矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

始めたが終われないで(食ったものが出ないで)限りなく苦しんでいるのが人間かな?

2017年08月31日 | Weblog
人間として生まれたからには必ず死にます。
然るに…始まり終わるのが人間です。

だから幼子からして次第に成長し・やがて衰退しながら死に至ります。

またそんな中に衣食住が基本にあります。
その衣食住を極めて死に至る人もいることでしょう。

ちなみに料理レシピの数々を極める人もいます。
また快適便利な住居を極める人もいます。
また彩り鮮やかなで斬新なファッションを極める人もいます。

ちなみに私は様々な料理を食べてきましたが…今は簡単な食事で十分に満足しています。
また住居も親が建てた住居を取り壊して自分好みの住居を立てましたが、今は娘夫婦がそれを取り壊して二世帯完全独立型の新居となり妻が同居しています。

ところが私自身は過疎地の廃屋のトタン屋根とトタン壁の隙間だらけの風通しの良いオンボロ住居に住んで十分満足しています。
また町場で暮らしている時は寝る時さえも豪華な着衣をまとっていましたが、今は田んぼの中のカカシが着ているセーターよりも劣る着衣でもって夏場を暮らしていますがそれで十分です。

然るに私は戦中生まれの戦後育ちですから、幼いころは食糧難でしたし薄汚れた粗末な着衣でもって小学校に行っていましたし、その恰好のままに山や川や海で遊んでもいました。
ちなみに身ぎれいにするのは正月くらいでした。

また中学生になるまでは水道も電話もありませんでしたし仕事用の自転車が一台あるだけでした。

前置きが長くなりましたが…
始まり終わる中で何を学んだのかが・人間人生の決め手になると思っています。

ちなみに私の場合は素朴な中で育ち・成長とともに贅沢になり・そして老後は素朴に戻りました。

と言うことは途中で贅沢を経験したが…気付き思うところがあって…晩年は始まりと同じ素朴に戻ったのです。

そして精神安定にして生きていることだけで十分納得できているから他に欲しがることもなくなっているのです。

然るに…欲張らないで生きることが精神安定にして暮らせるとブログに書くまでになりました。

だから…裸で生まれ裸で死ぬように…始まりと終わりが同じになることで…その一生が学び経験となって活かされるのです。

ところが衣食住や趣味嗜好娯楽の類などを見極めたままに終わると、次もまたそれ以上のことを見極めたがるのが人間の本能でありそれが欲なのです。
だから時代とともに進化発展して現在のようになっているのです。

ちなみにそれが精神世界となると…この世人間界は矛盾に満ちているから…見極めきれないままの中途半端で終わっている人が殆どだと思います。

またそれだけに様々な人が精神世界を様々に語り説くことにもなったのです。
然るに名言格言諺の類から主義主張・哲学思想・宗教真理・精神世界の謎説きなどです。

しかし不完全意識の人間が思い考え始めたことですから矛盾偽善があり完全ではありません。

然るに何を学んでも完全納得できない中途半端な結果で終わるのです。
だから中にはあちこちで同じ繰り返しを続けている人も多いことでしょう。

ところが…数に限りがある有限の世界で欲張っていることからして問題が出続けているのだから…
素朴謙虚にして欲張らずに生きていくことですべてが解決できるのですが…
しかし洗脳されたが如くに…欲張ることが美が如くに思い違いしている人が大勢います。

然るに喜怒哀楽で生きることが学びであり正しい、風雪波風に耐えながら生きる、山あり谷ありの波瀾万丈が美学となる、だから苦労を買ってでもすることが美徳となるのです。

だから精神安定にして生きることが幸せではなくて…特別になることが幸せだと思い違いして追求しているから…その思いの幸せになれないままの中途半端が続くことからして…納得人生とならずに終わっているのです。

然るに始まり終わるのではなくして…始まったままが延々と続いて進化発展するも・しかし終われないでいるのです。
ちなみに食ったものが出ないで苦しんでいるようなものです。

だから…裸で生まれ裸で死ぬように…此れまで築き上げたものを捨てて無となる生き様に変わらない限り…本物の世界・自然界と共に生きる・あるがままの自然体にして生きる・その道筋を学び知ることにはなりません。

然るに…生き様の形や時代は進化発展するも…己の精神世界は中途半端なままに止まり終わっているのです。

何はともあれ…この世に稀なる究極の真理を書き続けているからには…欲張らない実践に…目覚める人が現れるはずです。

そうなれば…終わり良ければ総て良しとなって…納得人生で終われるはずです。
コメント

宇宙・神・愛の仕組みの個人意識でもって正直に生きることが人間本来の役割使命です。

2017年08月30日 | Weblog
人間は生まれながらにして良い悪いで判断する矛盾意識と自己中心に考える個人意識を持っています。

ところが何故か個人意識はダメだ恥だと言った思い考えが広まり、人間なら世のため人のために尽くすようになるべきだと言った風潮になりました。

ところが個人意識を持って生まれているのに…世のため人のために尽くしなさいとなれば…偽善者になりなさいと促しているようなものです。

ちなみに私は自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって正直に生きています。
然るに恥じでもなく・まして罪悪感もありませんから・なに気兼ねなく・自分のために生きています。
ちなみに妻や子らから何か頼まれることがあれば必然のご縁にして頼まれ事を成すことはあります。

何はともあれ…過去の釈迦やイエスの類が…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして…多くの民人を救うために行動したことは…己の個人意識を隠し・己の欲を正しいとした偽善者になるのです。

とにかく釈迦やイエスの類にしても…本来ならば…己の内なる精神世界でもって・良い悪いで判断している矛盾意識を見直し修正改革して・矛盾のない完全なる神意識・宇宙意識に到達することなのです。
…神に見せ掛けることは思い上がり自惚れ慢心になります…

なのに神が如くに崇めるものが憧れ敬いと期待感でもって集まり増えることで不完全な信仰宗教がタケノコが如くに世の中に広がっていったのです。

何はともあれ…誰もが公平にして個人意識を持っていることは…外を気にしないで・執着しないで…自己中心にして…己のことに集中しなさい・己の内なる精神でもって生きていきなさい…となるのです。

然るに…外を見ないで内を見なさい…となるのです。

だから世のため人のために善行奉仕・援助救済・寄付集め・ボランティア犠牲精神よりも先ずは自分の心身を見つめ直し・問い掛け・御身を大切にすることからして事が始まっるのです。

然るに誰もが公平にして持っているお互い様の個人意識丸出しでもって正直に生きていけばいいのです。
ちなみに多くの人が御身を大切に思って生きていたならば外部があまり気にならないから・執着する間もないから・大ごとに発展することはありません。

ところが個人意識の中に潔癖完璧にして…私が正しいと…主張堅持したがるところがあります。
またそれが正義感となり…勝てば官軍負ければ賊軍…となるところがあります。

だから世のため人のためにと動いたことで大勢の人が集まれば…それが逆に一揆や乱や戦争になっているのです。

何はともあれ…この世人間関係は矛盾偽善に満ちているのです。

なのに私は正しいとして・良い子ぶって・巷の信仰宗教やスピ系に係わり人様に施し成していると見栄を張ったり…
またブロガーとなって己の特別な能力の自慢宣伝するよりも…先ずは己の内なる精神世界を見直し修正していくほうが己のためにも重要なのです。

すなわちこの世人間関係に自らが先んじて係わることなく・世間の片隅で静かに暮らしているほうが人を裏切る加害者や己が裏切られる被害者になることもなく、結果的には自分のためにもなるし人様に迷惑をかけることにもなりません。

だから個人意識にして御身を大切にしていれば巷の偽善者にならずにして事無く人間人生を終えることになるのです。
コメント

欲張ることは己を滅ぼす愚かな行為となるが、逆に欲張らないほうが幸せになれる賢い生き様になります。

2017年08月29日 | Weblog
欲張っているからそれが問題になっているのです。

だから欲張らなければ何の問題にもなりません。

然るに自然体・あるがままが説かれているのです。

好き嫌いで選択しているのも欲なのです。

然るに衣食住のみならず・恋愛や結婚も欲が絡んでのことです。

また子育て教育指導やしつけも親の欲から始まっています。

だから成り行きに任せてほっとけなにのです。

また先行きが不安になるのも欲張っているからです。

だから宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁に任せた・その成り行き任せに生きることを書いているのです。

そこで欲張ることを捨てれば心穏やかな精神安定にして生きていけます。

然るに…欲を捨てるから…此れまで味わったことがない新たな局面が得られ、それを展開していると更なる新たな局面を迎えることにもなります。

ちなみに欲を捨てると見栄が消えます。

その見栄が消えれば貧乏が気になりません。

その貧乏を真摯に味わっていると楽になり、その楽な貧乏暮らしを長く味わっていると快い楽しさに変わります。

ところが欲張った生活をしていると貧乏が不満や不安になります。

然るに貧乏が楽しくて、豊かな生活が不満や不安を呼び込んでいることになります。

然るに…逆は真なり…なのです。

ちなみに見栄を捨てることで世間が気にならなくなり解放されます。

となれば自由を味わえます。

ところが見栄を張っていれば周りが気になって思うように行動できませんから…自縛していることになり…自ら束縛制限していることになります。

だから見栄を張ることは自由を放棄していることになります。

然るに欲張ることは…自由を放棄し、また心穏やかな精神安定にして幸せに生きることを放棄していることになります。

と言うことは…欲張ることは不幸を呼び込んでいることになります。

すなわち…幸せを得ようとして欲を出すから逆に不幸になるのです。

だから…欲を捨てることで幸せを得られるのです。

となれば…欲張ることは己を滅ぼす愚かな行為となるが、逆に欲張らないほうが幸せになれる賢い生き様になります。

しかし…そんなことを言われても…が正直なところでしょう。

となると…此れから先に起こる一般的な有事や真坂の有事や老後がきっかけになって・持っているものを捨てることになって…人生最大の転機…となることでしょうが、それが欲張らない方向になれば…終わり良ければ総て良しとなります。

ちなみに私の場合は…取引先の担当者のエゴや身近な妻のわがままに何かと振り回されている自分の哀れさに気付いたことが…きっかけ・転機となり…その人様に振り回されないためなら貧乏になってもいい・セックスレスになってもいいと覚悟したことからして現在があります。

然るに…捨てることからして得られたのが…欲張らない生き様だったのです。
コメント

欲張らない実践真理は…人類唯一の永遠に続く真理であり…人類最後の実践真理となる。

2017年08月28日 | Weblog
東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる「自己縮小の実践」として書き始めたころから不思議に思えていたのは…

話して聞かせれば理解できる幼子からはじまる老若男女の世界人類に共通する確かな実践真理なのに何で広がらないのか???

此れしか他に道はないと見極め見定めた…究極で唯一の老若男女が実践できる真理なのに…何で多くの人に注目されないのか???

たとえ今すぐに実践することは無理でも理解納得確信となって脳裏&心に残り少しづつでも実践が進んでいくだろうと思っていましたが…さにあらずの状況になっているのではないでしょうか…

ちなみに「欲張らない」言葉が登場した時代は…たぶん月信仰の逃げるが勝ちの弱者の時代・縄文時代ではないでしょうか…
それが太陽信仰の強者支配者登場の時代となる弥生時代になって集合化・能率化・効率化となり近代化が急激に進化発展してきたように思いますが、しかしその裏には必ず戦争が絡んでいます。
また世界のあちこちで生贄・人柱・人身御供・首切り血祭が始まったのも太陽信仰になってからと言われています。

そしていつの時代も世界のあちこちで「欲張らない」ことは言われ続けていたはずです。
なのになぜ広がらなかったのでしょう…
たぶん実践する人が少ないというよりも…実践したがらなかったのではないでしょうか…
何故なら…欲は本能…だからです。

然るに…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして動くのが人間なのです。
だから過去の釈迦やイエスの類も欲で動き大勢の人を引き連れていたのです。

前置きが長くなりましたが…
欲張らなければ・欲に執着しなければ大きな問題にはなりません。
然るに本能の欲が出ても執着しなければ自然消滅するのです。

然るに数に限りがある有限の世界で人類が公平にして・自由平等の調和でもって生き残る唯一の真理・欲張らない実践なのです。

なのに欲張り続けることは…宇宙・神・愛の仕組みに逆らう特別意識・差別意識を持った偽善者・野望野心家となって世間に目立つも…しかしその不全不純な心を持ったままの…どうしようもない・己の墓穴を掘る・救いようがない・エゴ丸出しの精神体を持つ人間人生で終えます。

何はともあれ…欲張ることで心身が疲れ、そこで何とかしなければと巷の人為人工的な諸々に係わるも…しかし欲絡みの矛盾偽善からして何だか中途半端で納得できません。

またその矛盾偽善に満ちた人間関係からしても心身が疲れています。

然るにその人間関係も欲絡みで始まったことです。

とにかく人間は自分に都合がいい事なら妥協も協力協調団結もできるが・皆と一緒に調和することはできません。

となれば…己個人として生きるためには…己のことは己で始末する・自己責任を果たすことになります。

ところが自力自信の無さからして…欲絡みの授受関係となるその他力絡みの依存心からして振り回されて・いつの間にやらヘンテコな団体組織に属するその被害者にもまたその加害者側にもなったりしています。

だから心穏やかな精神安定にして生きたければ…持ち前の自力と自信の精神力からして欲張ることをやめにして、しかも不完全な人間関係となる双方の依存関係からも離れなければ精神安定の幸せとはなりません。

しかし多くの無理が伴いなかなか実践できません。
だから欲張らない実践真理は…時代が変わりながらも…人類永遠の真理…となって未だに続いているのです。

何はともあれ…人類永遠の真理を自分の物・本物にするためには…皆と一緒に赤信号を渡ることをやめにして…自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって一人抜け出し・一逃げにして…縄文時代のように逃げるが勝ちの孤独の自由を選び…その孤独の自由のためにも欲張ることをやめにするしか他に道はありません。

だから欲張ることをやめにして、人類永遠の実践真理を自分のものにすることで・己の心身を己の精神でもって救うことになるのです。

またその自力自信の精神体・意識力からして新たな人類進化発展のアセンション次元上昇につながるようです。
となれば…人類最後の実践真理…となります。

ちなみに欲張らない実践だけに世間には目立ちません。
だから世間の片隅で静かに実践しています。

然るに…あなたは大丈夫ですかと…ブログでもって問いかけています。
コメント

心穏やかな生き様を事実にして味わっている・本人ホンモノにしか通用しない実践真理かもしれません。

2017年08月27日 | Weblog
良い悪いで判断し比較競争している・その不完全意識・矛盾と偽善からして・何か事を成せども・その結果も当然ながら矛盾と偽善の結果になることは・過去の史実からしても・また現在の状況からしても・嘘偽りのない事実です。

然るに自己満足と不平不満の繰り返し・苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しがいつまでも続くことになるのです。

と言うことは人為人工的な矛盾と偽善のある諸々からしての変化刺激快感快楽でもって生きることになりますから、絶対的に心穏やかな精神安定にして生きることは無理なのです。

となれば何か事を成しながら生きていくことをやめにして・此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして生きることをやめにして・素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践にして・数に限りがある有限の世界で欲張ることなく・あるがままの豊かな自然界の仕組みに素直に従って生きていくしか他に道はないのです。

しかもこの世人間関係が矛盾偽善に満ちていることからして自由平等調和にはなれませんから…
己が精神安定にして心穏やかに生きていたければ・矛盾偽善に満ちた集団から離れた孤独の自由にして・人のことを気にしないで己の思うがままに生きていくにもなります。

前置きが長くなりましたが…
はたして心穏やかな精神安定でもって生きていくこと望んでいる人はいるでしょうか???

然るに「自己縮小の実践」にして「執着せず」「張らず」に生きていく実践ができる人がいるでしょうか?

しかし大方がダメでしょう…
何故なら精神安定にして生きていくことにそれほど・本心からして・関心がないからです。

だから世間一般の人となれば尚更に関心がありません。

それどころか変化刺激・快感快楽が生き甲斐にもなっています。

然るに時たまに接する精神世界となれば一時の変化刺激の趣味嗜好娯楽の類と同じなのです。

だから信仰宗教の信者にでもならなければ精神世界なんてどうでもいいのです。

何はともあれ人が大勢集まる・賑やかにして・彩り鮮やに偽装された精神世界のほうが好みに合うのです。

そして…言うだけ・聞くだけの知識でもって満足し納得しているのです。

また同じ仲間が集うことにも魅せられているのです。

そして信者となって・私は正しいとして・見栄を張ることもできます。

然るに孤独の自由よりも…人が大勢集まる・仲間が多いほど・私は大丈夫と思い込み・それが己の精神安定にもなっているようです。

だから皆と一緒に赤信号を渡ることにもなっているのです。

だから私の生き様からして見出した究極の真理…欲張らない・執着しない…精神安定の生き様なんて…大勢の人に注目されるほどでもない・他人ごとなのかもしれません。

然るに…心穏やかな生き様を事実にして味わっている本人ホンモノにしか通用しない実践真理なのかもしれません。

となれば…この世人間関係だけは…どうしようもないままが続くことにもなりますから、その先々のことは宇宙・神・愛の仕組みに任すしかありません。

しかし皆して欲張らない実践が無理でも・己一人して実践すれば・宇宙意識や神意識や仙人の領域に到達することは無理でも・心穏やかな精神安定にして我が身の心身を救うことになるのです。

なのに…何で、何で、実践したがらないのでしょうか?…それで本当に大丈夫なのでしょうか!?

欲張れば我身を亡ぼすことになるのは本心からして解っているはずです。

しかし…わかっちゃいるけどやめられない…のです。

何たって変化刺激快感快楽を麻薬が如くに味わってその虜になっているからです。

然るに…心身を牛耳られ・逃げるに逃げられない・捕虜や奴隷が如くになっているのです。

しかも…馴染み依存している麻薬から解放されることが逆に不安となっているのです。

だから…わかっちゃいるけど・やめられないでいるのです。

然るに…どうしようもない・どうすることもできないままに・人間人生を終えているのです。
コメント

憂うつ・苛立からして<生きる価値>を見失い…人間性を失い廃人同様になる。

2017年08月25日 | Weblog
欲張らなければ自己満足できませんが、不平不満にもなりません。

そして満足感は足早に消えますが不満不足は長く尾を引きます。
すなわち不満に執着しやすいのです。

何はともあれ自己満足欲しさにやっているのにそれが上手く思うようにいかなければ→何やら面倒くさくなったり→気分が落ち込んだり→憂うつになったり→イライラ苛立ち→腹立つことにもなります。

すなわち自己満足の裏には必ず不平不満が隠れているのです。

然るに表裏一体なのです。

然るに皆さんが憂うつになったりイライラしてくるのも元を言えば自己満足を欲しがり欲張ったのが原因なのです。

その原理原則真意を理解したがらない・また実践したがらないのも・己の精神力が未熟だからです。

然るに誰でもが…己のことなら何とか出来るのに…その己のことを棚に上げて・ほっといて…尚且つ…どうすることもできない人様のことを気にかけたり・余計で無駄なチョッカイを出したがるのです。

だから…己のことさえもままならない・どうしようもないままに・成す術もないままに続いているのです。

ちなみに私ごとですが…自分のことなら自力自信にして何とかやっているのに…周りの人間関係・人様の思いが原因からして・それに巻き込まれ…私まで憂うつになったりイライラすることが時たまにあったことからして…
その人様の思い意識からして私がその被害者になっている理不尽さにふと気付いたのがきっかけからして…人生最大の転機となり…現在があります。

そして矛盾偽善に満ちた巷の人為人工的な諸々に頼らず依存せずにして・あるがままの自然界と仲良く暮らす有り様からして・心穏やかな精神安定でもって生きる価値を見出したのです。

然るに巷の人為人工的な諸々から卒業するには…孤独の自由にして生きるしか他に道はないとなったのです。

然るに自分さえ良ければとして…自分のために生きる道を見出したのです。

それで人様の思いでもって私が左右されることから卒業できたのです。

そして憂うつになることもましてイライラすることもない心穏やかな精神安定にして生きることの価値を見出したのです。

だから私が憂うつ・イライラとなる人様の思いの被害者から卒業できたし、また私の思いからして周りの人を害する加害者にもならずにして…何事もない普通に暮らせることの価値を見出したことにもなります。

ちなみに豊かな暮らしを求めることで精神的にも日々忙しくなり、またそれが思うようにならないと憂うつになったり苛立つことにもなります。
と言うことは…幸せを追求して逆に不幸を呼び込んでいるようなものです。

然るに私の場合は…逆に貧乏丸出しで日々暇することからして精神安定となり心軽やかで穏やかな生き様となったのです。

しかも巷の人為人工的な変化刺激に富んだ諸々から卒業したことからして…元からある豊かな自然界の価値ありがたさを実感できるまでになりました。

しかし残念なのは不完全意識の矛盾偽善に満ちた人間関係から離れ…成り行きの必然のご縁に限ったお付き合い・人間関係になったことです。

ちなみに…私の生き様が正しいとは思っていません…他に道が見当たらないだけですから…

だから矛盾偽善に満ちた人間関係から離れなくても心穏やかな精神安定にして生きていく道が他にあれば…

その自らの実践ぶり・生き様ぶりを解り易くコメントにして書き込んでくださいませんか…参考にさせていただきます。

コメント

能率効率の裏に見えない大きな落とし穴が隠れています。

2017年08月24日 | Weblog
植物は動かなくても生きていけますが、人間は動かなければ生きていけません。

そして生きていくために仕方なく・どうしても動かなければならないとなると・それが面倒くさくなるのが人間の本性なのです。

そして思うようにいかなければそれで憂うつになったり苛立ちイライラしたりするのです。

だから大昔から…少しでも楽したいために…集合化・能率化・効率化を図って少しでも面倒くさいことを減らそうとしてきたのです。

ちなみに暇している私でも…牛舎の牛に餌をやるのや堆肥を袋に詰める単純な作業でも、その能率効率をよくするために・数秒の手間を省くために・手際よく仕事をこなしています。

また急ぐことでもない・どうでもいいような草刈り伐採や暇つぶしの薬草採取でも能率よく効率よくすることを考えながらやっています。
また効率能率を考えているのにそれがうまい具合に行かなければそれが憂うつにもイライラにもなります。
しかし…そうなる前に気付いて…それが途中であっても執着せずに直ぐにやめますから解放されます…何たって暇つぶしだからできることです。

また役割仕事で能率や効率をよくすると素早いだけに・うっかりすると大きなミスにもつながります。

だからミスをしないためには注意力・集中力も必要になります…となれば精神安定とはなりません。

また役割仕事でミスすれば面倒なことになり・またその分だけ大きな手間がかかり時間的ロスが大きくなりまた精神的な負担も増えます。

またパートと言えども手短に早く終わらせて・その分だけ早く家に帰り・気楽楽ちんになりたい思いでもってやっていますから、暇している身分なのに・やはり能率効率よく動くことにもなります。

ところが単純な仕事なのにそのミスをしないで効率よく手際よくやるために、その分だけ余計に気疲れするしその労働の疲労からしても相当な負担を背負って帰ってきていることに気付いたのです。
…わずか2時間3時間ですが…

しかも能率効率よくすることは…何だか前方が込みあっているのに・何だか後ろから追い詰められている・急かされている・切迫している・そんな精神状態で仕事をしているということです。
ちなみに自問自答してそれに気付ける人は少ないかもしれません。

何はともあれ…能率効率を良くして得する分もあるが、その裏ではミスの無いように気配り用心しているだけではなくて、何だか追いつめられた切迫感や強迫観念でもって仕事をしているということです。

だから憂うつ気分や苛立ちなどの自覚症状以上にもっと奥深いところで相当なダメージを受けているはずです。
しかも日々忙しくしている人ほど…奥底だから気付かず症状に出ずに…たくさん溜め込んでいるはずです。

となると…大きな役割仕事を終えたあと…その安ど感からして…ふと大息をついたり・大きなあくびが出たり・大きく背伸びしたとたんに・此れまで溜まっていたのが限界となり・一気に噴き出る格好となり・立ち眩みのような感じで・背後から暗闇に包まれ重たい感じで・意識がもうろうとなり・心拍停止の突然死や脳溢血脳梗塞で意識不明になったり原因不明の死に至るこになる危険性もあります。

何はともあれ…面倒くさいことが嫌いなのは誰もが同じです。
だから時として…生きていることさえ面倒くさくなるのです。

また小さなことだからと油断していると…先ほど書いたように…その小さな積み重ねからして大ごとにも進化発展するのです。

然るに小から大になる原理原則からして言えば…心穏やかな精神安定でもって生きていくことからして大ごとが避けられるのです。

しかも心穏やかに生きていくことに無理がある不完全で矛盾偽善のこの世人間界だけに…逆は真なりにして…なおさら心穏やかに生きていく必要性があるということです。

そうでなければ…変化刺激快感快楽の喜怒哀楽の人生でもって…納得のできない中途半端な・不確かで・あいまいな・その精神のままにして人間を終えることになります。
コメント

この世人間界で…己がビックになる夢や希望があっても…皆と一緒の幸せには絶対になれません。

2017年08月23日 | Weblog
この世人間界で…己がビックになる夢や希望があっても…皆と一緒の幸せには絶対になれません。
何たってビックになるためには何か大きなことを成し続ける強者となって弱者を支配する立場でなければダメだからです。

ゆえに誰でもが簡単にビックになれるわけではありませんから相当な心身の苦労苦悩が付きまとってきます。

そしてビックな立場になったとしても、その立場を虎視眈々と狙っている他のビックな人があちこちにいるから油断なりません。

そしていつしかビックな立場から転げ落ちて・その儚い夢から覚めたが如くになり・もはや夢も希望もない老後と・此れまで得たものがすべて無となる死を待つことにもなります。

何はともあれ…世間一般的な人たちがビックになれるはずもありません。

となれば強者に従うだけの弱者の立場となり・こき使われて・心身ともに疲労して・あとは巷の趣味嗜好娯楽に興じてうっ憤を晴らしたり・変化刺激快感快楽の自己満足とその苦労のある・苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しでもって人間人生が終わります。

と言うことはビッグになれる夢も希望も持てないままに・あたかも使い捨ての消耗品が如くにこき使われことになります。

ちなみに…今の生き様を続けている限り同じ繰り返しになりますから…
だったら一思いにそれら集団から離脱して…自分さえ良ければの個人意識丸出しの孤独の自由にして…我一人して心静かな生き様となって…その心穏やかな精神安定にして生きていくほうがよほどの価値があると思いませんか…

となれば家族や親せきから押し付けられることもなく、
また地域社会から離れて・異端児や変人が如くに・また村八分が如くを自らが買って出て平然と暮らしていれば(町中であっても)無理に妥協したり協調することもなく・自由勝手気ままに過ごすことも可能です。

しかも己が見栄張ったり欲張らなければ人様から小言文句も言われないし、そして己の生き様がご近所よりも質素謙虚であれば嫌われることも警戒され用心されることもなく・ただ静かに見守っている程度にして・気兼ねなくほっといてくれます。

となればその自力自信からして平然と暮らし・家の中で閉じこもり引きこもらずにして・人様をほとんど気にすることのない・居心地のいい環境となります。

そして白骨死体で発見される無縁死や孤独死となっても…心穏やかに・思い残しのない死でもって人生を終えますから…

然るに人を羨んだり蔑むこともなく・人を責めることも憎むことも嫉むこともなく、また物事を好き嫌いの感情でもって拘ることもなく・何の未練も執着もないままに・飛び立つ鳥水を汚さずが如くにして・あの世に旅立ことになります。

さすれば…同じ思いで死んでいった先人たちから…ハイ良く出来ましたとばかりに歓迎してくれるかもしれません。

ちなみに…同じ思い意識のものが・似た者同士が集まる・そんな仕組みがあるのがあの世かもしれません。

然るに天国でも地獄でもない…己の意識のままの世界・己の思いのままの世界・自由な魂の世界があの世ともいわれています。

なのに生前の思い残し・拘り未練執着からして納得できずに…前世を引きずって…また人間に生まれ変わってやり直す・再び学び知るため・精神修行し直している・自力自信の精神力を高めるためかもしれません。
コメント

個人意識丸出しでもって…己の思いを押し付け合っているのが…人間関係です。

2017年08月21日 | Weblog
誰もが公平にして個人意識を持って生まれています。
ちなみに多くの人は自分が楽しく生きるために(自分さえ良ければとして…)個人意識を大いに発揮しています。
然るに私も同類でした。

ところが自分が好きで始めたビデオ撮影制作でもって、その取引先の業務関係者のご都合・ご機嫌しだいに振り回されていることにふと気付き、好きで一生懸命にやっている私だけに、その無念さからして急に仕事が面白くなくなり出したから、ならば山遊び感覚でやっていた過疎地暮らしを本格的にやりたいと妻に相談したら、そんな貧乏で惨めな暮らしはしたくない、また遊び友達から離れるのは嫌だとして反対しました。
そして結果的には妻と離れた過疎地暮らしとなった次第です。

ちなみに世間一般的に言えば…私が妻を見放したことになりますが、私から言えば妻が私を見放したのです。
然るに…どっちもどっちのお互い様の関係なのです。
しかし世間は…好き勝手なことをした私を責めるかもしれません。
ところが私側からして言えば…妻と一緒に暮らしたいと申し出たのを断ってまで町中で暮らしたがる妻側にも責任があるのです。

然るに夫婦と言えども互いが個人意識丸出しでもって暮らしているのです。
だから妻と一緒に幸せになりたくても、その申し出に妻がイヤだと言えば、当然ながら孤独の自由を選ぶことになるのです。

ちなみに楽しく過ごしたいために個人意識を発揮するのと…精神安定にして楽に暮らすために個人意識丸出しになるのと…どっちを貴方は選びますか?

何はともあれ…この世人間関係は…個人意識<己の思い>を押し付け合っている関係なのです。
然るに加害者でもあり被害者でもあるのが…この世の人間関係なのです。

ちなみに取引先の会社経営に何の支障もなく一生懸命に貢献しているとさえ思っていても…その窓口担当者やその上司の個人の思い次第に振り回されているとなればイヤな思いになっても当然なのです。

また夫や妻や子らの個人の思いを押し付け合っている夫婦家族生活が円満なはずもありません。
単に妥協し合って円満ぶりを見せ掛けているだけです。

また強者の思いを弱者に押し付けている限り自由平等調和の平和になるはずも絶対にありません。
然るに妥協し合って円満ぶりを見せつけるだけです。

何はともあれ…精神安定にして楽に生きたければ…個人意識・己の思いを押し付け合っているこの世人間関係から離れて己一人心穏やかな精神安定でもって生きていくしか他に道はないのです。

ところがそれでは楽しくないからと趣味嗜好娯楽に興じればその変化刺激快感快楽に我を忘れ没頭して酔いしれることにもなり、それが病みつきにもなり、ドツボにハマってドッピンシャンともなるのです。

また自己満足と不平不満の喜怒哀楽でもって疲れた精神を癒すため・その心のより所を不完全で矛盾偽善のある巷の精神世界・神仏霊魂の世界・信仰宗教やスピ系に頼ることにもなっているのです。
そして自力ならぬ他力に依存することからして・これまたドツボにハマってドッピンシャンともなるのです。

何はともあれ…欲張らなければ…己の思いを人様に押し付けることにもなりません。

また孤独の自由にして妻から離れたことで、その妻の思いを押し付けられることもなくなりました。

となれば…個人意識<己の思い>を押し付け合う…加害者と被害者の関係も卒業できるのです。

そうなれば人間関係円満・恋愛や結婚生活もセックス関係も円満になります。

しかしそれは人間本能からして到底無理なことなのです。

だから心穏やかな精神安定を望むならば…皆一緒になって赤信号を渡っているところから離れて…逃げるが勝ちにして…孤独の自由にして欲張らずに暮らすしかありません。

然るに…あなたは己の思いを押し付ける生き様から卒業できますか…
またそれがあなた自身の心身のためにもなることですが…
理解すれども…無理なのが現状でしょう…

然るに…宇宙自然界の仕組みからして誕生した人間意識生命体をやめますかとなるのですが…
しかしそれも先々のことですから…此れまで通りの喜怒哀楽でもって生きていくことを選ぶのが殆どの人でしょう…
コメント

私は…終わり良ければ総て良し…を目論んでいます。

2017年08月20日 | Weblog
この世の人間界は良い悪いの善悪優劣損得で判断し比較競争し合う不完全意識にして・その矛盾と偽善に満ちていることから・誰が何を成せども同じ不完全で矛盾偽善の結果が出続けますから…
然るに…この世人間界は…どうしようもありません。

それが事実なのです。

またそれが人間としての学びになります。

だから…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして…何か事を成すよりも…自然界の一員として自覚し・豊かな自然界と共に生きながらにして・素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践を書き続けています。

しかし…このブログからして人様の生き方が変わることもなく…
また…人様のことだけは…どうしょうもない事実からして…既にあきらめています。
だから…暇つぶしに書いているだけです。

ちなみにこのブログに訪れている人も…暇つぶしの趣味嗜好娯楽の類程度に読んでいるだけでしょう…

だから読んだ人が矛盾偽善に満ちていることを理解したところで…その矛盾偽善の生き様を改めることなく…此れまで通りに矛盾偽善の積み重ね上塗りでもって生きていくことでしょう…

然るに…目から鱗が落ちた・目覚めたなどとなる人はいないでしょう…
例え目覚めた人がいても…実践行動には無理がありますから…単なる知識で終わるはずです。

ところが…水を得た魚が如くになった人や鬼に金棒の自信となった人はいるかもしれません。
何故なら…既に自己縮小が仕組まれていて・その生き様になっているからです。

ちなみに…自己縮小と言う言葉さえも知らなかった…過去の私の事例があてはまります。

何はともあれ…巷の精神世界・神仏霊魂の世界・信仰宗教やスピ系やブログの世界に関係ないところの…完全なる宇宙・神・愛の仕組みとなる…
己の意識の有り様からして成るようになっているのがこの世人間界なのです。

然るに神様や仏様や人様とは関係のない…己の思いの世界…となっているだけです。

ちなみに…あなた方の現在の結果状況は…あなたの思い意識が原因のその結果なのです。

しかも…現在は途中結果なのですから…この先でどんなことになるやら・コロコロ変わって先行きは不確かです。

しかし…今よりも老いていくその老後と…此れまで持っているものすべてが無となる死が待っているのは確かです。

そして此れまで自然界の恵みでもって生きていることで満足できずにして・楽しまなくちゃっと変化刺激快感快楽に満ちた・その矛盾偽善の人為人工的な諸々に精出し欲張ってきた…その意識が原因のしっぺ返し・心身の苦悩が待っているのも確かなようです。

ちなみに私も過去では精出し欲張ってきただけにその自覚覚悟はできています。

それでも今は自己縮小の実践をし続けていますから・その分だけしっぺ返しが軽減されると…取らぬ狸の皮算よ…をしているところです。

そして…精神安定にして心穏やかな死…拘り未練執着のない死…思い残しのない死を目論んでいます。

然るに何度も書いていますが…此れまでのことをチャラにして…終わり良ければ総て良し…を目論んでいます。
コメント