孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自らを束縛制限・否定反発する人と己が自由に働き役割を果す人との精神力の違いは明らかです。

2015年04月13日 | Weblog
この世人間関係が矛盾に満ちていることを深く知るほどに欲張らずにして自力を多く使う生き方に納得できるようになります。

しかし自力は性格個性ですから、人によっては矛盾することにもなります。

ちなみに私は成り行き任せからして「気にしない」タイプになります。
そして臭い汚いも気になりません。
だから牛舎のパートが平気で勤まるのです。

ところが臭い汚いが気になる人はそれらの役割・働きは出来ません。
しかし臭い汚いが気にならない人が清潔感溢れる働き・役割は出来ます。
然るに自らを束縛制限・否定反発する人と己が自由に働き役割を果す人とのその性格個性の違いは明らかです。

また牛舎オーナーの器具道具を使いぱなしでほったらかしにしたり、歩くところに堆肥が溜まっていたり、あまり使われない雑物をあたり一面に放置されているのは気になります。
だから何もすることが無くなったときに片付け、また整理整頓もします。
然るに片付け整理整頓が苦手でもなく、然るにそれが苦にもなりません。

ところが整理整頓して広い空間ができると(好都合とばかりに)また其処へ雑物が遠慮なく置かれます。
そしてそれが繰り返されると、その繰り返されることがどうしても気になりますから、そこでオーナーの性格個性として認めれば気にならなくなり、然るにそのまま放置することにもなります。
そうするとオーナー自らが時々整理整頓するようになりました。

然るに私が整理整頓することが出来るのに仕方なくほっといているとして正当化したようになりますが、しかし私が整理整頓するこを怠けているのではありません。
だから成り行き任せながらも整理整頓の必要性が増せば(気になれば=気にした者がやればいいのだから)然るに私が整理整頓をします。

ちなみに目上・上司なる者が気になることをその目下・配下に押し付けるのが常にありますが、それが自力を使わずにして他力を当てにすることであり、また他力に思い思惑期待願望を持つたことにもなるのです。

然るに親が気になることをその子に無理に押し付けているのも世間によくあることです。
然るにそれは親の自主性・認識不足であり、それが自力不足であり、それを子のためと正当化しても、それが子供の自主性・認識力・自力・自信を養う障害にもなっています。

だから放任するほど自立・自主力・認識力・自力・自信力=精神力=となるのです。

ところが「ほっとく」ほどにそれだけ<ずさん>になるのはその人の性格個性ですから、然るに「どうしようもなく」余計なことや無理をしないで<ほっとく>しかないのです。

それでもそれが気になるならば、その気になった人がそのお手本を示し続けていれば、やがて相手も気付いて少しは修正されるかもしれません。

そして臭い汚い等と忌み嫌うことが多い人ほど人間性・精神力に欠け、またそれだけ味わい知ることが少ない生き方・人生になり、また人から忌み嫌われることも多くなります。

とにかく、誰もが皆、己の精神力で自ら気付くしか、他に精神世界の道は無いのです。

然るに「欲張らずにして」「自力を多く使い」そして「楽ラク」に生きながらに(心身の余裕でもって)己の精神世界の道を独自独歩でもって歩けばいいのです。

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