矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「自分の糞は自分で拭く」VS「他の褌で相撲を取る」

2015年04月06日 | Weblog
人間として生まれたからには、この世で生き続けることが最も重要になります。

然るに食うことも寝ることも糞をすることも自分でしなければなりません。

それが思うがままに成らずにして、他力のお陰さまでもって生きていくことになれば、それは命や肉体はあっても「死んだも同然」となります。

ところが現代では食って寝て糞をすることは自分でしなければならないから、その自力でもって何とかしていますが、それ以外の多くは便利な道具の他力が使われたり、また自力不足からして(欲張れば)人様の他力を使うことで何とかしています。

然るに偉そうに生きてはいるものの「自分の尻も拭けない」で「人の褌フンドシで相撲を取る」が如くになっている事実に気付いているでしょうか、

然るに自分で食って寝て糞をしていること以外の多くを他力に頼っていれば、その精神面からして人間として生きるにあたえしない人間失格の「死んだも同然」の意識と言われるわけです。

ちなみに現在の快適便利で迅速に移動できる時代はそれら道具の他力によるお陰なのです。

ところがそれら道具に依存していると自力を使うことがどんどん減ってきますから、然るに真坂の有事のときに自分で解決できないことが多くなって困った状況になりやすいのです。

然るにそんな時でも他力に依存できれば何とかなるかもしれませんが、その他力さえも当てにできない(衣食住に困るような)深刻な事態になれば更に困り果てるかもしれません。

ちなみに自力を使わずにして他力に依存することは欲張っていることになります。
そして文化文明は発展するも自然界は破壊され汚染され崩壊寸前です。

ちなみに自然界は人間が生きていくために用意されたものですから、皆が欲張らずにして公平に行き渡っていれば皆が満足し合える人間関係にもなり、然るに欲求不満からして自己満足を欲しがる事も無くなり、然るに豊かな自然の恩恵を受けながらにして、その自然の豊かさを十分に味わえる生活が続いていたことでしょう。

ところが欲張る者が独り占めしたり奪ったりした為に弱い者が生きるにも困った状態の貧困になり、その欲求不満からして肉体的な快感快楽を求めることにもなり、然るに「貧乏人の子だくさん」で困窮することにもなり、それが自己流産行為に走ったり、また「働かざる者食うべからず」と言われたり、またそれが「口減らしの」子捨てや(米一俵で)身売りや丁稚奉公に、また「姨捨山オバステヤマ」如くになったり、また身投げ自殺になったりした、(NHKドラマ「おしん」が如くの)その悲しく悔やまれる歴史が世界中の何処にでもあります。

然るに強者も弱者も共に無いものを欲しがるその「欲張った」結果なのです。

だからここらで欲張らずにして自力を多く使い(自分の糞は自分で拭き)、そして楽しく生きることよりも(他の褌で相撲を取るよりも)「楽ラク」に生きることにすれば(己一人であっても)まだまだ精神世界を学び知り気付くことができるだけに、この世はまんざら捨てたものではありません。

然るに「生きる」にあたえするその人生が続くのです。

然るに(他力依存にして)欲張らなくても生きていける、その自力自信の精神力を培うのが真の精神世界であり、それが人間の役割使命でもあるのです。

ちなみに己の不完全意識も他の不完全意識も気にしないで済むのと自力自信の精神力を高めることにもなるから、然るに今の単身過疎地暮らしが私には適しているのです。

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