孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張らない実践真理は…人類唯一の永遠に続く真理であり…人類最後の実践真理となる(重要にして再投稿)

2020年08月31日 | Weblog
東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる「自己縮小の実践」として書き始めたころから不思議に思えていたのは…

話して聞かせれば理解できる幼子からはじまる老若男女の世界人類に共通する確かな実践真理なのに何で広がらないのか???

此れしか他に道はないと見極め見定めた…究極で唯一の老若男女が実践できる真理なのに…何で多くの人に注目されないのか???

たとえ今すぐに実践することは無理でも理解納得確信となって脳裏&心に残り少しづつでも実践が進んでいくだろうと思っていましたが…さにあらずの状況になっているのではないでしょうか…

ちなみに「欲張らない」言葉が登場した時代は…たぶん月信仰の逃げるが勝ちの弱者の時代・縄文時代ではないでしょうか…

それが太陽信仰の強者・支配者・差別登場の時代となる弥生時代になって集合化・能率化・効率化となり近代化が急激に進化発展してきたように思いますが、しかしその裏には戦国時代・侵略戦争・世界大戦が絡んでいます。

また世界のあちこちで生贄・人柱・人身御供・斬首や血祭が始まったのも太陽信仰になってからと言われています。

しかし、いつの時代も世界のあちこちで「欲張らない」ことは言われ続けていたはずです。

なのになぜ広がらなかったのでしょう…
たぶん実践する人が少ないというよりも…実践したがらなかったのではないでしょうか…

何故なら…欲は本能…だからです。

然るに…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして動くのが人間なのです。

だから過去の釈迦やイエスらの類も欲で動き、欲を持った大勢の人を引き連れていたのです。

前置きが長くなりましたが…
欲張らなければ・欲に執着しなければ大きな問題にはなりません。

然るに本能の欲が出ても執着しなければ自然消滅するのです。

然るに数に限りがある有限の世界で人類が公平にして・自由平等の調和でもって生き残る唯一の真理・欲張らない実践なのです。

なのに欲張り続けることは…宇宙・神・愛の仕組みに逆らう特別意識・差別意識を持った偽善者・野望野心家となって世間に目立つも…しかしその不全不純な心を持ったままの…どうしようもない・己の墓穴を掘る・救いようがない・エゴ丸出しの精神体を持つ人間人生で終えます。

何はともあれ…欲張ることで心身が疲れ、そこで何とかしなければと巷の人為人工的な諸々に係わるも…しかし欲絡みの矛盾偽善や喜怒哀楽の繰り返しからして何だか中途半端で納得できません。

またその矛盾偽善に満ちた人間関係からしても心身が疲れています。

然るにその人間関係も欲絡みで始まったことです。

とにかく人間は自分に都合がいい事なら妥協も協力協調団結もできるが・皆と一緒に調和することは絶対にできません。

となれば…己個人として生きるためには…己のことは己で始末する・自己責任を果たすことになります。

ところが自力自信の無さからして…欲絡みの授受関係となるその他力絡みの依存心からして振り回されて・いつの間にやらヘンテコな団体組織に属するその被害者にもまたその加害者側にもなったりしています。

だから心穏やかな精神安定にして生きたければ…持ち前の自力と自信の精神力からして欲張ることをやめにして、しかも不完全な人間関係となる双方の依存関係からも離れなければ精神安定の幸せとはなりません。

しかし欲を捨てられないから多くの無理が伴いなかなか実践できません。

だから欲張らない実践真理は…時代が変わりながらも…人類永遠の真理…となって未だに続いているのです。

何はともあれ…人類永遠の真理を自分の物・本物にするためには…皆と一緒に赤信号を渡ることをやめにして…自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって一人抜け出し・一逃げにして…縄文時代のように逃げるが勝ちの孤独の自由を選び…その孤独の自由のためにも欲張ることをやめにするしか他に道はありません。

だから欲張ることをやめにして、人類永遠の実践真理を自分のものにすることで・己の心身を己の精神でもって救うことになるのです。

またその自力自信の精神体・意識力からして新たな人類進化発展のアセンション次元上昇につながるようです。

となれば…人類最後の実践真理…となります。

ちなみに欲張らない実践だけに世間には目立ちません。

だから世間の片隅で心静かに実践しています。

然るに…あなたは大丈夫ですかと…ブログでもって問いかけています。

2017-08-28 再投稿

不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間だけに…欲張らずに<生きてさえいれば>いいのです。

2020年08月27日 | Weblog
人間は良い悪いの矛盾する意識でもって・善悪優劣損得の矛盾でもって判断し比較し競争し差別していますから、人間は元より差別主義者なのです。

しかも此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして動いていますし、その不満も欲もキリもなく出てきますから、その結果からして喜怒哀楽の繰り返しとなり、しかもその不満と欲の繰り返しからしてやがて人殺し戦争ともなっている史実がありますし、その人殺し戦争に使われた発明や武器や道具がこれまた生活に役立つ便利な道具にもなりながら時代が進化してきた史実があります。

然るに不満と欲からして人殺しや一揆や乱や維新革命やら戦争聖戦となっているのですが、それも不満分子が多く集まることが原因なのですが…要するに…人が大勢集まったその集合意識が原因となっているのです。

然るに不満と欲が正当化されて私は正しいの正義感にも変化して次第に事が大きくなって、双方がどっちもどっちの敵味方となって戦い合い殺し合うことになり、勝てば官軍負ければ賊軍となっているのが史実にあります。

ところが…大昔の縄文時代は個人の自由からして差別もなく暮らしていたが…他国の弥生人が縄文人を滅ぼし弥生時代が始まり、人口の集合化となり差別が進み、太陽信仰の皇族や王家が支配する差別主義が進み、上流階級とそれを支える中流階級と落ちこぼれの下級階級が集まる差別国家ともなりました。

然るに弥生時代から差別主義国家が始まり、その王家や皇族やが国家の支配権を争うための戦いが頻繁になり、その戦国時代が続くことになり、またその不満分子が集まり一揆や乱になったり下級士族や武士が集まり維新革命ともなり、また欲張って侵略戦争や世界大戦となった歴史経緯があります。

要するに小さな<不満と欲>が原因からして「集合化」することで事と次第が大ごとになっているのです。

すなわち不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間だけに欲張れば更に厄介なことになっているのです。

しかも集合化することでとんでもないことになっているのです。

だから個人の自由&孤独の自由にして欲張らなければ自由意識&平等意識にもなるのです。

また天地創造の宇宙・神・愛の仕組みからして…生きてさえいれば…何とか成りながら平穏無事に生きていけるのです。

なのにそれではつまらないとばかりに欲を出して欲張るから…結果的には自分が困ったことになっているのです。
…自らが墓穴を掘っているのです…

それを言い換えれば…
宇宙・神・愛の仕組みからして誰もが不満と欲を持って生まれているのに…
そこで欲張らずに生きていくことは精神修行ともなり…
自力と自信の精神力にもなるのです。

また貴方様の自力と自信の精神力の有様を試されているとも言えるのです。

また過去の釈迦やイエスやらの名立たる諸々諸氏を超えた心精神を持った意識体&宇宙生命体となるチャンスでもあるのです。

老後となれば…孤独の時間・家の中の時間・病院の時間・治療介護を受ける時間・寝たきりの時間が多くなるから…その覚悟がありますか!

2020年08月25日 | Weblog
良い悪い・善悪優劣損得の矛盾で判断し差別し比較競争しているのが人間です。
…神の領域の縄文時代を終わらせた太陽信仰の弥生時代からして人口の集中化が始まり差別主義となったのです…

此れではダメだの不満と何とかしなければの欲でもって生きているのが人間です。

数に限りがある有限の世界で欲張ることは弱者を虐めていることになります。

皆して欲張っていることはその加害者であり被害者にもなります。

然るに不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているのが人間なのです。

また不満と欲は一体であり、しかもキリもなく出続けるのが人間なのです。

だから不満と欲からして事が始まり結果的に人殺し戦争になっています。

然るに不満分子による一揆やら乱やら維新革命やら聖戦戦争になり・勝てば官軍負ければ賊軍となる矛盾の繰り返しと差別主義からして時代が進化発展してきました。

そして現在はスイッチポンの快適便利な生活となっています。

しかしその分だけ電力が必要になり・危険でもあり・放射能廃棄物が負の遺産ともなる・原子力発電が主役になっています。

また不満と欲からして何か事を成しますから、その苦労と満足の喜怒哀楽の矛盾を味わいながら生き続けることにもなっています。

また変化刺激に満ちた趣味嗜好娯楽でもって喜怒哀楽を繰り返し味わうことにもなっています。

然るにそれが<間違い狂った原因と結果>だと自覚認識していなければ死ぬまで繰り返されます。

ちなみに昔の人が言ったように「お天道様」がすべてを見ていますから…
間違い狂っている人には、そのしっぺ返しが仕組まれますが、その大半は年老いた老後に現れ出ています。

だから皆様方の周りの身近なご老人を見れば一目瞭然です。

然るに孤独の時間・家の中の時間・病院の時間・治療介護を受ける時間・寝たきりの時間が次第に多くなるのが<老後>です。

しかも大きな病院での完全看護でもって・生きていても死んだも同然の・生きた屍が如くの・寝たきり患者や重度の認知症患者がどんどん増えています。

然るに欲張った分だけ「負の遺産」心身のストレスを積み重ね抱え込んでいますから、そのしっぺ返しを我が身に受けて当然なのですが…

貴方様は大丈夫ですか? 信じるか否かに受け止めていませんか?

ちなみに私は60歳ころに不満と欲と矛盾のある人間関係にふと気付いたことからして・自他共に何とかしなければと思っていたところが…宇宙・神・愛の仕組みからして過疎地暮らを選んで約20年ほど孤独の自由を味わっています。

然るに老後の孤独が孤独感にならずにして「孤独の自由」を自然界の中で大いに味わうことになったのです。

ちなみに変化刺激に満ちた人為人工的な諸々でもって余暇を楽しむ老後ではないのです。

だから元からして過疎地で暮らす地元の老人と見掛けが似ていますが、しかし精神的には異なっています。

然るに欲張らずにして・食って寝て糞をしながら・元気に生きているだけで不満もなく納得できているのです。
ちなみに私と同じ地元の老人から…いつも元気ですね…と言われています。

だからこのままにしてぽっくり死ねば大満足です。

と言うことからして言い返せば…
その分だけ「しっぺ返し」が軽減されるとして・捕らぬ狸の皮算用をしているところです。

然るに老後の孤独の自由時間が長く多くても…病院の時間や治療や看護の時間やベットで寝る時間が短縮されて…その分だけ元気にして楽に死ねると…皮算用しているのです。

また後期高齢者となったからには…
如何にして楽に死ねるか、
死後のことも含めて・人様に迷惑を掛けずに如何ようにして死ねるか、
なのです!

とにかく…欲張った人が得をすることは…お天道様がひっくり返っても絶対にありません。

詳しくは 2020/02/11 投稿の「このページは(家族が見れば)「私の公開遺言書」となります」を参考にしてください。

袖すり合うも多少の縁が…愛の奇跡の領域であり・神の領域であり・宇宙・神・愛の仕組みなのは確かです。

2020年08月23日 | Weblog
袖すり合うも多少の縁と言われるように…
この世に偶然は無く…宇宙・神・愛の仕組みの必然のご縁が仕組まれたことになります。

ちなみに多くの人が集まるところに貴方様がいて・誰かさんとふと目線が合って互いの記憶に残ることになれば・それが袖すり合うも多少の縁となり、またどっかでバッタリ出会って互いが認識し合うことになれば更に縁が深くなり、そこで何となく挨拶したりチョコっと言葉を交わすことにでもなれば更に縁が深くなり、それが縁からして出会うたびに会話が多くなり、そこで貴方様の意識が原因からして知人や友人となったり、またその友人知人の縁からして新たな縁が出来たりしながら方向性が変化したり自力自信や精神力となったりしながら生きていくことになったり…

また人によっては異性関係が恋愛関係になったり、それが結婚となり夫婦関係になるように…縁は異なもの味なものになるのです。

然るに何事もちょっとした「小さな」ことから始まり次第に大きくなっていくのが道理であり真理なのです。

だから袖すり合うも多少の縁が…愛の奇跡の領域や神の領域であり…宇宙・神・愛の仕組みなのです。

ただそれも意識が原因の結果だけに、その意識の有様次第でヘンテコな方向性に向いていくことにもなります。
然るにそれが<欲>なのです。

だから貴方様の意識が原因からして仕組まれて、またその意識が原因からして成る様になっていくのです。
然るに貴方様の現状は貴方様の意識が原因の結果になります。

また必然のご縁からしてそれが好き嫌いの選択となれば、それが原因からして友人知人や恋人関係やセックス関係や夫婦関係にもなっていきますが…

成り行きのままに・必然ご縁のままに関係が続いていれば・相手の個性や感性や信念や行動からして何かと学び経験することになり、その縁が深まるほどにその方向性に向いていきますが…

人それぞれに思い思惑や性格感性や信念が異なっているだけにその関係が永遠に続くことはまずありません。

そこで私の事例を紹介しますが…
私が探し求めたわけではないのに・私の好奇心が原因で先方が興味を示し・わざわざ私方へ出向いて来ると言う・そんな必然ご縁が仕組まれた中に特筆すれば…念力で治癒する術を持った人や占いで当たる確率が高い四柱推命のベテランや自然体の愛を説く霊能者がいました。

ちなみに私の意識が原因からして念力や四柱推命の方向性に向きませんでしたからその縁は長く続きませんでした。

ところが自然体の愛を説く素朴で謙虚な霊能者に魅せられるところがったから2年くらいは続きましたが、それも見せ掛けだったのか?…人が大勢集まるようになってから…財閥の後押しがあってエネルギーグッズ販売会社の社長に祭り上げられたので、その違和感からして離れました。

ちなみに私が我欲に染まっていたならば念力や四柱推命や霊能者の方向性に向いて今も従っていたかもしれません。

また娘が縁からして仕組まれ良い悪いで判断しない完全真理を学び知ることにもなり今も大いに役立っています。

また変わり種の事例としてあるのが…伝統明暗流尺八奏者で全国的人気があった師匠の一番弟子がその師匠の功績をビデオ記録に残しそれを会員に配布するために来られた大学准教授の縁からして…その明暗流尺八の極意である「吹け、吹くな、鳴らせ、鳴らすな」が自然体を説いていることだと理解できました。

ところがそのビデオのご縁が続いている時に仕組まれて今住むところの過疎地の廃屋を紹介してくれました。
それも娘夫婦の田舎暮らしのために探していたのに、そのお鉢が私に回ってきたことからして…必然ご縁からして…私が過疎地暮らしとなりました。
この件は何度も書いているので詳しくは省略します。

また別件として一時的な・単発で終わった事例を書きますが…
中学生の頃に山の中にある廃墟同然の神社の広場に「白蛇」が首を持ち上げて私方をにらんでいたので怖くなって逃げかえりました。

また夜間定時制高校(坂出商業高校)の4年生の体育のために校庭に何人か集まっている時に私がふと夕焼け空を見れば一番星が輝いていたので…早や一番星が出ていると…皆に言ったところが一番星ではなくて「隕石」の落下だったのですが、私たち数人の斜め前の頭上近くを炎と黒煙をなびかせて通過し落下しました。
ちなみに隕石の落下を一番星程度の大きさから目撃できた事例は世界的にも珍しいことではないでしょうか…

また信じるか否かになりますが…ビデオ編集中にスッキリした顔つきで身だしなみも清楚な白装束にして行者らしい人が入口に立ち何するでもなく無言のままに私を見つめていることに気付くも、気にすることなく目線をそらせましたが、何か気になってすぐに振り返ると一瞬にして消えていました。

他にもUFOや瞬間移動などの事例があり省略しますが…
今も12年間連続にして地球外生命体と遭遇している事例のように…
摩訶不思議を含めた仕組みに数多く遭遇しています。

とにかく…袖すり合うも多生の縁が…愛の奇跡の領域であり・神の領域であり・宇宙・神・愛の仕組みなのは…確かです。

その宇宙・神・愛の仕組みに仕組まれて…矛盾も偽善もなく真実事実を書き続けているこの世に稀なるこのブログに…貴方様の意識が原因からして仕組まれ必然のご縁があったことは…奇跡とも言えるし・愛の領域であり神の領域となりますが…
その判断や選択は貴方様の意識に任せるしかありません。

貴方様は「思いの世界」想像の世界&空想の世界&仮想の世界&白昼夢が如くの世界で生きいませんか?重要なことです!

2020年08月21日 | Weblog
良い悪い・善悪優劣損得の<矛盾>で判断して比較競争し差別しているのが人間です。
しかも此れではダメだの<不満>と何とかしなければの<欲>をもって生きているのです。
然るに不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているのが<人間>なのです。

しかも良い悪いで判断していることは<個人>の思いです。
だから人それぞれが判断した個人の思い&個人意識の集まり<集合意識>からして国家社会が動いているのです。
しかもその集合意識が<常識>にもなっているところがあります。

そして多くの人が気付いていないのが…思いは<思いの世界>だと言うことです。

然るに多くの人は「思いの世界&想像の世界」で生きていて<事実の世界>で生きていないと言うことに<気付>いていません!

ゆえに不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間関係の中で生きていて…
しかも事実を見ていないで己の思いの世界&想像の世界&空想の世界&仮想の世界&白昼夢の世界で生きていながら…
それが<事実>だと<錯覚勘違>しているのですから…
気は確かながら<狂人>が如くの生き様になっているのです!

気付きましたか! 性根に入りましたか!! 心に届きましたか!!!
…真剣にして何度も読み返せば(賢い人なら)納得確信となるはずです…

然るにこのブログは私の思いでもありますが…
宇宙・神・愛の仕組みに仕組まれ続けた結果からして記載しているだけに…
その内容には矛盾も偽善もなく…
だから信じるか否かのない事実となり…
またこの世人間界が不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている事実を根掘り葉掘り書き続けています。

然るにこの世人間界に必然にして・この世に稀なるブログなのです。
…変人の領域ならぬ神の領域になるのです…

だからどのページを見ても目から鱗が落ちることになるのです。

そして思い想像の世界や狂人の世界から卒業できるのです。

また原因と結果は同じことからして言えば…結果よりも原因を知ることが基本になります。

然るに結果じゃないよ原因だよとなります。

だから不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているからには何を成せども同じ結果になると繰り返し書き続けています。

しかも大きな結果の始まりに小さな原因があります。
だから何事も小さいうちに気付くことが肝心になります。

然るに間違い狂っているからには…
此れではダメだの<不満>と何とかしなければの<欲>からして事が始まっていますから…
その小さな不満と欲から離れなければなりません。

しかも不満も欲も貴方様の思いですから…
その思いから離脱しなければ、その思いの世界で生き続けることになり、事実では生きていない哀れ気の毒な、しかも自分が加害者にも被害者にもなる矛盾からしても、真っ当な道ではなくして・間違い狂っている狂人が如くの生き様人生になります。

ちなみに不満からして頑張り事を成して満足する…その不満も満足もその結果の喜怒哀楽も…己の思いの世界であり…事実で生きていることにはなりません。

然るに皆さんがこの世人間界の現実を見ているのも…その大半が貴方様の思いの世界・観点で見ているから…その矛盾と事実ではない思いの世界で生きていることになります。

とにかく原因と結果が同じだけに…この世の矛盾を知り…そこで欲張らない実践をし続けていくしか他に道はないのです。

然るに私は人為人工的な諸々に依存しないで…宇宙・神・愛の仕組みの自然界の恩恵でもって何とか生きていく道を選んでいますから…

だから頑張り努力したり見栄張ったり欲張ったりせずに…ただ食って寝て糞をしながら生きているグーたら老後生活となっています。

然るに良い悪いの矛盾で判断する必要もなく、まして好き嫌いで選択することさえも無くなり、ただ生きていくための雑多をしながら、後は野となれ山となれの成り行き任せにして生きています。

そして四季折々の自然界のドラマを見たり味わったり、また自然界のごく稀なる現象が見られることもあり、また12年連続にして夜の庭先に現れている地球外生命体と接することもありますが…

不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている人間関係から離れた孤独の自由の生き様に十分納得しています。

ちなみに妻や子やの家族関係やその他の人間関係も成り行きの必然ご縁に限った行動になっていますから…
そんな身近な人間関係は元より国家社会や経済や文化文明とか関係なく…
自分がどう生きていくか・その自分の精神と向き合った生き方にして…
その独自独歩の創意工夫でもって何とか心穏やかに暮らしています。

だから己の思いの世界&想像の世界&空想の世界&仮想の世界&白昼夢の世界でもって思いにふけることはありませんが…
暇つぶしのブログが何かと役に立てばの思いがあるだけです。

だから喜怒哀楽などの矛盾する思いの世界で生きることなく…
矛盾のない事実の世界でもって生きて…
青い惑星&地球&自然界の中でもって…人間として生きている価値を十分に味わっています。

国家社会がハルマゲドンに突き進む中で・私は個人の自由&孤独の自由にして神の領域のアセンションに進んでいます。

2020年08月18日 | Weblog
この世が良い悪いや好き嫌いの矛盾でもって比較判断し差別し競争していることが原因からして…
人間が原因の人類終末のハルマゲドンと、神の領域の仕組み・愛の仕組みのアセンションの両方が同時進行中です。

ちなみに何処の国家社会であれ・不満と欲と矛盾でもって・追い付け追い越せとばかりに・文化文明の発展として・ハルマゲドンに突き進む中で…

私は逆は真なりにして…

個人の自由&孤独の自由にして・不満と欲と矛盾に満ちた人間関係から離れて暮らし…
その<自由>をしっかり味わいながら・何とか成るとして・私一人にして神の領域&愛の領域となるアセンションの道に進んでいます。

然るにそれが人為人工的な諸々に関わり欲張らないで…元からしてある(青い惑星なる地球の)自然界に沿った生き方になります。

しかし「見えない世界」のこととなれば…信じるか否かの領域になったり予言の類の世界になります。

しかしそれでもこの世人間界が不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているのは事実ですから…
その先行きにあるのが人間が原因で起こる終末ハルマゲドンだと確信しています。

ところで欲張っている時には絶対に味わえないが…
無心・童心が如くに・真面目に素直に・何も気にしないままに・心をさらけ出している時に…ふと味わえるのが「至福の時」です。

然るに自己満足とは少し異なるし、まして感動や感激とも違うし…
何やら春の日差しのほんのりとした感覚のようであったり・爽やかな風が体の芯をスーッと通り抜けるような淡い感覚であったり・これが本当に幸せだと思えるような感じです。

ちなみにこの世人間界が不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている中でもって何とか幸せに感じることができるのが至福の時です。

その至福の時を寝て見る夢の世界で実感が如くに味わえたことを書いたのが前回投稿ですが…
現実の人間関係・しかも異性関係でもって・その女性に対する男の感情とは別物の「至福の時」が味わえたことがありますから…
好き嫌いの選り好みから始まった恋愛感情とは異なる・己の思い思惑から得た結果でもなく・たまたま必然ご縁で同じ居場所で共にいたことが原因で感じる至福の時ですから…
互いが欲張り合っている関係ではない・自然体の異性関係でもって・ふと目線が合っただけなのに味わえるのが異性間の至福の時なのです。

だから不満と欲と矛盾でもって間違い狂っている中でもって欲張らないで生きていくことが出来る人たちが増えるほどに・その人間関係でもって至福の時が味わえることが多くなると言うことです。

然るに宇宙・神・愛の仕組みからしてアセンションとなれば…その人間関係でもって至福の時を味わいながら皆一緒に調和して仲良く過ごすことになると思います。

寝て見る「夢の世界」でもって<至福の時>を実感でもって味わいました。

2020年08月16日 | Weblog
今日の夜中の2時ころに(毎夜のことですが)現実的な夢を見てから目覚め、(毎夜のことですが)小便をするために庭先に出て上空を見渡すと、闇夜だけに夜空一面に星が瞬いていました。

その広大な宇宙に唯一つの「青い惑星地球」があり、そこに我々人間が創造され生きていることが単なる偶然ではなくして…
天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みのからして誕生したからには…必ず何某の意味目的があるはずだと思いを巡らすことになるのですが…
その現実となると「不満と欲と矛盾」でもって間違い狂っている様が見とれ、もはやどうすることもできないとなりますが…

ちなみにこのブログは神の領域である完全真理を基にしているので信じるか否かの矛盾も偽善もない確かな真実事実を書き連ねています。

しかし書いている私には不満と欲と矛盾意識をしっかり持っています。
だから人間関係でもって調和することは絶対にありません。
それだけに身近な人間関係から離れて孤独の自由を味わうことになったのです。

ところで先日のことですが…牛舎のオーナーから頂いた玄米30キロをもって往復3時間ほどの夜道を走り半年ぶりに妻と娘夫婦家族が共に暮らす二世帯完全独立型の住居に帰っていきました。

そして先ずは二階の娘夫婦や孫たちがいるところに上がり半年ぶりだけに楽しく会話が出来ました。
その後階下の妻が住む部屋に挨拶がてら訪れ声を掛けましたが、孤独にしてテレビを見ていて(少し難聴になっているだけに)しばらく私に気付きませんでした。

そして私に気付いての言葉が危ない夜道を何しに帰ってきたの?でした。
また私が帰路につくことで妻や娘夫婦や孫たちも玄関先に出てきて見送ってくれることになったのですが、その際にも妻は夜道を帰る心配の一言でした。

ちなみに久しぶりに楽しい会話を味わい、また妻が夜道を心配してくれるのもいいのですが…
それよりも私としては世間一般的な会話をすることや心配してくれることではなくして…
精神世界絡みにして共に打ち解けた調和のある会話なのですが…
お互いが不調和なだけに無理があります。

だから世間一般的な出会いとその別れで幕を閉じます。

そこで先ほど書いた現実的な夢をみて目覚める話に戻りますが…
その前に私なりの勝手な思いかもしれませんが…ちょこっと書きます。

ちなみに喫煙は肺を曇らせますが、飲酒は脳を曇らせますからキチガイ水とも言われています。
だから飲酒をする人はあまり夢を見ないようです。

ところが私は飲酒をしないからか…寝て見る夢がヘンテコながらも現実的であり、人生ドラマ化できるような内容や新規事業のアイデアとかSFの世界が書けるような夢だけに…
寝て見ている夢の世界なのに味覚感覚やら雰囲気などの体感さえも実感できるときがあります。

そこで先日見た夢の話に戻りますが…
田舎の大勢が住む家族のところに私が居て、その家族を片隅で静かに見ている中に気になる一人の女性が居て、しかもその女性とやがて結ばれることになると実感しているから、ただその時が来るのを静かに待っていると言うような感じの夢ですが…
ところがついにその時が来たが如くの状況になり、その女性が私に近寄りすぐ近くに座り、素朴な雰囲気をかもし出しながら微笑みと言うよりも柔らかな表情にして(何一つ会話することなく)ただ私の傍で静かにいるだけなのですが…それだけで互いの思いが伝わりあう…十分納得し味わえる「至福の時」でした。

そして甘えん坊な私だけに・女性に甘えての膝枕でもって寝転がり・その女性の膝の体温を感じながらも、そこで夢が叶ったが如くになった時に目覚めました。

ゆえに変化刺激に満ちた時ではなくして、心静かに味わえる至福の時を夢の中で味わえたのです。

然るに現実的になると無理かもしれないが…私が死する時が来た時に…心静かな女性の膝枕にして・その至福の時を味わいながらポッコリと死に至ることです。

その為にも…何かと欲張らずにして…心静かにして生きていくその価値が十分にあると!確信しています。

ちなみに過去の投稿「ハウス・シチュウのCMで至福を見た」2009-04-01 投稿文を参考にすれば更に理解が進みます。

追伸~テレビを点けっぱなしにして部屋で雑多をしているとテレビの音量が原因で難聴になる人が多いのも事実です…参考のために書き足しました。

自由が愛の領域&神の領域となることに無関心のままに多くの人が宇宙生命体の人間命を終える結果になるようです。

2020年08月15日 | Weblog
人間は良いと悪いの善悪優劣損得の矛盾で判断し比較競争し差別していますから…
と言うことは誰もが差別主義者でもあり、その差別には自由がありませんから…

そうなれば国家社会が言論の自由にしての自由主義であっても、賢い人ならその国家社会に牛耳られ個人の自由が阻害されている事実に気付いているはずです。

しかも人間の本能に欲があり、その欲からして不満になり、その不満からして諸悪の根源となっていることも自覚認識しているはずです。

更に善悪優劣損得で判断する矛盾意識からして事が始まっていますから、原因と結果は同じことからして、その良いと悪いの矛盾する結果となります。

然るに個人の自由もなく、また不満と欲と矛盾のある間違い狂った人間関係の中で生きている事実からしても、この世は闇意識で動いていることになるのです。

だから集合意識の常識や道徳やら学校教育やら伝統風習やその冠婚葬祭やらそんな精神世界やら信仰宗教やら変化刺激に満ちた趣味嗜好娯楽やら名誉名声肩書やら権威権力財力なども…不満と欲と矛盾でもって間違い狂った・闇が如くの意識が原因の結果なのです。

然るに信じるか否かではない真実事実なのですが…
巷の闇意識に洗脳されているところがあったり、自分に都合がいいことからして自己陶酔しているところがったりするし、自らの欲と不満と矛盾意識とその精神未熟さからして理解し辛いところがあるようです。

だから諸々の人間関係からして個人の自由が阻害されていることよりも…
自らが差別主義者となって・他と比較競争しながら・勝った負けたと騒ぎながらも、一昔前よりも近代的で快適便利な生活が堪能出来ていることからして…

先々のことよりも現在の喜怒哀楽の矛盾で生きているほうがどうやら都合がいいようですから…
然るに精神未熟なままにして人間を終える道を選択したことになります。

ゆえに…自由が愛の領域であり神の領域ともなることに…無関心のままに宇宙生命体の人間命を終える結果になるようです。

そのまま・このまま・あるがままにして生きることは…矛盾も偽善もない「完全な神の領域」の真理になります。

2020年08月11日 | Weblog
そのまま・このまま・あるがままにして生きることは…矛盾も偽善もない「完全な神の領域」の真理になります。

だから「あるがまま」の「自然体」にして「成り行き任せ」に生きることは<完全なる神の領域>の実践真理なのです。

然るに「良い悪い」(善悪優劣損得)で判断しない完全真理は<神の領域>になります。

しかしながら人間は生まれながらにしての本能の中に良い悪いで判断して比較競争し差別するその矛盾意識を持っているからには…その実践には絶対的な無理がありますから…
それが神の領域の真理であっても<実践できる真理>にはなりません。

だから神の領域の真理に従って生きることが絶対無理であっても…
成り行きに任せた自然体が如くにして(神の領域に準じた生き方にして)(欲が出ても欲張らないで)豊かな自然界の恩恵となる衣食住でもって何とか素朴謙虚に生きていく実践ならば(自己縮小の実践ならば)東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できます。

然るに…公平で万人向きの自己縮小の実践真理でもって…神の領域に近い生き方になるのです。

また実践が無理でも完全な神の領域となる完全真理を学び知り自覚納得確信となれば…
不完全で矛盾や偽善がある人為人工的な諸々の精神世界や神仏霊魂の世界や信仰宗教やスピ系を含め、巷の常識や道徳や冠婚葬祭を含めた伝統風習や、また変化刺激や快感快楽に満ちた趣味嗜好娯楽などの喜怒哀楽の矛盾から離れることが出来るようにもなるのです。

然るに…不満と欲と矛盾でもって間違い狂っているこの世人間界から離れた独自独歩の生き方と持ち前の創意工夫をしながら個人の自由でもって生きていくことになるのです。

ちなみに自由が無ければ平等にも調和のある平和にも絶対になれません。
然るに自由は神の領域なのです。
その裏の不自由は悪の領域&闇意識の世界になるのです。

謎の発光体・飛行体・透明体・点滅体である…人間を超えた「地球外生命体」を12年間連続にして目撃していることは…

2020年08月10日 | Weblog
地球外生命体が地球に実在していると言うことは三次元以上の命意識体であり表現体になりますから「人間を超えた」存在になります。

ちなみに高度な科学の探索衛星が宇宙のどっかの惑星に生命体が実在していたのを発見したと言うのではなくして…
この地球の日本の四国の三好町の山の中に住む私の庭先の目の前から10mの範囲内に6月から9月末までの夜8時から午前4時ころまでの一日で数回・予測不可能なランダムにして・12年間連続に現れている事実があります。

去年は毎夜2回から3回ほどの小便の用足しついでに夜の庭先を見た時に1体のときや数体の時や多い時は6体ほど確認できましたが何故か今年は極端に減りました。

ちなみにタバコの火の大きさくらいに青白く発光するし・点滅もするし・一直線に飛行したりバタフライのようにも飛行したこともあるし・電灯を点灯したら発光体が消えて見えなくなるがライトを消灯するれば同じ位置でもって発光していることからして透明体だと判断することにもなりました。

ちなみにライトと拡大鏡でもって目の前15㎝ほどで発光し静止している生命体を数分間観察したことが一度あります…が
とにかく昆虫のように手足があるわけでもないのに数ミリ程度ゆっくり移動したり、また羽があるわけでもないのに飛行できるし、口が無いからには食することもないと思うが…
それでも12年間庭先に飛来し3か月以上生き続けているのですから…
地球生命体の人類を超えた異次元的な命を持つ生命体・表現体となります。

ところが私以外に目撃している人は誰一人いません。
ちなみに此れまでご縁があって親しくしている数人に見物見学検分に来てはどうですかと一応は勧めたのですが誰一人来ていません。

何やら私だけに見える現象に思っているようですし、縁あって発光体を見たとて奇跡が起きたり何某のご利益があるようでもないから…わざわざ見に来ることでもないようです。

ちなみに神様仏様でもなく超能力者でもない普通の私に見えていることならば誰にも見えるはずなのですが…しかしそこまでの好奇心や関心がなさそうです。
…好奇心旺盛な私でも…わざわざ見物に行くことはないでしょう…

何はともあれ…私だけに見える現象としても…
私が12年間も事実にして見ていることは確かですから…信じるか否かを抜きにして…この世三次元界と異次元界が同時進行しているとブログに書くことにもなっています。

ちなみに宗教家が説く(信じるか否かの不確かな)神仏霊魂以外に…
人類を超えた高度な地球外生命体が実在していることになれば…
見えない不確かな神仏一元の世界&神の世界を事実が如くに説くそれら宗教家の立場が大きく損なわれるかもしれません。

とにかく…天地創造の宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁の巡り会わせからして…関心が無かった神仏霊魂の世界やら超能力やらとご縁があり、それが良い悪いで判断しない完全真理とのご縁にもなり、まして私が思いもしなかった過疎地での孤独の自由となり…
それが私自身も知らなかった・自覚認知していなかった・素朴謙虚にして生きていく自己縮小の実践にピッタリ当てはまったのも事実ですから…

然るに数々仕組まれ続けて現在があるように…ここに書く異次元の地球外生命体の事例も此れからの「先行きを示す」宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁の巡り会わせになるのですが…

とにかく完全なる宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁に偽善や無駄は絶対にありません。

このブログを含めて・ご縁があったのに離れていく人や・先行きの欲に駆られて成り行きに任せられない人が多いようです。

ちなみに此れまで数例目撃してきたごく稀なる自然界の超常現象やら目の前で起きた物体瞬間移動やら・私に気付きなさいとばかりにジェット推進音を出しながらラグビーボール型のUHOが目の前に飛来したことなどを含めた・その魔訶不思議の集大成が…12年間連続にして現れている地球外生命体なのは確かです。

となれば…この世三次元界の欲絡みの進化発展の裏が出て人類の終末ハルマゲドンに突き進みながらも…遅ればせながら高次元界アセンションが近づいて来ている証&前兆になります。

ちなみに書いている私自身は全て事実になりますが…目撃していない人や完全な神の領域を知らない精神未熟な人には信じるか否かになります。