矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

こんなことで…まともな人間といえるでしょうか?

2016年10月31日 | Weblog
人間本来の感覚感性が巷の人為人工的な創作物によって影響されて本来の感覚感性を見失っています。

此れまでに何度も書いているだけに根掘り葉掘り書きませんから…詳しくは自問自答で導き出してください。

ちなみに自然が成り行きで造形したのではなくて・人間が創作したものだけに・特別になるだけに・普通ではない特別な感覚感情でもって良い悪い・好き嫌い・価値観で判断したがる。

その影響で人間本来の五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・感触)までが影響を受けて変化している。

ちなみに・・・
快適便利な建造物・備品 芸術 音楽・絵画・彫刻・造形 茶道・華道・書道 格闘技・スポーツ・冒険 装飾・看板・照明・ネオンサイン・電光板・店内放送・BGM 写真・動画・PC映像・ポケモンの類・洗脳的図形図案造形 遊具・遊園地・娯楽施設・レジャーランド・動物園・植物園・シーサイド 観光名所 衣装・身だしなみ・ファッション レシピ・グルメ・美食 医科学製品・人工栄養・着色・添加物 電子工学 船舶・車両・飛行機・ロケット・宇宙船 武器弾薬・核融合・核爆発
・・・とにかく自然界には無い特別なものすべてがあてはまります・・・  

特別だから特別な価値観になる。

特別な感覚が強まり普通の感覚が薄れる。

特別でなければ生きづらくなる。

普通では飽きてきて変化刺激・快感快楽を求める。

趣味嗜好娯楽・セックス依存になる。

依存症・リピート・麻薬中毒が如くになる。

あわただしい感覚になり落ち着きがなくなる。

一日の時間が短く感じる。

金銭の無駄・時間の浪費になる。

主張目立ちたがる。

自己拡大につながる。

穏やかな精神を見失う。

思い込み・自己陶酔・洗脳になる。

やけくそ・自己破壊・破滅につながる。

然るに=自然界=には無いことばかり。

とにかく自然界の一員である・自然界の頂点に立つ・自然界に多大な影響を及ぼし破壊・破滅させかねない・そんな人間が…こんなことで・まともに生きているといえるでしょうか???

とにかく自問自答して…違和感や疑問までも奥深く答えを導き出すことで…それが自覚認識・自力になります。
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欲と見栄からして偽善者になるから、その欲と見栄を捨てれば偽善から卒業できます…それが肝心要なのです。

2016年10月30日 | Weblog
人間として生まれたからには役割使命や運命めいたものを持っているし、それだけに人それぞれに性格個性・感覚感性が異なっているのも当たり前だと思います。

またそれだけに自分のことなら何とかなるが…
しかし…それが我が子と言えども・夫や妻でも・思うようにならないのが…当然なのです。

だから…どうしようもない…のです。

それを…此れではダメだ・何とかしようとしても…結果的には無駄になるだけなのです。

しかも尚更ダメになることも多いのです。

とにかく人それぞれに自由でなければ(絶対的に)性格個性・感覚感性を発揮できないし・思うがままの役割使命を果たせないのです。

だから不完全で矛盾偽善があるこの世人間関係に拘らずにして…孤独の自由にして独自独歩で生きていくことが重要になるのです。

ところが孤独だと何かと不都合なことがある事からして人が集まるわけですが、それが欲であり・人同士の見栄となるのです。

だから好き嫌いで職を選んだり人間関係を選んでいるのです。

然るに成り行き任せの自然体にはなれないのです。

またその欲の中に大きく占めているのが性欲本能です。

その性欲も感情とつながっているだけに、その相手となる人を好き嫌いの選り好みになるのも当然です。

ところがセックスが対象なのに・それを何かと美化したがるところからして、それを抽象的な愛だの愛情だの人情だの人間愛だの神の思し召しだのとして何やら特別なことのように祀り上げたのです。

然るに好き同士がセックスをしただけで一旦終わるのではなくして…善人面した偽善者がその関係を美化して関係が継続するようにと仕組んだのが婚姻結婚制度なのです。

然るに世界初の憲法と言われるモーセの十戒があてはまります。

とにかく万人が万人ではないのに…目の前にいる一部の人たちを見て…その好き勝手し放題に危機感を持った偽善者が…神の名のもとに人間の自由を束縛制限したのです。

然るにモーゼだけではなく釈迦やイエスらの類の物語の中にそれらが正しいように美化されて描かれているはずです。

だから同じく万人が万人不幸とは思っていないのに…私のように地上の天国が如くに思っているのもいるのに…此れではダメだ・何とかしなければと偽善者が立ち上がったことからして…尚更にヘンテコなことになったのです。

ちなみに偽善心からして…ほっとけなかったのです。

だからあれはダメこれはダメと教育指導しつけるようにもなり、それが束縛制限にもなったのです。

またそれが原因からして良からぬものは排除したがることになり、その最大が正義の維新革命・聖戦戦争なのです。

然るに良からぬものが及ぼす被害よりも…もっと大きな・もっと悲惨な結果になっている事実があります。

なのにその事実から目を背けているのです。
…あれは仕方がなかったとして…

ちなみに自由にしてほっとけば…元からして大悪人はいませんから・善の心も持っていますから…熱から冷めるように・自らが気付いて自らが修正できるのも人間の本能的能力であり、己からして気付くのが役割使命となっているのです。

…しかし持ち前の不信感からして…信用ならぬと勝手に決め込んでいるところがあります。
だから…辛抱強く「待つ」ことができないでいるのです。
…このことが肝心なのですが…焦って…早い結果を出したがるから…結果的にそれが大ごとにつながっているのです。

ちなみに…そうなるように善悪・矛盾を仕組んだのが…完全なる宇宙・神・愛意識ですから…当然ながらその矛盾偽善を誰もが学び知るように仕向けているのです。

なのに同じ思いの人が・自分に都合が良いから・周りから寄ってたかってはやし立てたり・祀り上げたり、また気に入らない者同士が集まり反対したりするから、その双方が入り混じり大ごとになっているのです。

何はともあれ…自らが自由になったことで…その自由の良さが実感事実にして味わえますから…むやみやたらと人様の自由を阻害することにはなりません。

また目の前に見えている一部の人でもって勝手に判断して…それが己の危機に感じて…それらから守るために闘う羽目になるのが→いかに愚かなことだと気付けば…そのほうが何事もなく穏やかにすむのです。

ところがそんなにうまい具合に行かなければ・それが己の性格からして無理でダメならば…そのダメな己から先んじてその場から逃げれば…その己が助かることにもなるのです。

然るに皆して赤信号を渡ることから独りして離れればいいのです。

ところがそれを邪魔しているのが己の欲であり見栄なのですから…人様の責任ではなくして…己に根本的な責任・自己責任があるのです。

そんなことが理解できる心意識精神になれば…人様から指摘されなくても・人様に頼らなくても…自ずと偽善者から卒業できるのです。

それが自力であり・それが自信であり・精神力なのです。
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この世は「意識の世界」だから…あなたの意識次第で<己の運命>を決めているようなものです。

2016年10月29日 | Weblog
このブログの内容からして…Ⅰページを読んだだけでも…この世に稀なる・逆も真なりの・常識外れ的なことからして…
しかも矛盾もなく・言い訳正当化したり装飾美化したこともなく・核心に迫る真実事実だけが書き連なっているのだから…
山ほど投稿されている文書を隅々まで読みたくなると…
書いている私の感覚からして言えば…それが当たり前の普通だと思えますが…
しかし事実にして・ごくわずかの人でしょう。

然るに愛読者登録するのも=自己ブログの宣伝を兼ねているようなもので…一度か二度程度で終わっているのが多いようです。

ちなみに平均して一日150人くらいですが時たまに200人を超える時もありますし、平均ページ数は300から500ページですが時たまに1000ページ近い時もありますが…
しかし日々投稿するのを…待ってました…が如くの人はごく限られています。

何はともあれ…このブログに来られることが必然のご縁だけに…無駄ではなかったはずです。

ただ自力自信の精神力が未熟からして=此れしか無い=と思えなかっただけのことです。

また理解力・読解力・精神力の関係からして…己の探している方向とは少しズレているのかもしれません。

しかしそれでも矛盾もなく真実事実の核心に迫るだけの内容だけに、読まれた端はしが断片的に潜在意識となって残るはずです。

ところがそうなると…必然ご縁ながらも…自らの中にある見栄や欲が原因からして…自らが自らを選び=己を「選ばれし者」として…自己縮小の実践となる…そのチャンスを見逃したことになります。

また己の中に見栄や欲があるのに…それだけの自力自信の精神力が無くて…巷の超能力・霊力・念力・手かざし等を成す輩の他力に頼る依存度が高いほど…
その意識が原因からして…己のウンコの後仕舞いも出来ないで…他力の介護に依存する立場・羽目に陥ったり、
または医術や薬剤などの他力に依存しなければ生きていけないような重病人になったり、
また認知症になって常に介護人の他力に依存する羽目になったりして、
生きていることが苦になるやもしれません。

すなわち己の意識が原因からして…その己の意識に似合ったその結果が出てきて当たり前なのです。

だから…この世は「意識の世界」(想念の世界)と言われているのです。

然るに…あなたの意識次第で…己の運命を決めているようなものです。

だから…それで宜しゅう御座いますか…と書き続けているのです。

そこで参考のために書き添えますが・・・
何でも知りたがる・やりたがる性格個性・意識からして目新しい新モノ食いになり、巷の第一次ブームの先駆けばかりしてきましたし、それが縁で目新しい宇宙エネルギーに熱中し、それが縁で宇宙的な愛でもって霊界を修正している目新しい愛の霊能者につながり、それが縁で世界初の完全真理にご縁があり、そこで自己縮小の実践が説かれた頃には…

すでに私が過疎地でもって自己縮小の実践を先駆けていました。

然るにこのブログも宇宙・神・愛意識の仕組みを…誰よりも先駆けて根掘り葉掘り書き記しています。
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哀れ気の毒や可哀想と思う優しい心が・・・優れた精神・・・ではなくして劣る未熟な精神になります。

2016年10月29日 | Weblog
後期高齢者の私が家族や世間のしがらみから離れて孤独の自由を味わい、しかも自己縮小にして見栄も欲も捨てて貧乏丸出しを楽しんでいるし、突然死や孤独死・無縁死を望んでいるところがあり、しかも献体登録しているから葬儀法要仏壇お墓は不要と伝えているのですが…

そんな事実を知らない人が…私の生き様を傍から見て…
誰も身近な家族もいない、家族から見放されている、哀れ気の毒な独居老人に思う人がいるかもしれません。

また野良作業の汚れが染みついているし、田んぼの中のカカシよりも見劣りがするヨレヨレの衣服を着ているし、髪はボサボサでひげも剃らずにして、街中のホームレスよりも哀れげな格好を見て…可哀想な老人と見ているかも知れません。

そしてそれを貧困差別に思って…国家社会の責任に思ったり、皆して何とかしてあげなければと思ったり、また信じる神様仏様にそんな己の思いを祈り願い捧げたりする人がいるかもしれません。

と言うように人様の生き様を端的に見て哀れ可哀想とか気の毒だと思うことが優しい精神であり・人情愛情豊かな・善なる心として…そんな私は正しい心を持っているとして自覚認識してそれが自惚れ慢心になる人もいることでしょう。

然るに貧困差別に思えた人の中にその貧困差別が事実が如くに見えているだけなのです。

然るに心精神力が優れているのではなくして…事実を見ることができないで己の思いが先立っている未熟な精神になるのです。

しかも己が勝手に思い込み…此れではダメだと不満に思ったり、何とかしなければと欲を出すことは…己の思いですから…その先立つ己の思いを成すための行動になるから=人のためではなくして自分のために成す偽善になるのです。

また「原因と結果」は同じです。

然るに完全なる神から完全なる神が生まれるが、不完全な人間から完全なる神は絶対に生まれませんし、また人間が神意識になるなんて絶対に無理なのです。

とにかく人間から人間が生まれるから完全であって、人間からサルが生まれると不完全になるのです。

だから良い悪いで判断する矛盾意識が原因からして成した結果も同じ良い悪いの矛盾結果が出るのが当たり前なのです。

だから良かれと思ってしたことが悪いことになったりしているのです。

また「原因と結果」が同じだけに…神がかり超能力からして病気が改善されたとしても結果ですから、その病気の元となった原因意識は何ら変わりませんから…見える結果が一時的に変化しただけですから、しばらくすると・時間と共に元に戻ることにもなります。

とにかく原因である意識を変えない限り同じ結果の繰り返しが続くだけで終わるのです。

然るに自己満足と不平不満の苦楽と矛盾偽善の繰り返し積み重ねが続くだけです。

そこで…此れではダメだ何とかしたいところですが…
しかし良い悪いで判断する矛盾意識と自分さえ良ければの個人意識は生まれ持ったものだけに…どうしようもないのです。

然るに何をやっても矛盾偽善になり余計なこと無駄なことになるのです。

だから此れまでの自己拡大の生き様から自己縮小の実践にして…頑張らないで欲張らないで見栄張らないで、無理しないで楽ちんでもって生きていくしか他に道はありません。

そして自己拡大から自己縮小を味わうことになったことからして、この世人間関係の矛盾偽善に満ちた生き様に気付くことになり、さらに自己縮小が進むことにもなるのです。

そして衣食住に恵まれた生活からして…地上の天国…にも思えるのです。

また自他共に不満とか不幸とか思うのは意識精神が未熟だからと気付き、また現れ出ている事実だけを見てそれが気にならなくなれば(執着にならなければ)それだけ精神力が高まったことにもなるのです。

とにかく「此れではダメだ、何とかしなければ」と思わなくなれば(執着しなければ)日々平然と自力自信の精神力にして心静かに生きていくことになるのです。
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捨てる神あれば拾う神あり=捨てることで・救われる=それが自己縮小です。

2016年10月28日 | Weblog
この世人間関係は=学び合う=関係です。

だからホームレスも釈迦も同じなのです。

然るに公平・平等が言われているのです。

そして何を学ぶかとなれば=裏表の矛盾=です。

然るに現在の自己拡大から自己縮小に至ればすべての矛盾が明らかになるのです。

だから人生の集大成となる老後と死に至る間の自己縮小でもって(暇でもって)人生を省みることになるのです。

ところが拘り未練執着している人は…やり残した感があり…来世でも同じ繰り返しになるようです。

然るに何かを「極めて」いたような人ほど何度も繰り返すことにもなるのです。

然るに釈迦やイエスの類だったリ、自らが公表している伊勢白山道なる人も、また音楽・絵画・工芸なる類の天才とか発明家や冒険家や医科学関連や政治経済関連や茶道や華道や歌謡界や俳優タレント関係で有名になった人が当てはまります。

そんな中にも宇宙飛行士が自然関係に係ることになったり、また各界を途中半ばに勇退・引退して自ずと素朴謙虚になったり、また山口百恵のように普通に戻る人もいます。

また何かのキッカケで孤独の自由になり、それが自己縮小につながる人もいると思います。

とにかく人それぞれに役割使命を果たしながらも学び続けているのは間違いありませんが、そんな中でこの世人間関係の矛盾に気付いた人も大勢いるはずです。

そして中には…此れではダメだ何とかしなければと…此れまでの生き方を変えて宗教にはまったり善行奉仕援助救済に係ったりする人もいるでしょう。

また私のように時代の先端ばかり先駆けていたのが縁からして60代にしてその逆な生き方に変わる場合もあると思います。

そして皆さんにとって何でもないようなことが…私には喜び楽しさに変わるのです。

然るに自己拡大であれ縮小であれども喜び楽しさは同じなのですが…質素ほど金銭出費が少なくて暮らしが楽になるのです。

また大きなことばかりだと更に上を望みますが、小さなことで満足していると大きなことが無くても平然としていられるのです。

とにかく…生きている限りにおいて…この世の矛盾を味わい気付くことからして、その心意識精神も様変わりするのです。

だから自らが死を選ぶ自殺となれば…その意識精神・執着心からして…己が死んでいることが自覚できないままに幽体となってさ迷うと言われています。

またこの世人間関係は「お陰様とお互い様」の関係と言われる中にも…前世・過去性でも良いことも悪いこともしているから誰も皆がお互い様となるのです。

だから今の世で犯罪の被害に遭ったとしても過去性からしてお互い様になるのだから相手を憎しみ恨むこともないのです。

しかもその方が執着心にならないから…己の精神が助かるのです。

なのに加害者に厳罰を下すように訴えることで(執着心で)己の精神がいつまでも窮することにもなっているのです。

ちなみに被害者意識を持たないで簡単に許せるだけの精神力があれば…その意識からして大事に巻き込まれないような仕組みがあるように…私は思っています。

然るにそれが…捨てる神あれば拾う神あり=捨てることで・救われる…例えにもなります。

とにかくこの世は「意識の世界」ですから、その意識の在り方が肝要なのです。
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簡単なようで簡単ではない…難しそうで簡単なのが…自己縮小です。

2016年10月28日 | Weblog
簡単なようで簡単ではない…難しそうで簡単なのが…自己縮小です。

ちなみに私が自己縮小になったのは仕組まれたからとなっていますが…それは後日談でして(後付け)…遊び半分の別荘感覚から始まったことです。

またその別荘感覚のこの地にご縁があったのも…その当時はまさか仕組まれていたとはちっとも思っていませんでしたから後日談になります。

ただその遊び半分がいつの間にやら本物になったその中に…妻との歯車が大きく狂い別室で寝るように仕向けられいましたから…そのやるせなさ・虚しさが含まれていただけのことです。

また妻のほうも…あんたに何で一人暮らしができるものか・三日坊主で終わるくせにと…タカをくくっていたこともあります。

ただその三日坊主で終わるはずが…やりだしたら面白くも楽しくもなったから…また妻とのぎくしゃくした関係も手伝って…そこで思い切ってビデオ業を自主廃業してまでこの地に移り住むことになったのです。

だから妻にもその責任の一端があると自覚していたから…あまり強く反対できなかったのです。
またそれでも私が一人暮らしに懲り懲りして泣きついて帰ってくるとタカをくくっていたのがいまだに続いて・16年経過しているのです。

そして移住した二年後あたりに嫁いだ娘の縁からして完全真理にご縁があり、そして自己縮小の実践が説かれ、それが水を得た魚の如くの自信となってから…やっとこさ気付き…これまで全部仕組まれていたことだとなった次第ですから…すべては後日談の後付けなのです。

だから単なる「お試し」から始まったことが…結果的には仕組まれたことになっただけの話です。
それもこのブログを書くために仕組まれたことなのです。

だから精神世界も霊魂の世界も完全真理もへったくれもない…全く無関係の…成り行きからして成るようになっただけなのです。

ただその成り行きの中に・成り行きだけに…此れではダメだ何とかしなければ…の欲や見栄が絡んでいなかったから…次から次と仕組まれ続けたのは間違いありません。

だから見栄や欲が絡んでいれば横道外道に進んでいたのも間違いありません。

然るに皆さんも見栄や欲を捨てて生活していれば必然ご縁のお仕組みに関係なく自ずと自己縮小になっていきます。

それがこの世の仕組みなのです。

だから難しいようで簡単なのです。
ただ実践するか否かの選択が掛かっているだけです。

然るに巷の精神世界・神仏霊魂・超能力・霊力・念力・スピリチュアルなどの他力に関係なく、また必然ご縁の仕組みに関係なく、己の自力自信の精神力・意識次第なのです。

だから複雑に考える必要もないのです。

また人様の思いにも関係なく…自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって自己縮小の実践をするだけのことです。

ちなみに参考までに書きますが・・・私の妻は「亭主元気で留守がいい」とばかりにパートに精出しながらも私同様に孤独の自由を大いに味わっています。

ただ私と違うのは…此れではダメだ何とかしなければと…元気に頑張っていることです。

たぶん…先々のことを考えてのことだと思いますが…私は先のことも成り行きに任せています。

そして…居残る妻や娘夫婦に迷惑をかけないための生き方をただいま実践中なのです。
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人間の研ぎ澄まされた鋭い感覚・五感・感情は進化ならぬ後退となり「人間やめますか」となる。

2016年10月27日 | Weblog
私が自然に囲まれた過疎地で静かに生活するようになって気付いた中にあるのが人為人工的な諸々に違和感が出ていることです。

ちなみに自然界の中に高級住宅があるよりも古びた藁ぶき屋根や丸太小屋がある方が似つかわしいようにです。
それをもっと突き詰めれば人工物が全くない方が自然界に似つかわしいことです。
もっと突き詰めれば…この世に人間がいるのがお邪魔虫なのです。

ところで人間には五感(味覚・聴覚・視覚・嗅覚・感触)があります。

ちなみに味覚が鋭くなったことの…その裏に…好き嫌いの選り好みが強くなりました。
然るに私は味覚(好き嫌い)に拘りませんから…自らがおいしいものを求め欲しがることにはなりません。

また人工的な音が雑音となって…聴覚が鈍くなっているのは確かです。
然るに私は街中の騒音やショッピングセンターのBGM・アナウンスが耳障りで何やら疲れるようになりました。

また音楽関係は自らが聞く気・聞く耳・歌う気もありませんし、騒々しいカラオケでどんなに楽しそうにしていても…何だか変です。

また人工的な光にあふれていることからして…視覚が衰えています。
ちなみに生まれた時から山奥で暮らしていた老人で部屋も暗くテレビもあまり見なかった人は…驚くほど遠くが鮮明に見えているようです。

また人工的な匂いにあふれていることからして…嗅覚も落ちています。
然るに野山に自生している草花の匂いを嗅ぐために自らの鼻を近づけることになります。

また人工的な感触が多くなったことからして…自然界の感触に触れることが少なくなりました。
ちなみに私は屋内でいるよりも野外でいることが多くなりました。

とにかく大昔の人ほど暗闇でもよく見えていたし、静寂と聴覚、淡い匂いを嗅ぎ付ける嗅覚、素肌素足の感触からして、暗闇や夜道も安心安全に歩いていたと思います。

ところで=人を好きになる=感情ほ素晴らしいと思います。

ところが裏が出るとそれが恐ろしいほどの憎悪に変わります。

だから感情ほど=厄介な=代物は他にはありません。

何たって人殺しや戦争にもなるのですから…

然るに過去で好きだった人を殺傷することにもなるのですから…

然るに人間ほど恐ろしい動物はいません。

ところが私はあまり感情的・衝動的にならないタイプですから…我ながら薄情にも思えています。

なのに何故か人情ものテレビ・ドラマで感動の涙にあふれています。
然るにそれが人為的に企画演出構成されているからです。
だから殆どが記憶にも残りません。

とにかく感情的になりませんから…それだけに人様や身近な家族の感情に戸惑って・手こずって・どうしようもないとなり…然るにほっとくしかありません。

ところが双方お互いが感情的になったら…先に書いたような…恐ろしい結末になるかもしれません。

だから私の存在は…安全パイや消火器のような役目役割にもなっています。

然るに恋愛結婚を素晴らしいと思うのも確かなことですが…その熱が冷めたら…その分だけ虚しくもなるのです。
そして自由がなくなることも併せて孤独感になる人が増えてもいます。

とにかく人間界の文化文明は進化するも人間中身の五感が衰退していますし、好き嫌いの感情や選り好みが高まることからして…
その分だけより刺激的でより感動的なものを欲しがり続ける結果になり…そこで生きていることの価値を見失い…
生きてはいるが・自然界の一員らしくもない・人間らしくもない生き様になり…
いつの日か「人間やめますか」となるかもしれません。

とにかく自然界のことをそっちのけにして・わがもの顔で生きていることからして・自然界が何のために存在しているのか・その価値を見失っているのは確かです。
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10次元20次元と切りがなく続いているのが…三次元の人間では見えない=見えない宇宙=です。

2016年10月27日 | Weblog

私には摩訶不思議な超能力・霊力・念力・手かざしの類はまったくありません。

ところが私がこのブログを書くようになった経緯の中に…神懸かり奇跡ともいえる必然ご縁が連続で仕組まれ続けて…
まさに宇宙・神・愛の仕組み・宇宙の流れの一本レールに乗ったが如くにして(横道にそれることなく)進んできたことは何度も書いています。

と言うことは…私が人様のためになるような摩訶不思議な所業はできないが…しかし私のためになる摩訶不思議な所業・必然ご縁が起きたことからして…このブログが書けています。

しかも自己縮小でもって暇している関係からしても…このブログを書くために…仕組まれたことになります。

とは言っても…幼い頃から50代後半までは遊ぶことが大好きな私だけに学業学識知識常識に疎く…何とか読み書きソロバンができるだけでも大したものです。

しかも常識や伝統風習や礼儀作法や道徳なんかは私には関係ないとばかりにうわの空でしたから、まして精神世界や宗教のことを書くなんてのは=畑違い=の人間だったことは確かです。

また奇跡とか超能力やUFOの類はインチキ・まぼろし・錯覚勘違い・思い込み・洗脳が如くに思っていましたが、それらを事実にして見たことからして不信感が消えました。

しかも謎の発光体が8年連続して一定期間現れ、それが次第に私の足元や手の届く位置まで来ることからして…光った時に見えるが消えれば見えなくなる透明体だとわかりました。

何はともあれ…このブログに書いている内容は…前もって学び知り知識となったことよりも…必然ご縁で仕組まれた中で居たことからして…そこで初めて知った言葉・内容が多いわけですし、それが何故かすんなりと私の中に入ってきたのも不思議なくらいです。

またそれだけにこのブログに書いている端的な言葉…例えば…人が集まるところに欲が渦巻いている…人集め金集めの客寄せパンダ…ウンコにハエがたかるが如くに超能力に人がたかる…超能力があれば教祖になれる…自由を束縛する絆は手綱になる…被害者が同じ被害者を作り続ける仕組み…趣味嗜好娯楽は人生の付録・オマケ…趣味嗜好娯楽から=卒業する…

最近では…個人意識は恥ではない…地上の天国…善人面して悪と戦えばその時点からして極悪非道の所業になる…

また先人の言葉に私なりの付箋をつけてさらに強調することもありますし、その対象を拡大しているのもたくさんあります。
それが…大は小から…皆して赤信号を渡る…墓穴を掘る・井の中の蛙・同じ穴の狢・ミイラ取りがミイラになる・不完全意識・矛盾・偽善関係…お互い様・お陰様の関係でみられます。

何はともあれブログを書きながらにして…ふと気づき…それが次第に自信確信になりながらにして私自身が成長しているのも確かなことです。

だから…私の精神の中にある事を書いているのだが…しかし私だけの力ではないと感じているのです。

またそう感じる中に別件であるのが…私にわざわざ見せに来ているような感覚がする…数々の超常現象・異次元やUFO・謎の発光体でもあります。

またこの地に来ることになった経緯の中にも数年間に及ぶ数々の偶然が重なりあっての結果であり、しかもこの地に来た日がこれまた数年間に及ぶ数々の偶然が重なっていたというオマケまでついていますから(合計すれば10件を超えますから)これほどまで見事完璧に仕組まれるなんてことは…ただ事ではない!…まさに神業でなければ何なのよ…と確信する次第にもなりました。

然るに如何なる超能力者であっても…およそ10年間に及ぶ期間の中に…あれもこれも・あっちもこっちもと…あらゆるところに・前もって数々の奇跡的なこと・お膳立てをしっかり仕組んでおくなんてことは…絶対・絶対・絶対に無理なことです。

またそれ以前の…若かりし頃から時代の先端ばかり先駆けていて…それが結果的に最新鋭のビデオ撮影制作につながり、そのビデオが縁からして見ず知らずの何の縁もゆかりもない県外の山奥の過疎地のこの地にご縁がつながったことも付け加えておきます。

何はともあれ上記の事柄は…20年前から言われている宇宙の夜明け・地球維新なる次元上昇のために…宇宙エネルギーがどんどん高まっている…その事実として受け止めることができています。

また恐竜時代が終わった宇宙の仕組み・法則があるように…始まり終わる仕組みがあるのも事実ですから…人間界がこのままにずーっと推移することは絶対的に考えられません。

とにかく信じるか否かを通り越した異次元世界があるのは確かです。

しかも10次元20次元と切りもなく続くとも言われています。

然るにそれが3次元の人間では見ることができない=見えない宇宙=です。
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特別大好き人間は…宇宙進化にそぐわない意識からして…地球から弾き飛ばされるかもしれません。

2016年10月26日 | Weblog

巷の精神世界・神仏霊魂・スピリチュアル・超能力などに関わる人でブログを書く人の中には…己の特別な能力の宣伝まがいが多く見受けられます。
そして特別なだけに訪れる人で賑わっています。

然るにそれらブログに訪れる人は…自分では成せない特別欲しさの他力依存的な人が多いという裏返しになります。

だから己の特別な力量能力を与えようとしている特別意識の人と、その特別な他力を信じて頼り授かろうとしている精神力の弱い人との集まりが如くになっているのです。

すなわち弱い人が強い人を信じて頼っている信頼関係と特別な関係になっていますが、双方ともに偽善関係なのです。

それと宇宙の法則・自然の法則・摂理とやらで摩訶不思議な不確かなこと・事実ではないことを…如何にも確かなことのように書いて己の思いを宣伝誇張して得意になっている場合があります。

何はともあれ普通ではなくして特別なのです。
だから魅せられて人が多く集まるのです。

ところがこのブログは不確かなことや信じるか否かの矛盾もなく、また特別な授受関係もなく、己一人の自力(理解力・実践力)が基本になっています。

そして大は小から始まる原理原則からしてその原因となる些細なことを根掘り葉掘り書いています。

然るに日々の生活の中にある当たり前の事が主体になっていますから特別なことがありません。

そして実践してこその価値がある実践真理ですから…己一人の力量・自力で実践していくしか他にありません。

だから欲や見栄にまみれた不純で邪な関係者が仲立ちに入ることができません。

しかも特別ではない自己縮小の実践ですから…東西南北の老若男女の誰も皆が公平にして…普通に実践できます。

しかも施し成す授受関係もまったくないし、しかも人が集まるところには不満と欲が渦巻いているとして書いているからには…皆して集まる事にもなりません。

だから金銭授受や時間の浪費にはなりません。

とにかく原因と結果が離れていないだけに…また大は小から始まるだけに…然るに小さな原因を突き詰めたこのブログの真理からして…
諸悪の根源が不満にある事やストレスが原因からして万病となっている事実を自覚納得することが無ければ自己縮小の実践には至らないでしょう。

しかも自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって他の人とはお構いなしに独自独歩の自己縮小になることは世間一般からしては許しがたいことにもなるでしょう…
しかしそれが不完全なこの世人間関係の矛盾偽善から離れられる道筋であり、その自己縮小の実践にして生きていくことが…人間の定め・運命・役割使命だなんて思えないことでしょう…

そんな稀なるブログだけに…それが嘘偽りのない真実事実であっても…なかなか理解納得確信とはならないでしょう。

そして結果的には巷の有事や真坂の有事や天変地異に遭遇して…致し方なく自己縮小の憂き目にあうことでしょう。

また誰も皆が公平にして致し方なかく自己縮小となる老後とその死に様が待っています。

ところがそれでも性懲りなしに…己の思い・好き嫌い・良い悪いで判断して頑張り欲張り見栄張りして生きている人間だけは…宇宙・神・愛の仕組みからしても…どうしようもない人になります。

だから天地創造・全知全能の宇宙・神・愛の仕組み…宇宙の進化から弾き飛ばされて…人間をやめるしかありません。

だから生きていくために絶対な自然界を意識した素朴謙虚にして小さく生きる自己縮小の実践が必要になるのです。
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赤信号を渡る仲間を増やすのか、その仲間から離れて独り歩きするのか、その選択で人生が決まったも同然です。

2016年10月26日 | Weblog

凡人であっても三人集まって考えれば、すばらしい知恵が出るものだというたとえ=三人寄れば文殊の知恵=なる故事ことわざがあります。
だから人が集まりたがるところがあります。

また戦国の武将が…一本(一人)の矢ではすぐに折れるが三本(三人兄弟)集まれば強力になるという…三本の矢…なるたとえもあります。
然るに人が集まれば強くもなれるのです。

だから古今東西の歴史を(良くも悪くも)揺るがした歴代の有名人も多くの人を集めた結果です。

ちなみに人が集まらなければ有名にはなれませんし一人芝居や一人相撲では歴史を揺るがすほどのことはできません。

だから過去の釈迦やイエスらが人を集めずにして己一人で動いていれば歴史にその名が残ることはありません。

ところが先ほどの三本の矢・三兄弟が如くに力を合わせたことからして強力になれば(逃げるよりも)敵対する勢力と闘う結果になったのは間違いありません。

然るに人が殺し合う戦闘・戦争になって大勢の人が巻き込まれ困ったことになったのも間違いありません。

だから結果的には人殺し戦争をするために三兄弟が集まったことになります。

ところが一本の矢・一人なら…歴史を揺るがすほどのことにはならないでしょう。

まして強い相手と戦闘となると逃げるが勝ちとなるのは当たり前になります。

またそれが武将同士の一騎打ちなら大勢の人たちを巻き込んだ戦にはなりません。

またヒトラー一人の独り舞台や独り相撲なら大した影響もありません。

ちなみに会社職場に不満があっても一人なら大したことにはなりませんが…同じ思いの人が集まれば力強くもなり抗議行動や抵抗運動ストライキ(加害者側)にもなります。

また会社職場で満足し合うものが集まれば互いの比較競争があり、それに勝った者だけが上に立つことができるが負けた者は弾き飛ばされることにもなります。

だから弱い者は最初から逃げていれば余計な苦労をしなくて済むのです。

また企業戦争もありますから、その加害者になったり、また被害者になったり、その被害者を作り続けることにもなるかもしれません。

とにかく人が集まったことからして心強くもなり、それが勢力にもなります。

しかしそうなると勢力間のいざこざが起きたり、また同じ不満分子や同士が集まることからしてそれが骨肉の争い・同士討ち・民族同士の乱や一揆や維新革命にもなるのです。

ちなみに…守るための闘いが…同士討ちになったり維新革命や世界戦争にもなっているのです。

しかも…双方の親分安泰でもって…その双方の子分や駆け出しが弾除けの盾になったり、あまり関係のなかった一般平民がその巻き添えで多く死傷したり大きな被害になったりしているのです。

そして今尚その戦争と平和の矛盾の繰り返しが続いているのです。

だから能力力量が少ない凡人は(愛情も人情も義理も見栄も捨てて)親分をほっといて…逃げるが勝ち…と書いているのがこのブログです。

然るに(働いたら負けが如くに)国家体制の恩恵を受けながらも…戦争や維新革命や内戦となれば…自分の都合が悪くなれば…国家体制の犠牲(鉄砲玉や盾)にならずにして…これまた逃げるが勝ちなのです。

何たって国家体制を操っている者が(武士の魂とか誇りとか正義とかの)見栄や欲からして勝手に起こしたことだから…その被害者にならずにいて山奥や海外に逃げるほうが賢い選択になるばかりか、その被害者になった者が働き動くことでまた新たな被害者を作らずに済むのです。

また国家体制を操る者が失敗してその国家体制が困ったことになれば…それを平民国民に押し付けることばかりしているのだから…逃げて当然なのです。

ところが逃げずに頑張り続けられる人は…その居場所が自分に都合が良くて気分がいいからですし、またプライドからして逃げだせないでいるだけかもしれませんし、または逃げているものを弱者と見立て卑下し、とどまっている己を誇りに思い偉そうに見せたがる見栄もあるでしょう。

とにかく過去の戦国時代も現在の国家政治経済体制も何ら変わっていないのです。

然るに国家国民のためと言いながらも時の支配者の都合で時代や国家体制が動いているようなものなのです。

だからいつの間にやら戦闘戦争になり、それがいつしか国家総動員が如くに駆り出せれていたのが昔であり、その歯車が回り続けているのが現在でもあるのです。

とにかく国家体制は勿論のこと身近な人さえもどうしようもない事実があるのです。

また此れではダメだ何とかしなければと人が集まるところにはその不満と見栄や欲が渦巻いているもの事実です。

だから一人芝居・一人相撲が如くに…個人意識丸出しの独自独歩に生きているほうが大ごとにならないのは確かなことなのです。

然るに身近な人たちを巻き込まないで済むのです

とにかく皆して赤信号を渡る仲間を増やすのは難しくもないが、それが自己縮小となると家族皆一緒には無理があるのです。

ちなみに天地創造の映画のように…神の意志に従う契約を果たすために一人息子を血祭りできるような覚悟が無ければ神との契りから弾き飛ばされる…とまでいかなくても…
何らかの覚悟意志=自力自信の精神力=がなければ…何でうまい具合に事が進むでしょうか…多分途中で挫折することになると思います。
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