矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

この世に生まれ出た人間の役割使命を果たす事無くあの世に逝くのですか、

2015年04月09日 | Weblog
精神世界・完全真理・自己縮小の欲張らない実践のことを根掘り葉掘り書いていますが、それらを理解し納得できても、その欲張らない実践に到ることが出来ない人が多いことでしょう。

特に家族を持っている人ほどそう簡単ではありません。
何たって矛盾する不完全意識を持った者同士が同じ屋根の下で寄り添っていることからして、結果的には互いの思いを邪魔立てするのが家族関係だからです。

すなわち互いの意識のすれ違いやその差からして皆と意識が噛み合わないことになり、その思うがままにならない、その矛盾意識の世界を皆して共に学びあう関係でもあり、また他力依存にして欲張り合う関係にもなっているからです。

だから精神世界に係わって生きていこうとすれば恋愛関係や夫婦関係・家族関係やまた此れまでの仕事関係からも離れて行くことになるのが大方です。

そして一人では心許無いから同じような仲間が集まる信仰宗教に入信したり仏門に下ることにもなっているのです。

ところが同じ仲間と言えども人が集まると見栄や欲が出てきて比較競争して差を付けあうことになったり、また規則規律や戒律仏法などで何かと束縛制限され自由が失われますから、結果的には精神世界に身を置いている名目があるだけであって俗世間&家族家庭生活と何ら変わりがありません。

そこでそれら煩悩&欲から離れるために様々に用意されたその修練鍛錬修行に没頭することにもなります。
ところがそんな名目の見栄を張り、頑張り、無理することは、結局は欲張っているからこそ出来ることです。
結局は誰もが欲から離れられないのです。

だったらそんなに努力・苦労しなくても、俗世間&人間関係の柵シガラミから離れるだけで、(仏門に下った如くに)精神世界に身を置いたも同然にして生きることが出来るのです。

すなわち世間・人間関係の柵シガラミから離れて仏門に下るのと同じ自己縮小の実践がいとも簡単に実現できるわけです。
しかも常識・伝統風習や道徳・仏法戒律も関係なく、自由気ままで呑気気楽・楽チンにしてなせるのです。

と言うことからして「大切なものを得るために大切なものを手離す」ことになるその矛盾、また「捨てる神あれば拾う神あり」からして手離した不幸が幸にもなるその矛盾の世界を知ることも大切なことです。

何はともあれ俗世間の矛盾や人間関係の矛盾を味わい続けながら人生を終えるだけでは真の精神世界を知らずにして死に到ることになりますから、この世に生まれ出た人間の役割使命を果たす事無くあの世に逝くことになります。

然るにそれでも「大丈夫」なのですかと、ここに来られる皆さんに問いかけているのがこのブログです。

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