矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私は正しい&プライドなんか持っていないという人に…必見

2018年11月13日 | Weblog
人は皆「良い悪い」(善悪・優劣・損得)で判断していますから、自分に都合が悪ければ不平不満を持ち、その不平不満が悩み苦しみ悲しみや不安心配や怒りにもなり、
それに執着すれば妬みやきもち嫉妬に変わり、更に腹いせ仕返し報復復讐心にも拡大していき、やがてやけくそになって自己破壊・他者破壊に至ります。
それが自殺や他殺でありテロや戦争でもあります。

そして「私は正しい」を持っていますから、常に悪いものを見極め敵対して排除否定拒否したがります。

そして騙されて馬鹿を見ないように用心しているから、必ず「不信感」と「守り意識」を持っています。

だから自分に都合が悪いことから「守る」のは正しいと思い込んでいますから、すべての悪い奴は排他的に隔離抹殺しても良いというご都合主義がまかり通っており、
悪いことをいっさい近寄せない潔癖主義や自分を守るのは正しいという正義感にもなっており、
それが拡大したのが正義の戦争や聖戦であり、その名誉を掛けた戦いや報復のテロが実際に起きています。

すなわち「良い悪い」で判断して問題を作り、その問題を良い悪いで判断して解決しようとしているから、その良いと悪いの両者・裏表の矛盾があるかぎり根本的な解決は無くていい加減なところで妥協するしか方法がないのです。

だから例えどんな主義主張や思想哲学を持ってきても良いと悪いで判断している限り中途半端な妥協しか生まれてきません。

だから共産主義や社会主義や民主主義であっても、また過去の古臭い宗教や新興宗教であっても、それらの形が違うだけで中身は良いと悪いの判断で出来ているからです。

だから思想主義主張や宗教の違いが原因で言い争い、それが拡大したのが侵略侵攻や戦争やテロにもなっているのです。

「良い悪い」の判断が「私は正しい」になり、それを主張顕示しあうことが争いの原因であり、また「不信感」や「守り意識」が問題化しているだけではありません。

わりと気付かないのが誰もが「プライド・自尊心」「優越感・劣等感」「勝ち負け」に執着しています。

プライドなんか持っていないと思っている人も多いかと思いますが…
負けるが勝ちや損をして得をとるとか、プラス思考もプライドから出たことであり、自分が損をしたり負けたと思いたくなくて言い訳正当化することで自分が納得したがっているのかもしれません。

また人前で控えめに謙そんを示すことも、裏側・裏腹ではプライドを示していることなのです。

すなわち劣等感を裏返したのが優越感や自尊心・プライドなのです。

「私が正しい」を示すためにも人の目が気になる、世間体を気にする、すなわちプライドなのです。

だから世間的な儀礼を尽くすのもプライドから出ているのです。

すなわち人の目を気にした窮屈な生活を自らが選んでいるのです。

だから何も偉そうにしている人だけがプライドを持っているのではありません、
皆が持っていることです。

人それぞれの劣等感の基準の違いによってプライドも違ってきますが、裏表のある生き方をしているだけに、劣等感が強い人ほど優越感を持ちたがる傾向にありますから、自己慢心で偉そうにしている人ほど劣等感が強いという裏返しにもなります。

またその劣等感が強いから誰にも負けないように競争社会で生き残りをかけて一生懸命頑張れるのです。

だから反対に劣等感が少ないほど競争社会の負け組みになりやすく、その結果社会の底辺で生きることになりますが、
その劣等感(すなわちプライド)が少ないから貧困・ホームレスにも何とか耐えて適応できているということにもなります。

だから自らが生きることをやめて自己破壊・自殺をする人の中に劣等感・プライドが強すぎた傾向がみられるのです。

だから何度も書いているように、良い悪いで判断して、その良い悪いで解決しようとしている限り、その矛盾で問題が解決できないばかりか、それら問題が複雑に絡み合いながら枝分かれをして更にどんどん拡大進行しているのです。

だからすべての問題が良いと悪いの判断が原因になっていることを知らない限り絶対に何の解決も得られません。

しかしこの世の中から良い悪いを無くすることは不可能です。

でも自分の中の意識から良い悪いを無くすることは不可能ではありません。

その良い悪いを無くしていく自己縮小の実践をしていれば確かに不平不満が少なくなり悩み苦しみも減り、
穏やかな心で今までになかった喜びやありがたい感謝を味わえることになり、
それが確かな自信・自力にもなり、自己縮小が進んでいくことにもなるのです。

それをただ頭の中で思い考え試行錯誤しても無駄な時間が経過するだけですから、確かな答えは実践の中にしかありません。

…実践するために私たちは生きているのです…

…良い悪いを持たない完全真理は「実践真理」なのです…

しかも山にこもったり滝に打たれたり艱難辛苦の修行をしなくても、いつも通りの日々の生活の中で自由に、皆が平等に実践できる真理なのです。 

だから何かの形にいっさい束縛制限支配されることはありません。

これまでの言うだけ、聞くだけ、知るだけ、鵜呑み暗記・記憶するだけの真理とはまったく違うのです。

だから、学び知ったことを実践してみない限り「完全・本物」が完全・本物であることを自覚・悟ることは出来ないようです。

(2009・05・17)投稿・リメイク版
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「私は正しい」は不平等・不自由を生む

2018年11月12日 | Weblog
自由と平等は同じです。 自由があるから平等だし、平等だから自由があるのです。

その自由と平等をあれこれと言っている人も多いが、その自由を奪って束縛しているのや差別意識を持っているのが、当の自分自身だと気付いている人は少ないと思います。

すなわち、すべての原因と結果が自分自身にあることを知らないのです。

その原因の中に「私は正しい」という思いを誰もが持っていますから、その思い通りに誰もがしたがります。

だから家庭や社会の中でいて、自分に都合が良くなるように「こうしなさい」「それはだめです」と意図的に指図したり、頭の中でそう思っているからには、相手を束縛制限支配していることになるのです。

また自分自身も「あれはだめ」「これはだめ」「それは良い」「それは悪い」と思って自分自身を束縛制限しているのです。

自分に自由がないとぼやいて…他の者が自分の自由を束縛していると思う前に…自分自身が自分の自由を束縛・自縛しているし、自分が他の人の自由をも奪っているというお互い様の関係に気付く必要があります。

また差があって平等ではないと言って主張・顕示している本人が「私は正しい」と思って他と差を付けているのに、それさえも知らないで差別を無くする活動をしていたり、平等を唱える政治家や宗教家や聖職者らに上下の位を付けて自らが差別していることに気付いていないくらいだから、この世の中から差別が無くなるはずもありません。

ゆえに束縛制限し合い差別しあっているお互い様の世の中に自由・平等・平和が構築されるはずも無く、人類が共に闘いあい戦争しあっているのも当たり前のことなのです。

★「あるがまま」の普通に思っている人からは何も問題は起きません★

しかし「私は正しい」を持っていると必ず「守り」意識が働くし、正しいことをしていると自己主張したり顕示したがりますから、それに相反するものに敵対意識を持つことになります。

その敵対意識は不信感ですから、「私は正しい」のなかには必ず不信感を持っていて、自分の味方に思える人がいて信じている振りをしても、心からは信じていません。

だから自分が困れば味方に思える人でも平気で切り捨て裏切ることが出来るのです。

そして不信感が強い人ほど神や愛を信じてはいませんが、それでは不安だから自分に都合が良い神や愛なら信じたがります。

だから、皆のものではない制限された不完全な神や愛、特別にして他と差をつけた神や愛、偶像・形で示す神や愛、想像するだけの神や愛、言うだけ聞くだけ祈るだけの神や愛、それら非実在の不完全な神や愛を信じることになります。

そしてそれらの不完全で非実在の神や愛を信じることで何かとその形・形式にこだわり束縛支配されることになりますから、それらの神や愛を信じることで自由も奪われ差別までされていることに気付いてはいません。

だから鵜呑み丸呑みの自己暗示や他者暗示、妄信や洗脳されていると言えるのです。

更に「私は正しい」が「私の信じる神は正しい神」になり、その宗教観の違いが争いや戦争になり、その正義感で殺りく侵略することも正しいことになっているのです。 

「不信感」と「私は正しい」は同じになります。
その不信感と私は正しいを持って動いていると、その思い通りにならなければ必ず不平不満を持つことにもなります。

その不平不満が過ぎると今度は悩み苦しみ不安を持つことになり、生きていても楽しくありません。

すなわち「私は正しい」を持っていて「得」をしているように錯覚していますが、実際は「損」をしていることに気付いていません。

だから人様によって自分が被害を受けると「損」をしたと不平不満を言って「損」した分を取り返しにかかりますが、それが当たり前であり、それが正しい事と思っていますから、「私は正しい」と主張顕示してこだわり執着することになり、そのことで頭がいっぱいになって悩み苦しみ不安をいつまでも引きずることになって、結果的に日常生活がうわの空になってちっとも楽しくありません。

それだから(小が大になり)更に腹立ち憎しみが増して仕返し復讐報復制裁することになり、どんどん問題化拡大していって取り返しの付かない修羅場・怨念に発展していくことにもなり、結果的に誰も「得」にならないで「損」ばかりが連鎖・積み重ねている格好になります。

それが大きくなってやり合っているのが国際紛争の制裁発動やテロの報復連鎖や戦争に見られます。

だから良い悪い(善悪・優劣・損得)で人を責めたり不平不満を持たなければ「差」もなくなり平等・自由になり、皆が心穏やかに楽しく暮らせるようになると完全真理で教えてくれているのです。

(2009・05・07)投稿リメイク版
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終わりなき 「悩み苦しみ不安」 を消すには・・・

2018年11月11日 | Weblog
悩み・苦しみ・不安は何処から来るのか? それは社会や他のものから来るのでしょうか? もしそうだと思われている人は勘違いをしています。

悩み苦しみ不安は自分の中から出ているものですから、誰の性でもなく、自分の意識に原因があるのです。

例えば自己縮小を実践していて、ただ生きているだけで丸儲けと思っている人なら、いま生きていることが喜び感謝になりますから、生老病死や喜怒哀楽の悩み苦しみ不安を持つことが次第に無くなっていきます。

ところが私たちは個人意識の自分さえ良ければが優先されますので、その自分の思い通りに行かないことがあれば不平不満を持つことになり、それが悩み苦しみ不安を持つことにもなるのです。

そして人間は悩み苦しみ不安を持っていれば生き辛くなります。

そこで悩み苦しみ不安を取り除く行動をすることになりますが、生きていることのアリガタイ感謝がない限り、どんなに一生懸命やっても、また新たな悩み苦しみ不安を持つことになります。

その悩み苦しみ不安を取り除くために豊かさを求めることをしてきました。 
…趣味思考娯楽や刺激を追及してきました…
…波乱万丈の人生や艱難辛苦の修行をしてきた人もいました…
…名誉名声・権威権力を持つことに熱心な人もいます…

しかしそれらは自己満足や自己主張や自己顕示になっても、常に悩み苦しみ不安が付きまとい決して消えることはありません。

すなわち、自分さえ良かったらの個人意識から善悪・損得・優劣で判断し、自分に都合がいいように使い分けしている以上、その裏表の矛盾に試行錯誤したり葛藤することになり、決して悩み苦しみ不安から開放されることはありません。

生き続けることに支障がある悩み苦しみ不安を豊かさや趣味思考娯楽や刺激で自己満足して忘れていても決して消えることはありませんから、それらが溜まり続けている現状からして…
まさかの有事・天災災害でなくても、ほんの些細なきっかけが有事となり、仲間や家族を切り捨て裏切ることになったり、まさかの思いもよらない行動に出たり、精神に異常をきたしたり、またストレスからして諸々の病気にもなります。

幾多の修行を積み重ねてきた人も、波乱万丈に勝ち抜いてきた人も、豊かな今を極楽浄土に思っている人も、趣味思考娯楽や刺激で満たされている人も、または自分が負け組みの劣ると思っている人も、差別され虐げられていると思っている人も…それは事実ではありません。

そう思っている人やそう思えている人だけの個人の思い想像ですから、現実に実在していることではないから非実在になります。

その非実在の個人の思いを終わらせれば…自ずと実在する「愛」意識の人間に戻れるのです。

すなわち、始まりなき終わりなき愛、その愛の全知全能で創造されてきたのがこの世だから、この世に実在しているのは「愛」しかなないのです。

その始まりなき終わりなき愛である「あるがまま」の現実・実在を見るだけにして、そこに「良い悪い」(善悪・優劣・損得)で判断さえしなければ「そのまま、このまま、あるがまま」の愛意識の人間に戻れるのです。

(2009・4・25)投稿・リメイク版
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本物の<幸せ>を実感するには…

2018年11月10日 | Weblog
矛盾のある国家社会政治経済からして比較判断し、その私は正しいの競い合いでもって勝った方がリードする政策システムからして、私たちが幸せになれることは絶対にありません。

ちなみに太古から繰り返され続けている時代の移り変わりがあっても、皆が幸せになれた時代はありません。

また私が正しいとして発明した科学や医学や技術からして幸せになれるはずもありません。

ちなみに快適便利で精密化やスピード化された時代となるも、その危険性と隣り合わせになっているし、人類の脅威である放射能汚染の危険性も高まっています。

また私は正しいとして哲学思想真理を説く形や、また信じるか否かの信仰宗教や神仏霊魂の世界や超能力や霊力念力でもって人集めしているスピ系などがあっても、その他力的で依存的な結果には矛盾偽善があるから本物の幸せには絶対になれません。

となれば己の自力と自信と精神からして何とか幸せになるしか他に道はありません。

そこで何かと頑張り努力して満足する結果になっても…
ところがその満足を得る前の不満からしての結果的だけに…
その苦と楽の喜怒哀楽となるからには…
それが幸せとは言えません。

然るに此れではダメだの不満と何とかしなければの欲から始まったことには喜怒哀楽がついてくるのです。

また数に限りがある有限の世界でもって欲張ることは弱者を虐めることにもなりますから、人を不幸にして己が幸せを得ようとしている矛盾偽善の罪作りになります。

となれば不満が出てこないような生活を始めるしか他に道はありません。

そこで此れまでの欲張り頑張り努力する自己拡大をやめて素朴謙虚に生きる自己縮小にすることからして不満と欲が出てこないような生活に方向転換することになります。

何度も書いていることですが…とどのつまり…欲張らなければ喜怒哀楽から離れて幸せの道が見えてくるのです。

そして己が幸せになれない原因の中に人間関係の矛盾偽善や無情さ理不尽さがあることにも気付きます。

然るに孤独の自由になるしか己が幸せにはなれないことに気付きます。

このことも根掘り葉掘り書いていますが…とどのつまり…矛盾偽善のある人間関係から離れるためには…自分さえ良ければの個人意識でもって孤独の自由になるしかありません。

ちなみに人間関係のストレスから離れた孤独の自由を長く味わっているうちに…
また巷の趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽の喜怒哀楽から離れていることで…
己の精神が安定していることに気付きます。

然るに何の問題もなく食って寝て糞をしながら生きているだけのような生活ぶりが幸せだと気付き納得確信となるのです。

然るに納得できればそれで十分となり、あれこれ迷うことも惑わされることもなくなり、
また矛盾偽善となる余計なことや無駄なことや面倒なことをしないままに、
のん気気楽に暮らせるのです。

…幸せを実感できるのです…
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個人意識ありがとう!

2018年11月09日 | Weblog
自分さえ良ければの・自己中心の・個人意識を持っているから・自分のために生きていけるのです。

自分のためだから…真面目に・一生懸命に・着飾らないで・素直生きていけるのです。

自分のために幸せになりたいのです。

私が妻と結婚し子育て家族となったのも自分のためであり、その妻や子と離れて過疎地で暮らすことになったのも…私の心身のためなのです。

それがたまたま後日に知った完全真理でいうところの自己縮小の実践と言う形になっていただけです。

その良い悪いで判断しない完全真理を深く理解し、併せて自己縮小の実践をするのも…自分のためです。

然るに巷の不完全で矛盾偽善がある精神世界・信仰宗教・霊魂の世界や超能力霊力念力の類のスピ系に惑わされないで、己の自力と自信の精神力でもって…自分のために…生きていくことができるのです。

この世の数に限りがある有限の世界でもって欲張らずに生きていくのも…自分のためだからです。

また苦労することで満足する、その繰り返し・苦と楽の喜怒哀楽から卒業するために自己縮小の実践となるのです。

ちなみに巷の趣味嗜好娯楽から離れることで…その喜怒哀楽のストレスから解放されるのも…自分のためだから…実践できることなのです。

然るに自己縮小の実践でもって…素朴謙虚に生きていくのも…自分のためだからです。

だから…食って寝て糞をしながら生きているだけのような…ストレスのない生活に納得できたのです。

然るに万病の元となるストレスから解放される道筋方向性を選んだのも…自分のためになるからです。

また欲からして不満となり、その不満が諸悪の根源となるのを深く理解しているから…自分のために欲張らないでいるのです。

また欲からして人が集まることを自覚認識していることからして、巷の人間関係から離れることにもなったのです。
然るに…自分のために…孤独の自由となったのです。

また孤独の自由からして人間関係のストレスから解放され精神安定となったのです。
だから真面目に正直に根掘り葉掘りブログに書いているのです。

そのブログを書くのも暇しているからです。
然るに時間つぶしになるから書いているのです。
だから生活の雑多を含め自分のためにしているのです。

だから<自分のため>に生きていけるのが個人意識です。

然るに誰もが公平に持っている個人意識は自分のためなのです。
なのに個人意識を恥だの罪になると思うのは良い子ぶる偽善になるのです。

そして不満になるのは何かと欲張っているからです。
しかも他力依存にもなりやすいのです。

だから欲張らないのも<自分のため>なのです。

ところが多くの人は自分のために欲張っているのです。

然るに…自分のために欲張るのか否かの選択となっているのが…この世人間界の仕組みです。

だから人間が自然界が如くのあるがままの意識に至るのか、それとも欲にまみれた人間意識で終わるのか、その選択が課されているとも言えるのです。

そして有終の美となる老後と死に様がその結果です。

然るに私は心安らかな老後と死となるように意識して暮らしています。
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…不満が諸悪の根源です…ストレスが万病の元です…幸せにはなれません

2018年11月08日 | Weblog
国家社会政治経済のシステムの中で生きていることで個人の自由が失われ牛耳られていることの自覚認識があるでしょうか?
…不自由・不平等・不調和にして不幸の原因です…

数に限りがある有限の世界でもって…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして…欲張ることで生活弱者を生み出していることの自覚認識があるでしょうか?
…偽善の募金や寄付集めよりも・己が欲張らないことが肝心です…

比較競争し合い・差別し合い、束縛制限支配されたり、否定反発排除し合ったりしていることの自覚認識があるでしょうか?
…同じ穴の狢でもって・ドングリの背比べをやめればいいのです…

自分さえ良ければの個人意識を持ったもの同士が集まり、しかも私が正しいと主張していることからして、勝てば官軍負ければ賊軍となっている矛盾に気付いているでしょうか?
…正義聖戦だと誰が決めているのでしょうか…

人間意識・個人意識に矛盾があるのに何で私が正しいと言えるのでしょうか?

その私は正しいの集合意識からして常識となったり伝統風習になったりしていることに自覚認識があるでしょうか?
…誰もがおかげ様とお互い様の関係からしてその差はありません…
…誰もが生まれて死するその順繰りからして親孝行や先祖供養などの特別は必要ありません…

人の不幸が己の幸せに思え、また人の幸せが己の不幸に思える矛盾意識に気付いているでしょうか?
…素直に自問自答してみてください…

自然界に元からしてなかった人為人工的な諸々でもって洗脳されたり依存したり、またそれらを極めることが生き甲斐だの名誉名声などの肩書になっていることに気付いているでしょうか?

然るに不完全意識の人間が何を成せども同じ不完全な矛盾する結果になっている事実に気付いているでしょうか?

…縄文時代も現代も人間の本質は変わっていません…

ところがキリもなく続く不満と満足の繰り返しからして物質文化文明が発展していることに気付いているでしょうか?

その文化文明の裏が出れば危険な目にあいます。
車両が走る凶器にもなり、客船や電車や飛行機などの大惨事が起こっていますし、原子力発電事故の問題もあります。

また不満と満足・苦と楽の喜怒哀楽からしてストレス三昧になって御身が危なっかしい状態になっています。
…不満が諸悪の根源です…
…ストレスが万病の元です…

あれこれ書けばキリがありませんが…それだけ御身が危なっかしい状態状況になっています。

しかも矛盾と偽善からして己が被害者にも加害者にもなる場合があります。

それらを根掘り葉掘り書いていますが素直に理解できているでしょうか?

ちなみに理解不足でも…欲張らなければ大丈夫です。

また孤独の自由でもって新たな生活を始めるのも御身のためになります。

先に書いたように矛盾偽善に満ちた個人意識の人間が集まることでヘンテコになっているから…離れれば…被害者にも加害者にもならずに御身が助かり救われるのです。
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現在の不自由・不平等・不調和の<不幸な人生>で終わりますか?

2018年11月06日 | Weblog
過去と現在と比べてみて、過去のほうが良かった人や過去よりも現在のほうが良い人もいることでしょう…

ちなみに過去は非実在にして思い記憶の世界になりますから、現在の今が本物になります。

また一寸先は闇と言われ先々のことや理想目的の類なども非実在になります。

然るに今がどうなのか?…それで満足納得できているのか否かになります。

ちなみに私は過去の自己拡大で生きていた時よりも現在の自己縮小の実践でもって生きているほうが私には似合った生き方であり十分納得できています。

だから事の始まりから現在までの18年間以上続いています。

ちなみに過去では快適便利なスイッチポンと衣食住の贅沢三昧でもって仕事円満・家族円満・セックス円満で生活していましたが…
現在は孤独の自由でもって食って寝て糞をするだけのようなグーたら生活にして…人様に自慢できる特別なことはありません。

しいて言えば…省エネ生活に欠かせない風呂焚き用とダルマストーブ用の薪燃料を暇つぶしに納屋や庭先に三年分以上も山もりに積み上げていることくらいです。
…ちなみに夕暮れ時の集落の煙突から煙が出ている風景が相当以前から消えています…

また自然界の四季折々の情緒を一年中庭先で味わえるようにと創意工夫をした蚊帳付きのベランダがあります。

ちなみに巷の人為人工的な変化刺激・喜怒哀楽・人間関係などのストレスから離れていることからして日々精神安定ですから、その自然界の四季折々を味わっているだけで十分になりました。

ところで豊かな物質文化文明でもって生きている私たちですが…
しかしジャングルの奥地でもって生きている人たちや極限の地や極寒の地でもって生きている人や山岳地帯や草原地帯でもって何とか生きている人も大勢います。

すなわち生まれたからには何とか生きていけるのが人間です。

だから集合化・効率化の組織団体などに加わらなくても、孤独の自由にして自力と自信と創意工夫と精神力からして何とか生きていけるのです。

なのに己の欲や他力依存からして自らの自由を束縛制限支配されても良しとして不自由・不平等・不調和な形の中で生きていくことになっています。

そして欲からの不満とその満足の喜怒哀楽の繰り返しでもって生きていますから…何やら中途半端で納得しかねます。

すなわち<欲と不満>からして…総て事が始まっているのです…
なのに不満のない…幸せな生活を願っている…そんな矛盾があります。

なのにそれに気付いていない人が大勢います。
中には他力にして幸せを願っている精神未熟な人も大勢います。

また人為人工的な諸々でもって楽しく生きることが幸せに思い違いしている人も大勢います。

だから矛盾する喜怒哀楽が何やら幸せに思えている・錯覚勘違いしているのです。

然るに変化刺激でもって生きているのが幸せに思えているから、その変化刺激を突き詰める結果にもなり、現に高度な変化刺激を追い求め続けています。

何はともあれ…自分さえ良ければの個人意識を持っている人が大勢集まればその物質文化文明が発展するも自然界が危機的状況になっています。

ところが自分さえ良ければの孤独の自由でもって生きていれば自己責任と自己結果ですみますから、その分だけ人様を巻き込まないで平然と生きていけます。

しかも孤独の自由を味わっていれば不満も出てこなくなり結果的に欲張ることにもなりません。
…欲張れば自由が失せます…

然るに自由を得るのか、物質金銭や権威や権力を得るのか、その選択でもあります。
…世間に目立ちたがれば自由が失せます…

然るに自由無くして幸せはありません。

だから幸せになりたければ自由になることです。

なのに自由を捨て欲張るからには生涯幸せになれるはずはありませんから、当然ながら不自由・不平等・不調和の不幸せで人生が終わります。
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個人意識を持っている我々人間は「孤独」です。

2018年11月05日 | Weblog
個人意識を持っている我々人間は「孤独」です。
…それは「私・個」があるからです…

良い悪いで判断して悪いのを排除して良いとこだけを取る「良いとこ取り」をしている限り…
自分中心の「自分さえ良かったら」他の人はどうでもよいという個人意識がある限り…
その自己満足、自己主張、自己顕示、自己慢心自惚れに思ったりして他と差を付けたがったり、比較競争して他と差を付けたがる差別意識を持つことから…どうしても孤独になります。

だから町中の人ごみの中にいても孤独です。
例え友達や恋人夫婦や子供連れで寄り添って歩いていてもお互いの意識が離れていれば孤独ですから、人と接することの至福は味わえていません。

皆で楽しんでいるように見える趣味嗜好娯楽でも同じです。
しかも互いに比較評価したり競い合ったりしていますから、他者との戦い、自分との戦いとなります。

自分さえ良かったらの意識で生活していますから、自分に都合がよい時は仲間意識であっても、都合が悪くなれば離れていきますから、絶対的に心から安心してはいられません。

だから違和感や不信感の不調和意識を必ず持っています。

その違和感不信感が内心で不安や怖れ憤り怒りになって潜んでいますから、言い知れぬ・得体の知れない孤独感と闘うことになります。

ちなみに心休まるはずの家庭が崩壊しているのも個人意識の集まりだからです。

地域社会・国家の仕組みや経済が崩壊するのも同じ原因です。

自然環境が崩壊しているのも同じ原因です。

すべての原因、事の始まりの原因に、自分さえ良ければの個人意識があるからです。

だから皆が孤独なのですが、その孤独には自由があります。
ところが見栄や世間体を意識して自らを束縛制限していますから自由はありません。

また国家社会や地域や家庭という形には自由がありません。
自由が無くて孤独だと、それが孤独感にもなります。

その孤独感を癒すために人が寄り集まりたがりますが、それは単に孤独感を一時的に忘れているにしかすぎませんから、すぐに孤独感が戻ります。

なに気兼ねなく一心不乱に取り組むことで孤独を楽しめます。
ちなみに冒険家や探検家や研究家や専門家が没頭できるのも孤独だからです。

自由孤独を味わうには世間や人の目を気にしていては絶対に味わえません。

しかし生きていくためにはお金が必要ですから、そのお金を集める必要があります。

それには自らが稼ぐことであり、スポンサー探し、寄付援助協力を求める行為です。

そこで孤独や孤独感を補うのが「心のよりどころ」になります。

それが趣味嗜好娯楽・刺激・探検冒険研究の中にありますが…
それらは原因の心ではなくて結果の「形」を追い求めているものですから…
いろんな気苦労も当然あるし、目指す成果を挙げるために時間的・肉体的な苦労もありますから心身が疲れて当然です。

その心のよりどころでもって心身が疲れるという矛盾になりますが…事を成したときの自己満足・自惚れ慢心でもって過去の苦労が苦労ではなくなるという矛盾があります。
だから生きていくための生活で疲れているはずなのに心から気付けないのです。

また成果を見せ付けて評価されたいという欲望・野心や見栄や自惚れの自己満足や自慢したがる主張顕示のためにやっていますから…決して心からの満足とはなりません。

そこで「結果」ではない「原因」である人間の心・意識を知る方向性に完全真理を見極めることであれば…この世は情報社会ですから学ぶにも大してお金も必要ないし、孤軍奮闘も可能ですし、孤独だから時間もたっぷりあるし、しかも束縛制限支配されずに自由に動けるし、知ることに限界は無く、その知らなかったことを知る喜び楽しさや、共に判り合える友と接し合う喜びや楽しさもありますから、それらから暖かい心にさせてくれます。

また知る喜び楽しさに加えてその実践からも喜び楽しさが味わえますから…自ずと続けることが出来るのです。

また完全真理だけに…他の世間的な無駄な方向性に意識を向けなくて済むから効率が良くて無駄がありませんし、しかも完全真理ですから矛盾も妥協もありませんので迷い混乱葛藤することもなく、また他の変な方向に洗脳されたり泥沼に引きずり込まれることもありませんので安心安全です。

学び知る喜び楽しさ、その実践で知った喜び楽しさの中に、普通の当たり前が喜び感謝にもなり、思いもよらない至福が時々ありますから、それが心の支え・自信・自力・精神力になり、この先にくじけたり、あきらめたりすることにはなりません。

ちなみに私は完全真理を学び知り併せて自己縮小の実践と孤独の自由でもって納得人生となっています。

然るに現在の老後人生に納得していますから…この先で何の問題もなく・思い残すこともなく・死に至ることができます。 

(2009・04・04 投稿リメイク版)
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<至福の時>は特別ではなくて、普段の生活の中にあります。

2018年11月04日 | Weblog
秋が来ると薪燃料作りに精出しますが…その時にハウスシチュウーのCMを思い出すことがあります。

そのCMでは…男が薪割をしていて、その割れた薪が勢い余って手伝っている女性の方に飛んでハッとするが、(あわやと言う出来事なのに)それがきっかけで互いがふと見つめ合いニッコリと微笑むことが出来たということは…意識し合う者同士が共に味わえる至福と言えます。

もし、その男女が真理で言うところの愛を共に意識し合う関係でなければ、女性は危険な思いをしたのだから笑顔が出る筈もありません。

また、共に一緒に居たいと言う動機・感情がなければ、それぞれが離れ離れで用事をしていたかもしれないし、またはイヤイヤながら付き合っていたのなら尚更に笑顔は出ません。

すなわち、同じ出来事でも(同じ原因でも)人の意識次第では良いことと悪いことの裏表の結果が出るのです。

そして(日常の些細なことでも)意識し合う者同士で共に過ごすことが出来れば(ヒヤッとする場面があっても)その危ない思いをしたことまでが・互いの微笑み笑顔至福になると教えてくれたCMです。

それ以前のCMでは…雪道で車のトラブルが起こり、その対策をしている男性の側に(極寒の中で)女性が立って成り行きを静かに見守っているとき、その除雪作業をしている男性の手が凍えたので、その手をこすりつけている時にふと互いの目線が向き合い(互いが寒い思いをしているのに)それが微笑になるシーンが描かれていましたが…

そんな寒い雪の中でも・わざわざ車外に出て作業をする男性の側で共に居たいという女性の心理がうまく描写され…そこに至福を共に味わっている互いの姿が浮き彫りにされていました。

ちなみに自分には何も出来ない・役立たない事であっても、ただ側で見守っているだけであっても、意識が共に通じ合う仲であれば、その場に共に居るという親しみ安堵感・感情・感覚から来る微笑があればそれだけで心が満たされるから…
それ以上の行為表現を求めたり金銭物質的な欲を満たそうとはあまり思いません。

同じ思い意識で共にいれば、(良いことも悪いことも)日々日常の全てが至福になるのです。 

共に意識が離れていなければ至福が味わえるのです。

至福は特別なことではないのです…当たり前のような普段の中にあるのです。

それなのに特別なことで至福・幸せを得ようと思うから、それが思い通りにならなくて悩み苦しみ困ったことにもなっているのです。

大きなことや多くのことを望んでいるから、それが手に入らない苛立ちや不甲斐なさに自分を責めたりして心を乱すことになるが…

それが共に意識が通じ合っている人や仲間と一緒にいれば、何処にでも転がっているような出来事からでも喜び感謝の至福が味わえるのです。

それには「意識」が重要な役割になります。

野良作業中に土手や道端に座り込んでお茶しているのを至福に思うか…
それだけでは物足りずに上乗せを求めたがるのか、単純すぎてつまらないと思うか、大したことをしていないと自分を哀れに思うか…

それは人それぞれに違うでしょうが…それを判断するのは己ですから…その自分の思い意識次第で喜びにも不満や悲しみにも…どうにでもなるのです。

特別な上を見てやりたがるから…普通が下になり…それが不満に思えるのです。

自己縮小して特別を見なくなれば、普通が丁度よい加減(調和)になり、それがありがたいことになり、現れ出た結果に上も下も差も無かったことに気付くことが出来るのです。

そして人間は意識で生きていることを知り、その意識したところに自分が居ることを知りますから、現実ではない過去や未来を意識することが無くなっていきます。

例えば、子育てで過去や未来を意識せずにあるがままの普通で暮らしていれば、あらゆることでその時その時の至福を味わえるのに…
その子育て行為をしている最中に過ぎ去った過去や現実ではない未来を思い考え悩むから、その分だけ子育ての楽しさが減り、その減った分だけ思い考えた悩みが浮き上がり、それに執着するほどに不安・心配が増してきて、それが解決できない不平不満や苛立ちや怒りなどの苦痛を味わうことにもなるのです。

人間は意識体ですから、その意識が重要な役割をしているのです。

自分の敵は自分の中にあるのです。

自分の幸せは自分の中にあるのです。

全ては自分の意識が原因の結果なのです。

2009-04-01 投稿・リメイク版
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国家社会・政治経済・指導教育・伝統風習や常識から洗脳され続け牛耳られている。

2018年11月03日 | Weblog
頑張りなさい、精一杯仕事をしなさい、
…怠けちゃダメ…

意欲を持ってやりなさい、目的理想を持ってやりなさい、
…成り行き任せのグーたらはダメ…

学業に励みなさい、文化芸術に親しみなさい、
…勉学教養に励みなさい・勤勉な人になりなさい…

先人・恩人・師匠・先生・親の教えに従い習得しなさい、
…国家社会に役立つ人間になりなさい…

国家政治経済や文化文明に寄与しなさい、
法律や制度を厳守する立派な人・完璧な人になりなさい、
人に迷惑をかけない一人前になりなさい、
先祖を敬い親に孝行しなさい、

など等と教育指導されてきたと思いますが…それが国家を牛耳るのもや集合意識による洗脳・思い込み・陶酔となっていることに気付いていますか?

ちなみに私は遊ぶことが大好きからして学校教育に洗脳されなかった一人です。
…友達同級生と遊ぶために学校に行っていたようなものです…

しかしそれでも何不自由することなく自分のやりたいこと諸々を数多くやって自分のものとしてきました。
…習うよりも慣れる…自己流でやりながら創意工夫をするが私のモットーです。

そして私なりに出来ることをやり続けているうちに自己拡大となり世間に見劣りしないだけの家族家庭をもって仕事円満・家族円満・セックス円満にして60歳まで続いていました。

ところが自分のことなら何とかなるも、そこに人様が絡めばおかしなことになる事例を数多く味わっていることに気付き、それが違和感不信感となり結果的に現在のグーたら生活となりました。

その過去の自己拡大と現在の自己縮小&孤独の自由&グーたら精神からして気付いたのが、先ほどの国家社会による洗脳であり法律制度で私たちが牛耳られている事実です。
…制度や洗脳でもってがんじがらめに束縛されていることです…

その挙句の果てがスイッチポンの快適便利な生活ですが、その裏では原子力発電所やその放射性物質の処分問題を含めた自然界の崩壊破壊汚染や気候の変動異変やの最悪の状態がずーっと続きます。
…最高の良い結果と最悪の結果が同時進行しています…

その事実を根掘り葉掘りブログに書くも…自己拡大真最中の人には通用しません。

然るに自己縮小となっている人にだけ伝わり理解され味わい気付くことなのです。

だから私が仕組まれながらにして自己縮小となっていなければ…このブログは実在していません。

然るに…自己縮小の実践となったとき…グーたら精神が板についたときでなければ・・・ブログの真価に気付けないかもしれません。
…これ以上書き続けていても何やら無駄になるかもしれません…

そんな思いを併せて…ここ当分は冬場の薪燃料の準備に意識が使われていることからして…新規投稿が減り過去のリメイク版が増えています。

ところが過去の投稿文を今見てもブレや歪みがなく、使う言葉や事例が違うだけで現在にも通用します。
…10年間同じことを書き続けていたことにもなります…

だから過去投稿文のリメイクが当分続きます。
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