孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全真理を理解することよりも、耕栄さんが成した結果やファバラ結果の「形・偶像」に魅せられた人達

2010年05月19日 | Weblog
すべては「ひとつ」であり・・・そのすべてに「意識」(命)があり、その意識(命)に「エネルギー」があり、その意識(命)エネルギーを持った「すべて」(宇宙・万物)がひとつにつながって動いています。

だから・・・すべての宇宙万物の意識・エネルギーが絡み合い・網羅され・調和しあっています。
だから・・・世間で言われるような奇跡・超常現象は・・・宇宙・万物の見えない意識・エネルギーが上手く絡み合い作用し合って、それが見える形になって現れただけのことです。

だから・・・過去のイエスや釈迦らや今の宗教家・教祖・サイババの類などから・・・ 今の完全真理の山田耕栄さんが成して見せている形(一般的に言われている奇跡)は・・・それらの人の意識・エネルギーによって「成せることを成して」見せることが出来ただけで・・・その人にとっては当たり前の成せる事を成して見せた事実だけですから・・・宗教のように「信じるか否か」でもなく、また世間で言うような特別(奇跡)を成したことではありません。
だから・・・完全真理の山田耕栄さんが完全意識エネルギーを使って何を成しても・・・(当たり前だから)特別なことを成したのではありません。

また・・・その意識エネルギー・ファバラエネルギーで病気や怪我の治癒を早めることが出来て大勢の人が喜んでも、また今まで見たことが無いような事をたくさん見せてくれても・・・それらの人の病気や怪我になる原因の不完全な意識まで変えることは出来ません。
だから・・・意識・エネルギーによって奇跡を巻き起こすことが(形を変えたりして結果を見せることが)耕栄さん本来の役割使命ではありません。 あくまで「完全真理」を世に広めそれを実践する人が一人でも多く増えることが本命だと思っています。

だから・・・奇跡のようなことをして見せたりするのは・・・その原因となる意識・エネルギーの実在・真実を確信するためのものであり、自意識を確認するためにも役立つものであり、また意識エネルギーの元となる原因意識を改革していくための(実践に結びつけるための)・・・必然から生まれた手段・形ですから・・・耕栄さんやファバラの成した結果や評価をそのままに伝えてその形・結果を普及させることが完全真理の本命ではありません。

それを何処で勘違いしたのか・・・(超常・奇跡現象を成す)耕栄さんを特別に思い、そのファバラエネルギーを特別に思って、耕栄さんが居てファバラがあればそれで十分と思っている人が増えているようです。
だから・・・完全真理の実践意識がなおざりになり、または完全真理の実践はどうでもよいことにもなったりして・・・いっこうに完全真理の理解を進めないままに・・・(意識的に)耕栄さん頼り、ファバラ頼りの他力依存意識の方が増えたようです。
だから・・・何度も頻繁に耕栄さんのもとに集まっているベテランさんでも・・・完全真理の愛を不完全な人情・愛情に置き換えたり、ただ「信じて」耕栄さんに従っている宗教まがいの意識の人も多いようです。

この世で初の完全真理を知り、その完全真理の実践をして、その完全真理の完全を身を持って知ることがなければ(自覚・悟り)・・・たとえ耕栄さんの意識エネルギーを受けても、またファバラをいくら愛用していても、それは所詮形の結果を知るだけですから・・・(補助役になっても)大元の原因である意識のことを教えてくれている完全真理やその完全意識エネルギーのファバラなどの根本・原因を悟り知ったとは言えません。

すなわち・・・完全真理を学び知り実践するためには・・・耕栄さんの成したことやファバラの結果を知ることも必要ですが・・・
それだけでは片手落ちですから(真理の一端を知っただけですから)、それで満足していれば矛盾の無い完全真理を完全に学び知ることにもならないし、原因である意識・エネルギーの実在を確信していなければファバラの結果を完全真理の理解やその実践に活かすことにならないから・・・その真実・事実を知らないままに(中途半端なだけに)・・・ただ「信じる、信じている」だけになり・・・耕栄さん信者・ファバラ信者のようになって・・・完全真理から離れた・・・結果・形の偶像崇拝のカルトに似てきます。

それを言い換えれば・・・★先に完全真理を知れば知るほどに・・・耕栄さんが皆の前で色々と成して見せている結果のその原因も、またファバラの結果が出るその原因も同時に悟り知る事になりますが・・・ ところが耕栄さんの成した結果やファバラの結果だけでは・・・完全真理が説く宇宙万物の意識・命・愛の真実、本物の愛の真理を学び知ることには無理があります。
・・・だから「完全真理」の理解・納得・確信が先になければ耕栄さんやファバラの理解が中途半端なままに止まる事になるのです。

だから・・・結果・形=偶像=を知ることではなく、また信じて=信仰・崇拝=することでも無く・・・その結果を成している原因(愛・エネルギーの出どころ)である意識(命)の真実・愛の真理を知ることが先決・重要です。

その始まりの原因(宇宙・神・愛)を知らないまま・・・ただ現れている結果ばかり気にしてどんだけ結果を積み重ねても、人間本来の生き方・役割使命ではないだけに・・・そんなことは「どうでもいい」ことになるのです。
・・・結果・形の成功者がこの世に通用しても・・・原因である意識の世界(あの世の次元世界)では通用しないばかりか・・・結果ばかり追い求めていたことに後悔して、なんて無駄な事を一生懸命やっていたのかと・・・実践で自己縮小するほどにその未熟さに思い知らされます。

だから・・・耕栄さんが成したことやファバラの結果が完全真理の全てでは有りませんから・・・もう一度初心に帰り・・・初めて完全真理に接し触れたときの思い感動・意識をそのままに・・・あとは完全真理の実践・意識改革の実践である「自己縮小」によって自信・自力を付けながら「完全」を知り、今の矛盾のある不完全意識を元の完全意識に戻すことが必要になるのです。

付録・・・私の住む所は異次元スポットかな・・・

2010年05月16日 | Weblog
昭和の巨大隕石の落下目撃、過疎地での珍しい自然現象やヘビの驚異的な能力、UFO目撃、ホタル大の発光飛行物体、異色生物・動物の目撃や捕獲

約50年前の私は定時性夜間高校に通学していたので、体育の時間は夕方の運動場でした。
いつものように運動場に出て担任が来るまでぶらぶらしている時、西の空に明るく光る星を見つけたつもりでしたが、その光が少し下がり気味になりながらどんどん大きく見えるようになり、それがやがて斜め上に見えた頃には真っ赤に焼けて光る塊が黒い煙を勢いよくなびかせながら猛烈な勢いで私たちの方向に近づきながらも下がり続け、やがて目の前を横切って西方向の瀬戸内海に向かって落下して行きました。

そんな巨大隕石の落下を目撃しているのに・・・その当時は単なる自然現象程度にしか思っていなかったので長い年月すっかり忘れていましたが(世間で騒がれた様子も無いことから)、それが昭和の「志度湾隕石」だったと知ったのは・・・私が過疎地で暮らすようになってからのことです。

そんな香川県の人間が阿波の山中で暮らし始めて満9年になり9月が来れば満10年になります。
その私の地所・境界線の隣に「船戸」神社があって・・・大昔は「船の港」だったと言う伝説もあることから・・・神代の時代の宇宙船の港、神が出入りする港だったようです。

そこで見た・・・二度と見れることが出来ないような非常に珍しいことや摩訶不思議な現象・異次元現象を紹介すると・・・

先ず最初に見たのが「二重の虹」でしたが、それも山間に浮かび上がったこじんまりとした小さな虹でした。
上側の虹がハッキリしていてその直ぐ下にぼやけた感じで二重になっていて、その二重の虹の下の半楕円形の景色もわずかに霞んでボケた風景に映っていました。

次にソ連の人工衛星が地球に落下する間際は肉眼でも見えるくらい地球に近いのか・・・その人工衛星(スプートニク)らしき物体が夕日に反射されて光っていたので見えたのですが、その物体が水平に移動する軌道を長い時間ハッキリと見えました。
その後にソ連の人工衛星が落下したニュースを知りました。

ラグビーボールと同じ形と大きさの黒いUFOが山肌すれすれに飛来し、その後も飛行を続けるのをしばらく目撃できました。
そのUFOを見る直前のことですが・・・小型のジェット推進音が近づいてくるので不思議に思い(自宅裏の)ヒノキ林の隙間から上空を見たときにちょうど小さな黒い飛行物体が通り過ぎるところでした。  だから高度はヒノキ林の真上ぐらいだから15メートルから20メートル程度です。
その黒い物体・UFOが見え隠れする方向に目線で追いかけると直ぐ下の見晴らしのよい広い畑の真上に出たので視界が広がったのですが(今度は推進音が消えて)無音で滑空していました。 しかもその先には高圧送電線の鉄塔が立っていますが、その鉄塔から垂れ下がっている送電線とその下に生い茂る立ち木の僅かな間をすべるように抜け、しかもその先に立ちはだかる山肌を迂回・避けながら飛行して前方の山間・谷間に入り見えなくなりました。
・・・しかしなぜ推進音を出してまで(低空で)近づいてきたのでしょう?・・・もしその推進音が聞こえなければ当然ながら・・・林の中に居た私が上空の飛行物体を目撃することにはなっていません・・・

その1年後あたりにまた同じ近くの場所でしたが、今度は馬鹿でかい推進音(急降下爆撃音に近い音)が聞こえてきたかと思うとそのままの勢いで突撃態勢のように現われたのが・・・色合いや形が古臭い戦闘機・ゼロ戦に近いが、ゼロ戦よりも胴体が細長い単発プロペラ飛行機でした。
民間や自衛隊の飛行機とは見た目に古臭くて違うし、その飛行先の山を越えれば河川敷に降り立つハングライダーが飛び交っているのに、その突撃・爆撃態勢の低空飛行を続けて飛び去りるような常識はずれの無茶は出来ません。

異色の動物としては・・・
昼間でしかも目の前で光に輝くような金色の毛並みをした大タヌキが突然現われたこともあります。
・・・野生のタヌキは泥色をしていて小柄で痩せて細長いのに金色の毛で丸々とした大タヌキでした。
金色と言えば、ハムスターに見間違えるような金色の毛並みのネズミが自宅の(ゴミ置き場の)罠(チャン)に挟まれて死んでいました。
・・・珍しいとは思いながらも自宅に捕獲したタヌキがいたので餌としてやりました。
ネズミと言えば、粘着剤つきのネズミ捕りに生まれたての2匹のネズミと同時に、同じく黒っぽくて体毛は少なく鼻先・口先がとがった3・4cmほどの小型生物・・・モグラの生まれたて?・・・が捕まって死んでいました。

庭先に放置していた廃品のポリ洗面器に雨水が貯まって真冬の寒さで凍りついていたのですが、その洗面器が邪魔になったので取り壊すと、その中に蛙のお玉じゃくしが5匹ほど動いていました。
真冬のお玉じゃくしを見て不思議にも思えましたが、関心が薄かったので近くの草むらに捨てました。

坂出の知人が家族で山へ遊びに来たときに散歩がてら山野草を探していましたら、その知人が声を上げたので近くに行くと40・50センチの細長い褐色がかったヘビが大きなガマカエルの頭をくわえて飲み込み中でしたが、ヘビの胴体と頭が親指大ですがガマカエルの太さはヘビの頭の3倍以上もありましたから、どうやって飲み込むのかしばらく見ていましたがそれ以上進行することもなかったのであきらめて現場を離れました。

それと似たことがあったのが・・・裏庭のヒノキ林を網で囲ってその中に鶏を放し飼いにしていますが、元気の無い鶏をゲージに入れていたらヘビ・青大将が侵入してその鶏の頭と首を飲み込んでいたが、やはり大きな胴体部分で飲み込みが止まっていました。 そこでとっさにヘビを叩いて吐き出させたのですが・・・あとで思ったのですが、あのままに放置していれば全部を飲み込んで青大将が幻の「ツチノコ」みたいになっていたのではと・・・残念に思っています。

そして昨年(2009年)の夏場でしたが・・・60~70cmの青大将が張り巡らしている網囲いを抜け出るのを遠目で見たので、穴でも開いているのかと現場に行くと何処にも穴が開いている様でもないので不思議に思っていました。
その数日後にその網目(1cm角)に首を突っ込んで抜け出せなくなっている青大将(胴回り4cm)が宙ぶらりんで引っかかっていました。
と言うのも、頭や胴回りを網目に合わせて細めて出入りできても、その時は鶏の卵を飲み込んでお腹が卵形に膨れていたから網目をすり抜けられなかったのです。
そしてヘビの皮は木登りが出来るようにウロコ状になっていますから網目に引っかかってもバックできないのです。
そこで今度はそのままにほっといてどうなるのか見届ける事にしました。
数日間は生きていましたが、それでも飲み込んだ卵が消化できなかったので逃げ出すことが出来ずに死にました。
それもそのままに放置していると夏場だけに直ぐに腐って、背骨に少し先が丸まった細くて短い骨格が所々連なったのと殻のままの卵とが一緒に地面に転がっていました。

地表の温度が下がっていない冬の昼間に・・・小粒に固まった雪の結晶(雹)が急に降り出して一気に1cm位積もりました。
そのあと直ぐに天気になり、その日差しがきつく感じるくらい気温が暖かくなりはじめました。
そうすると積もっていた雪が急速に溶けだして湯煙のように蒸気が立ち昇り、我が家周辺の雑木林や植林しているヒノキ林からもどんどん湯気が立ち昇り視界が5mくらいになり周辺全体が日差しに輝いた真っ白な明るい濃霧に包まれました。
その霧の中から空を見るとかすかに晴天の青さがにじんだように見えていました。
その霧に囲まれているときに・・・この霧が晴れたときに別世界になっているのではと・・・マジに思わせるような現象でした。
・・・小雪が降って濃霧になって晴れるまでの時間は30分くらいでしたが・・・よほどの気候や温度などの条件がそろわなければ二度と見られないでしょう・・・

昨年の秋(2009年)のことですが・・・4ヶ月の間にホタルのように光って飛ぶ生物・物体を夜中に6回見ました・・・夜中の立ち小便に出て・・・
川も流れていない山の上に季節外れのホタルが居る筈も無く、ましてクリスマスの飾りに使うツリー球に劣らないような光を放ち続けるホタルが居る筈も有りません。
最初の2回は(庭先の土手下)同じ場所で同じ光景でしたが、ホタルのように点滅をしないで光ったままゆっくりと流れるようにやや水平に5メートルほど飛んで生い茂る雑草の中で光が消えました。
3回目は飛び立つ場所は同じでしたが、今度はスピードがやや速く土手の上に浮かびあがってそのままに私の横を横切り、そのままの高さで雑草が生い茂る土手で止まって消えました。
4回目は夜中のパチンコ帰りでしたが、自宅より50メートル離れた車置き場の直ぐ横の山の斜面から光りながら飛び出してきて、今度はゆっくりした間隔で点滅を繰り返しながら車の上を通り抜けて下の竹薮(神社の上側)に消えました。
5回目は自宅横のヒノキ林の中で止まったまましばらく点滅を繰り返していました。
6回目は立小便している足元でいきなり光りだしてそのまま光り続けていたので、一旦その場を離れ直ぐ近くの野外テーブルの上に常時置いているライトを持って来た時はすでに消えていて、その場を照らしてみたが生物物体らしきものは何一つ見えませんでした。

今年の2010:3月の中旬でしたが・・・前日まで暖かい日が続いていたのに急に寒気が到来して寒い夜でしたが、その朝に目覚めたら庭先に置いてある水バケツに氷が張っていて、その凍りついた表面の中心に・・・高さ5センチ、下幅1・5センチ・上幅2センチ程度のトロフィー・カップ型(平たい楕円形の氷柱)が立っていて、しかもその氷柱の内側が同じカップ状に底辺まで窪んでいて、そこに数滴のお酒でも注ぎ込むことがきるだけの空間が空いているのですから、その形はまさに氷のトロフィー・カップでしたから・・・氷柱現象にしては異色です。
・・・寒い朝でしたから昼まで原形をとどめていましたので、それを見るたびに・・・なんで!そうなるの?・・・その不思議さにしぜんと微笑・可笑しさが出てきて楽しい思いをしました。

2010:4月(自宅・室内)・・・夜は冷えることから電気コタツに入ってテレビを観ている時・・・横1メートルくらい離れた所(畳の上)に物が落ちる”ドスン”という鈍い音が聞こえたので見ると・・・動物実験に使われている「クマネズミ」(黒と茶色の毛を持つ大型ネズミ)が脳震盪を起こしたのかフラフラの状態で体を立て直そうとしていました。 そのあとよろめき転倒しながら何とかテレビ台の下に逃げ込みました。 ところが・・・逃げ込んだテレビ台の下にもコタツの中や近辺の締め切った座敷にも大きなネズミが蒸発したかのように見当たらなかったのです。
更に不思議なのは・・・天井にネズミが落ちるような隙間や穴があるはずも無く、まして天井下壁の側面にネズミが歩けるほどの出っ張りも無いことから・・・次元スポット(穴)に落ち込んで・・・ワープで現れて、そのワープで消えたのかな?

まだまだこれからも不思議が現れるかもしれませんが・・・
これらは(私の中にある)事実ですが・・・ 此れほど不思議が続くのなら証拠写真を撮って残すことを思いつきますが・・・ それを意識して「待ち構える」目的意識から(期待・執着)・・・ 携帯カメラを持ち歩いている限りそのチャンスはたぶん無いでしょう・・・

また例え・・・UFOや発光生物などの証拠写真・映像を撮ってそれを見せたところで・・・また長時間原形を保っていたカップ型の氷柱をご近所の人に見せたところで・・・ただ不思議がる結果だけで終わります。 またそれを聞いただけの人は信じるか否かになります。
だから・・・結果を知ることも(この世では)必要だが・・・(信じるか否かでも無く)・・・その結果・事実が起こる元となる原因・真実を知ることが重要なのです。
その真実・原因を教えてくれるのが・・・「完全真理」なのです。

完全真理を実践していても、自らを束縛制限して不自由・不平等な生き方をしている場合も多い・・・

2010年05月10日 | Weblog
プライドが高い人ほどこと細かく選り好みすることが多いので・・・その分だけ自らを束縛制限します。
就学・就活などで・・・ブランド志向、規模や内容や収入の比較、立地条件や快適便利な条件などと選択を狭めます。
婚活にしても、生活の場にしても、その選り好みがすぎたり、食品物質も同じく、大差が無くても選択を厳しくしてこだわり執着します。

また・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、怖がる・・・すなわち否定反発・排除したがる敵対意識や不信感を持っていることでその不安心配・恐怖心から自らを束縛制限していることに気付いていません。
しかもその否定反発・排除したがることが真理で言う・・・敵対意識・守り闘う意識や不信感であることに気付かない人もいます。

そして独りでいると寂しいから怖い・・・薄暗い場所は怖い・・・不潔な場所は怖い・・・ またウイルス・ばい菌は怖い・・・その病気が怖い・・・などと怖がる中に不信感を自他共に持っています。 すなわち・・・自分に自力・自信が無いから「自己不信」で自らを不安・怖がり」また「他を信用できないで怖がる」ことからも・・・恐怖心が多くなるのです。

不衛生不潔を嫌う人は・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
家畜や動物を怖がったり毛嫌いする人は・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
飛行機や船に乗るのが怖ければ・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
高所恐怖や閉所恐怖があれば・・・それらに接し触れ合うことを制限します。

危険な場所を怖がれば・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
寂しがりやの人がお一人様生活を選択することはまずありません。
ヘビやムカデや毛虫やクモなどが怖ければ荒れ果てた場所や茂みや藪の中に分け入ることをためらいます。
薄暗く陰気て気味悪いと思う家屋で生活することはまずありません。
快適便利な生活を望む人が何かと不便な場所で生活することはまずありません。

だからその分だけ自らを束縛し制限していますから・・・生きていく過程での様々な状況での選択肢が少なくなります。
そして好き嫌いで選り好みするから・・・その分だけ不自由することも多くなります。
だから・・・就職難・就職氷河期だと(有事だと)世間で騒がれています。
また・・・生活苦・貧困格差・無縁社会などと(有事だと)騒がれています。
また・・・リストラ・過重労働・過労死・ストレス・うつ病・精神疾患・自殺など(有事が)騒がれています。
また一方では(失業者が多いのに)・・・人員・人手不足でやむなく事業縮小や廃業に(有事に)追い込まれている中小企業や地場産業も多い・・・矛盾があります。

そこで・・・プライドが無く、比較差別が無く、思惑目的理想が無く、その選り好みをしなければ・・・必然・ご縁で恵まれ与えられたものを素直に受け入れ接し触れ合い味わっていれば・・・いつの間にかそれらの(知らなかった)真実が見えてきます。
だから(私の場合は)・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、怖がるなど、否定反発・排除したがる敵対意識や不信感・不安心配・恐怖心が少ないことから、一般的ではない居場所・環境・状況の中でも平然と(成り行き任せで)自分らしく生きています。
・・・此れまで草刈・伐採・畑仕事・溝ざらえなどを手伝ったりして、その面白さ楽しさを実際に味わい知りました。
また・・・熱かろうが寒かろうが、汚くて臭かろうが・・・その下水・排水の土木作業や牛飼いの餌やりの下手間・単純作業のバイトに携わったことで・・・此れまで知らなかったことを(精神的・技術的なことを含め)多く学び知りそれが自力になり、またその楽しさを味わいながらも収入になるという喜びを・・・はじめて知りました。

ところが・・・私の生活ぶりをかいま見たり、通りがかりに見たりして、その見た目だけで判断している人であれば・・・何でそんな所でそんな生活・仕事をしているのと・・・貧乏哀れ惨め気の毒に思ったり、無能な非生産性に見えたり、無縁孤独の非人間性やその老後生活が非社会性に見えたりして・・・私の生き様を否定反発しているかもしれません。
そんなことから・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、むやみに怖がるなどの否定反発排除意識を過剰に持っていると・・・(たとえ完全真理を実践していても)片手落ち偏見になり、まだ知らない真実・事実・本物を学び知ることにはなりません。 

その逆に選り好みをせずに、全てを必然と思い、素直に接し味わってみることによって(結果はどうであれ)そこで始めて今まで知らなかったその真実が見えてきたりして・・・すべてが「ひとつ」ですから(あらゆる全てが一つの真実につながりますから)・・・その「ひとつ」の完全な「宇宙・神・愛・命・意識」の真実を学び知ることにもつながるのです。

しかし良いとこ取りの選り好みやその先入観に囚われていたら(完全を知ることも出来ずに)自らを束縛制限していますから・・・その分だけ自力・自信が乏しくなり・・・(この先々で)この世に起きている様々な有事に遭遇したり、その有事の火の粉が我が身に降りかかってきたときに混乱・動揺して(予期せぬ結果に)上手く順応・対応できないまま・・・その未練・後悔・執着に囚われてしまって・・・いつまでも思い悩み苦悩する生き方が続くことにもなるのです。

だから・・・自分の都合が良いことを取り、悪いことを否定排除したがる(臭い・汚い・気味悪がる・毛嫌いする)(不信感で怖がる)その分離意識(差別・特別意識)を無くしていくことになる・・・「自己縮小」が言われているのです。

人間として「持たなくて」いいものを持っている人が大勢居ます。

2010年05月08日 | Weblog

人間として「持たなくて」いいものを持っている人が大勢居ます。

まず・・・「私は正しい」の正義感・潔癖症や完ぺき主義の人はその分だけ否定反発・拒否排除したがることを多く持っています。 
だからその分だけ・・・嫌いなことが多く(喰わず嫌いが多く)選択肢が少ないことから・・・また用心深いことからも・・・物事の真実・本質を知るチャンスが少ないので・・・どうしても偏見・片手落ち・不具合の多い精神的欠落の欠陥人間になりやすいようです。

しかも自己主張・自己顕示が強いこともあり、また「良いとこ取り」が多く、その選り好みが激しいだけに偏りすぎた生き方になっていて、その分だけ自力が少なくて不自由することが多くなり、その分だけ他力・物質金銭を多く必要とします。
だからその分だけ・・・貧困・貧乏が大嫌いですから・・・お金に過ぎた執着心を持って(苦労して)います。

そして・・・「守るために闘う」・・・敵対意識・不信感を隠し持っています。
だからその本心を悟られないように・・・自分を良いように見せ掛けるために(自分の味方を増やすために)威勢・虚勢を出して見せたり、世間体や見栄に相当な気を配ります。
その反面(裏を持っていますから)・・・世間で言う不義理な人、不道徳、非常識な人に強い反感反発を示します。
だから人様を裏切りやすく、また反対に(用心していても)思わぬ人から裏切られやすいタイプでもあります。

そして・・・宇宙エネルギー・意識エネルギーやUFO現象・摩訶不思議現象・異次元などの事柄に至っては・・・不信感も強く、その分だけ宇宙や神に対する認識も薄く、その分だけ精神世界にも馴染みが少なく、現実世界・俗世界に執着が強く、衣食住・名誉名声・権威権力・財力に関心が高く、その分だけ喜怒哀楽や生老病死を気にし過ぎた生き方になり・・・生きてはいるが生きた心地がしていない・・・すなわち不平不満・不服、不安心配・恐れ、苛立ち、うらみ・妬み・やきもちの嫉妬、報復・仕返しの制裁・復讐、やけくそ・破壊意識などで・・・苦労・苦悩することも多いようです。

そんな人々と友達・仲間になっても・・・(私は)気疲れ気苦労が多いだけです。
だから・・・見栄や世間体や喜怒哀楽・生老病死に執着している人、自己主張が強い人、不平不満を表す不機嫌な人などと接する中でいるよりも・・・少々不便・不都合であっても、お一人様暮らしが気楽なのです。
そして・・・(数少ないが)完全真理・意識のことが話し合える人や私を必要としてくれている人達やお互いを分かり合える人と接することが出来る人間関係(調和)だけで・・・それで十分なのです。

生活の上で不平不満を言うことが当然と思っていたり、ご都合主義の自己中心・個人意識を変革改革することに無理がある・・・(否定反発したり言い訳正当化したがる)夫婦・家族の人間関係や地域社会の人間関係・しがらみから意識離れして暮らすのも(わが道を歩くのも)・・・リセット・再出発・やり直し・・・生きながらにして二度の生まれ変わりの新たな生き方を味わえる人生になるかもしれません。

良い悪いで判断したり、好き嫌い・損得・優劣で判断したり、先入観・思い込み・自己洗脳・自己暗示で決め付けたり、不信感を持ったり、事故や災害や病気や死の不安心配・恐れから守り闘うより、喜怒哀楽の感情をあらわにして生きることより・・・また他に有って自分に無いものを欲しがったりしないで・・・ 
・・・今に満足し、与えられるまで待つ・・・成るようになる(時の流れに任す)・・・そんな精神的な安定・平穏・安泰の生き方を味わう人生にも此れまでと違ったものを得ることがあり・・・また自然体で成るようになってきた此れまでの現実・事実を思い起こせば・・・ その与えられ恵まれた必然・ご縁・お仕組みの流れに乗る(来るものは拒まず去るものは追わず、否定反発排除しない、未練後悔執着しない)生き方の気楽さやその面白さに生まれて始めて気付き知り・・・しかも未知の領域までが現実・事実に見れることもあったりしたお陰で・・・宇宙・光・神・命・愛と言われる意識エネルギー・万物が持つ意識エネルギーの実在を確信するまでになった・・・私です。

この世の形は共に生きる手段・形・結果ですから、その結果の原因である意識・本質が裏に隠れています。

2010年05月04日 | Weblog
私たち人間は・・・始まり無き終わり無き宇宙・神・愛と同じ意識・・・すなわち宇宙意識・神意識・愛意識と言われる完全意識に成るために生きています。

だから・・・国家政治経済を動かす人物に成ることではありません。
また・・・専門知識を生かした学者先生や博士に成ることでもありません。
また・・・神の手を持つ有能な医者や患者さんに優しく接する看護士や介護師に成るためでも、学生やその家族や教育委員会に人気のある先生に成るためでも、特別な才能を生かして人に役立つ仕事・制作に従事する人に成るためでも、差別問題に取り組んだり、自然環境や動物保護に関わるためでも、奉仕活動や寄付集めに関わるためでも、身近な地域に貢献できる人に成るためでも、豊かな衣食住や快適便利な道具を揃えた家庭生活を築くためでも、先祖や両親や家族を大事に守るためでもありません。
また・・・無農薬・無肥料で安全で美味しい作物を生産したり、創意工夫を生かして豊かな産物を生産したり商品販売に携わるためでもありません。 また自給自足の生活をしたり、田舎で呑気に暮らすためでもありません。 またフリーターやホームレス生活を味わうためでも、無縁孤独を味わうためでもありません。

すなわち・・・この世で生きて行く為にある手段・道具・形そのものを欲し求めたり、それらを気にして生きることではなくて・・・その生きている原因である人間の「意識・命」のことやその役割使命を深く学び知り、その学び知ったことを生活の中で実際に実践してみることか先決であり、それがやがて(偽り無き完全な本物の)神や愛の実在を知ることになり、その実在する神や愛と万物・人間がいっさい離れていないことの・・・「すべてはひとつ」を学び知り・・・その「ひとつ」を良い悪いで分離判断し比較競争している差別意識や特別意識の過ちを学び知り、その良いと悪いで判断している自己中心の個人意識を無くしていくために・・・この地球で姿形の肉体を持った人間として生きているのです。

だからその人間として生きるための手段・形を幾つも身に付ける(持つ)ことではなくて、人間の本質・原因を学び知るためにこの世の形があるのです。
それが・・・いつの間にやら「生きる手段」結果・形・偶像そのものが人間の本質を決める役割や見極める手段にもなっているのです。 すなわち・・・原因意識を見ないで結果・形に意識が縛られているのです。

そして・・・過去の神仏崇拝意識や宗教思想哲学の影響を受けてか・・・善行を称え、悪行を戒め否定反発排除することが正しいと意識するようになったのです。
その際たるもの・形が・・・正義や聖戦という形に表れ、悪敵から守り戦うことを善しとする意識が集合して戦争やテロや復讐制裁が正当化され、その双方が正当化した正義感の矛盾によってこの世が混乱しているのは・・・知る人が知る事実です。

そして・・・この世の形は人間として共に生きる形ですから・・・お陰様とお互い様の関係にあります。
しかし・・・矛盾で成り立っていることから・・・良いこともあれば悪いこともあります。
だから・・・自分さえ良ければのご都合主義で生きている限り・・・その都合が悪い事に対しての不平不満が原因で裏切り関係が起こるのです。 だから・・・共に生きる形の中であっても安心して居られないのが・・・今の家族・地域社会・国家の人間関係です。

だから良いと悪いに分け隔てて判断している限り自由・平等の平和・調和はありません。
あるのは矛盾とその妥協と言い訳正当化された不完全意識だけです。
そんな矛盾・差のある不完全なこの世で何を成しても全てが不完全な差のある結果になりますから・・・そんないい加減な不完全な形に意識を奪われること無く(そこで止まる事無く)・・・比較競争差別意識やその喜怒哀楽の感情に支配されないで・・・己が学び知った完全真理の実践意識で日々を過ごす事が肝心になるのです。

そんなことから言えば・・・世間や家族とのしがらみを気にしないで済む・・・今の過疎地での年金お一人様暮らしは私にとって居心地のいい・都合の良い形になっています。
しかもその形は「生きる」ための手段・形を縮小した結果になりますから・・・自ずと(真理で言われる)精神・意識面での自己縮小につながり、そのお陰で不平不満になることも減り、また喜怒哀楽に感情が支配(執着)されないことからも思い悩み苦悩することも殆どなくなりましたし、この先に起こるであろう有事・病気や介護、また孤独死・無縁死に直面することになっても・・・慌て騒がず静かに成り行き任せにして・・・それらと「守り」「戦う」ことにならない自信や自力を持つことにもつながりました。

ちなみに・・・自分を守り闘うことでその敵対する相手が更に強固・頑固になりますから・・・あるがままに相手の存在を素直に認めて優しく接すれば相手の心に穏やかさが戻ってきて、それ以上に争いが進化拡大することにはなりません。
だから人間同様に・・・病気細胞・病原菌も同じ意識体ですから・・・(例えば)ガンを恐れ闘うことをすればそのガンも強固・頑固になりますから、当然治療も更に強化しなければなりません・・・だから(ガンに限らず)あらゆる病気と闘う苦悩とイタチゴッコが続くのです。

だから・・・何事とも守り闘わない・・・すなわち否定反発・排除しない・・・あるがままに事実を認めてあとは成り行き任せにする。
そして・・・結果を求め欲しがらずに・・・ただ静かに「待つ」
またその結果・形がどうであれ・・・今を生きている喜び感謝と生かされている喜び感謝を知ることが大切なのです。