孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全と不完全、実在と非実在、矛盾と差、

2008年03月02日 | Weblog
空気や水は皆のものですから実在するものであり、実在するものはすべて愛です。
ところが、個人意識の悩みや苦しみは個人の中のものであって、皆のものではないから非実在になります。 だから、個人意識の中の幸不幸も天国地獄も自由不自由も平等差別も個の思い・想像・仮想・空想・推測の非実在になります。

あるがままに実在する神・愛が、非実在の悩み苦しみを与えることは決してありません。
あくまで個の思いが生み出したものであって、神・愛が神罰や見せしめや心の間違いを気付かせるためにしたことではありません。勘違いしないで下さい。 個の中のものはすべて個のものです。神が出して与えたものではありません。
すなわち、実在する完全なものが、実在しない不完全なものを作り与えることは不可能なのです。神・愛は一元なのです。だから神・愛は完全なのです。
だから、完全な実在する神が、非実在の個の思いの中に悩みや苦しみを与え持たせたり、その悩みや苦しみを取り除くような、二面性・二極性・裏表・矛盾することは絶対に出来ません。実在するものと実在しないものが同一して都合よく使い分けるようであれば、それは矛盾のある不完全な神・愛になります。

ところが、非実在の想像神・偶像崇拝の宗教であれば、原因・元が非実在だから、非実在の悩み苦しみを与えたり取り除いたりは出来ますが、元々が非実在だから、無いものを有るように言って聞かせ見せかけているウソ偽りの偽善になります。

悩み苦しみ・喜怒哀楽、生老病死は個人意識の中の非実在です。非実在だから元々から無いのです、ただ個人が喜怒哀楽・生老病死があると錯覚勘違いして、いかにも実在していると思っているだけです。
見えている結果・事実はすべて愛が表現されたものです、だから感謝することは有っても悩み苦しむことではないのです。 たとえ病気で介護されていたり死にかけていても感謝しかありません。 その感謝は愛ですから心にやすらぎがありますが、感謝が無ければ悩み苦しむだけです。 その悩み苦しみは誰も取り除いてくれません、己自身が持ったものは己自身が取り除くしか方法はありません。それを宗教の神・教祖の神・神の使い人・霊能者などが取り除いてくれるというのは、特別偉い救世主になりたがる偽善者や霊感商法や詐欺師の手口になりますので注意してください。

人間の肉体・精神体・感情体は非実在です。実在するものは永遠の命だけです。
体が痛む、心が痛む、体が苦しい、心が苦しい、愛情や怒り、欲望や衝動、等は個人のものですから非実在になります。

実在するもの神・愛・命には「差」はありませんが、その実在するものを頭の中で分け隔て差別すれば、それは個の頭の中のことだからすべて非実在になります。
実在するものは完全ですが、実在しない非実在は不完全だから、その非実在を幾らこね回しても完全(矛盾解決)になることは絶対にありません。
何度も書き込んでいますが、実在と非実在、完全と不完全、矛盾と差、このことをしっかり自覚できなければ何をやっても無駄骨になりますから、「あるがまま」の完全真理を理解する事が先決です。