すべては「ひとつ」であり・・・そのすべてに「意識」(命)があり、その意識(命)に「エネルギー」があり、その意識(命)エネルギーを持った「すべて」(宇宙・万物)がひとつにつながって動いています。
だから・・・すべての宇宙万物の意識・エネルギーが絡み合い・網羅され・調和しあっています。
だから・・・世間で言われるような奇跡・超常現象は・・・宇宙・万物の見えない意識・エネルギーが上手く絡み合い作用し合って、それが見える形になって現れただけのことです。
だから・・・過去のイエスや釈迦らや今の宗教家・教祖・サイババの類などから・・・ 今の完全真理の山田耕栄さんが成して見せている形(一般的に言われている奇跡)は・・・それらの人の意識・エネルギーによって「成せることを成して」見せることが出来ただけで・・・その人にとっては当たり前の成せる事を成して見せた事実だけですから・・・宗教のように「信じるか否か」でもなく、また世間で言うような特別(奇跡)を成したことではありません。
だから・・・完全真理の山田耕栄さんが完全意識エネルギーを使って何を成しても・・・(当たり前だから)特別なことを成したのではありません。
また・・・その意識エネルギー・ファバラエネルギーで病気や怪我の治癒を早めることが出来て大勢の人が喜んでも、また今まで見たことが無いような事をたくさん見せてくれても・・・それらの人の病気や怪我になる原因の不完全な意識まで変えることは出来ません。
だから・・・意識・エネルギーによって奇跡を巻き起こすことが(形を変えたりして結果を見せることが)耕栄さん本来の役割使命ではありません。 あくまで「完全真理」を世に広めそれを実践する人が一人でも多く増えることが本命だと思っています。
だから・・・奇跡のようなことをして見せたりするのは・・・その原因となる意識・エネルギーの実在・真実を確信するためのものであり、自意識を確認するためにも役立つものであり、また意識エネルギーの元となる原因意識を改革していくための(実践に結びつけるための)・・・必然から生まれた手段・形ですから・・・耕栄さんやファバラの成した結果や評価をそのままに伝えてその形・結果を普及させることが完全真理の本命ではありません。
それを何処で勘違いしたのか・・・(超常・奇跡現象を成す)耕栄さんを特別に思い、そのファバラエネルギーを特別に思って、耕栄さんが居てファバラがあればそれで十分と思っている人が増えているようです。
だから・・・完全真理の実践意識がなおざりになり、または完全真理の実践はどうでもよいことにもなったりして・・・いっこうに完全真理の理解を進めないままに・・・(意識的に)耕栄さん頼り、ファバラ頼りの他力依存意識の方が増えたようです。
だから・・・何度も頻繁に耕栄さんのもとに集まっているベテランさんでも・・・完全真理の愛を不完全な人情・愛情に置き換えたり、ただ「信じて」耕栄さんに従っている宗教まがいの意識の人も多いようです。
この世で初の完全真理を知り、その完全真理の実践をして、その完全真理の完全を身を持って知ることがなければ(自覚・悟り)・・・たとえ耕栄さんの意識エネルギーを受けても、またファバラをいくら愛用していても、それは所詮形の結果を知るだけですから・・・(補助役になっても)大元の原因である意識のことを教えてくれている完全真理やその完全意識エネルギーのファバラなどの根本・原因を悟り知ったとは言えません。
すなわち・・・完全真理を学び知り実践するためには・・・耕栄さんの成したことやファバラの結果を知ることも必要ですが・・・
それだけでは片手落ちですから(真理の一端を知っただけですから)、それで満足していれば矛盾の無い完全真理を完全に学び知ることにもならないし、原因である意識・エネルギーの実在を確信していなければファバラの結果を完全真理の理解やその実践に活かすことにならないから・・・その真実・事実を知らないままに(中途半端なだけに)・・・ただ「信じる、信じている」だけになり・・・耕栄さん信者・ファバラ信者のようになって・・・完全真理から離れた・・・結果・形の偶像崇拝のカルトに似てきます。
それを言い換えれば・・・★先に完全真理を知れば知るほどに・・・耕栄さんが皆の前で色々と成して見せている結果のその原因も、またファバラの結果が出るその原因も同時に悟り知る事になりますが・・・ ところが耕栄さんの成した結果やファバラの結果だけでは・・・完全真理が説く宇宙万物の意識・命・愛の真実、本物の愛の真理を学び知ることには無理があります。
・・・だから「完全真理」の理解・納得・確信が先になければ耕栄さんやファバラの理解が中途半端なままに止まる事になるのです。
だから・・・結果・形=偶像=を知ることではなく、また信じて=信仰・崇拝=することでも無く・・・その結果を成している原因(愛・エネルギーの出どころ)である意識(命)の真実・愛の真理を知ることが先決・重要です。
その始まりの原因(宇宙・神・愛)を知らないまま・・・ただ現れている結果ばかり気にしてどんだけ結果を積み重ねても、人間本来の生き方・役割使命ではないだけに・・・そんなことは「どうでもいい」ことになるのです。
・・・結果・形の成功者がこの世に通用しても・・・原因である意識の世界(あの世の次元世界)では通用しないばかりか・・・結果ばかり追い求めていたことに後悔して、なんて無駄な事を一生懸命やっていたのかと・・・実践で自己縮小するほどにその未熟さに思い知らされます。
だから・・・耕栄さんが成したことやファバラの結果が完全真理の全てでは有りませんから・・・もう一度初心に帰り・・・初めて完全真理に接し触れたときの思い感動・意識をそのままに・・・あとは完全真理の実践・意識改革の実践である「自己縮小」によって自信・自力を付けながら「完全」を知り、今の矛盾のある不完全意識を元の完全意識に戻すことが必要になるのです。
だから・・・すべての宇宙万物の意識・エネルギーが絡み合い・網羅され・調和しあっています。
だから・・・世間で言われるような奇跡・超常現象は・・・宇宙・万物の見えない意識・エネルギーが上手く絡み合い作用し合って、それが見える形になって現れただけのことです。
だから・・・過去のイエスや釈迦らや今の宗教家・教祖・サイババの類などから・・・ 今の完全真理の山田耕栄さんが成して見せている形(一般的に言われている奇跡)は・・・それらの人の意識・エネルギーによって「成せることを成して」見せることが出来ただけで・・・その人にとっては当たり前の成せる事を成して見せた事実だけですから・・・宗教のように「信じるか否か」でもなく、また世間で言うような特別(奇跡)を成したことではありません。
だから・・・完全真理の山田耕栄さんが完全意識エネルギーを使って何を成しても・・・(当たり前だから)特別なことを成したのではありません。
また・・・その意識エネルギー・ファバラエネルギーで病気や怪我の治癒を早めることが出来て大勢の人が喜んでも、また今まで見たことが無いような事をたくさん見せてくれても・・・それらの人の病気や怪我になる原因の不完全な意識まで変えることは出来ません。
だから・・・意識・エネルギーによって奇跡を巻き起こすことが(形を変えたりして結果を見せることが)耕栄さん本来の役割使命ではありません。 あくまで「完全真理」を世に広めそれを実践する人が一人でも多く増えることが本命だと思っています。
だから・・・奇跡のようなことをして見せたりするのは・・・その原因となる意識・エネルギーの実在・真実を確信するためのものであり、自意識を確認するためにも役立つものであり、また意識エネルギーの元となる原因意識を改革していくための(実践に結びつけるための)・・・必然から生まれた手段・形ですから・・・耕栄さんやファバラの成した結果や評価をそのままに伝えてその形・結果を普及させることが完全真理の本命ではありません。
それを何処で勘違いしたのか・・・(超常・奇跡現象を成す)耕栄さんを特別に思い、そのファバラエネルギーを特別に思って、耕栄さんが居てファバラがあればそれで十分と思っている人が増えているようです。
だから・・・完全真理の実践意識がなおざりになり、または完全真理の実践はどうでもよいことにもなったりして・・・いっこうに完全真理の理解を進めないままに・・・(意識的に)耕栄さん頼り、ファバラ頼りの他力依存意識の方が増えたようです。
だから・・・何度も頻繁に耕栄さんのもとに集まっているベテランさんでも・・・完全真理の愛を不完全な人情・愛情に置き換えたり、ただ「信じて」耕栄さんに従っている宗教まがいの意識の人も多いようです。
この世で初の完全真理を知り、その完全真理の実践をして、その完全真理の完全を身を持って知ることがなければ(自覚・悟り)・・・たとえ耕栄さんの意識エネルギーを受けても、またファバラをいくら愛用していても、それは所詮形の結果を知るだけですから・・・(補助役になっても)大元の原因である意識のことを教えてくれている完全真理やその完全意識エネルギーのファバラなどの根本・原因を悟り知ったとは言えません。
すなわち・・・完全真理を学び知り実践するためには・・・耕栄さんの成したことやファバラの結果を知ることも必要ですが・・・
それだけでは片手落ちですから(真理の一端を知っただけですから)、それで満足していれば矛盾の無い完全真理を完全に学び知ることにもならないし、原因である意識・エネルギーの実在を確信していなければファバラの結果を完全真理の理解やその実践に活かすことにならないから・・・その真実・事実を知らないままに(中途半端なだけに)・・・ただ「信じる、信じている」だけになり・・・耕栄さん信者・ファバラ信者のようになって・・・完全真理から離れた・・・結果・形の偶像崇拝のカルトに似てきます。
それを言い換えれば・・・★先に完全真理を知れば知るほどに・・・耕栄さんが皆の前で色々と成して見せている結果のその原因も、またファバラの結果が出るその原因も同時に悟り知る事になりますが・・・ ところが耕栄さんの成した結果やファバラの結果だけでは・・・完全真理が説く宇宙万物の意識・命・愛の真実、本物の愛の真理を学び知ることには無理があります。
・・・だから「完全真理」の理解・納得・確信が先になければ耕栄さんやファバラの理解が中途半端なままに止まる事になるのです。
だから・・・結果・形=偶像=を知ることではなく、また信じて=信仰・崇拝=することでも無く・・・その結果を成している原因(愛・エネルギーの出どころ)である意識(命)の真実・愛の真理を知ることが先決・重要です。
その始まりの原因(宇宙・神・愛)を知らないまま・・・ただ現れている結果ばかり気にしてどんだけ結果を積み重ねても、人間本来の生き方・役割使命ではないだけに・・・そんなことは「どうでもいい」ことになるのです。
・・・結果・形の成功者がこの世に通用しても・・・原因である意識の世界(あの世の次元世界)では通用しないばかりか・・・結果ばかり追い求めていたことに後悔して、なんて無駄な事を一生懸命やっていたのかと・・・実践で自己縮小するほどにその未熟さに思い知らされます。
だから・・・耕栄さんが成したことやファバラの結果が完全真理の全てでは有りませんから・・・もう一度初心に帰り・・・初めて完全真理に接し触れたときの思い感動・意識をそのままに・・・あとは完全真理の実践・意識改革の実践である「自己縮小」によって自信・自力を付けながら「完全」を知り、今の矛盾のある不完全意識を元の完全意識に戻すことが必要になるのです。