる矛盾となり…その矛盾の繰り返しからして武器が進化しそれが文化文明の発展にもつながりました。

ちなみに私とご縁があった愛の霊能者も完全真理の山田耕栄さんも欲張っちゃダメなのは自覚認識していながらも・お金がなくてはどうにもならないことからして・また人の役に立つとして物売りに落ちたのです。

そして精神世界を飯のタネ・金儲けの道具にしてはならないと自覚認識し世間に明言していた伊勢白山道なるものも背に腹は代えられないと書籍出版販売しています。

然るに自分のためだけならば大金は不要ないのですが、世のため人のためとなると、マザーテレサの如くに人集めお金集めになるのです。

また貧困飢餓となる…貧乏人の子沢山…からしてその方面に携わっている人もいますが、人様の性欲だけは抑え切れません。

ちなみに貧困飢餓につながる世界人口増からしても結果的に自然界も人間界もヘンテコになっています。

何はともあれ…お金と性欲絡みからしてヘンテコになりながらも文化文明が発展し続けてきたわけですが…
となると…過去の時代の先行きよりも現代の先行きが最も危険な状態となります。

然るに天下泰平の徳川時代よりも、文明開化の明治時代よりも、私の親の時代よりも、現在の私よりも、この先の我が子や孫の時代となると、急速に様変わりしているからには、50年後100年後には、自然界や人間界がどうなることでしょうか???

しかも人間意識の矛盾偽善からして…どうしようもないのが現実にあります。

また生まれたからには死ぬように…始まったからには終わる仕組みもあります。

何はともあれ…矛盾偽善意識の人間が善人ぶって何を成せども焼け石に水となるばかりか火に油を注ぐことにもなりかねません。
ちなみに最たるものが石油を超えた核燃料の原子力発電です。

その核燃料が最先端の科学でもって安全な燃料となることがこの先にあったと仮定しても、文化文明の発展がキリもなく繰り返されるからにはエネルギー不足となり、核よりも危険な脅威の物質燃料が出てくる可能性もあります。

そして一歩間違えば終末・人類滅亡となります。

だから先祖供養だの親孝行よりも…我が身の先行きの老後や子や孫の先行きをどう考え対処するのかが最も重要になるのです。

然るに目先に迫っている己の老後を如何に過ごすか真剣に取り組み実践すればやがてそのお手本が子や孫にも引き継がれることにもなるのです。

そして先行きの安心安全を考え実践することで我が身だけではなくて子や孫の時代にも引き継いでいけるのです。

となれば…手始めに…お金や性欲に拘り執着することから脱する実践をしていくしかありません。

ちなみにそれがうまい具合に行けば己の老後や死に様にも反映されるのです。

然るに欲張り続けるのか、いったん止まり自然界と調和する生活に戻ることになるか、その選択次第で先々が決まってくるのです。

何はともあれ…欲張り続ければ物質的文化文明が発展し続けそれがまた人殺し戦争の繰り返しにつながりますから、その加害者にもその被害者にもならないためには・火の粉を浴びないためにも・欲張ることから卒業しなければ先行きがどんどん厳しくなるばかりです。

ちなみに終末説が出てくるのも人間の集合意識からして調和の歯車が狂っているからですが…その始まったことが終わるまで加速的に厳しく激しくもなり続けますが、その終わり終末がいつのことかわからないだけに、それまでの間は巷の火の粉を浴びないように素朴謙虚に生きて行くしかないのです。

マザーテレサを超えた…精神体となる…

2018年06月28日 | Weblog
過去の古い投稿の中で…マザーテレサは聖女ならぬ金の亡者となる…内容を読まれる人も毎日何人かおられます。

ちなみに真面目真剣に読めば理解できることですが…中には世のため人のために役立っているのだから文句を言うことではないと解釈する人もいることでしょう…

ちなみに必然からして出来た形ですが…その慈善事業展開の矛盾する事実と張本人のマザーテレサの矛盾偽善意識のあり様を書いているのです。
…詳しくは検索して読んでください…

何はともあれ…己が人のために尽くす役割使命があるとして個人行動することには問題がないが、事を大きく構え人を集め金を集めて組織を作り慈善事業などを展開することになれば、その組織団体に使われる人件費や管理費やの出費も相当な額になります。

それを言い返せば…精神世界を食い物にして人集め金集めし己の勢力拡大を図り狙っていることになります。

ちなみに事業を展開する人たちが無料奉仕であれば人件費が節約できますが、それでも直接的な実践行動よりも組織運営のために奉仕していることになります。

また自力自費でもって無料展開していれば当然ながら巷の矛盾偽善にも関わることになり己の精神力からして学び気付く経験が己の精神にも役立ちます。

そして結果的には…この世人間界の矛盾偽善からして何をやっても無駄なことに気付きますが…その気付きとならなければ…自惚れ慢心の偽善でやり続けることになり…その偽善矛盾の意識が原因のしっぺ返しからして自分が困ったことにもなります。

何はともあれ…焼け石に水や火に油を注ぐことになる矛盾からして慈善事業展開の必要性が無くなり…
また個人で慈善奉仕に取り組むことさえも偽善の結果となります。

となれば…人様のために行動展開することよりも…先ずは己の矛盾偽善意識を何とかする方向性に取り組むことになるはずです。

ちなみに人様のことよりも先ずは自分の精神体のために行動実践します

そこで私なら欲張らない実践でもって素朴謙虚に生きる道筋を選びます。

となれば…矛盾偽善に満ちたマザーテレサを超えた精神体となります。

絶対的な老後を意識することが最重要=人生最大のキーポイントが<老後>

2018年06月27日 | Weblog
私はどうやら元からして拘り執着することが少ない性格のようです。
だから成り行き任せになっていたのです。

ちなみに家族と言えども深く立ち入ることもせずにほっておく・自由にさせる・押し付けないようにしていました。

しかしそれだけに何だか薄情な性格だと自覚認識もしていました。

ちなみに牛舎のパートを始めて何頭かの親牛や子牛の死を見てきましたがいつも平然としていました。
…何たって両親が死んだときも平然としていたくらいですから…
…しかも仏壇お墓・先祖供養・親孝行も関係ありません…
…だから町中に居残る妻や子らに何一つ求めていません…

またそんな性格だから衣食住に関しても拘り執着がありませんでした。

俗に言う…雨や夜露がしのげればそれでよし、空腹が満たされればそれでよし、暑ければ涼しい衣服・寒ければ暖かい衣服を重ね着すればいい…といった感じでしたから…現在の過疎地暮らしに似合っていたのです。

しかし7回目の見合いで妻と結婚してからは大きく様変わりしましたがそれも必然ご縁だったようです。

何はともあれ…拘り執着がなかったから欲が出ても欲張らなかったのです。

ちなみに自分にできることだけやって、いつしかそれ以上が無理となればあきらめていました。
そして新たなことをやり始めると諦めて止まっていたことをあっさり放り投げて乗り換えました。
だから数多く先駆け先取りすることにもなりました。

ちなみに仕組まれ続けた単身過疎地暮らしも…始まりは遊び半分でしたが…何だか自分に似合っていると思えた時からは…先駆け意識に変わりその自信も芽生えました。

そして現在は後期高齢者となりましたが、歳追うごとにお金よりも健康が財産と自覚認識するようになりました。

だから尚更に頑張り無理し欲張ることが減り続けてきました。

しかも自らが高齢者となったことからして新たに自覚認識できたことにあるのが…
人生最大のキーポイントが<老後>だということです。

だからそれまでの雑多諸々の結果は本番に向けた前兆であって、その集大成が己が老後になってから現れることです。

しかも老後を避けて通ることは絶対に無理です。

だから尚更に老後を意識して暮らすことが重要になります。

ちなみに先行きがどうなるか不透明なことを前もってあれこれ思い考えることは無駄なことですが…それが絶対的な老後となれば無駄などころか最も重要なことになるのです。

ちなみに皆さんは自分のウンチの後始末ができない要介護となればどうですか?自問自答したことがありますか?その答えは出ましたか?

ちなみにお金を積み上げて特別な介護を受けていても…此れまでの華やかな人生が一転して裏返ったような…哀れ惨めに思えませんか?

だったら今までの人生の値打ち価値が失われたも同然になるのです。
だったら此れまでの苦労が無駄になります。

しかも重度の要介護になれば生きていても死んだも同然になりますが…それでも医術を施され介護を受けて長生きしたいですか?

ちなみに…早く死ねばいいのに…と思われていても生きていたいですか?

そんな重度の要介護の身の上になった原因が何か自覚認識できますか?

ちなみに何のためにブログを開いているのですか? 誰のためですか?

それが自分のためならば…もっと真剣真面目にして老後のことを自問自答してみれば如何でしょうか?

たぶんお金財産よりも健康が一番となるはずです。

しかしお金があっての老後と思えるようならば…その裏が出て(あなたが思う以上に)(あなたにとっては)とんでもない無茶苦茶な老後と死が待っていることになるでしょう…

しかも…どんなに文化文明や医科学が進化発展しても…また老後とならなくても…若年者ほど先行きの闇が濃くなるでしょう…

何たって…人間の始まりからして…間違を積み重ねているのですからね。

孤独と孤独感を味わうことが人生の転機となる

2018年06月26日 | Weblog
gooブログのリアルタイムアクセス解析を見ているとわかるのですが、新規投稿よりも検索でもって訪れる人が数倍も多いのです。

ちなみに新規投稿となれば目新しからと読むだけで終わる可能性が高いのですが、わざわざ検索で来ることになればその人にとっての必然ご縁が高いからその分だけ真面目真剣に読まれることにもなり…書いている私にとっては喜ばしいことになります。

ちなみに相当古い投稿文が幅広く読まれています。
そんな中で…孤独感の原因…で検索されて来られた人が毎日何人かおられます。

それを裏返せば孤独・孤独感に悩んでいる人も多いと言うことになります。
それをハッキリ言えば…孤独を味わずにして…孤独感となっているのです。

それを裏返せば…身近な人間関係を維持しているために己が孤独感となっていることにもなります。

と言うことは自分のことよりも人様のことで悩んでいることにもなります。
…ちなみに私も経験済みです…

ところが人様のことだけは…どうしようもない…どうすることもできないという事実に気付いていないのです。

すなわち自分が原因の火の粉なら何とかできるが人様が原因の理不尽な火の粉だけはよけるしかないのです。

その火の粉をよけることがいやになって貧疎な過疎地暮らしになったのが私です。

そのお陰で苦楽・喜怒哀楽を味わうことになる肉体や感情体に拘り執着することから離れて精神体で生きて行くことの価値が見出せ、更に先行きの老後や死までが見通せることにもなり、その先行きのためにも孤独の自由にして生きて行くことの価値まで見出せました。

然るに孤独と孤独感を味わうことが人生の転機&チャンスでもあるのです。

また己の自力自信や精神力の程度を試されることにもなります。
すなわち他力依存度がどれほどあるか自覚認識できることにもなります。

ちなみに他力依存度の程度に関係なく…
学ぶより慣れろからして実際に行動すれば…
それが自力自信となっていくのは確かです。

と言うことは…行動に至るまでの学びや気づきがいか程あるかが決め手にもなりますが…しかしそれさえも「やればできる」ようになるのが人間なのです。

ちなみにやっている内に何とかなりながらも・遅かれ早かれ・いつの間にやら身に付いていくのが本物なのです…だから学ぶよりも慣れることです。

また事実にしてやっているから全知全能が如くに創意工夫が次々と生まれそれが自力自信ともなって他力依存が減り続けていくのです。

ただどっかこっかで欲張ることがあればあるほど本物が身に付くのに時間期間が長引きます。

何はともあれ人間は生まれながらにして死ぬまで孤独なのです。

然るにその孤独を如何に過ごすかが人生となっているのです。

だから人様に関係ないところの…あなたの心精神が重要なのです…

ちなみに私が60にして孤独の自由・呑気気楽なグータラ人生を選んだことにまったく後悔はありません。

しかも世間的に何も知らなかった不甲斐ない私が…この世人間界の表も裏も見通せる精神が身に付いたのですから…

ちなみに…やれば出来る!ではなくして…やっている内にいつの間にやら本物になっている・確かな自覚認識となっているのです。

一編=恩返しとは何ぞや? 二編=お金に弱いのが人間

2018年06月25日 | Weblog
育ててくれた親を超えることが親に対する恩返しになります。
…ちなみに私は親孝行はできなかったが…親が成せなかったことを実践して親を超えました。

また教わった先生師匠を超えることがその恩返しになります。
…ちなみにご縁があった霊能者や完全真理の山田耕栄さんが成せなかったことを実践し超えて恩返しをしています。

しかも両者ともに金儲けの物売りに落ちてしまいましたが、私は金儲けをやめて過疎地暮らしとなっていますから、二つの山を越えて恩返しをしています。

しかも目から鱗が落ちたものの実践不可能な完全真理を超えて誰もが公平にして実践できる欲張らない実践真理を書くまでになりましたから、三つの山を越えて恩返しをしています。

そして欲張り続けた過去の釈迦やイエスら諸々を超えたと自負しています。

しかも何を説いていたかもほとんど知らないのにそれを超えたのですから前代未聞の超人かも…ね

ところが何の取り柄もない普通のジジイだから尚更に摩訶不思議です…ね

と言うことは…欲張らない実践さえすれば…誰もが親や先生師匠や釈迦やイエスらを簡単に超えて恩返しが出来ると言うことです。

ところがどっこい…親や先生師匠を超えるなんて・ましてお偉い釈迦やイエスらに失礼だとばかりに謙虚さを示しておられます…ね

また家族と離れて暮らすなんて愚の骨頂だとか、薄情者で自己的な輩に思っている人も多いはずです…ね

なのにその薄情さや自己主義を実践することを奨励しているのですから…尚更に馬鹿げた常識外れのブログに思っている人も多いことでしょう…

ちなみに私から言えば…深く読み深く理解できない薄っぺらな精神未熟さがあると見ています…

また諸々の他力依存的な一面を多く持っているかもしれません。

また拘り執着し未練を持つことにも・思い残すことにもなっているはずです。

しかも欲張ることが正義の味方の勝ち組であり、欲張らないやつは負け組の不真面目なグータラ人間に思っているかもしれません。

ところが勝てば官軍負ければ賊軍の逆は真なりにして負けるが勝ち逃げるが勝ちとしているのですから理解不能となっているかもしれません。

ところがところが…欲張らない実践でもって世界が平和になるという国連平和賞ものです。
なのに何の反応もありません。
然るにお偉いさん方には不都合なのです。
だから正義の味方ではなくして闇意識のサタンなのです。

そのサタンの闇から抜け出す灯台が如くの役目をしているのがブログです。

ところが多くの人がサタン意識になっていますから道筋を示す灯台の明かりが見えていなのです。

また灯台の明かりが見えても一歩踏み出す自力自信精神力が弱くてあきらめているのかもしれません。

然るに自由平等調和が何たるかも真剣に理解できていないのかもしれません。

しかもストレスのない生活よりも変化刺激のストレスを味わっているほうが生き甲斐に思えている人が多いはずです。

然るに人生の終末である老後をなめているのです。

だから家族が赤ちゃんの世話をすることが皆の喜びなのに同じ家族の老人の世話をすることが皆の苦厄介なことにもなり…内心では早く死ねばいいのにと…思われもするのです。

となればお金財産を残すことよりも健康第一にしてストレスのない穏やかな精神にして生き続けるしか他に道はないのです。

なのにその老後さえも金儲けに走っている人が多いのも事実です。
…お金よりも健康が一番としりながらもお金に弱いのが人間です…
…それで本当に大丈夫ですかと…問い掛け続けているブログです…

だから文句があるならば…かかってこい!の気構えで書いています。
…しかし感情的なコメントになるとそのエネルギーが…感情的にならない私に届かずにして…跳ね返って・書いた本人が受ける仕組みがありますからご用心ください…

…夢も希望も見失ったのなら…

2018年06月24日 | Weblog
人間の感情ほど複雑怪奇なものはない…
だから自由平等調和になるはずもない。

それどころかストレスまみれになり健康を害します。
だから心穏やかな精神体でもって生きて行くしか他に道はない。

ちなみに好き嫌いの感情でもって選り好みしているからには満足と不満の矛盾する生き様になって当然ですし、
その不満が苛立ち不安心配や恐れ怒りにも変わっていきます。

また優しさ思いやりの人情愛情が豹変して裏の憎しみ憎悪となり、それがやきもち嫉妬の妬みや仕返し報復ともなり、
それがやけくそになる破壊意識ともなり他者破壊の殺人傷害にもまた自己破壊となって自殺や未遂や自傷行為ともなっています。

しかも食欲と性欲の本能があり、それに拘り執着することにもなり、それが未練を残すことにもなっています。

また防衛本能と攻撃本能の矛盾を持っているからには守るために戦うという矛盾行為となります。

また私は正しいの正義感をもっていますから気に入らないものを否定反発排除したがるし束縛制限支配することにもなっています。

しかもそれを自己主張し堅持したがることにもなっています。
そして賛同するものが集まることにもなっています。

…だから古今東西の時の人をボロカスに書いています…

また自己満足欲しさに頑張り無理し欲張ることにもなっていますから…数に限りがある有限の世界だけに…結果的に弱者を虐め奪うことにもなります。

しかも能力技能に長けたものが劣る弱者を支配する配下に置くピラミッド形式にもなっています。

然るに皆して欲張ることが当たり前になっているから強者が世間に目立ち弱者が下積みになるのも当然です。

だから勝ち組と負け組ともなっています。

しかも強者には人が集まるからそれが勢力や権力になって更にのさばれるが弱者には人が寄り付きませんから尚更に落ちていきます。

そんな強者が牛耳る国家社会や人間関係の中で弱者が心穏やかに暮らすなんて叶わぬ夢となります。

だったら…負けるが勝ち・逃げるが勝ちにして…逆は真なりの道を歩けばいいのです…それが欲張らない実践なのです。

ちなみに欲張らない人が増えて困るのはその上に立つ人なのです。
だから頑張れ欲張れと押し付けたり飴と鞭の使い分けでもって操ったりまた都合がいいように指導教育しているのです。

何はともあれ…夢も希望も見失ったのなら…逆は真なりにして…此れまでの自己拡大から自己縮小に方向転換すればその先行きが明かるくなるのです。

何たって頑張りさえすれば先行きが明るくなると指導教育されていたその思い込み洗脳に気付くから…今まで目先を覆っていた闇が消えて先行きが明るく見通せるようになるのです。

また闇に覆われた欲まみれの集合意識からしてそれが常識となっていたことに気付けば逆は真なりの非常識が人間本来の歩む道だと気付くことにもなります。

しかし闇に覆われている事実はなかなか消えませんから・世界中に蒔かれ植え付けられた種はなかなか除けませんから…世間一般では絶対的に通用しません。

…どんなに説明しても眉をしかめる人ばかりです…
…ブログを読んだだけでは理解できない人も多いはずです…

となれば…自覚認識できたものだけが先駆け先取り意識からして一歩一歩進んでいくしかありません。

そして事実にして欲張ることが次第に減ることで精神体が磨かれ高まり尚更の自信確信となって止まることなく実践が続きます。

ちなみに人間関係の矛盾偽善に疲れた人・欲張ることに疲れた人・欲張る能力の少ない人・負けるが勝ちの負け組に適したブログです。

飽きと欲とグータラ精神

2018年06月23日 | Weblog
人間は生きて行くことさえ面倒になるグータラな精神を持っています。

ところが自分が好きなこととなると頑張り欲張り精いっぱいやりたがります。

ところが好きなことをやり続けていても飽きてくる・飽き性なのも人間です。

だから新たな変化刺激を求めることにもなっています。

ちなみに好きな人と出会って、その出会いをわくわくしながら味わっているうちに、その出会うことだけでは満足できなくなり、やがて体を接し触れ合うことになり、その次にはセックス行為に至り、それも次第に濃厚になり、それさえも飽きてくれば新たな出会いを求めることにもなり、それが不倫とか浮気ともなるが、それも上手い具合になると(己がモテると思い込み)次々と繰り返すことにもなるし、時にはフラれることもあるが…相手が見る目のない愚かな人だと決めつけることにもなり…その自惚れ慢心自信でもって新たな出会い色恋を求め続けることにもなります。

然るに同じ繰り返しに飽きてくることで更に欲張ることにもなっているのです。

そしてキリもなく続き繰り返すことにもなるのです。

ちなみに食事も同じようなものでして空腹を満たすだけでよかったのが飽きてくるとそれ以上のものを欲しがります。

また趣味嗜好娯楽も同じようなものです。

ところが自然界の四季折々の楽しみ副産物は季節ごとの期間限定だけに飽きもせずに毎年繰り返すことができます。

私が思うに…好きな人との時たまの出会い逢瀬がワクワクドキドキとなり共に語り行動していることの喜び楽しさに満ちている…素直な裏心のない喜び楽しさを味わうだけの…その人間関係だけでも十分だと思います。

となれば…あの心躍るワクワクドキドキの逢瀬の思い・また会えることを胸にして日々を過ごせますし、拘り執着のない時たまの久しぶりであれば初心に戻った感覚にもなりますから自然界の如くに飽きもせずに逢瀬を楽しめます。

ちなみにその逢瀬に飽きてくれば当然ながら離れることになりますが…飽きてきたからには未練執着にはなりません。
例え一方が未練執着となっても…当の本人が未練執着となっていなければ苦悩することにもならず…相手にしなければ事無くやがて自然消滅していきます。
となれば当然ながら…思い込みの強い人・欲張り執着する人は避けたほうがよさそうです。

だから時たまの逢瀬では満足できずに不満となりそれ以上を望み求めると執着欲張りになりますから、その苦楽が伴いその人間関係がゆがめられ束縛制限・否定反発されたり押し付けられることになったりしてヘンテコになります。

となれば…心躍るワクワクドキドキを味わうだけのほうがヘンテコなことにもならずに済みますし、その逢瀬の中で互いが会話しているだけ・一緒にいるだけでも、また少し離れていても互いの目線がふと出会いそこで互いに微笑みが浮かぶことになれば…小さな幸せを味わう・至福を感じることになります。

すなわち特別な関係でもない中にちょっとした仕草や微笑みが心を豊かにしてくれて充実満足となるのです…ちなみに皆さんも経験済みだと思います。

だから拘り執着し欲張り続けて肉体的性欲や高まる感情で熱く激しく生きることよりも穏やかな精神でもって生きているほうが人生が楽なのです。

となると山あり谷ありの波乱万丈の生き様がめでられ憧れるのは間違いでして、そんな喜怒哀楽のストレスまみれの苦悩で生きて行くよりも…

人間本来のグータラにして楽に生きているほうが頑張り欲張り見栄張りして人と競い合い奪い合い諍い合うことのない自由平等の精神となり…

衣食住に恵まれ食って寝て糞をしながら生きているだけで十分となり…

それが地上の天国にも思える意識精神ともなるのです。

逃げるが勝ち・負けるが勝ちを奨励するブログ

2018年06月22日 | Weblog
自分のことなら何とかできる自力自信のある人でも…よそから降りかかる火の粉だけはどうしようもありません。

ちなみに降りかかる火の粉をよけても元を断たなければ次から次と降りかかってくるのがこの世人間界です。

何たって降りかかる火の粉が親方日の丸の政治経済が原因からして起きていることであり、その政治経済に関わっているからには火の粉を浴びて当然なのです。

ちなみに飴と鞭の使い分けからして召使奴隷が如くに扱われ無理やり押し付けられることもあるでしょうに…

しかも用なしになれば使い捨てが如くにゴミ箱に放り出されるのですから…

また矛盾偽善のある人間関係からして理不尽なことをされて困ったことにもなっているでしょうに…

しかも身近な同じ屋根の下で暮らしている家族関係でさえも何かと押し付けられて困惑しているでしょうに…

しかしその火の粉の元を断つことができないからには…避けてよける・逃げるしかありません。

ちなみに逃げるが勝ちにして火の粉の元から離れて暮らしているのが私です。

となれば…政治経済に関わって火の粉を浴びている様を対岸の火事が如くに冷ややかに見ることになります。

しかし政治経済に関わっていないだけに貧疎な生活になりますが、元を言えば・元々からして食って寝て糞をしながら生きているだけで十分なのが人間なのです。

しかもそんな時代が昭和の中期まで続いていたのです。

ところが高度経済成長からしていっぺんに様変わりして現在に至っています。

だから自然界が危機的状況環境になっています。

ちなみに化学合成洗剤や農薬でもって河川が汚染され魚が瀕死の状態になったときに欲張ることをそこで立ち止まっていれば…自然界の治癒力回復力によって元の状態に戻ることができたのです。

しかしそんなことをどったらこったらとわめきちらかし嘆いても何の解決にもなりません。

となれば…自分が何とか対処するしかありませんが…自力自信のある人ならば先ほど書いた逃げるが勝ちにして・孤独の自由にして・貧疎に生きて行けば・この世人間界のあり様が対岸の火事が如くにして安心安全・健全健康にしてすごし、その老後も同じような生活となることでしょう…

しかし他力依存的な人となると人間関係も重要ですから孤独の自由とならないばかりか、自力自信のある人まで巻き込んで我が身の保全を図らうとします。

ところが私の場合は薄情にも逃げるが勝ちにして火の粉を浴びなくなりました。

そうなると居残る妻も自力で何とかしますから、結果的には妻も自力自信でもって生きて行くことになるのですが、私と異なるのは心身の健康健全よりもお金が大事友達が大事とばかりに欲張っていることです。

ちなみに夫である私を大事に思わずにして自分を優先していることになりますから…どっちもどっちのお互い様なのです。

ちなみに…お互い様でもって共に許し合い、お陰様の関係でもって互いが感謝しながら共に暮らすのが人間本来の生き方なのです。

とは言っても…自分が優先なのは誰もが持つ個人意識からして当然なのです。

だからお互い様ではなく責任を押し付けることにもなるしお陰様で感謝することもなく更に押し付けてくるのです。

然るにそれが欲を超えた欲張りなのです。

だから逆に欲があっても欲張らなければ何の問題にもなりません。

ちなみにブログを読んだ人なら自覚認識できているはずです。

それでも今が大事と守り欲張り続けていれば…その報い・その罪滅ぼし・しっぺ返しが起きて当然なのです。

なのにそれさえも無視していれば当然ながら困ったことになります。

ちなみに疲れてごろ寝すれば何とか回復する若さを通り過ぎれば何かと疲労がたまり続けて足腰の症状が出てきます。

ただそれだけではありません…不満の精神的ストレスを吐き出すときに感情が高まり何をしでかすかわかりませんから…イエローカードを通り越したレッドカードとなります。
…感情はキリもなく高まるから危険なのです…

ちなみに些細な口喧嘩から暴力傷害沙汰になり殺人にも至るのです。

ところがそこまでいかなくても一触即発となる苛立ちを隠し持っているはずです。

ちなみにそんな状態で人間として生きていて何の価値があるのでしょう…か、

この際に自問自答してみればどうでしょう…か、

逃げるが勝ちとなりませんか…ね、

貧乏人の子沢山からして諸々の問題が起きる

2018年06月22日 | Weblog
貧乏人の子沢山という言葉があるように…貧乏人の楽しみである・快感快楽が味わえるセックスからして子供が増えているのは事実です。

然るに世界人口が増え続けているのもセックスが原因です。

しかも人間には性欲に限らず食欲もあり、また支配欲があり、それが攻撃本能や防衛本能にもなり、しかも金銭物欲・名誉欲・主張顕示欲まであります。

そんな人間がどんどん増えているのですからまっとうな人間界になるはずは絶対にありません!

ちなみに…性欲セックスの副産物が私たちなのです…

何はともあれ…豊かな自然界の中でアダムとイブだけなら何の問題もありませんが、どんどん人口が増えれば新天地を求めて移動する集団が出てきますが、それが世界中に広まっているのが現在です。

そして自然界が無茶苦茶になっています。

ちなみに国家統一となるまでは部族として集団化していた時代があります。
そして全国統一となる勢力争いがキリもなく続いてやっとこさ統一されるも更に世界統一を目指して世界戦争がはじまりました。

ところで貧乏人の子沢山からしてその口減らしに子供が身売りされたり丁稚奉公に出されました。
然るに奴隷制度と変わりません。

また身分制度もありましたが上のものが下をこき使う奴隷制度と似たようなものです。

ちなみに部族間の戦いに狩り出された多くの人は食うことさえもままならない貧乏人でした。

また中には自らが闘争に参加する勇者もいましたが、その勇者がリーダ核となって貧乏人を奴隷が如くにこき使い戦果をあげたり惨敗したりしますが、その犠牲者の多くは貧乏人でした。

また貧乏金欲しさからして肉体労働に前金でもって身売りし奴隷が如くに働かされることもありました。
また女性が身売りして召使や売春婦ともなりました。

ちなみに現在は奴隷制度が消えたかのようでも…国家政治経済の奴隷となっているのが私たちなのです。

然るにご主人様に使える召使が如くの奴隷になっているのです。

そしてそのご主人様の戦争に狩り出されるのも私たちです。

そのご主人様が…一部の輩が操る…国家政治経済なのです。

ところがそのご主人様に自らが進んで協力するものがそのリーダ格となって偉そうにするもしかし召使奴隷と変わりありません。

ところがそんな結果形ではなくして…どんな意識精神で生きているのかが問題なのです。

ちなみに奴隷としてこき使われていても…食うことさえもままならないよりも何とか食って寝て糞をしながら生きているだけでもありがたいと思えれば不満にもなりませんで天国にも思えるのです。

また逆に召使奴隷が如くにこき使っている上に立つ人が地獄が如くの思いで生きていることもあるのです。

ちなみに多くの人を動かす人も…もとは貧乏人の子沢山から始まり・持ち前の特別な能力技能からして飛びぬけただけですが…国家政治経済の召使奴隷に変わりはありません、立場が異なるだけです。

何はともあれ…新天地を目指すもの、部族間の争いになるのも、世界戦争になるのも、リーダ格になるのも、奴隷が如くになるのも、セックス依存が原因の貧乏人の子沢山がもたらした結果とも言えます。

然るに私たち人間が被害者であり加害者でもあります。

だから誰にも文句は言えません。

そこで国家政治経済の奴隷でこき使われることをやめにして単身過疎地でもって孤独の自由を味わっているのが私です。

しかし不完全意識にして矛盾偽善で生きている人間の性根は変わりません。

ただ人っ気のない過疎地でひとり暮らしていることで私自身の心身が救われているのは確かです。

ちなみに後期高齢者といえども性欲は残っています。
だから…宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれるようなことがあれば…いっぺんに様変わりするかもしれません。

ちなみに性欲は子孫繫栄のためなのでしょうか?
それとも精神修養・艱難辛苦の修業なのでしょうか?
単なる快感快楽なのでしょうか?

何はともあれ何事も…拘り執着しなければ大丈夫なのは確かです。

なのに多くの人は拘り執着していますから結果的には滅茶苦茶になるのです。