孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

真面目真剣にして・本気になって・本物の精神世界を意識し続けることで・御身の心身が救われます。

2018年03月31日 | Weblog
私が思うに大昔ほど精神世界を意識している度合いが多く、文化文明が進化発展するほどに精神世界が疎かになってきたと思い感じます。

しかしながら人間本来は精神体が主であって肉体や感情体はオマケなのです。

ちなみに衣食住に恵まれ贅沢三昧している現在では…肉体や感情体が主体になり精神体は付録が如くになっていると思います。

だから肉体に拘り執着しているし、好き嫌いの感情からして選り好みして自分に都合が良い・その良いとこ取りすることに精出しています。

ちなみに感情からして恋愛ごっこや夫婦関係になるも…その裏では肉体の快感快楽となるセックスに執着しているのは間違いありません。

何たって昔はセックスに関することを表に出して話すことを恥じていた時代でしたが、今やセックスに関わる情報や映像が解放され氾濫しています。
…と言うことは皆の集合意識が表に出ていることになります。

しかも自然界に元からしてなかった人為人工的な趣味嗜好娯楽が氾濫していますが、昔は娯楽などに興じることは道楽者と言われ恥となる時代でしたが、今や公然となり、変化刺激に富んでいて・より高度で高品質が問われる時代となり、昔の素朴さ謙虚さが見当たりません。

何はともあれ…不便で物不足の貧しい時代ほど苦労と苦悩が多くて神様仏様にすがりたくなるも…
今や快適便利で豊かな生活からして神様仏様に関係ないが如くにして・己の肉体と感情体の拘り執着や変化刺激快感快楽に惑わされているから・精神体を意識する生活とはかけ離れています。

そんな中にも巷の宗教や神仏霊魂の世界や宗教とは言わないスピ系に関わっている人もいますが、その多くは宇宙・神・愛意識の仕組みの精神世界と言うよりも、邪道となる・人集め金集め物売りとなる・その主催する人的能力に頼る他力依存からして肉体や感情体に関わる苦から解放して欲しいと願ってのことだと思います。

また信じる神の布教宣伝活動に熱心な人がいますが、それも本来の精神世界よりも、その神を信じる仲間が一人でも増えれば、それが生き甲斐となったり、また同じ仲間が一堂に集まることで信頼し合ったり親睦を深めることができる、その楽しさ生き甲斐を共に感じることができるから皆して集まっていると思われます。

ちなみに入信し出家するほどの納得や真剣さ本気がなく…単に共感しあえる仲間が集まりまた共に行動できる喜び感激やの感情体が主体となり…本来の精神世界とは異なっていると思います。

何はともあれ…老人が昔は良かったと懐かしむのも…現在のストレスまみれに心身が疲れているからです。

ところが昔は良かったと懐かしむどころか寝たきり老人となれば尚更に深刻な状況となります。

だからそうなる前に巷のストレスから解放されることが重要となるのです。

然るに…本音にして・真面目真剣にして・本気になって精神世界を意識し続けることで気付き続け省みることになり…そしていつの間にやら無理なくストレスから解放されます。

ちなみに不完全にして矛盾偽善に満ちているこの世人間界で本気になってやることが無くても、己の中の精神世界となればいつでも本気になれます。

だから他力に頼らずにして…自らの心意識精神を自らの自力と自信でもって磨き高めることにもなるのです。

そしてストレスのない心穏やかな精神安定にして過ごすことができるのです。

恋愛円満・結婚円満・セックス円満・家族円満・仕事円満には相当な無理があります。

2018年03月30日 | Weblog
この世人間界は矛盾に満ちていますから、国家社会・政治経済がらみの諸々から、またそれら人間関係も含め、また身近な人間関係であっても、それらすべてが不完全にして不調和であり、自由平等平和とはなりません。

だから如何なる学校教育や教養を受けていても・思うようにはうまい具合にはいきません。

また好きな人と巡り合い恋愛結婚するも不調和からして離婚離別に至るのもあたりまえなのです。

また結婚生活の面倒に巻き込まれたくないことからして独身を貫く人も多いようです。

ちなみに結婚生活が順調に推移して子供が生まれるも、その教育指導しつけに苦労したり、時には不登校引きこもりになる場合があるし、上等な学校に入学しても問題が山積みになっていたり、上等な就職口があってもなかなか馴染めずに苦労することでしょう。

また会社の人間関係に翻弄されたり・上司から理不尽なことを押し付けられたりするし、それにも耐えて頑張るも倒産リストラ定年退職があります。

また商売であっても、上には上がいますから、いつなんどき食われるかもしれないし、倒産や廃業となったり、後継ぎがいかもしれません。

だから第一次産業であっても同じことです。

何はともあれ恋愛円満・結婚円満・セックス円満・夫婦円満・家族円満・仕事円満には相当な無理があります。

だから思い思惑理想目的なる夢もかなわずに不調和のままに推移していくことでしょう。

と言うことは…宇宙・神・愛の仕組みからして人間に課せられた…宿命・運命・試練とも言えます。

ちなみに優れた能力技能技術からして諸々の試練に耐えられる人もいますが、しかし試練に耐えれば耐えるほどに次から次とキリもなく試練が続くのがこの世人間界なのです。

そこで適当な位置立場で止まることになれば、やがて徐々に後退衰退して忘れられたが如くになるのもこの世人間界です。

ちなみにそれが夫婦関係であれば頼りがいのない人となるのです。
だから…頑張るならば・キリもなく頑張り続けなければならないのです。
…ちなみに途中で止まれば…過去の頑張りが無となるのは事実です。

ところがその矛盾偽善にふと気づき立ち止まり…結果的に世間離れ人間離れ家族離れとなり…孤独の自由となったのが私の現在です。

然るに…夢破れて…孤独の自由となったのです。

だから…頑張らない~楽になるブログ…と書き始めてから3700日が過ぎました。

何はともあれ…欲はキリもなく続くのです。

ちなみに妻の欲からくる押し付けに嫌気がさしたのも当然と言えば当然だったのです。

だから試練に耐えなくていいのです。

しかもそんな試練が元からないほうが人間らしく生きていけるのです。

ちなみに世間体・見栄・プライドを捨てて…負けるが勝ちにして…逃げればいいのです。

なのに勝ち組を選べば…勝ち続けなければなりません。

そしていつしか負けることがあれば…過去の勝ちが空しくもなります。

だから前もって諸々を捨てて無となれば頑張る必要も鍛錬試練もなくなるのです。

そして拘り執着未練もない…思い残しのない人生で終わり・三次元人間から卒業し成仏できるのです。

皆さんの意識精神がどうであれ…強制的に自己縮小となる人体のしっぺ返しや有事異変災害が待っています。

2018年03月29日 | Weblog
幼子を見ていれば分かるように…食って寝て糞をしながらにして生きているだけで十分納得できるのです。

ちなみに月信仰だった縄文時代は余計なこと無駄なことをせずに・人それぞれの自由にして・生きていくことだけで納得できていた時代だと言われています。

ところが太陽信仰の弥生時代になってからは効率能率が言われるようになり、またそのための人口の集合化組織化が進み、結果的には時代ごとに・戦争ごとに・文化文明の進化発展を繰り返しながら現在に至っています。

ちなみに能率効率を良くすることの裏には…手早く簡単に終わらせて・あとは楽にしてグータラしていたいとう精神の表れなのです。

ところが欲がありますから…そのグータラさえも能率効率を上げることに精出し…結果的には忙しく慌しい生活環境になったのです。

ちなみに学校教育やの学識知識教養なども…生まれながらにして持っているグータラ精神の効率能率を上げるための裏わざなのです。

だから何か事を成して・苦労して楽を得る・苦楽の矛盾となったのです。

然るに…苦労を買ってまでもしていればやがて楽になれるという…矛盾偽善で生きているのです。

だから食って寝て糞をしながらにして…ただ生きているだけでは…変化刺激がなくて面白くないとなったのです。

またその変化刺激を味わうことからして更に人為人工的な趣味嗜好娯楽を追い求めることにもなったのです。

そして自然界も人間界もヘンテコなことになったのです。

ところがその異変に気付き省み、また己の中の違和感や不信感を省みて…ことの原因が苦楽の矛盾にあると気付き納得確信となれば…その苦楽から離れ卒業するしか他に道がないとなるのです。

何はともあれ…矛盾に満ちたこの世人間関係の中で何か事を成しても…結果的には無駄で余計なことであり、わざわざ面倒くさいことを率先しているという…矛盾偽善となるのです。

ちなみに親が子に良かれと押し付けることは…子供にとっては面倒くさいことになるのです。
なのにあれこれと押し付けられるとその逃げ道がなくなり仕方なく部屋に閉じこもて・面倒なことから逃げたがるのです。

またそれはダメだと否定しあれこれと口出し手出しする人が回りにいれば、その人間関係さえも憂鬱になり・また理解されない不信感からして・その人間関係から逃げたくもなるのです。

だから子供に限らず…物事を押し付けられることで・面倒くさくなって・憂鬱にもなり・大人の引きこもりやうつ病にもなるのです。

ちなみに私のように過疎地でもって山奥ニートが如くに暮らしているのも人間関係家族関係から逃避しているともいえるのです。

ところが不完全にして矛盾偽善に満ちている人間関係に耐えて我慢できる人も大勢いますが…それがストレスとなって蓄積されているのは確かです。

その代替えに趣味嗜好娯楽に興じてひと時のあいだ逃げているのです。

何はともあれ…押し付けられることは面倒で嫌なのは本音だから…そんな人間関係から離れるためには…
そこで個人の自由にして・孤独の自由にして…そして欲張らない生き様に方向転換して…
そのグータラ精神でもって呑気気楽の楽ちんにして…ストレスのない精神安定にして生きていけばいいのです。

また矛盾偽善に満ちているだけに…自己拡大が終わり自己縮小となる時代が来るのです。

それを想念の世界・精神世界に例えれば…燃え盛る太陽信仰(ロウソク・線香・供養)が終わり、心静かな月信仰(水・自然体)に戻ることになります。

そして皆さんの思い意識精神がどうであれ…ストレスに満ちた人間関係の破綻が増え続けたりまた自然界の異変からして…強制的に自己縮小となる心身のしっぺ返しや有事異変災害が待っているのは確かなようです。

夢破れて「孤独の自由」となる。

2018年03月28日 | Weblog
この世人間界は良い悪い・善悪損得優劣で判断する矛盾意識でもって生きていますから、人それぞれの思い思惑がズレたり・どっちもどっちで中途半端になったりして・思うように上手い具合に行きません。

だから真面目真剣になるほどに食い違うと・うまい具合にかみ合わずに・意見が衝突することにもなっています。

しかも人間の本能に楽ちんでもって暮らしたいところがありますから、気に入らなことや面倒なことや余計なことは避けたがるグータラなところがあります。

何はともあれ…矛盾偽善関係からして…夫婦一体となって真面目・真剣・本気になって一緒に取り組むこともなくなり、結果的に互いが異なることをそれぞれが自由に取り組むことにもなります。

例えば夫はスポーツ・ゴルフに精出し、妻は生け花や茶道・パンやケーキやレシピに精出すようになります。

また夫婦して思いが合致して・その夫婦だけが取り組むことなら何とか成るが、その思いを我が子や人様に押し付けることになれば・面倒でややこしいことになったり・違和感や不信感にもなり・その人間関係にひびが入ります。

例えば良かれと思って親が我が子に面倒なことを押し付けたことからして引きこもりや不登校にもなります。

となれば…家族円満・夫婦円満・セックス円満とはならずに…何だかぎこちない関係となり…義理や人情で時たま一緒に行動するくらいになります。

だから将来の計画や理想目的も絵に描いた餅となり惰性的な生活が続くことにもなります。

ちなみに多くの人が真面目真剣本気になって取り組むことが減って、いい加減な程度の取り組みが増えたことからして…慢性化・惰性的になり…

例えばこのブログを読むのも真面目真剣さ本気がなくて・いい加減な思い感覚でもって読むことにもなって・自問自答することもなく・精神体・心底には届きません。
…ちなみに医者に従わない患者が如くなのです。


例え心底に届き自覚納得できてもその実践となると…此れまでの惰性マンネリ化の自力と自信の精神力の未熟さからして…なかなか本気になれません。

だから本気になって集中し熱中するのは自分に都合がいい趣味嗜好娯楽関係になります。

ちなみに自然学者が前々から指定している温暖化の異常気象なんかも知って知らぬふりして真面目真剣本気に取り組まないで・せいぜいごみの選別程度で納得しているようです。
…然るに医者に従わない患者なのです。

となればやはり…どうしようもないままに推移していくことにもなります。

何はともあれ…矛盾偽善に満ちていることからして…若かりし頃の夢破れ…巷の一般的な生活環境や立場となり…また一般的な老後となり…また家族や世間から見放されたような…はかなく・むなしく・わびしい孤独感に満ちた老後ならまだしも…それ以上に人様に厄介をかけるご老体となり生きていることが辛くなるかもしれません。

ちなみにそこで親孝行を望めば…親の得手勝手な子供に犠牲を強いる欲望であり・己の自力自信のなさの表れであり・その他力依存が強くなるだけです。

何はともあれ…矛盾偽善に満ちた人間関係だけに…己の先行きが世間や家族から厄介者や邪魔となり面倒くさがれるような立場環境になるのなら…
それ以前に己が先立ち世間離れし家族離れし、孤独の自由にして、欲張らずに、のんき気まま楽ちんのグータラにして過ごす取り組みを始めればいいのです。

ちなみに…夢破れて山河ありが如くにして…ロマンあふれる全国行脚・放浪の旅・サイドカーやリヤカーを引っ張っての旅・ツーリング旅・ライトバンの中で寝起きしながら旅をする…そのついでに神社仏閣や名所旧跡やローカル温泉巡りをする事例があり、

また世間の片隅で目立たずに素朴に生きる・また小さな漁村や限界集落でもって心静かに暮らす…町中ニート・山奥ニート・ルンペンなどの事例があります。

何はともあれ…迷うことなく自信確信にして納得人生を歩んでいれば…野垂れ死にしようが・白骨で発見されようが・空腹飢餓で死のうが・突然死や無縁死孤独死になろうが…思い残すことなく成仏できますし、人様に迷惑厄介をかけることも少なく・罪滅ぼしや自己責任を果たしたが如くに死ねます。

然るに…不完全で矛盾偽善に満ちた人間関係から卒業した生き様からして…人間本来の心穏やかにして生きていることの価値を見出せれば…拘り執着未練もない…思い残しもない納得人生となるのです。

好きな人と暮らし・セックス関係を願望する…肉体と感情体に執着して・精神体が疎かな事実がある。

2018年03月27日 | Weblog
食って寝て糞をしながらにして・ただ生きているだけで十分なのが・自然界に恵まれたこの世だからです。

ところが此れではダメだ何とかしなければと不満と欲からして執着し頑張った結果がヘンテコなこの世人間界なのです。

ちなみに欲張らずにして・必然ご縁の成り行きに任せて・グータラでもって生きていれば・自然界に悪さをすることも減り・人と人が争うことも・人殺しや戦争にもなりません。

然るに平和であり・誰もが差別もない平等であり・個人の自由があって・自然界に恵まれた調和の世界になります。

しかし欲張れば弱者を虐めることになり・自然界を汚染破壊することになり・不自由・不平等・不調和となります。

しかも己が加害者だけではなくして・その被害者の立場にもなっているのが・矛盾偽善に満ちたこの世人間関係であり・またヘンテコになっている自然界なのです。

然るに己の意識が原因からして・そのしっぺ返し・天罰が如くを味わう羽目にもなっているのです。

しかし今となってはどうしようもありません。
だから国家社会や政治経済や人間関係に関係なく・己一人して・己の心身のために・ストレスのない・グータラに生きることを書いているのです。

ところが多くの人は…好きな人と恋愛し結婚し共にセックス関係を願望するという…肉体と感情体に執着して生きることとなり…己の精神体・精神世界でもって生きることが疎かになっているのです。

然るに好き嫌いの選択にして物事や人様を判断し、その良いとこ取りをして満足し、またセックス関係を堪能することが生き甲斐が如くになっているのです。

然るに人間であっても、人間本来を知らない、無知で未熟で・どうしようもないままの愚かな意識・精神体でもって人生を終わっているのです。

とにかく欲張って得をしているように思うかもしれませんが…今現在のあなた方の生活環境や人間関係で満足しているはずもありません。

ちなみに私は過去の生き様に二度と戻る気もありません。
それも過去の生き様を一度味わっているからです。

その上で現在の生き方に納得できて確信となっているのです。
だから過去の私よりも現在の私に納得しているのです。

然るに思い考え想像した結果や理想目的を書いているのではなくして…此れまでの生き様に馴染んだからこそ・本気になって書き続けることができているのです。

だから諸々を欲張って得をしたのではなくして・損を積み重ねていた事実に気付いたのが現在なのです。

そのお陰でもって生きていることの価値・真価を味わっているところです。

医者に従わない患者が皆さんです。

2018年03月26日 | Weblog
人間は無頓着・横着で・面倒くさがりやで・グータラなところが本音にあります。

だから整理整頓・あとじまいや掃除もしない・散らかり放題のゴミ屋敷が如くになっても…馴染めば・慣れれば・住めば都となり・平気で暮らせます。

それを言い換えれば…住む環境よりも…グータラ精神のほうが重要となり…生きていくのに都合がいいのです。

ちなみに私んちは幽霊屋敷が如くですから…ご縁あって訪ねてこられた人は(潔癖完璧からして)屋敷内には入らずに…庭先で景色を見ながらの懇談や持ち込んだお弁当の時間となっています。

ところで皆さんは気付いていないかもしれませんが…人間として生きているだけでそれがストレスとなっています。

ちなみに肉体を使えば・その筋肉関節がストレスを受けます。
だから食事をすれば咥内や胃腸や大腸がストレスとなります。

また感情を使えば精神体がストレスとなります。
同じく思い考え試行錯誤したり苦悩すれば精神体がストレスとなります。

だから成り行き任せにして面倒くさいことをしないグータラが心身のストレスが少なくなるのです。

ちなみに医者が患者に静養しなさいと言うもの同じことなのです。

だから私は常に静養しているが如くになります。

ゆえに心身健全健康にして安心安全の老後となっているのです。

ところが多くの人は欲張っていますから心身共に大きなストレスとなっています。

然るに医者の言うことに従わない患者となるのです。

だから当然ながら重病人にもなっていくのです。

だから現実となって医者通いや薬漬けになったりベットで寝たきりにもなるのです。

ちなみに自分のウンチ💩の後始末もできない哀れな人生で終えることにもなっていくのです。

何はともあれ…無頓着・横着者・グータラな生き様であっても…精神体を疎かにすれば、その意識が原因からして災いを招くことにもなるのです。

それを言い換えれば…グータラ生活は精神体のために必要なことなのです。

だから皆さんが無頓着であまり気にもしていない・小さなことをあれこれと書き続けているのです。

然るに本気になって・真面目素直真剣にして自問自答しながら読み取る精神も必要なのです。

言い換えれば…宇宙・神・愛の仕組みの医者の言葉に素直に従える人となるために…本気になって読み取る形になるように仕向けているブログなのです。

食って寝て糞をしながらにして生きているだけで幸せなのは何故…

2018年03月25日 | Weblog
私は毎日二度三度現実的な夢を見て目覚めます。
ちなみに…ぶっつけ本番で結婚式などのビデオ撮影を完璧なまでにこなしても、仕事だからそれが当たり前です。
ところが撮影中にカメラがトラブって思うように撮影できなくなればぶっつけ本番で大事な記録だけに窮地に立たされます。
そこで何とかしなければとイライラしながら様々に対処するも・しかし・にっちもさっちもいかなくなると・苛立ちが頂点に達し・精神が混乱します。

その時に…此れが夢ならばいいのに…と思ったときに目覚め…まさにそれが夢だったのでホッとします。

ところが私はそんな現実的な夢を何度も見ていますから…現実が如くの窮地から目覚めたときの…あのホッとする安堵の気分は…まさに極楽です。

また自分は良かれと思って頑張っているのにそれを邪魔するものが現れたり・いじわるされたり、また余計なことをするものが現れたりして…そのイライラ・憤りが頂点に達したときに…

それが現実的な夢だったりすると…ホッとするだけではなくして…夢の中で現実に味わっているだけに…私がそんな加害者的立場にならないように・謙虚にもなります。

ちなみに皆さんは生きるか死ぬかの窮地に立たされたことはありませんか…
私は夜間の単独アクアラング潜水で三度ほど死にかけるトラブルがありましたが、動揺することなく・何とか創意工夫して・窮地から脱して命が助かりました。

ところがもしも助かることなく死に至ることになると・その時の精神状態は計り知れない…ものすごい動揺・葛藤・混乱・絶望感・悲壮感があると思います。

ちなみに冒険家や探検家や登山家が事故って死ぬ場合がありますが、その死に至るまでの精神状態だけは死んだ本人だけが知るところです。

となれば…順調に事が進んでいるうちは何度も挑戦しますが、それが死に至れば(来世では)もう懲り懲りしていますから二度と同じことをしないでしょう。

またスキーヤが雪崩に巻き込まれて運よく助かった人はホットひと安心しますが、雪崩に押しつぶされもがき苦しみながら死んだ人は(来世では)懲り懲りしていることでしょう。

となれば…カッコ良い宇宙飛行士やパイロットや船長や操縦士が事故って死ねば同じだと思います。

また行楽などで乗客していた人が巻き込まれ激しい苦痛と絶望感を味わいながら死に至れば…その死に至るまでのもがき苦しみからして…来世では二度と乗客にならないでしょう。

ちなみに高所恐怖症などのトラウマを持っている人は前世でそれを経験しているからだと思われます。

何はともあれ…生きているからには死に至ります。

だから明日をも知れない運命が待っています。

しかもそのカギとなるのが己の意識のあり様なのです。

ちなみに可愛い孫を連れて行楽に行き、それが何らかの事故で孫が瀕死の重傷になったり死に至れば、悔やんでも悔やみきれないジレンマに陥りことでしょうが…そうならない限り喜んで行楽に連れていくことでしょう。

また単独で探索したり観光名所めぐり中に海岸や岸壁から転落して救助を願うも誰一人気付かなければもがき苦しむことになったり死に至ることにもなります。

しかしそうならないうちは平気で何度も繰り返すことでしょう。

ちなみに巷では様々なことが報道されていますが…それが我が身や身近な人に起きれば…いったいどうなることでしょう…

ところが現実とならない限り平穏無事に暮らせます。

然るにそれは「ありがたい」ことなのです。

もうお判りですね…
食って寝て糞をしながらにして生きているだけで幸せなのです。

ところが欲張って何事かを成せば…何らかの加害者にも被害者にもなるのです。

すなわち己の心身のストレスや自然界や人間界の災いの元となるのです。


またそれが小さなことであっても拘り執着すれば事と次第でどんどん大きくなるのがこの世人間界なのです。

然るに欲張り続けているとそのしっぺ返しが仕組まれるのです。

またそれが巷の出来事・有事・真坂なのです。

何はともあれ…一寸先は闇なのです。

ただ今だけ・一瞬だけ・光がさしているのです。

だから闇を濃くしない・闇を広げないためにも・小さく生きる自己縮小の実践が必然なのです。

この通理・理屈・真理・真実が理解納得できなければ…いつしか己がその被害者となって困り果てたり、またその加害者の立場になるのは明らかな事実なのです。

「追記」
死ぬときに…痛いや苦しいと悲痛を味わいますが、死ねば深い眠りに入りますから、その悲痛から解放されます。

また拘り執着未練・思い残し・理不尽や悲惨なことがあっても、死ねば現実ではなくなります。

それを言い換えれば…この世の出来事が夢・白昼夢となります。

然るに結果である人間が死して・あの世と言われる原因の世界に戻れば・そこで深い眠りから目覚めた如くになり…人間として生きていたことが夢になるのです。

そして夢の中で人間として生きていた諸々を省みれば…魂と言われる宇宙生命体・精神体の学びとなっているのです。

またその学びきれなかったことを二度三度と繰り返いしているのが現在の人間です。

だから三次元意識から修正改革され卒業しない限り同じようなことを繰り返すのです。

欲張らないことでアセンションとならなくても・地上の天国となります。

2018年03月24日 | Weblog
私たち人間は…この世人間関係の矛盾偽善を味わうために…生まれてきました。

だから皆さんも精出し味わっているはずです。

ところが矛盾しているからには表も裏もありますから、その裏表を精出し味合わなければ、一方通行の片手落ちの中途半端な未熟なままの精神・精神体にして人生が終わります。

ちなみに私は過去の自己拡大の生き様の矛盾を味わい気付き、その成り行きからして現在の自己縮小の生き様をしっかり味わっているところです。

そして欲張っちゃダメよの結論に至りました。

然るに不満と欲に執着することの人間性・生き様の過ちをブログに書き続けることとなりました。

そして自己縮小の生き様からして得られたストレスのない穏やかな精神にして生きることの価値・真価を見出しました。

ゆえに二度と自己拡大の生き様に戻ることはありません。

と言うことは…三次元界の矛盾する人間意識から離れ卒業したも同然になります。

となれば…定かではありませんが…次元上昇・アセンションの流れに乗ることになり…5次元以上の新たな生き様が始まることでしょう…

それがアセンションとならなくても…此れまでの三次元意識から離れた生き様からして…私自身の意識次元はすでに修正改革されたも同然となっています。

だから皆さんも欲張り続けてきた生き様からして様々な矛盾偽善・無情さ・理不尽さも味わってきたことと思われますから…

また人様の事だけはどうしようもないことにも気付き確信納得できれば…

この辺で心機一転して欲張ることから卒業した新たな生活をしっかり味わえば…

もう二度と欲張る生き様に戻ることにはなりません。

となれば…この世人間界の矛盾偽善の被害者から卒業できるだけではなくして、その加害者になることもない、その平穏無事な生き様を味わえます。

然るに宇宙・神・愛の仕組みからして…人間として生まれ出たことの価値真価を味わい役割使命を果たしたことにもなります。

だから次元上昇がなくても…その意識変わりをした生き様を味わいながら穏やかな老後となり、また拘り執着未練のない・思い残しのない死となり…
来世では三次元意識から卒業した生き様となり、衣食住に満たされて生きていることが地上の天国が如くの思い意識でもって日々を過ごすことになるでしょう。

グータラ精神には宇宙・神・自然界が如くの愛があります。

2018年03月22日 | Weblog
原因があればその結果が出てきます。

だから原因意識が不完全で矛盾があればその結果も当然ながら不完全で矛盾があります。

と言うことからしてこの世人間界は矛盾に満ちていますから、何を成せども矛盾する結果でもってヘンテコなことになっています。
…何度も書いていることですから詳しくは省略します。

何はともあれ人間の意識の中に面倒なことをしたくないというグータラ精神を本能的に持っています。

だから食って寝て糞をして生きているだけで本来なら十分なのです。

ちなみに野生のライオンが木陰でグータラしているのも本能に従っているのです。

ところがグータラせずに変化刺激趣味嗜好娯楽代わりにハンターばかりしていれば野生の王国も不調和になり弱者が滅びることになるかもしてません。

と言うことは人間界も同じですから強者がのさばり弱者が衰退していきます。

だから皆して自由にグータラ生活をしていれば皆が同じですから自由と平等の調和の人間界になります。

ところがグータラ生活は嫌だとばかりに欲張っている人が多いことからして不自由・不平等・不調和の人間界になっています。

ちなみに皆さんも面倒なことをせずにしてグータラしていたいはずです。

だから自分が動かずにして人様に用事を押し付けているところが多くあるはずです。

また自分の後ろにある物品を振り向いて手にすることさえ面倒だとして手の届く目の前に並べて置いているものが多いはずです。

あれこれと書き出せばキリがありませんから…素直な心精神にして自問自答してみてください…数多く気付くほどにそれが自力自信の精神力につながります。

何はともあれ面倒なことは避けたいのが本心なのです。

ところが欲が出てくれば面倒なことが面倒ではなくなるのが人間です。

また見栄や世間体やプライドからしてグータラすることを嫌うことになり・結果的に頑張り無理することになっています。

となれば…グータラしていればいいのに…その分だけ余計な苦労をして満足を得るという矛盾からして喜怒哀楽のある生き方になりますが、それだけに心身のストレスを積み重ね上塗りすることになります。

と言うことは人間界はストレスまみれになっているのです。

だから国家社会ご近所の人たちのみならず・身近な人もストレスまみれでもって生きているのです。

だからストレス発散のために様々なことを成していますが、それが物品金銭や体力や時間の浪費を含め・また気苦労などの様々な負担やの甲斐あっての・苦労あっての満足感・達成感になりますから、結果的にはストレスの積み重ねになっているその事実に気付いていません。

ちなみにストレスからして事故やケガや万病のもとになっていますから、これから先何が起きても不思議ではありませんし、また人様の事・対岸の火事が如くに思っていたのが火の粉を浴びる・巻き添えになるかもしれません。

何はともあれ…面倒なことが嫌なことからして・それを人様に押し付けるということは…面倒なことをしたくない人に害を加える加害者にもなるのです。

すなわち自分が嫌なことなのに・その嫌なことを奴隷や使用人が如く人様に平気で押し付ける…その自分勝手な意識が原因からして我が身にそのしっぺ返しが仕組まれること・自己責任を課せられることにもなります。

何はともあれ…国家社会や人様のことはどうしようもありませんから…
自由意識・平等意識のある人ならば…
欲張らずにして・面倒なことをせずにして・ほっておいて・後のことは成り行きに任せにして・グータラと過ごしていけば…
それだけストレスのない・精神安定にして生きていけるのです。

豊かな生活を望むのか、精神安定を望むのか、その選択次第で人生の方向性が決まります。

2018年03月21日 | Weblog
この世は意識が原因の結果の世界です。

だから私が自己縮小となる過疎地暮らしも・私の意識が原因の結果です。

だから皆さんの現在の結果も・あなたの意識が原因で仕組まれたことですから・人様の性ではありません。

なのにそれを国家社会や人様が原因と思っていれば・己の自力自精神が磨かれ高まることにはなりません。

ちなみに私は個人の自由からしてやりたいようにやっていましたから・妻や子にも口出しすることなく本人の自由に任せていました。

然るに現在の妻も子も己の意識が原因の結果なのですから、私の性ではありませんが…
なのに私の性だと思うならば・それは得手勝手なご都合主義であって・己の精神が未熟にして…結果的には己が己を苦しめていることになります。

だから己の意識が原因からして己の墓穴を掘ることになるのです。

何はともあれ…自由平等が基本になければ…不自由・不平等の加害者にも被害者にもなり…結果的に己の墓穴を掘ることになります。

然るに人間関係の中で否定反発排除しあったり束縛制限支配し合うことになり・どっちもどっちが加害者や被害者になって困ったことになるだけです。

となると己一人の問題・結果だけでは済まされなくなるのです。

だから…その人間関係がヘンテコなことにもなっているのです。

この道理理屈真理が理解できない限りその人間関係から解放されることにもなりません。

ちなみに人間関係が続くのは欲張り合っているから続くのです。

しかも性欲からして互いがつながっているという事実があります。

だから欲張らなくなれば当然ながら人間関係は必要なくなります。

となれば…生きていくための必然ご縁に限り人間関係があるも・やがてその必然ご縁が不要となれば・その関係も自然消滅していきます。

それが自然体の人間関係となって・あと腐れのない・問題のないままに離れていきます。

また必然ご縁の成り行き任せにして・欲張らなければ・人が大勢集まることにもなりません。

然るに己が欲張るか否かの選択で己の生き方・人生が決まるのです。

ちなみに欲張って豊かな生活を望むのか、欲張らずにしてストレスのない精神安定にして生きていくのか、その選択になります。

そこで欲張ることにすればその人間関係も必要となりますが・良いこともあれば悪いこともある矛盾の世界だけに・一筋縄でいかない苦労がつきものとなり・その心身のストレスからしてしっぺ返しとなり・様々な有事となって表れています。

然るに自分の首を自分で絞めることとなり・己が己の墓穴を掘ることにもなるのです。

またそれが老後に現れて足腰が思うようにならない悲惨な結果となれば・自分の糞の後始末もできないことになると、生きているのが辛くもなり・また人様に多大な迷惑をかけていることからして生きていることが迷惑にも思えるようになり・早く死にたいが簡単には死ねない・生きているが死んだも同然の状態にもなります。

だから元気なうちに死ねる自然死となるには欲張らないことです。

然るに欲張らなければ自由と平等の精神にして生きていくことになります。

そしてその自信と自力でもって精神力も磨かれ高まることにもなるでしょう。

ところが多くの人は…豊かな生活と穏やかな精神安定の両方を望み願うことからして、どっちつかずの中途半端な生き様になっています。

また中には…今以上に欲張りたいのに…それだけの能力技能技術が不足していることからして、致し方なく小さな満足の繰り返しでもって満足している人も多いことでしょう。

また欲張ったことが裏目に出て結果的に町中ニートや山奥ニートになっている人もいますが、それで満足納得となっていなければ、心内では不満となって心を乱しているはずです。

然るに人間関係の苦悩気疲れや物事の喜怒哀楽のストレスのない…拘り執着未練のない…精神安定を本心から望んでいる人はごく限られていると思います。

然るに性欲を含めた欲を捨てられずに、また持っているものを捨てられないままの中途半端な生活が続くことでしょう。

然るにそれで本当に大丈夫ですか!と問い掛け続けているのです。