孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

見えない世界を信じることから始まるが、その事実・真実・実在を自覚し悟りに至るのが完全真理です。

2010年10月30日 | Weblog
私の場合は医科学を超えた健康や環境関連の宇宙エネルギー・ビジネスが縁で見えない世界の想念・霊魂の実在をはじめて知り、それが縁で山田耕栄さんの良い悪いを持たない完全真理を知ったことから、この世の矛盾や妥協で成り立つ不完全なこの世・人間関係を知ることになったのですが・・・

事の始まりの宇宙エネルギー・ビジネスのときは先ず信じることから始まりましたが、やがてそれらが実在することを結果・形で「見る」ことも感じることも出来ましたので、その見える結果が出る宇宙エネルギーを表方に例えれば、それが縁で今度は想念・霊魂と言った裏方の「霊界」次元までも知ることになり、それも最初は信じることから始まりましたが、これまた深く知りたがる探究心からやがてその事実・実在を確信・自覚できるまでになりましたので、いわゆる見えない世界の裏表の実在を学び知り自覚に至ったわけですから、もうこれ以上の確かな事には巡り合わないだろうとさえ思っていたのですが、今度は山田耕栄さんの「完全真理」が説く「完全意識」につながり、見えない世界の大元の原因である「意識(想念)の世界」をより深く学び知ることになり、(それも本物を知りたがる追及心や実践意識から)やがて「見えない世界」の原因(意識の世界の)真実・事実・実在を確信・自覚できるまでになったのです。

しかも完全真理だから、これまでの歩みが完結することになったのです。
だから私には(あまり関心が無かった)古今東西の宗教・思想哲学や奇跡を成す教祖や教団らの情報もあまり要りません。
そして過去のイエスや釈迦らの聖書経典の不完全さも知ったことだし、既に霊能者・超能力者やサイババの奇跡など人の成す異次元現象・奇跡の値打ちが色あせてしまっていますし、また(水面下で人知れず自費で動いて)霊界の悪想念を否定排除するのではなくて、その悪想念に気付かせて修正する(霊界・霊魂の意識改革を促す)使命・役割を持つている愛意識の霊能者からの情報「お伝え」も必要なくなったのです。

ところで私の場合は副業のネットワーク・ビジネス絡みでしたので、先ずは「信じることよりも事実を知ること」が先にありましたので、(完全真理の場合でも)信じるか否かよりもそれが事実か否かにありましたのですが、幸いにも見えない世界の裏表全般の摩訶不思議の事実を知り、その事実・実在を確信自覚していたことから完全真理が真実・事実を説く「本物」であると簡単に理解できたのですが・・・ それとは違って何かの摩訶不思議を見せてくれるかもしれない期待やそれを叶えてくれそうな人の表記された経緯経験や人格・修行やの肩書き宣伝文句に魅了されたことから始まっていれば・・・(多分)耕栄さん・ファバラ・完全真理を「信じる」ことから始まっていると思います。

ところがいつまでも信じているだけでは結果形を信じることが多くなり、それと同時に必ず不信感・違和感も併せ持ちますから(それが邪魔をして)結果形の出る原因の事実・実在を確信自覚することが難しくなりますし、結果形に惑わされて完全真理を深く理解することさえままならないことから、どうしても形・結果の偶像崇拝の信者意識や他力本願・他力依存の意識が強く出ることになり、せっかくの完全真理もファバラもその本分を知る事にならず、「すべてがひとつ」の「原因の世界」「意識の世界」の真実・事実・実在を自覚することにはならないでしょう・・・

「★」完全真理が出てきたことで現世の裏表のある矛盾や妥協で成り立つ世界は必ず消える運命にあります。
また「奇跡」は単なる結果ですから(奇跡を成す人たちが大勢いても)、人間が持つ矛盾・差のある特別・差別意識の個人意識・不完全意識の原因意識を直接的に変革改革することはできません。
だから自らが気付き学び知り修正しながら、自らが己の意識を改革していくしかありません。

また有能な聖者・聖職者・教祖・霊力者や権力者などが完全真理の教えを弾圧したり邪魔することは出来ても、その完全真理を排除阻止することは出来ません。
すなわち完全真理は完全ですから、必ず「完結」します。
・・・そうとは限らないと「自信・確信」がある人は遠慮なく書き込んで下さい・・・

自分さえ良ければの「良いとこ取り」の弊害や副作用の裏側を知ることで完全真理を知る事につながる。

2010年10月25日 | Weblog
私が過去に健康関連や環境関係に取り組んでいるときにも、今の完全真理で言うところの「良いとこ取り」ばかりしている弊害・公害や副作用を仲間内の情報交換で色々と指摘してきました。

それが自然環境の汚染であり破壊であり、医科学が人を助ける数よりも多くの人を困らせている事実や人を助ける数よりも人を殺している数が多い現実、すなわち医薬品や化学合成品に限らずとも、犯罪事件や(移動手段などの)事故や災害などで二次的に人殺しに関わることになる形・道具が数々あるし、直接的な人殺しや戦争の道具(最新兵器・大量破壊兵器・核兵器)に応用されていることであり、また薬剤の乱用でアトピーやの生活習慣病や成人病・慢性病の原因になったり、抗生物質が効かなくなる抗体菌の問題・新型インフルエンザ・エイズ・結核・癌などのイタチゴッコを指摘して、その生活環境や人間関係にも及んでいる事実や、しかもその予防や改善や修復や治癒力やに役立つはずの健康食品や環境用品さえも「良いとこ取り」しているのが多くあり、やはり良いとこもあるが悪いこともあるという矛盾も指摘してきました。

また良いとこ取りを集めた巨大帝国化・都市化・集合化・巨大化することで良いこともあるが悪い面も出てくることを指摘し、帝国化や巨大化は小を滅ぼすことになり、その調和が崩れることでやがて全てが崩壊する事になるを指摘し、先ずは貧困・過疎地・生活弱者・障害者・病人・高齢者が困ったことになっている現実を色々と指摘してきました。

それらを意識していることでやがて公害・副作用・弊害が無いと言われる「宇宙エネルギー・フリーエネルギー」、また「波動」「オーラー」「手かざし」「念力」と言われるような摩訶不思議なエネルギーの実在を確かに知る事になったのですが、それが完全真理で言われるところの「意識・エネルギー」につながりました。

ところがその意識エネルギーにも問題があると知ったのも「想念・霊魂の世界」を学び知ったときや今の完全真理を知ってからのことですが、例えば自然界の物を丸まる使う場合はあまり問題が無いが、それを加工・製品化したり販売に携わる人がいれば、その人の意識の影響を受けることがあるということです。
だからそれが悪想念であったり、完全真理で言われる闇意識と言われるものであれば、その影響が心配される訳です。

だから宇宙エネルギー(意識エネルギー)であっても、それを製品化して世に出す人の意識が悪想念・闇意識の不完全意識であれば、良いとされる意識エネルギーにも悪い不完全意識エネルギーが入り混じって不調和の邪魔をすることもあるし、しかも己の意識・想念に左右されることも多くありますし、また信じているだけの妄信や偶像崇拝や他力依存の強い人はその意識・エネルギーが働いてその効果・結果となって現れるときがあることから言えば・・・ 不完全意識(悪想念・闇意識)の他力依存や偶像崇拝や結果主義の意識を持っている人ほど不確かで不完全なエネルギーを自らの中から出ていますから、知らないうちに他を巻き込んで影響を与えていることがあるかもしれません。

それと同じようなことですが、念力・エネルギーでスプーンが曲がるように(念じれば事が成る場合もありますから)、金儲けを意識すれば金儲けも可能になる場合も病気や怪我の治癒回復を望めばその結果が出ることもあるのです。 
だから色んな思い・理想目的を果たすことが出来る場合もありますが、その良いがあれば必ずその裏の悪い面が潜んでいるのは事実ですし、またそれを成すに等しいだけの意識エネルギー・生命エネルギーを必要以上に浪費することにもなっています。

私の場合は宇宙エネルギー・意識エネルギーの実在を身を持って納得確信していることから、その効果結果が新たに出ればアリガタイことに思えるしその実在を再確認することにもなっていますが、必ずしも結果を先に求めていませんし、また私の意識に左右されることも知っていますし、また同じ結果が必ずしも出るとは思っていませんから、結果が出ようが出まいがその時任せにしています。

すなわち「他力依存」や信じるか否かの「偶像崇拝」や結果を求める「結果主義」ではないと言うことです。
だから「結果」は結果として素直に受け止めた上で、その結果が出る事になった「原因」を学び知ることやそれに気付くことが重要・基本になっていますから、その結果の原因である「意識・命」を知る事だけに意識が入っています。

だから「ファバラ・エネルギー」の結果を知ることよりも完全真理を知ることが先であり、完全意識エネルギーで奇跡を成す山田耕栄さんを深く知ることよりも完全真理を深く知ることに意識が入っているのです。
すなわち「結果」よりも<原因>を知る実践意識になっているのです。

そこで完全真理を深く知ることから結果的に耕栄さんもファバラも知ることになりますが、それが結果を出す耕栄さんやファバラから完全真理を深く知ることには無理があるようです。
それを言い換えれば、人間は一つの意識で生きていますから、その意識が何処に向いているかで自ずと方向性が決りますから(成るようになりますから)、結果に意識がいっている限りにおいてはその結果ばかりが気になって、その大元の原因・意識を深く学び知る実践意識が疎かになるという訳です。

だから、この世のあらゆる矛盾・不完全さや、自己満足と不平不満を繰り返す人間の不完全意識や、その人間関係の矛盾・不完全さを(自他共に)深く知る実践を怠ることになり、(真実・事実を知らない中途半端なままに)言われるがままに信じることになったり、そして何かと耕栄さん頼りやファバラ頼りの依存心を持つことにもなるのです。

しかも、信じたがる意識の信仰心や結果を見たがる偶像崇拝意識やその他力依存心が悪想念・闇意識(不信感・恐れ・破壊意識)につながっていることを知るはずもありませんから、自らがそれに気付くはずもありません。
しかもその不完全意識で何を成しても不完全な結果しか生まれませんから、これから何をやるにしても先ずは「完全真理」を深く知る実践が先決になるという訳です。

不完全が実在できないだけに、実在する完全なものにはその使命役割を果たすための意識・命を持っています。

2010年10月17日 | Weblog
人間は意識で生きている関係から、その意識が原因で結果が出ています。
だからその結果ではなくて、結果を出すことになる元の原因である意識のあり方を学び知ることが重要になります。

ところが此れまでの多くの宗教・真理は「私が正しい」の結果を見せるために(一般大衆を引き付けるために)その結果を求めることが多くなり、その結果である世直し人助けや自由平等平和を唱えることでそれを理想目的にしていましたから、それには善行奉仕しなさい、悪を働いてはだめですよ、あれは良い此れは悪い、あれはダメこれはダメと指図制限することが多くあります。
すなわち一つの結果形を良いと悪いの裏表に分離して、その善悪を説くことが主体になりますから、同時に優劣損得で判断することにもなります。

だから一つの事実が良いと悪いの二つに分かれ、その矛盾する何れか一つを選択してそれが正しいと信じることになったり、その矛盾を言い訳正当化して正しいことにしたり、何れも選択できなければ中途半端ないい加減にするか、それを否定反発するしかありません。
そしてそれらがごちゃごちゃに入り混じって混乱困惑思考錯誤苦悩しているのが今の私たちが持っている不完全意識(原因)であり、その現れが不完全なこの世の結果です。

その良いと悪いで判断しなければ何ら問題になりません。
また善悪優劣損得の差がありませんから平等ですし、平等であれば誰からも指図束縛制限支配されませんから自由です。
その平等と自由があれば調和が取れて平和になります。

その「差」が無ければ何ら特別もありませんから完全です。
だから神々が実在するとなればすべてが神々になります。一神にして多神、多神にして一神の関係になりますから、何一つ奉り崇拝することにはなりません。
また生まれながらにして先生はいませんから、学びあい教えあう関係があるだけで皆が同じです。 だから特別に尊敬することにも恩義・恩人に思うことにもなりません。
また各々が持っているものを出し合えばリーダーがいなくても成るようになります。
同じく、姿形や居場所・環境状況立場が違っていても差が無ければ何ら問題になりません。
すなわち皆がすべてひとつになり、お陰様・お互い様の関係になります。

だから裏切ることにも裏切られることにもなりません。
だから、ただ「あるがまま」に必然で実在していることになります。

また宇宙万物すべてが必要だから必然で実在しているのであって、不必要であれば実在していません。
また実在しているものは完全ですから、不完全であれば必要としないことから(不必要が)実在することにはなりません。
例えば「腐っても鯛」と言われるように時間で形が変化することがあっても人間は人間ですから完全です。それがもし人間が犬や猫に変化するようであればそれは不完全ですからこの世に実在しているはずもありません。
そして実在する完全なものにはその使命役割を果たすために意識を持っています、だから意識がなければ役割使命を果たせませんから不完全であり実在することは出来ません。

ところが人間の意識が不完全であっても実在しているのは、その不完全意識は人間の思い・想像であって非実在だからです。
しかもその非実在の不完全意識も宇宙の仕組みにとって必然・必要だからこそ人間として実在しているのです。

ところがその不完全意識の人間の役目もそろそろ終わりかけています。
すなわち、この世で始めての完全真理が必然で説かれはじめ、その真理が実践によって少しずつ広がり浸透していることからして、やがて不完全意識の人間が宇宙・神・愛の完全意識を実践で自覚することになり、同時にその完全意識になることの真意を知ることにもなり、そして比較競争差別の無い平等・自由・調和のお陰様やお互い様を自覚することになりますから、今の不完全意識のままにいることを絶対に望む筈もありません。

だから完全を知れば完全しか意識しませんから、やがて(原因と結果は同じですから)必然で完全意識に成るようになっていくことからして、不完全意識を味わい知った完全意識の人たちだけが実在するようになります。
そして、その完全と不完全の両面を知ったことになる意識・命が(宇宙誕生以来始めて)実在することになることからして、もう不完全意識のままの人間は(今の現実を見れば判るように)自然界・宇宙では厄介者と同じですから、その人間の使命を最後まで果たせなかったことから用無しの「お払い箱入り」になり、どうやら二度と人間の形に生まれ変わることなく、そのままの不完全意識・闇意識の世界で居座ることになるようです。


良いとこ取りの輸血・臓器移植・癌治療・延命治療には、その裏のしっぺ返しで困ったことになるかも・・・

2010年10月13日 | Weblog
人間として生まれたからには必ず死ぬ時が来ます。
その死ぬ時が早いか遅いかの違いがあっても、寿命・宿命・運命で死ぬ時が来たら死ぬことになるだけです。
その死に方は人それぞれにいろいろとある中で、自殺以外に自分から死に方を選ぶことは出来ません。

その自らの意思で死を選びその自殺を図っても死ねないことがあるように、また飛行機事故で一人だけ助かったり、大勢の犠牲者が出た中で助かる人がいたり、その逆で真坂の事故や災害や犯罪の巻き添えで死ぬ事になったりするように、どうやら死ぬ時でなければ死ねないようです。
だから(自殺を含め)死に直面している人を救助するために危険を冒した人が巻き込まれて死亡したり、その死に直面していた人が自力や他力で助かることがあるように、(災害・犯罪・戦争であっても)死ぬ時が来ている人とまだ死ぬことがままならない人が関わっただけの事になると私は思っています。

だから自分が死ぬ時やその死に方も判らないだけに、その死の不安心配や死の恐怖にさらされる時が人生で一番困ったときになるのではないでしょうか・・・だから死を怖がっている人も多いはずです。
だから健康にも人一倍気を使う人もいますから、健康関連や医療関係に依存している人も多いと思います。

だから軽い風邪を患ったときに(風邪は万病の元と言われていますから)自力・治癒力で時間を掛けて回復させることよりも(多忙だから)手っ取り早く薬剤や医術の他力で症状を和らげることを望みます。
すなわち自分に都合が良い(他力依存の)「良いとこ取り」になりますから、同時に裏側の悪いことも取っています。
それが副作用・弊害を起こす元の原因にもなるし、更に自力・治癒力の低下を招いていることをあまり知りません。
だから他力依存や自然治癒力低下で見えないところの悪いとこ取りが重なります。
・・・私は雑菌・ばい菌に慣れ親しむことが抵抗力になり、薬剤に頼らないことが治癒力の維持になっていると確信しています・・・

しかも良いとこ取りした結果が良くて満足していても、見えないところの悪いことが同時進行していることにはなかなか気付きません。
やがてその弊害副作用で症状症例が再発したり別な症状症例を患う原因になっていますから、この先更に薬剤や医術に頼ることになり、それがまた更に問題が深刻な方向へと突き進み病気が元で死に目に遭うことになります。

ところで輸血を拒む宗教団体(エホバの証人)が話題になることがありますが、その真意がどうなのかは知りませんが、輸血や臓器移植も他力依存の極めでありその良いとこ取りにもなります。
しかも、他の生命の大切な一部を良いとこ取りして(自分のために取り出して)自分の中に取り入れるわけですから(他から略奪したことになり)、その良いとこ取りした(延命治療した)肉体的な弊害副作用も当然ありますし、精神的なことでもそれ相当な苦悩を背負うことになります。

また死の病とも言われる「癌」ですが、もし癌で死ぬ事になればそれが死ぬ時だったことになります。
だから癌を患っていても死ぬ時が来なければ死ぬことはありません。 また癌患者が治療などを受けたおかげで延命しても、その後遺症や事故災害犯罪で死ぬ事になる場合もあります。 また(老衰であれ若年死であれ)運命・宿命・寿命で死ぬ事になっても、たまたま癌の治療中であれば、その癌が原因で死んだ事になっているだけかもしれません。

ところが死の病と言われるだけに癌と闘う人が多いのも事実ですが、その癌に対する敵対意識・攻撃意識が癌細胞にも及びますから、その癌細胞の意識も(万物すべて意識・命を持って役割を果たしていますから)それに同調して良い悪いで反応する結果になり、その癌細胞も同時に敵対意識・攻撃意識・防御意識がより強固頑固になるのは当然のことだと思います。

すなわち人間同様に癌細胞も防衛本能から頑固・強固・増幅拡大侵攻を繰り返し重ねる事になりますから、癌細胞をやっつけてもやっつけてもイタチゴッコになります。 またその癌細胞全部を完全に切り取っても癌細胞の命・意識は人間の体内に何らかの形で実在していますから、患者の意識次第では良性の細胞が悪性細胞・悪性腫瘍に変異して、癌や腫瘍となって再発・転移・増幅拡大する可能性が十分あると思います。

(私見ですが) 死ぬのが怖くて輸血や移植や大手術による延命治療を受ければ、その良いとこ取りしたしっぺ返し・苦痛苦悩は大きい事になるようです。 だから簡単には死ねないで、大患いの繰り返しの苦しみの中で死を待つ事になるかもしれませんし、しかも病人の入院介護で身近な人を巻き込み迷惑をかけますから大変な事態になり兼ねません。

それらを自覚している私ですから死とは闘いません。 だから病気・癌とも恐れ闘いません。
だから死ぬ時が来たのならそれを素直に受け止める覚悟があります。 しかしそれが事故や災害や病気で死ぬ事になるのかは知る善しもありませんから、それらをむやみに意識することもありません。 だから20年以上定期健康診断を受けていませんし、事故災害事件犯罪に遭わないように注意はしますが、それも成るがままに任せています。

また幼い頃から臭い汚い危ない暗い怖いを意識することなく、何かと自分なりに創意工夫して色んなことをして遊んで慣れ親しんでいたことが、結果的には不平不満や不安心配や恐れ恐怖をあまり待たないままに育ったのかもしれません。
・・・いま思えば有り難いことであり、それだけ多くのことに接し触れ合うことが出来たのもお陰様になるのです・・・
だから遊び感覚から始まった過疎地暮らしが10年以上続いているし、一年前に(不思議なめぐり合わせから)臭気漂う肉牛飼育のエサやりやその清掃などの下手間アルバイトに関わることになりましたが、(収入面よりも毎日が暇で退屈だったから)有り難いことだと喜び感謝の心で働いています。

その田舎暮らしと完全真理との巡り合わせとが同時進行だったのですが、その両方が縁で以前に増して意識がどんどん変わりはじめ、今ではこの先の老後の心配や要介護の心配や死後の後始末やらを家族らに出来る限り託さなくてもいいように既に取り計らいずみですから、成るがままに任せ悠々自適に過ごせるだけの自力・精神力をも持つことが出来ました。

そして「死が終り」(完全な無)ではなくて、その(始まりも終わりもない永遠の)元から持っている命・意識がその「意識だけの世界」に戻ることを確信・自覚できたことから、この世の不完全な形とその不完全意識の人間関係に(私ではどうしようもないことから、どうでもいいことになり)何の未練も執着も無くなり、それだけに尚のこと自らが「意識の世界」で通用する原因意識を学び知り実践で心(意識)に刻むことが先決だと判ったのです。

だから臭い汚い危ない暗い怖いが差別・特別意識であり、その内の一つであっても、それが不平不満・不安心配・恐れ・嫉妬・復讐・破壊意識などの不完全意識のすべてに通じていることが判っただけに、それらが小さかろうが大きかろうが持っている事にかわりが無いことから、それらを実践意識で慣れ親しむことで次第に気にならなくなりますから(どうでもいい事になり)、先入観で自分勝手に否定反発排除しない、その意識のあり方次第で大きな不平不満や強い不信感・不安心配・恐れ・怒りにつながらないで済むことを書いているのです。 それが実践だと思っています。

良い悪いで判断しての「良いとこ取り」による弊害・副作用・しっぺ返しが大きく現れています。

2010年10月10日 | Weblog
完全真理は完全ですから答えも一つしかありません。
だから良いか悪いか、また信じるか否かの裏と表の二つに分離することになれば完全が完全ではなくなります。
だからこそ完全真理は「すべてがひとつ」につながっています。

また人は一つの意識で生きていますから、それを良い悪いで二つに分離して判断すれば不完全意識になり、その不完全意識で作られる形・偶像・物質には当然ながら(原因と結果は離れていませんから)良いと悪いの二つが出てくる結果になります。

それを完全意識エネルギーで新たに創られたファバラ製品に例えれば・・・
その「ファバラ」エネルギーに良いエネルギーと悪いエネルギーの二つが入っていればそれは不完全エネルギーになりますので、現在の最先端医科学やの製法で作られたものと同じように良い効果も悪い効果(弊害副作用)も出てくる結果になりますが、その現代最先端の製法では決して製造できない(真似が出来ないから製法特許も必要ない)製法として、良い悪いの無い(裏が無い)ひとつの完全意識エネルギー(全知全能のエネルギー)で作られていますから、その完全意識エネルギーによって多様な性能・万能効果が奇跡現象の様に現実に出てきても何の不思議も無いし、また決して弊害副作用が出ることはありません。
だから健康食品や環境用品や医科学製品といった分野に限らない幅広い万能効果が期待できます。
・・・その効果効用は省略しますが、詳しくは他のページで見てください・・・

私が完全真理を学び知る以前に様々な健康関連や環境関連や摩訶不思議な宇宙エネルギー関連や精神世界・想念の世界に興味を持って取り組んでいた時期がそれぞれに相当期間ありましたから、それらの情報も結果・効果効能も多く知ってきた関係から言えるのですが・・・それらすべての学び知った事柄が今の完全真理にもつながっています。

例えば健康食品関係の頃・・・病は気からと言われるように、意識(ストレス)が原因で病気・症例が表れること・・・またアトピー・拒否反応の原因や依存症の原因や電磁波の問題や現代病・成人病の若年化などが現代医科学の弊害・副作用にあることや効果効用のある成分だけを抽出した健康食品やそれら成分を合成した薬剤薬品の弊害、すなわち完全真理で言うところの良いとこ取りした弊害を指摘してきました。

そして酸性雨やオキシダント・光化学スモック・ダイオキシン・CO2の滞積・温暖化現象などの地球環境悪化の原因も、完全真理で言うところの良いとこ取りばかりしてきた現代科学の裏の悪いことが現実に出ている事になります。
また地震や水害による自然被害や思いもよらない人災・人殺し犯罪や経済戦争・侵略戦争が起こる心配を前もって伝えてくれていた想念の世界で言われていた事にあるのが、それらはすべて人間が出す悪想念の溜まったエネルギーを吐き出す現象で起きていることだと言われ、それも完全真理で言うところの人間の集合意識の結果であり、良いとこ取りばかりしているために裏の悪いことが溜まりに溜まって起きている現象・事実だと言われてることに合致します。
・・・詳しくは他のページで読んでください・・・

また人間が吐き出す悪想念(集合意識)や良いとこ取りをしてきたことでの弊害・現象として、今までよりも深刻な問題がこの先に出てくる事実が言われています。
それが時間を先取りしたスピード化や超高速の原子力化学反応エネルギーの活用、すなわち時間エネルギーの良いとこ取りによって時代が急速に進化発展してきたこと、すなわち長い時間を掛ける必要があったのにその時間を短縮してどんどん先取りしてきたために起こる弊害副作用現象・しっぺ返しの「浦島太郎の玉手箱」現象が起こる可能性が十分にあると完全真理の中で言われています。
・・・最近の光通信や地上デジタル化による影響も重なります。

それを想念の世界で言えば、先ずは水の洗礼・水害・干ばつ・津波や溜まった悪想念が吐き出される地震の影響で起こる交通通信手段のマヒや食糧難やエネルギー不足による経済崩壊、そして巨大国家・帝国都市の滅亡、そしてムー大陸のように海中に沈むことが言われていますが、完全真理では(このまま推移すれば)人間の生命体がこの世から消えて終わり(想念の世界ではリセットされて選ばれた想念の人・選民だけが)新たな次元の地球人類が始まると言われています。

それに外れる人達がいるとすれば・・・(想念の世界で言われることにあるのが)神ではない神を信じている宗教に属する人、比較競争差別し合い自由平等平和の本質を知らない人、特別な名声・権威・権力の座にしがみついている人、お互い様の関係を忘れている人やお陰様の感謝の心を忘れてしまっている人などがあてはまるようですが・・・
完全真理から言えば・・・自分さえ良ければの個人意識・特別意識・差別意識を持ったままにその不完全意識しか持ち合わせていない人があてはまるようです。

それでも完全真理を知って実践をしてはいるが、しかしまだ未熟なために不完全意識を持っていても、その不完全意識が原因の不完全なこの世の形・偶像化された形・不完全な人間関係などを学び知った者なら、1㌫以上の生き残りや再生の可能性はあるようです。

この世の現実からして完全真理の実践が不合理に思えるのは原因ではなくて結果を気にしているからです。

2010年10月07日 | Weblog
完全真理は良い悪いで分離判断して人を責めたり自分を責めたりして不平不満を持たないことが基本ですから、日々の実践・生活の中で不平不満を持った事に気付くことが重要になります。
しかも完全真理は完全ですから少しの矛盾も妥協も通用しませんから、いい加減な意識では実践もいい加減になります。
がから完全真理を日々実践している中に自分が不平不満を持っている事にまったく気付かない場合もあります。

例えば「汚い」「臭い」と言って忌み嫌っていることが多いことや「暗い」「怖い」と思って尻込みしていることに気付いていません。
そのもっとも分かりやすい例えで言えば、同じウンチであっても赤ちゃんのウンチと大人のウンチとでは意識に差があります。
また虫を害虫呼ばわりしていることやバイ菌を悪者扱いにしていることも差別になります。

また清掃整理整頓が出来る人や出来ない人がいてもその差はありません。
だから清掃整理整頓が好きな人がそれなりに自然体でやればいいだけであって、それを評価判断して褒めたり卑下することでもありませんし、それらを強要・押し付けて他を巻き込むことでもありません。

だから炊事洗濯やの家事一般も同じことがいえます。
例えば自分や家族子供らを身奇麗にすることはかまいませんが、それを他と比較競争・評価判断していることが多いことには気付いていません。 だから衣服・着衣が見た目に劣ることや汚く見えることを気にします。
だから同じように家具調度品・電気機器・車両などが劣ることや汚く見えることを気にします。
そして使い切ることをしないで(成仏させないで)より優れた新品を購入して(見栄・世間体・プライドを)自己満足したがります。

また我が子の学力成績や体力機能を気にして不足に思えば他と比較競争・差別している事になりますが、この世の現実からしてそれも仕方がないと自己正当化したり言い訳して自分を誤魔化していることも多いのではないでしょうか・・・

また他の子供の置かれている不運な状況を目の前にして、それは可哀想だの気の毒なことだと思うことが差別・特別意識だと気付く人も少ないでしょう・・・何故なら・・・それが自分の子供の場合であれば可哀想だの気の毒などと思う前にもうすでに子供に駆け寄り自分に出来る限りの手助けをしているはずです。
だから恋人・夫婦・我が子や家族らにしてあげられることなら、他の人にも同じことが躊躇無く自然体で出来なければ平等自由・調和のある人間関係を築くことが不可能になるのです。

すなわち恋人だから夫婦だから我が子・家族だからと特別に思うことが人間関係を不完全にしているのですから、その平等ではない特別なことをする必要は元々から無かったということです。
しかも常日頃から他と違った差のある特別なことをしたがっていることが(求めていることが)不平不満の原因にもなり、またそれが原因で不安心配・恐怖・怒り・嫉妬・破壊意識にまでもつながっているのです。

だから日々日常の些細な不平不満に気付くことが重要になってくるのです。
そして気付けば気付くほどに(真理・真実を知っているからには)それらが不完全でどうでもいいことに思えるようになりますから(あるがままの意識になり)あまり気にならないで直ぐに忘れ去ることになるのは事実にあります。
だから生活の中で「気付く」ことが真理・真実につながり自己縮小につながっていくのです。

ところがこの世の現実からして完全真理の実践が不合理・不釣合いに思えるようであれば(それで実践がおろそかになれば)それは原因である己の意識のあり方を見ずにして、ただ現実の形・現れている結果ばかりを気にして意識しすぎていることにあります。
だから完全真理は結果を云々ではなくてその結果を生んだ原因意識・真実を学び知るための真理ですから、形あるこの世で通用しなくても、形よりも意識が原因のあの世と言われる意識次元では通用することになると私は思っています。

だからこの世の不完全な現実を選んで生きるのか、それともこの世で学んだこと(修行)を足がかりにしてあの世の意識の世界に馴染める意識を持つために生きるのか、この世で結果を出すことで生きるのか、それとも原因を知るために生きるのか、その選択が問われていると私は思っています。
しかもあの世には天国の菩薩や地獄の閻魔らによって私たちが比較判断・評価差別されるような仕組みはいっさいありませんから、この世もあの世もすべてが自分の意識で選んだ自己責任・結果になります。