矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

神の所業となる高次元が実在しているのに…3次元の人間意識のままに終わるのですか?

2018年02月28日 | Weblog
ひとつの宇宙が限りなく進化拡大している中で地球自然界が創造され人類が誕生した仕組みを神の所業とすれば…その神が何で人類を誕生させたのでしょうか…

生きる喜びや悲しみの喜怒哀楽を味わいさすためでしょうか?
また人類の英知でもって発明発見したり便利な道具を開発させるためでしょうか?
また芸術文化を発展させるためでしょうか?
それとも神を説くものを信じて従わすためでしょうか?

そんな安っぽいことでわざわざ人類を誕生させて…何の価値があるでしょうか?

ちなみに…ひとつの宇宙が創造され地球人類が誕生したことが神意識の所業ということならば…その神意識の次元は計り知れない高次元となります。

となれば…その宇宙の子・神の子である人間意識が現在の3次元のままにして止まることは絶対にありません!

また…神意識の所業からして高次元意識の人類を誕生させることなんて容易いことです。

なのに…わざわざ3次元意識の人類を誕生させたことは…
人間意識の進化の過程を人類自らが事実にして味わいさせれば…その神意識・高次元意識の価値のありがたさを認識納得できるからなのです。

ちなみに私が事実にして…心穏やかな精神安定にして生きることの価値を見出したようにです。

だから…習うよりも慣れろと…自己縮小の実践を書き続けているんです。

しかもこれまで幾多の異次元・高次元現象・高次元意識体に遭遇していることからして言えば…
UFOも事実ですし、物質の瞬間移動も事実ですし、物質に意識がある事実も経験していますし、テレパシーやオーラーが事実ですし、他にも摩訶不思議が事実にあります。
しかも9年連続にして…「謎の発光体であり飛行体であり透明体」となる異次元と手が届くほどの身近で接している事実もあります。

然るに神の所業となる…異次元・高次元となる「意識の世界」が事実に実在しているのです。

なのに単なる3次元の人間意識で終わるのですかと問いかけているのです。
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欲がキリもなく続くことからして困ったことになる仕組みがある

2018年02月27日 | Weblog
人間として生まれたからには「楽しく生きたい」と思うのも当然かもしれませんが、それが大きな「落とし穴」だと気付いている人は少ないようです。

ちなみに楽しくしたいと思うのは欲なのです。

また欲はキリもなく続くのです。

そして欲張ってきた本人にも苦労があったはずです。

ところが楽しかった結果からしてそれ以前の苦労を忘れるのです。

だからキリもなく繰り返しているのです。

その結果が現在の人間界であり自然界でありその危機に面しています。

ちなみに私は人間関係の違和感からして結果的に欲張ることをやめにしました。

然るに60にして欲張ることを止まり過疎地でもって心静かな一人暮らしをしています。

そして欲張ることを止まったことがら・喜怒哀楽から解放されて・心身のストレスから解放されて・正解だと気付きました。

ちなみに過去では欲張り続けていたから・変化刺激快感快楽に馴染んでいたから気付けなかったのですが…ただ生きているだけでもその価値が十分にあるのです。

然るに苦と楽の喜怒哀楽や変化刺激快感快楽から離れたことでストレスが解放されただけではなくして・生きていることの真価価値に目覚めたのです。

しかも不完全にして矛盾偽善に満ちた人間関係から離れることの必然性にも気付いたのです。

ちなみに人間関係も欲絡みだったのです。

だから私が妻やの家族から離れたのも正解だったのです。

とにかく欲張っている限り…人間として生きていることが…地上の天国と思えることには絶対になりません。

しかも欲がキリもなく続くことからしてどんどん深みにハマり抜け出すことができなくなるのです。

然るに欲張ることは己の墓穴を掘っていることになるのです。

だから墓穴が浅いうちに欲張ることをやめにしなければ抜け出すこともままならない窮地に至ります。

そして欲張り続けてきた罪作りのしっぺ返しとなる・天罰と言われていた・罪滅ぼしの仕組みに見舞われます。

ちなみに此れまでの罪作りをチャラにしてくれる仕組みが老後や死に様に多く現れるようです。

それが未練後悔反省であったり・生きていることが辛いほどの苦しみ悩であったり・はやく死にたくなるほどの激痛であったりします。

その罪滅ぼしの仕組みを受けることで・成仏して・あの世へ旅立てるのです。

ところがその罪滅ぼしの仕組みから逃げるために自殺したり医科学でもって安楽死となれば・成仏できないままにさ迷う浮遊霊となる場合があるようです。

何はともあれ…欲張ることから止まることがなければドンドン深みにハマる事になるのは当然の結果です。

ちなみに…欲張ることから止まるために老後が仕組まれているのですが…しかし欲にはキリがないことからして…老後でも欲張り続けることになるようです。

だから欲と不満と執着から卒業しなければそのしっぺ返しを受ける羽目になります。
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不満と欲と執着から離れて思い残しのない人生と死でもって三次元の人間を終われば…

2018年02月26日 | Weblog
私たち人間は概ね肉体と感情体と精神体でもって生きているところがあります。

だから人によっては肉体を高め磨きスポーツやコンテストでもって上位を目指す人もいます。

また登山や冒険探検でもって事を成して世間に目立ちたがっている人もいます。

また感情体を磨き高めて文学や絵画や音楽や彫刻などの創作活動に励んだり、
また愛情交換でもって熱烈なる恋愛に憧れる人もいます。

しかしそのためには努力鍛錬する苦労苦悩がつきものですし、またその人間関係にも苦労苦悩するすることにもなります。

だから肉体や感情体でもって結果が出て満足するにも、それだけの苦労苦悩が伴っていましたから、結果的には苦と楽の喜怒哀楽を味わっただけなのです。

ところが肉体や感情体に拘り執着しないで、
己の内なる精神世界・精神体でもって生きていくならば、日々を心穏やかな精神安定でもって生きていくことが主になりますから、何か思い意識して気付いたり自問自答するくらいです。

しかし中には精神世界でもって思い悩み試行錯誤し苦悩苦労する人もいるかもしれませんが、それは何事かに拘り執着して欲張っている精神が原因です。

何はともあれ…欲張ることは精神の道から外れた外道・邪道になります。

だから何度も書いているように…不満と欲と執着から離れない限り…人間本来の精神世界・精神体でもって生きていくことは絶対に無理です。

ちなみに手っ取り早い巷の精神世界・信仰宗教・神仏霊魂の世界・超能力念力などのスピ系などを信じて頼る人が多いのも…完全なる宇宙・神・愛の仕組み知らない未熟さが原因です。

それを手短に書けば…本来の=愛=を知らない…善も悪もないのが愛だと…気付いていないからです。

そしてその愛意識に近づいていくことが人間の役割使命なのです。

だから素朴謙虚にして生きていく・自己縮小の実践が必要になるし…
そして不満と欲に執着しないためにも・自己満足を欲しがらないこと…
となれば巷の人為人工的な趣味嗜好娯楽から離れることにもなるし…
人間関係からしての変化刺激や快感快楽から離れることも必要になります。

然るに食って寝て糞をしながらにして生きているだけで納得満足できる精神体になる必要があります。

またそれが喜怒哀楽や変化刺激や快感快楽のストレスから離れることになり・日々精神安定にして生きていく道になっています。

それらを簡単に表せば…ストレス人生で終わるのか、そのストレスから離れた生き様にして人生を歩むのか、その選択にかかっているのです。

然るに不満と欲と執着から離れて「思い残しのない」人生と死でもって三次元の人間を終われば…新たな高次元界の人間人生が始まることになるようです。
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お山の大将や一匹狼やお姫様やお局になりたい…

2018年02月25日 | Weblog
人間の本能欲望に誇示欲があります。
だから人が集まるところで目立ちたがります。

ちなみに国家社会や政治経済・指導教育・芸術文化などから職場や地域社会や家族関係であっても…その中で目立つ存在になりたがっているところがあります。

だから男性はお山の大将になりたがるが女性はお姫様になりたがるところがあります。

また自力自信に満ちた勇敢な男性が一匹狼を好み冒険探検に命を懸けたりもしますし、それが女性だと実力者の女王やお局様如くにふるまいたいところがあります。

何はともあれ世間に目立とうとすれば面倒な人間関係が重要になります。

それだけに束縛制限支配したり・されたり、また否定反発排除したり・されたりします。

またそれだけに見栄や世間体やプライドが出てきます。

となれば孤独の自由・個人の自由がなくて不自由な立場にもなります。

ところが私の場合は人間関係から離れた生活をしていますから目立ちたがるところがありません。

となれば見栄や世間体やプライドも必要なくなります。

だから気疲れストレスのない呑気気楽な生活を十分に味わっています。

また生きていくために一般世間と交わりながらも…孤独の自由からして…また過疎地でいるだけに…誰からも束縛制限・否定反発・邪魔されることもないから…それを逆に言えば…一人静かに一人天下のお山の大将の気分を味わっているのです。

と言うことからして…生きていくために人間関係が必要であっても…人それぞれが孤独の自由・個人の自由を尊重し合える関係であればそれで十分ですから…
お山の大将や女王になる・目立ちたがる・見栄や誇示欲も出てこなくなるのです。

ちなみに誇示することは…自己満足で止まらずにして自惚れ慢心になり自慢したがることなのです。

だから人が集まるところで自分を誇示できる人はその場に馴染めるが、誇示することもない静かな人は人間関係に馴染めないようです。

だから目立ちたがる人が精神世界に関われば同じように目立つ方向性を選びます。

ところが人間関係を必要としなくなれば…己の内なる精神に問いかける自問自答と自力自信でもって精神世界を歩みます。

だから精神世界でもって生きていくには一般的人間関係が邪魔にもなるから個人の自由・孤独の自由も必要になるのです。
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自分さえ良ければと始めたことが…人間界や自然界のためになる生き方があります。

2018年02月24日 | Weblog
自分さえ良ければの個人意識を誰も皆が持っていますから恥じではありません。

しかし人様に文句を言ったり・ケチをつけたり・何かと指図をするのは…私は正しいと思いあがり・自惚れ慢心となっている・恥さらしになります。

また自分に都合に都合がいい事なのに・それを世のため人ためにやっていると思い・また人に自慢すれば偽善になり・恥さらしになります。

また自分の肉体や感情体に拘り執着して・精神体で生きることを疎かにしていれば・最も恥じさらしな生き様になります。

そこで気付き…己の中の正直な精神に問いかける自問自答でもって日々を生きることになれば…尚更に気付くことが多くもなって・それが自力自信の精神力にもなり・自らが納得確信することにもなります。

そして不完全で矛盾偽善に満ちた・どうしようもない人間関係に気付き・そのややっこしい人間関係から離れた・孤独の自由にして生きていくとなれば…それが自分さえ良ければの個人意識丸出しであっても・恥ではありませんで…人間としてまっとうな方向性になります。

ちなみに不完全で矛盾偽善に満ちた人間関係を守るために拘り執着しているほうが精神未熟にして恥さらしの生き様になります。

然るに肉体や感情体に拘り執着している世間から見れば褒め称えることであっても・その生き様は世間に目立ちたがっている精神未熟な愚か者となり・その恥をさらして生きていることになります。

何はともあれ世間に目立つということは…欲と不満に執着して・欲張り続けた結果なのです。

然るに自分さえ良ければと・己より能力的に劣る者・弱者を虐めた結果なのは確かです。
だから束縛制限支配したところもあるだろうし・否定反発排除したところもあったことでしょう。

然るに自由公平ではなくして差別したのです。

何はともあれ…欲と不満に満ちた人が集まっているところで暮らしていれば・己さえヘンテコなことになったりその巻き添えにもなるのです。

だから自分さえ良ければの自分の為に・孤独の自由にして・独自独歩にして・自力と自信でもって生きていくしか・他に道が無いのです。

そして肉体や感情体から離れた精神体でもって生きていくとなれば欲張ることにもなりませんから…その加害者にも被害者にもならずにして…
自分のために始めたことが結果的には…人間界や自然界にも迷惑を及ぼすことのない生き方になります。
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死ぬより大変なことが・生きている中にある。

2018年02月23日 | Weblog
死ねば無となる…と思っている人もいますが、その無からして有になることは天地がひっくり返っても絶対にありません。

そして(何度も書いているから)結論を早めれば…この世人間界が結果で…あの世が原因なのです。

そして人間は肉体と感情体と精神体を持った結果であり…その中の精神体が本命であり…肉体と感情体は人間として生きていくためのおまけの付属なのです。

となると…肉体や感情体で生きていることは…本命の精神体を疎かにしていることになるのです。

然るに死してあの世に持っていけない衣食住や趣味嗜好娯楽に拘り執着して仲間を集めたり先生や名人となるも、また名誉名声肩書や権威権力や財力を欲しがり欲張って生きていることは…精神世界を疎かにした愚か者が成す行為なのです。

ゆえに巷で様々な精神世界が必然にして説かれているのです。

ところが巷の精神世界さえも…世間に目立ちたがるものや人集め金集め物売りに精出す者や組織化して勢力拡大を目指す邪な輩が多いのも事実です。

そこで結論を早めれば…
欲と不満はキリもなく続くことからして文化文明が進化するも人間精神は未熟なまま・愚かなままに推移します。

だから不完全で矛盾偽善に満ちたこの世人間界の中で生きていくからには…欲と不満とその執着から離れない限り…喜怒哀楽のストレスにまみれた人生でもって終えることになるのです。

とは言っても…死ぬことは大したことではありません…痛くもかゆくもなく単に深い眠りにつくのと同じですし…しかも思い意識次第で来世があるかもしれません。

ところが肉体でもって様々な変化刺激や快感快楽の自己満足を味わうことからして…そのしっぺ返しとなる肉体の過労疲労や激痛などの肉体的な限界をキリもなく味わう・大変なことを味わう羽目にもなります。

特に老後や死に際に多く味わうことになります。

また感情体でもって自己表現行動し自己満足するも、その裏では不満・不安心配恐れ怒りに止まらずにして妬み嫉妬や憎悪までに至れば…人間として抑えきれない過剰な感情や何でもぶち壊し破壊したがるサタンが如くの激情を自らが味わって死に至ります。

だから感情的なストレスは肉体的ストレスよりも深刻な状況になります。

然るに自己破壊の自殺や集団自殺や人殺しや戦争の他者破壊につながっています。

ところが精神体でもって欲張らず・不満にならず・執着することにならなければ…心穏やかな精神安定にして日々を生きて・その老後と思い残しのない安らかな死に至ることになります。

何はともあれ…若かりし頃の肉体や感情のストレスには耐えることができても年追えば様々な症例病例が出てきて苦しみ苦悩となり…悠々自適の老後がさんざんな目になり、また死ぬにも死にきれない思いでもって死に至るかもしれません。

ちなみに金銭物質的なことでは満足するも精神的満足が無ければ生きている甲斐もなくなるのです。

然るに姿形の物質的な満足よりも・見えないところにある内なる精神的な満足・納得が無ければ中途半端で・生きている値打ちが見出せずにして・生きている甲斐がないのです。

然るに精神体でもって生きていくことが重要となるのです。
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善も悪もないのが愛です

2018年02月22日 | Weblog
このブログでは…俗に言う神は…すべてはひとつの宇宙であり・あるがままの宇宙であり・それが神であり愛意識であり、その宇宙・神・愛の仕組みとしています。

ところが人間には善なる意識と悪なる意識が仕組まれています。
と言うことは天使と悪魔が同居していることになります。

ちなみにイエスは悪を排除した善だけの世界を説いていたようですが、釈迦は邪な心を許す慈悲の心をも説いていたようです。

だからイエスはサタンと思われるものと闘って殺し成敗したと自慢していますから、宇宙意識でも神意識でも愛意識でもありませんで、善悪の矛盾する意識を持った単なる人間です。

そして釈迦は邪悪なものが地獄に堕ちそうになっているのを救い上げて仏の道に添うことを諭したと言われていますが、しかし妖艶な美女の誘惑に負けまいとして立ち去れと念じたことは・悪は悪だと固守している一面が見受けられますから、神でも仏でもなく・善悪の矛盾する意識を持った単なる人間です。

と言うことは…此れではダメだ何とかしなければと不満と欲を持った人間が偽りの神仏の道・邪道・思想・想念を正しいとばかりに説教して・人集めしその勢力を広げようと企んだ邪な輩となります。

何はともあれ…人間には善悪優劣損得で判断してその良いとこ取りをしたがる一面がありますから、その裏面には自分に都合が悪いことを否定反発排除したり束縛制限したがるところがありますから…愛はありません。

然るに感情からくる人情愛情があっても=愛=はありません。

しかも感情に拘り執着するところがありますから未練も残ります。

然るにそれが人間関係に現れ出ています。

また此れではダメだ何とかしなければの不満と欲で動いています。

となれば…自己満足したり不平不満になったりします。

そして満足と不満は表裏一体ですから…不満が満足になったり・満足が不満にも変わります。

然るに人間には不満と欲があっても…愛はありません。

ところが不満と欲に執着しなければ…善悪優劣損得の判断も必要なくなり…成り行き任せになり…それが自然体の愛・上下左右の差のない普通の愛になります。

然るに執着しなければ愛となります。

だからこの世人間関係に執着しなければ愛になります。

しかし人間関係に執着すれば不完全な愛情となっても愛にはなりません。

だから束縛制限支配したり否定反発排除したがることになります。

そこで善悪に執着しなければ善でも悪でもない普通になり・喜怒哀楽のストレスのない生き方になるのです。

然るに自己縮小の実践を続けることは愛で生きる道につながっているのです。

そして完全なる宇宙・神・愛意識の高次元意識にもつながるのです。

なのにそれでも三次元の愛情でもって生きることを選び続けますか?
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どっかで止まることなく欲張り続けてきた自己責任のしっぺ返しがこの先で待っています。

2018年02月21日 | Weblog
素朴謙虚に生きる自己縮小の実践を書いていますが…その自己縮小と言う言葉を知る以前から仕組まれ続けてすでに過疎地でもって・孤独の自由にして・家族から離れ・世間離れしたような生活を始めていた経緯があります。

そして自己満足が自惚れ慢心となり自慢したくなることからして、その自己満足をしないためにも更に自己縮小となり…暇つぶしの雑多をチョコチョコする程度で一日が終わっています。

そんな生活を成り行き任せにして数年続けていた時に・これまた必然ご縁が仕組まれ・求められて牛舎のエサやりのパートに従事することになり・10年ほど続いています。
ちなみに臭い汚い環境の中で仕事をすることで新たな気付きが多くありましたが省略します。

とにかく自己満足することが減るほどに不満になることも減り続け・食って寝て糞をしながらにしてただ生きているだけのような生活になりました。

そこで新たに気付いたのが…呑気気楽な暇つぶし生活を正味味わっていることは…己の先々の事や家族のことも世間のことも何ら気にならない・不満不安心配にならない…そんな心穏やかな精神安定でもって生きていることに気付いたのです。

そして豊かな自然界の中で四季折々を感じながら暮らしていることからして新たに気付いたのが…自然界に元からしてなかった人為人工的な変化刺激が次第に必要なくなったのです。

となると…暇つぶしに見ていたテレビさえも必要なくなりました。

そしてテレビ離れすることからして気付いたのが…映画やドラマでもって観客を呼び込み魅了させるために・ありもしないようなストーリーでもって変化刺激を過激に演出していることであり、
しかも製作者側の思惑通りに十分堪能し魅了されたはずなのにその記憶がどんどん薄れていってほとんど忘れていることです。
と言うことは一時の満足で終わっていることです。

ちなみに自分が事実にして味わったことの記憶の多くは消えません。

と言うことは一時の満足のために高額な製作費を浪費し、その一時の満足を味わうために観客が浪費するという・無駄遣いの連鎖が繰り返されているのです。

またスタッフや出演者も観客を魅了させるだけの腕を磨くために相当な時間と労力や金を浪費しているはずです。
またそのために生きているようなものになります。

そこで気付いたのですが…大昔から演劇などを楽しんでいました。

然るに時代の移り変わりがあっても…その時代ごとに観客は満足していたのです。

だったら平安時代や徳川時代の演劇で止まっていても…私たち現代人も同じく満足できたはずです。
ちなみに現在でも…どさ周り劇団があり観客を呼び込んでいます。

そこで結論を早めますが…変化刺激を求めることはキリもなく続くことからして…さらに高度な変化刺激を求める続けるのです。

然るに欲深いのです。

だから趣味嗜好娯楽も同じです。

然るに欲深いものが集まり浪費の連鎖を繰り返しているのです。

そして自然界の危機が言われ、人類滅亡へと突き進むことにもなっているのです。

然るに自然界に元からしてなかった人為人工的な諸々からして自然界が危機に面し、自然界の仲間である人類も危機に面しているのです。

それも欲と不満が原因なのです。
…ちなみに趣味嗜好娯楽がなくても生きていくことに何ら支障はありません。

然るに…どっかで止まることをしないで…次々と進化拡大発展させてきたことのしっぺ返しが…この先でいろいろと待っているのです。

ちなみに私も遅ればせながらも60歳にして気付き・止まることになり・さらに昔帰りとなる自己縮小の実践を続けています。
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人間意識の次元上昇アセンションとならないで三次元意識の繰り返しばかり重ねることになる原因は…

2018年02月20日 | Weblog
五感を含めた肉体を極めることや・好き嫌いの思い感情を高め豊かにすることに執着するよりも・己の自力自信を高め精神を見定め極めることが人間の道が如くに書き続けています。

しかし多くの人は肉体や感情体でもって陽気に生きることを選んでいて、精神体で生きるとなると陰気になると思っているところがあります。

また宗教に入信し、また出家し、神社仏閣や教会でもって同じような仲間と暮らし、俗世と縁を切るのが精神世界に思っているところがあります。

しかしこのブログでは欲と不満から離れた生き方でもって喜怒哀楽や山あり谷ありの波乱万丈から卒業し、そのストレスのない精神安定にして暮らすことを書いています。

だから陽気に生きるとか陰気になるとかではなくて普通の精神安定にして生きることになるのです。

然るに欲が出ても執着しない⇒欲張らないで・素朴謙虚に生きる自己縮小の実践を書いています。

ところが欲張らないとなると世間では生きずらいことからして孤独の自由でもって世渡りすることにもなります。

また人間関係から離れたことで精神安定となる事実を味わうことになり、それがけっこう居心地がいいことからして、元のさやにおさまる事無く・二度と元の生活に戻ることになりません。

なにはともあれ…数に限りがある有限の世界でもって己が欲張っていることに気付いていない人が多いことからして世の中人間関係がおかしなことになっています。

また欲張っていると認識しているも、それを意欲的にやっていることだと正当化し誤魔化している場合も多いようです。

またうすうす悪い事と知りながらも犯罪でもなければ・大したことではないと誤魔化して正当化したがるのですが、精神面では罪作りになっています。
だからそのしっぺ返しが仕組まれて当然なのです。

また自己正当化した偽りの心からして事を成すことは…己の内なる神・己の正直な精神を誤魔化し裏切っているから…それが何だか中途半端な生き様にも思え、十分に納得し切れない人生・生き方にもなっているのです。

そして代替えの趣味嗜好娯楽の自己満足の繰り返しとなっているのですが、その満足に苦労が伴っていたことさえ忘れたいのです。
…然るに自分に都合がいいように思いたがる得手勝手なところがあります。

そんな十分に納得できない人生だから…何がしの思いを残す未練ある死に様になるのです。
また何事か執着しているから…その思いを残す未練ある死に様にもなるのです。

だから来世で生まれ変わっても…前世の思い残し未練を引き継ぎ引きずることにもり・いつまでたっても卒業できないで終わるのです。

然るに人間意識の次元上昇アセンションとならないで三次元意識の繰り返しばかり重ねることになるのです。
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ストレスまみれの御身を救うことになるブログです。

2018年02月19日 | Weblog
大昔から始まるいつの時代も…過去を懐かしみ「昔は良かった」と思う人が多くいたはずです。

しかし…昔は良かったと思いながらも…現在の欲張った生活を続けていれば・矛盾し偽善となります。

然るに私も昔は良かったと思っている一人でして…私の少年期・昭和の物不足の頃の…豊かな自然に恵まれていた時代に戻ることができればいいと思っています。

ちなみにそれが徳川時代でも縄文時代であっても…豊かな自然界に恵まれて暮らしているほうが味わい深いからです。

と言うのも…自己縮小からして巷の変化刺激快感快楽から離れたことで…やっとこさ自然界のありがたさを思い知ったのです。
…だから昔は良かったとなったのです。

すなわち巷の人為人工的な変化刺激に惑わされ馴染んでいたから自然界のありがたさを見失っていたのです。

と言うことは…それがいつの時代であれ…人間の欲と不満からして…いつの時代も止まることができずに進化拡大をキリもなく続けて・現在に至っているのです。

ならば…何とか食って寝て糞をしながらにして生きて…あとは自然界と仲良く過ごしていれば(私の少年期のように)(また現在のように)それで十分納得し満足できる事実を知ったのです。


然るに…次から次と新たに出てくる巷の人為人工的な変化刺激に惑わされていたのです。

ところがその人為人工的な変化刺激に惑わされることが多くなったのも…不完全で矛盾偽善に満ちた人間関係に原因があったのです。

ちなみに互いを束縛制限し合ったり否定反発し合ったりしているから面白くない・納得できない・中途半端さの不満が常にあるのです。

然るに自由がなくなっているのです。
だから当然ながら平等もありませんで互いに差をつけ合うことにもなります。

しかしそれを自力では…どうすることもできない・ふがいさ・もどかしさ・いらだち…などから解放されたくて・忘れたくて…結果的に…手っ取り早い趣味嗜好娯楽でもって一時逃げているのです。

そしてそれが当たり前が如くになって・馴染み過ぎているのです。

しかも趣味嗜好娯楽を成すにもそれだけの苦労面倒が伴いストレスにもなっていますが、その苦労が報われる結果が出ればそれが自己満足となり、それ以前の苦労面倒を忘れさせてくれる得手勝手なところがあります。

と言うことは…人間関係でもってストレスとなり…そのストレス開放の趣味嗜好娯楽でもってストレスとなり、結果的にはストレスまみれで生きていることになるのです。

だから…人間として生きていることの価値を見失い…
しかしそれでも・どうすることもままならない・不完全で矛盾偽善のある人間関係の中で・一緒に暮らしているのが現実なのです。

ちなみに自己縮小している私には…世間や家族から離れた孤独の自由があり…
また必然ご縁に限った一時の人間関係で終わっていますから…
束縛制限されたり否定反発されることにもなりません。


だから…食って寝て糞をしながらにして生きているだけで…納得満足できていることになります。

そしてあとは自然界の中で…どうでもいいような雑多で時間つぶしをしたり、暇ついでにブログを書いているだけです。

だから皆さんも…此れまでの自己拡大で生きてきたことを無駄にしないためにも…欲と不満から卒業できる自己縮小の実践をすれば…ストレスまみれの御身を…己の精神でもって救うことになるのです。

ところでブログの内容に関係ないことですが…
2月18日のアクセス数の閲覧数が888で訪問者が282でして…これほどまで同じ数字が出てくることは奇跡だと喜んでいます。
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