良いと悪いで判断する(矛盾のある)「不完全意識」の人間関係でこの世の形が成されていますから、それが原因で不平不満・不安恐怖・怒り・嫉妬などで苦悩する事が当たり前になっていますが、それも必然で起きていることですから決して無駄なことではありませんが、その無駄な事にならないためにも精神世界・意識の世界を説く完全真理で(矛盾・裏の無い)「完全意識」を学び知ることが重要になってきます。
すなわち人間意識の裏表・不完全意識と完全意識の両方を学び知るためにこの世に人間・形として生まれてきているのですから、そうとも知らずに不完全な喜怒哀楽・生老病死・見栄や世間体・常識や伝統風習道徳・趣味嗜好娯楽などに意識を束縛支配されたままに人生を終える事になれば、それらすべてが無駄なこと(無駄な修行)となって人間を終えることになりますから・・・
そうならないためにも昔から精神世界を説く真理・宗教が次から次とこの世に現れているわけですが、しかしそれでもその元が矛盾のある不完全だったから結果も同じ不完全な結果で終わっているのが現代です。
だからそれら喜怒哀楽・生老病死・・・等が己の不完全な良いとこ取りの自己満足やその自己主張であり、自分の思い通りにしたがるその思いが原因で苦労・苦悩を背負い込んでいたことなどを(この世ではじめての)完全真理で知ることから、これまでの生き様・人生の修行が無駄にならずに(終わり良ければすべて善しで)完結することになるかもしれません。
例えば、過去の私が上を目指して次々とカッコよく生きることをしてきて経緯があるからこそ、その自己満足や自己主張やそれに伴う苦悩も一緒に味わってきたわけですから、それを新たに学び知った完全真理に照らし合わせることで、その過去の生き様の不完全さが身にしみてわかることにもなり、また不完全な人間関係のしがらみから解き放たれた過疎地での単身生活もあって、それらが完全真理の理解を深めた結果になったのは事実です。
しかしその過去に宇宙エネルギーそして精神世界・想念の世界、そして今の完全真理や過疎地暮らしに接し触れる事が無ければ、今も上を目指した自己満足で頑張り続けることになり、この世の不完全な人間関係の渦に巻き込まれたままに、その束縛制限支配関係や裏切り関係に巻き込まれて不平不満・苦悩を多く抱える事になっていたのは間違いないでしょう。
その完全真理を心から深く理解するために比較競争して差を付ける自己拡大をやめる自己縮小の実践が説かれているわけですが、これまで慣れ親しんだ(比較競争・差を付ける)自己拡大をやめて自己縮小していくには、とにかく己の判断で否定反発排除しない、すなわち敵対意識・不信感から守り闘わない実践も必要ですから、それを実践する事になると当然これまで自己拡大して得たものを失うことになるし、大事に守っていたものが消える心配もあってなかなか難しいはずです。
それでも完全真理の学びからこの世の不完全さ人間関係の不完全さを知れば、その不完全が消えて調和(自由平等平和)のある生き方が得られることを知りますから、たとえ他がどうであれ自らが意識を変えていくしかないと決断決心することができますが、未だにその決心決断が出来ないままの中途半端であれば、その原因にあるのが完全真理の理解が乏しいからといっても過言ではありません。
・・・不完全な闇の中にいても完全真理を知ればそれが「光」となって先々を照らし出してくれます。
・・・しかし実践が無ければ納得確信悟りに至らずに先を見通せる「光」にはなりません。
そして喜怒哀楽や生老病死を気にして生きる無駄な修行(艱難辛苦や波乱万丈の生き方を含め)が続き、その見栄や世間体や常識・伝統風習・道徳や趣味嗜好娯楽に束縛支配されながら、その自己満足や自己主張で何とか生きるかたわら、それが原因の苦脳を抱え持ったままの無駄な人生で終わる可能性が十分にあります。
しかもこれまでは成し遂げられなかったことを再度やり直す転生を繰り返すことが(宇宙の愛の仕組みで)何度でもできましたから、その時代ごとに神の使いとやらが転生してきて精神的な安定・満足を教えたり、それだけでは片手落ちになるからと物質面で満足させることの出来る文化文明を進化発展させる役目の人が大勢出てきたりして、何かと思考錯誤しながらあれもやりこれもやりしてきましたが、結局は元々の生まれ出た人間が不完全意識を持っているからには何をやっても不完全な世の中・人間関係しか生まれませんでした。
・・・そして事の結末が・・・良い悪いを持った不完全意識によって不自由・不平等の人間界になり、それが人殺しや侵略・戦争になるだけではなくて、さらに自己拡大・進化発展を続けることで地球人類の破壊崩壊・滅亡にまで至ることを(不完全意識の結末を知るために)我々人間に自覚・悟らせるために(宇宙の仕組み・必然から)転生していたのかもしれません。
そこで(宇宙の仕組みから)この世で初の完全真理を説くものが現れ、不完全意識の人間に完全な宇宙・神の愛を説いて教え、その真理を実践することでこれまでの不完全さを知ることになり、やがてその完全意識に成ることでしかこの世のすべての問題を無くする事が出来ないことを悟り、その不完全意識を悔い改めるた新たな意識の者(意識改革した者)のその実践によって、その完全な人間関係を押し広める役割にもなり、それがやがて実を付ける事になればこの世の不完全が消える事になるかもしれませんが・・・
それもどうやら(自力では)到底無理な様相を示していますから(意識エネルギーのファバラ頼みになっているように思えることから)・・・宇宙の仕組みの「リセット」<終りと始まり>(是新)が起こるのかもしれません。
それはともかくとして、この世で完全真理が説かれているからにはやがて「完全」になります。
だから・・・地球・人類が破壊崩壊に至るまでに不完全意識を悔い改めるた意識改革ができていなければ・・・(リセットが起きたときに)もう二度と今の人間の形(三次元)に転生することにはならないでしょう・・・だから人類最後の「真理」と言われるわけです。
すなわち人間意識の裏表・不完全意識と完全意識の両方を学び知るためにこの世に人間・形として生まれてきているのですから、そうとも知らずに不完全な喜怒哀楽・生老病死・見栄や世間体・常識や伝統風習道徳・趣味嗜好娯楽などに意識を束縛支配されたままに人生を終える事になれば、それらすべてが無駄なこと(無駄な修行)となって人間を終えることになりますから・・・
そうならないためにも昔から精神世界を説く真理・宗教が次から次とこの世に現れているわけですが、しかしそれでもその元が矛盾のある不完全だったから結果も同じ不完全な結果で終わっているのが現代です。
だからそれら喜怒哀楽・生老病死・・・等が己の不完全な良いとこ取りの自己満足やその自己主張であり、自分の思い通りにしたがるその思いが原因で苦労・苦悩を背負い込んでいたことなどを(この世ではじめての)完全真理で知ることから、これまでの生き様・人生の修行が無駄にならずに(終わり良ければすべて善しで)完結することになるかもしれません。
例えば、過去の私が上を目指して次々とカッコよく生きることをしてきて経緯があるからこそ、その自己満足や自己主張やそれに伴う苦悩も一緒に味わってきたわけですから、それを新たに学び知った完全真理に照らし合わせることで、その過去の生き様の不完全さが身にしみてわかることにもなり、また不完全な人間関係のしがらみから解き放たれた過疎地での単身生活もあって、それらが完全真理の理解を深めた結果になったのは事実です。
しかしその過去に宇宙エネルギーそして精神世界・想念の世界、そして今の完全真理や過疎地暮らしに接し触れる事が無ければ、今も上を目指した自己満足で頑張り続けることになり、この世の不完全な人間関係の渦に巻き込まれたままに、その束縛制限支配関係や裏切り関係に巻き込まれて不平不満・苦悩を多く抱える事になっていたのは間違いないでしょう。
その完全真理を心から深く理解するために比較競争して差を付ける自己拡大をやめる自己縮小の実践が説かれているわけですが、これまで慣れ親しんだ(比較競争・差を付ける)自己拡大をやめて自己縮小していくには、とにかく己の判断で否定反発排除しない、すなわち敵対意識・不信感から守り闘わない実践も必要ですから、それを実践する事になると当然これまで自己拡大して得たものを失うことになるし、大事に守っていたものが消える心配もあってなかなか難しいはずです。
それでも完全真理の学びからこの世の不完全さ人間関係の不完全さを知れば、その不完全が消えて調和(自由平等平和)のある生き方が得られることを知りますから、たとえ他がどうであれ自らが意識を変えていくしかないと決断決心することができますが、未だにその決心決断が出来ないままの中途半端であれば、その原因にあるのが完全真理の理解が乏しいからといっても過言ではありません。
・・・不完全な闇の中にいても完全真理を知ればそれが「光」となって先々を照らし出してくれます。
・・・しかし実践が無ければ納得確信悟りに至らずに先を見通せる「光」にはなりません。
そして喜怒哀楽や生老病死を気にして生きる無駄な修行(艱難辛苦や波乱万丈の生き方を含め)が続き、その見栄や世間体や常識・伝統風習・道徳や趣味嗜好娯楽に束縛支配されながら、その自己満足や自己主張で何とか生きるかたわら、それが原因の苦脳を抱え持ったままの無駄な人生で終わる可能性が十分にあります。
しかもこれまでは成し遂げられなかったことを再度やり直す転生を繰り返すことが(宇宙の愛の仕組みで)何度でもできましたから、その時代ごとに神の使いとやらが転生してきて精神的な安定・満足を教えたり、それだけでは片手落ちになるからと物質面で満足させることの出来る文化文明を進化発展させる役目の人が大勢出てきたりして、何かと思考錯誤しながらあれもやりこれもやりしてきましたが、結局は元々の生まれ出た人間が不完全意識を持っているからには何をやっても不完全な世の中・人間関係しか生まれませんでした。
・・・そして事の結末が・・・良い悪いを持った不完全意識によって不自由・不平等の人間界になり、それが人殺しや侵略・戦争になるだけではなくて、さらに自己拡大・進化発展を続けることで地球人類の破壊崩壊・滅亡にまで至ることを(不完全意識の結末を知るために)我々人間に自覚・悟らせるために(宇宙の仕組み・必然から)転生していたのかもしれません。
そこで(宇宙の仕組みから)この世で初の完全真理を説くものが現れ、不完全意識の人間に完全な宇宙・神の愛を説いて教え、その真理を実践することでこれまでの不完全さを知ることになり、やがてその完全意識に成ることでしかこの世のすべての問題を無くする事が出来ないことを悟り、その不完全意識を悔い改めるた新たな意識の者(意識改革した者)のその実践によって、その完全な人間関係を押し広める役割にもなり、それがやがて実を付ける事になればこの世の不完全が消える事になるかもしれませんが・・・
それもどうやら(自力では)到底無理な様相を示していますから(意識エネルギーのファバラ頼みになっているように思えることから)・・・宇宙の仕組みの「リセット」<終りと始まり>(是新)が起こるのかもしれません。
それはともかくとして、この世で完全真理が説かれているからにはやがて「完全」になります。
だから・・・地球・人類が破壊崩壊に至るまでに不完全意識を悔い改めるた意識改革ができていなければ・・・(リセットが起きたときに)もう二度と今の人間の形(三次元)に転生することにはならないでしょう・・・だから人類最後の「真理」と言われるわけです。