私が宇宙エネルギーや精神世界の事に次々とご縁・必然があって、(それが原因で)私が家族との人間関係や仕事に関わる人間関係や地域社会や医科学や政治経済教育に関わる人間関係などの裏表(矛盾や妥協)に疑問を持ち出したことから、やがて意識に変化が起きてきました。
そして・・・いつの間にやら(無理も無く)過疎地での年金独り暮らしをする立場状況になっていたのですが・・・その田舎暮らしを始めてから一年後あたりに完全真理を知る事になりましたが・・・その完全真理によって今までの様々な疑問や矛盾が一気に解決して、その納得確信できたことをこのブログに書いています。
その中にあるのが・・・自らが家族や世間やの「しがらみ」(束縛制限支配の形)から離れたことで、如何に見栄や世間体といった人間関係に無駄なエネルギーを費やしていたことにも気付くことが出来ました。
そして大した金銭物質が無くても、それでも自分の思い通りの自由に生きるすべを自らの自力・精神力・意識力を磨くことで確保し・・・その自力で出来る自由な生き方を実際に実践しています。
だから・・・自分に似合う自由があれば不平不満を持たなくてすむことを書き、不平不満が無ければ不安心配・恐れ怒りさえも出てこなくなり、それがこの先の病気や寝たきりや死に対する将来の不安や恐れから死後のことまで気にならなくなることを書きました。
そして・・・如何なる生き様を見せていようとも・・・生活の安定安心と心の安心安定につながる事になるとも書いてきました。
そんな私を人様が見て・・・それを哀れ気の毒に思われようが、寂しい人生に思われようが、家族と離れた無縁生活や世捨て人に思われようが、自分勝手な無責任に思われようが・・・その事と私の意識とは無関係ですからまったく気になりません。
また家族に何か困ったことが起きても、その困ったことを私が解決することには無理があることを知っているからこそ、やたらと下手な手出しをしないで静かに見守るだけになります。
例えば・・・金銭で困ったことに手助けしても・・・それが一時的な解決になっても、その困ったことになった原因の意識が消えてない限り「焼け石に水」になりますから、また新たな問題・困ったことが再発・起こる事実を知っているからです。
また・・・私のアドバイス・助言・口出しに効き目があっても、相手がそれを実践しなければ意味がありませんが、もしも私の助言を実践出来るような人ならば、私が助言するそれ以前から既に実践しているはずです。
だから私に人情があっても「人情は人の為にならず」のことわざのように・・・その人情を使って解決を図れば、それが結果的に本人の依存心・我欲・甘えが通用した事になり、自力で何とかして成すチャンスを怠る結果になることから言えば、それが本人の為にはならないことを知っているからです。
すなわち・・・自らに(金銭的であれ精神的であれ)困ったことになる原因が自らの意識にある事に気付かない限り・・・名言助言の文句を加えて人情で手助けしてもその場だけの一時的な解決になるだけです。
だから・・・そう言う私自身も・・・安易に他力・人情に求めることよりも、その助けを求めなくてすむようになるだけの自力・意識力を磨き・・・その自力を活用しながら・・・(人情・愛情の他力や金銭物質的な他力にあまり束縛制限支配されない形の)自由に生きる生き方を選んだわけです。
そして・・・その自力だけではどうしようもない困ったことになっても・・・それが病気や寝たきりや死につながることであっても、それは自らが招いた自己責任の結果ですから、それを悔い改めることがあっても後悔はしませんから・・・後悔してもあとの祭りですから・・・その自己責任を果たすべく更に自力・意識力を磨くためにも、安易に家族の手助け介護を求め欲して家族を巻き込むことがないように心がけています・・・だからどんな状態状況であっても、出来る限りの自力を使って生きる覚悟が出来ています。
だからそれが・・・私の家族に対する思いであり、私が望む生き方でもあるのです。
だから・・・世間で言う無縁社会も孤独もその孤独死も私が望む形なのです。
しかも・・・そのお手本となる・・・(身体の障害があって要介護が必要なのに)他県に住む息子夫婦の誘いを断り、ヘルパーの手助けだけで15年以上独り暮らしをしているご老人が実在でご近所にいますから・・・こうして私も心強く書けるのです。
★・・・その原因・意識にあるのが・・・★
今のこの世の不完全な人間関係・社会関係に依存して、その中の矛盾・裏表に思い悩み迷う苦悩や人間関係の気苦労気疲れで生きることよりも、その間違った集合意識の中でそれらを「気に」することなく、自分らしく自由に生きて、その自分の自力で出来ることを実際に実践しながら・・・完全真理で言われる神の愛意識・真実の愛意識と言われるものを学び知ることを意識していることです。
そして・・・いつの間にやら(無理も無く)過疎地での年金独り暮らしをする立場状況になっていたのですが・・・その田舎暮らしを始めてから一年後あたりに完全真理を知る事になりましたが・・・その完全真理によって今までの様々な疑問や矛盾が一気に解決して、その納得確信できたことをこのブログに書いています。
その中にあるのが・・・自らが家族や世間やの「しがらみ」(束縛制限支配の形)から離れたことで、如何に見栄や世間体といった人間関係に無駄なエネルギーを費やしていたことにも気付くことが出来ました。
そして大した金銭物質が無くても、それでも自分の思い通りの自由に生きるすべを自らの自力・精神力・意識力を磨くことで確保し・・・その自力で出来る自由な生き方を実際に実践しています。
だから・・・自分に似合う自由があれば不平不満を持たなくてすむことを書き、不平不満が無ければ不安心配・恐れ怒りさえも出てこなくなり、それがこの先の病気や寝たきりや死に対する将来の不安や恐れから死後のことまで気にならなくなることを書きました。
そして・・・如何なる生き様を見せていようとも・・・生活の安定安心と心の安心安定につながる事になるとも書いてきました。
そんな私を人様が見て・・・それを哀れ気の毒に思われようが、寂しい人生に思われようが、家族と離れた無縁生活や世捨て人に思われようが、自分勝手な無責任に思われようが・・・その事と私の意識とは無関係ですからまったく気になりません。
また家族に何か困ったことが起きても、その困ったことを私が解決することには無理があることを知っているからこそ、やたらと下手な手出しをしないで静かに見守るだけになります。
例えば・・・金銭で困ったことに手助けしても・・・それが一時的な解決になっても、その困ったことになった原因の意識が消えてない限り「焼け石に水」になりますから、また新たな問題・困ったことが再発・起こる事実を知っているからです。
また・・・私のアドバイス・助言・口出しに効き目があっても、相手がそれを実践しなければ意味がありませんが、もしも私の助言を実践出来るような人ならば、私が助言するそれ以前から既に実践しているはずです。
だから私に人情があっても「人情は人の為にならず」のことわざのように・・・その人情を使って解決を図れば、それが結果的に本人の依存心・我欲・甘えが通用した事になり、自力で何とかして成すチャンスを怠る結果になることから言えば、それが本人の為にはならないことを知っているからです。
すなわち・・・自らに(金銭的であれ精神的であれ)困ったことになる原因が自らの意識にある事に気付かない限り・・・名言助言の文句を加えて人情で手助けしてもその場だけの一時的な解決になるだけです。
だから・・・そう言う私自身も・・・安易に他力・人情に求めることよりも、その助けを求めなくてすむようになるだけの自力・意識力を磨き・・・その自力を活用しながら・・・(人情・愛情の他力や金銭物質的な他力にあまり束縛制限支配されない形の)自由に生きる生き方を選んだわけです。
そして・・・その自力だけではどうしようもない困ったことになっても・・・それが病気や寝たきりや死につながることであっても、それは自らが招いた自己責任の結果ですから、それを悔い改めることがあっても後悔はしませんから・・・後悔してもあとの祭りですから・・・その自己責任を果たすべく更に自力・意識力を磨くためにも、安易に家族の手助け介護を求め欲して家族を巻き込むことがないように心がけています・・・だからどんな状態状況であっても、出来る限りの自力を使って生きる覚悟が出来ています。
だからそれが・・・私の家族に対する思いであり、私が望む生き方でもあるのです。
だから・・・世間で言う無縁社会も孤独もその孤独死も私が望む形なのです。
しかも・・・そのお手本となる・・・(身体の障害があって要介護が必要なのに)他県に住む息子夫婦の誘いを断り、ヘルパーの手助けだけで15年以上独り暮らしをしているご老人が実在でご近所にいますから・・・こうして私も心強く書けるのです。
★・・・その原因・意識にあるのが・・・★
今のこの世の不完全な人間関係・社会関係に依存して、その中の矛盾・裏表に思い悩み迷う苦悩や人間関係の気苦労気疲れで生きることよりも、その間違った集合意識の中でそれらを「気に」することなく、自分らしく自由に生きて、その自分の自力で出来ることを実際に実践しながら・・・完全真理で言われる神の愛意識・真実の愛意識と言われるものを学び知ることを意識していることです。