人間は肉体と感情体と精神体でもって生きていますが、しかし思い感情の感情体で生きている限り=納得人生=俗に言う幸せな人生とはなりません。
何故なら思い感情の中に良い悪いや好きや嫌いの善悪優劣損得で判断するその矛盾とその差別とその偽善があるからです。
だから無理したり苦労しながら何を成しても~どっちつかずの納得できない中途半端な思い感情のままに終わりますから~
何故なら思い感情の中に良い悪いや好きや嫌いの善悪優劣損得で判断するその矛盾とその差別とその偽善があるからです。
だから無理したり苦労しながら何を成しても~どっちつかずの納得できない中途半端な思い感情のままに終わりますから~
然るに本心からして満足し納得することには絶対になりませんから~また同じようなことを繰り返すことにもなっていますから~
何やら死んでも死にきれない~思い未練を残すことにもなります。
ちなみに私は思い感情から離れた「肉体」の五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)と自力と自信の「精神体」でもって創意工夫しながら~自然界の恵みの衣食住でもって~食って寝て糞をしながらの事実でもって今を生きていることに十分満足納得しています。
しかも思い感情でもって生きている諸々の人間関係から離れた~個人の自由・孤独の自由にして~束縛制限されたり否定反発されることも無い自由でもって~自然豊かな限界集落の中で心静かに暮らしています。
だから此れではダメだの不満と何とかしなければの欲も出ることもない~あるがままの自然体で生きる実践にもなっていますし~
また何かとご縁のある身近な人間関係の中でもって私が否定反発したり束縛制限したり余計な口出しすることもありませんから、巷の矛盾や差別や偽善やを押し付ける加害者にもなりません。
そして先に書いた肉体の五感でもって~自然界の自然現象やら四季折々の収穫物やらに直接触れたり食したりしている~その事実を実感でもってしっかり親しんでいます。
だから矛盾とその差別とその偽善から創作された人為人工的で不完全な巷の趣味嗜好娯楽の類に関わることもなくなりましたから、当然ながらその類の矛盾や差別や偽善のある不満と満足の喜怒哀楽の矛盾の思い感情からも離れた生き方になっています。
ちなみに私は思い感情から離れた「肉体」の五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)と自力と自信の「精神体」でもって創意工夫しながら~自然界の恵みの衣食住でもって~食って寝て糞をしながらの事実でもって今を生きていることに十分満足納得しています。
しかも思い感情でもって生きている諸々の人間関係から離れた~個人の自由・孤独の自由にして~束縛制限されたり否定反発されることも無い自由でもって~自然豊かな限界集落の中で心静かに暮らしています。
だから此れではダメだの不満と何とかしなければの欲も出ることもない~あるがままの自然体で生きる実践にもなっていますし~
また何かとご縁のある身近な人間関係の中でもって私が否定反発したり束縛制限したり余計な口出しすることもありませんから、巷の矛盾や差別や偽善やを押し付ける加害者にもなりません。
そして先に書いた肉体の五感でもって~自然界の自然現象やら四季折々の収穫物やらに直接触れたり食したりしている~その事実を実感でもってしっかり親しんでいます。
だから矛盾とその差別とその偽善から創作された人為人工的で不完全な巷の趣味嗜好娯楽の類に関わることもなくなりましたから、当然ながらその類の矛盾や差別や偽善のある不満と満足の喜怒哀楽の矛盾の思い感情からも離れた生き方になっています。
然るに不完全で不確かで不要なる思い感情から離れて~命ある人間として生きていくために絶対に必要な肉体と精神体でもって満足し納得し心静かに生きています。
だから本能として仕組まれた自分さえ良ければの個人意識丸出しの個人の自由・孤独の自由にして生きていく必要性にも納得確信していますし~
また矛盾とその差別とその偽善からして文化文明が進化発展しているその裏では自然界の破壊や汚染となり、また太古より人殺しや戦争が進化し発展しながら繰り返されていますから~その行き着く先にあるのがハルマゲドンしかないと自覚認識し納得確信ともなっています。
何はともあれ~人間はその肉体と精神体の愛でもって生きてさえいればいいのに~何か物足りなくなり~此れではダメだの不満と何とかしなければの欲が出てきて~不完全で不確かな感情体の矛盾と差別と偽善からして事が始まり~それが喜怒哀楽の繰り返しとなり~その喜怒哀楽の繰り返しが原因で文化文明が更に進化し発展することからして~
その不確かな思い感情で生きることが如何にも正しい(私が正しい)が如くに思いあがり洗脳され常識化となりそれに惑わされ続けた結果~
不完全で不確かな間違い狂った思い感情で生きることが当たり前ともなり~
命の元の豊かな自然界が破壊され汚染され続けることになり、しかも人間関係が不確かな矛盾とその差別とその偽善の思い感情でもって生きることになったのです。
然るに自然界の真実事実の愛で生きることを見失っているのです。