911同時多発テロの映像を見てショックを受けた世界の人がいる反面、帝国に仕返し復讐できたと喜んでいる世界の人もいます。
日本軍の真珠湾奇襲作戦で多くの戦艦や飛行機が炎上しているシーンを見て、日本軍の戦果をあげている勝利感で見ていたり、日本の特攻隊がアメリカの戦艦に体当たり突撃する映像を見ていて、銃弾の雨の中うまく敵艦に命中した場面を見てやった!と思ったり、寸前のところで撃ち落されて海に墜落する場面ではもう少しだったのに・・・と残念がるように見ていました。
要するに事実を自分の立場でしか見ていないのです。
相手の立場なんかどうでもよいのです。相手が困っているのが喜び快感にもなるのです。
他の人の不幸が自分の幸せに思えるのです。
それが個人意識の人間なのです。
テロや戦争の悲劇を見て反対運動を起こす人もいれば、身近な悲劇を見て仕返し復讐心を持つ人もいます。 そしてどちらも正義なのです。 またそれらが多数意見で反映されているのが民主主義であり、反対勢力の正義を押さえ込む民主主義も正義なのです。 立場が違うだけなのに双方が正義を主張している矛盾があるのです。
つまり民主主義だの正義だのと言って聞こえはいいが、自分さえ良かったらの主導権争い権力争いなのです。 そんな争いごとで世の中が良くなるはずは絶対にないのです。
主義主張は自分の立場をよくしたいだけの個人意識なのです。 相反する立場の人のことなどどうでもよく、自分さえ良かったらいいのです。 そして私は正しいと正当化して言い張っているだけなのです。
正否、善悪、優劣、損得勘定で世の中が動いている限り争い事は無くなりません。
競い合い奪い合っている今の世に安心安全が無いのに、その安心安全を求めている矛盾もあります。
それは生活主体の形での安心安全を求めているのであって、心の安心安定を求めていることではないからです。
本気で心の安心を求めているのであれば、争いごとの原因である「私は正しい」を主張顕示することはありません。 優劣損得で競い合うことも奪い合うこともありません。
また人を責めたり自分を責めたりしていて心の安心安定はありません。
そして人頼み神頼みで簡単に心の安心安定をもらうことは出来ません。
実践実行の自らの力・自力で得るしかありません。
そのために役立つのが「良い悪い」を持たない完全真理です。
日本軍の真珠湾奇襲作戦で多くの戦艦や飛行機が炎上しているシーンを見て、日本軍の戦果をあげている勝利感で見ていたり、日本の特攻隊がアメリカの戦艦に体当たり突撃する映像を見ていて、銃弾の雨の中うまく敵艦に命中した場面を見てやった!と思ったり、寸前のところで撃ち落されて海に墜落する場面ではもう少しだったのに・・・と残念がるように見ていました。
要するに事実を自分の立場でしか見ていないのです。
相手の立場なんかどうでもよいのです。相手が困っているのが喜び快感にもなるのです。
他の人の不幸が自分の幸せに思えるのです。
それが個人意識の人間なのです。
テロや戦争の悲劇を見て反対運動を起こす人もいれば、身近な悲劇を見て仕返し復讐心を持つ人もいます。 そしてどちらも正義なのです。 またそれらが多数意見で反映されているのが民主主義であり、反対勢力の正義を押さえ込む民主主義も正義なのです。 立場が違うだけなのに双方が正義を主張している矛盾があるのです。
つまり民主主義だの正義だのと言って聞こえはいいが、自分さえ良かったらの主導権争い権力争いなのです。 そんな争いごとで世の中が良くなるはずは絶対にないのです。
主義主張は自分の立場をよくしたいだけの個人意識なのです。 相反する立場の人のことなどどうでもよく、自分さえ良かったらいいのです。 そして私は正しいと正当化して言い張っているだけなのです。
正否、善悪、優劣、損得勘定で世の中が動いている限り争い事は無くなりません。
競い合い奪い合っている今の世に安心安全が無いのに、その安心安全を求めている矛盾もあります。
それは生活主体の形での安心安全を求めているのであって、心の安心安定を求めていることではないからです。
本気で心の安心を求めているのであれば、争いごとの原因である「私は正しい」を主張顕示することはありません。 優劣損得で競い合うことも奪い合うこともありません。
また人を責めたり自分を責めたりしていて心の安心安定はありません。
そして人頼み神頼みで簡単に心の安心安定をもらうことは出来ません。
実践実行の自らの力・自力で得るしかありません。
そのために役立つのが「良い悪い」を持たない完全真理です。