孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

玄米にも麹菌が付着するからにはファバラの発芽玄米が米麹になるのは「特別」ではなかったのです。

2014年09月25日 | Weblog
ファバラのお酒を造るのに発芽玄米が原料になっていますが、その発芽玄米のままでは麹菌が付着しないからお酒は造れないと説明されていて、然るにお酒を造るには玄米を30%以上削った白米で無ければダメだと言われていますが、ところが玄米にも麹菌が付着して玄米麹になりますから、然るに玄米酒&原酒が製造できるようです。

然るに山田耕栄さんが講演会で発芽玄米に麹菌がつくことは(摩訶不思議を成す耕栄さんならではの)特別のように言っていたのは認識不足だったのかもしれません。

然るに玄米まるごとでも米麹&お酒になるが、しかしファバラでは発芽玄米を丸ごと使って製造しましたと説明すれば特別に思わなかったかもしれません。

タダ玄米麹と玄米を蒸した製法でお酒を造ると独特の臭いがして純粋の日本酒とは違った風味のお酒になるようです。
だから発芽玄米で製造したお酒を醸造元の杜氏さんが口に含んで「これはお酒ではない」と吐き出したのも間違いではなかったのです。

然るにそれがブドウをそのままに使うワインや熟成させたブランデイの風味に似ていることからして岡山産ワイン酒や島根産ブランデイ酒と銘打っているのかもしれません。
またファバラ酒の「是新」は玄米を15%削った白米にして日本酒に近づけたようですが、それでは玄米ではなく白米になります。

最近ちまたでは米麹と塩を混ぜた「塩麹」を使うと食品が一味違った美味しさになるとしてブームになり、美容と健康にも良い自然健康食品として全国の麹やさんが活性化されているようです。
ちなみに私はファバラ食品をやめてからは米麹の「甘酒」の愛用者になっています。

ところで私んちの囲炉裏に吊るしている分厚い金属製の鍋にカビ菌らしきものが付着して内側全面に白い綿ほこりのようになってどんどん増殖していてその鉄鍋の内側を侵食しています。
然るに(錆で腐食するのとは違う)金属を侵食する雑菌がいるのですね。
ちなみに分解不可能と言われるダイオキシンやPCBやまた放射能を食う雑菌も自然界にいるようです。

不平不満がこの世人間関係を<破壊>している事実を知る。

2014年09月21日 | Weblog

良い悪いで判断することからしてそれが不平不満になっているわけですが、その不平不満が自らの精神や肉体を破壊しているし、その思い行動表現によって矛先の不満相手の心身をも同じく「破壊」していることに気付いていますか、
しかも皆の不平不満&破壊意識が集合意識となって(洗脳されたようになって)この世人間関係を揺り動かしていますから、然るに人間関係の破壊や自然環境の破壊が起こっていても止める事ができないわけです。

そこで例えば、我が子が駄々をこねることで親がイライラすることになれば、その親の我が身を自己破壊している事になりますし、その親の不満の思いを受けている側の子供の心身も他者(親)により破壊されていることになります。

また親の言うことを聞かない子供にお仕置きとして食事やおやつや小遣いを渋ればそれはあだ討ち制裁仕返しの報復復讐意識であり、それが虐め虐待意識でもあり、それが破壊意識(自己破壊や他者破壊)でもあり、また私は正いの正義感&守り意識でもありますから、然るに己の不平不満を正当化&正義として自己主張し堅持していることになります。

然るに巷の映画ドラマで水戸黄門が悪人を懲らしめるのも、暴れんぼ将軍や桃太郎侍が悪人を成敗するのも、赤穂浪士の忠臣蔵も、また月光仮面や鉄腕アトムや仮面ライダーやウルトラマンを正義の味方というのも間違いであり、また現在の刑罰や死刑執行もお仕置きあだ討ち仕返し制裁の報復意識であり破壊意識でもあります。
然るにマンガ「巨人の星」に登場する父親&星一徹が怒ってちゃぶ台をひっくり返すもの、また夫婦喧嘩シーンでコップを相手に投げつけるのも(壊したくなる)破壊意識&やけくそ意識になります。

然るに私が自己縮小して不平不満の無い楽な生き方を実践しているのも、不平不満に執着して心身を傷め虐める自傷行為&自殺行為の自己破壊やまたあだ討ちし返し制裁報復意識からしてぶっ壊したくなる暴力沙汰や殺傷殺人やまた無差別事件を起こすような他者破壊意識に至らないためでもあります。
俗に言う真坂とか突発とか逆上逆ギレとか衝動に駆られることにもなるのです。

然るに私の不完全意識が原因からして身近な相手に不愉快な思いをさせたりまたご縁ある方を巻き込んで何らかの迷惑&害を与えないためにも、また同じく私自身が人様の意識が原因からして何らかの不平不満&問題意識&破壊意識に巻き込まれない為にも、
然るに孤独と自由からしてその自己責任&自力でもって生きていくのが私には都合がいいわけです。

然るにいつも自由で心穏やかで呑気で楽でいられるわけです。
然るに不完全意識の人間関係や趣味嗜好娯楽&変化刺激や快感快楽が少なくても差し支えないわけですし、その方がシンプルなので気苦労気疲れしないで心静かにして生きていけるのです。

然るに不平不満がこの世人間関係を破壊しているその事実に自覚納得確信すれば自ずと自己縮小意識にもなります。

ちなみに自己縮小の実践が無い限り「良い悪い」で判断することが多くなりますから、如何なる宗教や思想哲学真理に係わろうがまた神懸り奇跡の超能力や霊力に期待したり依存しても、結果的には良い悪いで判断してその不平不満の破壊意識が出てくることになります。

だからこそ、その良い悪いで判断する必要が無くなるほどの素朴な生き方&頑張らず欲張らず見栄張らずにしての楽チン省エネの生き様の実践しか無いと納得確信でもってブログを書いています。

然るに此れまで頑張り欲張り見栄張りしながら苦楽の自己拡大してきただけに、その裏の楽チン省エネの自己縮小を味わうことが無ければ、此れまでの自己拡大で生きてきたことが無駄になり、
然るにこの世人間関係の矛盾のその事実を心からして味わい尽くすことも無く、
然るに人間として仕組まれ生まれたその役割使命を果たすことにもならずに、
然るに(中途半端なままに)此れまで(前世・過去性を含めて)人間として生きてきたことが無駄になるばかりか、巷の様々な精神世界に係わってきたことさえも中途半端な結果で終わるわけです。

ところが自己縮小の実践となると此れまでの人間関係&柵シガラミからして多くの問題があります。
だからそこで皆一緒にして「よーいドン」となればいいのですがそれには無理があるし、また人が集る所に欲が渦巻いていてその欲絡みの苦楽や弊害副作用もあることからして、やはり孤独と自由にしてその自信と自力の独自独歩の実践て生きていくことにもなるわけです。

私の摩訶不思議を話せばアラビアンナイト&千夜一夜物語の如くになるかも

2014年09月18日 | Weblog
私の此れまでの摩訶不思議や一生に一度も見ることが出来ない様な希少な目撃談の数々やまた死にかけた経験談やをブログでも紹介していますが、それら全部を根掘り葉掘り詳しく話せば映画アラビアンナイト&千夜一夜物語如くの長い会話になることでしょう。

ちなみに謎の発光体の事の始まりは道端の雑草の中で青白く光る米粒くらいの発光体が数体集っているのを見たのが始まりでして、その時は山の中にも夜光虫がいるのかと不思議に思ったくらいです。
しばらく期間が経過して後に成長したか?今の発光体が私の頭上を光り輝きながら飛来してから近くの茂みの中で止まりしばらく光っていたのです。
だから今よりももっと色鮮やかに発光しながら二体&二回飛来してきたのが始まりですが、それ以降は光り輝きながら飛行するのを見たことがありませんし少しその輝度が劣ったように見えます。

ここで過去の話に戻りますが、遊び盛りの少年時代に山の上にある祠ホコラ近くで白蛇を見たこと、父親とのテレパシー現象を一度経験したこと、1mもある大ナマズや台湾ドジョウを池や川で見たこと、
そして倉庫の上から転落して首筋に鉄筋が突き刺さりほんの少しのずれで命拾いしたこと(神経麻痺の後遺症が残りました)

昭和の巨大隕石&志度湾隕石を夜間高校の校庭で一番星程度の大きさからその隕石が燃えながら頭上をすれすれに通過して落下するまでずーっと目撃したこと。
納品先の商用エレベーターのドアが開くと大きな亀だけが乗っていたこと。アクアラング潜水&夜間潜水で三度死にかけたこと。追突される事故が起これば新車に買い換えることを腹算ようしていたらそれがすぐさま事実となったが、相手が低所得者で結果的には取らぬ狸の皮算用で損したこと。
霊能者から私にオーストラリアとの縁があると言われていたのですが、取引先の招待で初体験した海外旅行がオーストラリアであり、しかも妻と同伴する最初で最後の旅行となるようだし、シドニーオリンピック開催式の日が今の過疎地に訪れた初日でした。
その過疎地に来て間なしに小さな二重の虹が見られました。
次にラグビーボール大のUFOが頭上近に飛来、また一昔前のゼロ戦とセスナを併せた様な単発機が突撃するように超低空飛行して来たり、また一昔前の不恰好なヘリコプターが来たことがありますが、それもUFOの類に思っています。

図鑑でしか見られないような昆虫、モグラの産まれ立ての赤ちゃん?、5cmほどの小ねずみの親とその極小の赤ちゃん、赤っぽい姫蛇、猛毒を持つ黒っぽいカラス蛇は後ずさりする人間にも刃向かって来ること、猛毒のマムシがガラガラヘビのように尻尾を立てて震わして威嚇する時があること、黒い毛虫が雑草の穂先を体ごと震わせて見せて近寄るなと威嚇することがあった、大きなムカデが水槽に堕ちればドジョウのように泳ぐが溺れ死ぬ、雨水が溜まる鐘桶にミズスマシが飛んできたり底ではトンボの幼虫が育っていたり、洗面器の水が凍りつきその中でオタマジャクシが育っていたり、金色に輝く毛並みのタヌキが昼間なのに平然とたたずんでいるのを近くで見たり、白っぽい毛並みのイノシシを何度か見ています、また捕獲したハクビシンにドックフードを与えるとその容器の中にウンコをするのでその処理が簡単だったこと、二羽のカラスにドックフードをやると強いほうのカラスが全部口ばしの中に詰め込み溜め込んで隠す、また羽が折れて飛べない振りをしていたカラスが隙を見て逃げ出せば見事に飛んで行きました、また死んだ振りが上手なハクビシン、そして4cm5cmほどの板の隙間に体をぺちゃんこにして逃げ出すことが出来ること、1cmの網目の中を大きくて太いアオダイショウが安々と通り抜けること、そのアオダイショウが滑り落ちないように肌をうろこ状にして登ること、また小さな蛇が数倍もあるカエルを頭からくわえ込んでいるのを見ましたが、そのカエルを飲み込むことが出来れば一昔前の「ツチノコ」騒動になるでしょう、また飼育していたニワトリの親鳥を青大将が首の付け根まで飲み込んどいたこともありました。
また鳥小屋の防鳥網に引っ掛かったフクロウやトンビや鷹にサンマを与えてしばらく飼育したこともあります。
物体瞬間移動の如くにして(動物実験に使っている)茶色と黒の毛並みの大きなネズミが何の隙間も無い天上から突然落ちてきたことがありますが、しかし逃げ場の無い部屋からそのネズミが消えたのかしばらく探しても見つかりませんでした。
吉野川の上空を大型の野鳥が10羽ほど群れを成して飛んでいたのですが、それが川鵜のように下側は黒いのですが上側はサギのように白く見えましたので不思議に思い、しばらく目線で追いかけていたら大きな立ち木で一度見えなくなり、その立ち木を飛び過ぎたらまた見えるはずなのに二度と現れ出てきませんでした、しかし一気に高い山を飛び越えるはずも無く、また川岸や河川敷を見渡しましたがその野鳥の群れが消えていて見えませんでした。
鐘桶に溜まった雨水が氷結して出来るはずもない摩訶不思議な造形を一冬一回二年連続で違った形を二度見せてくれましたが、去年はありませんでした。
晴天の日中に小粒の雹ヒョウが降り、それが一気に蒸発して濃い霧カスミとなって私の周りを一瞬にして囲み、それが何だか別世界&次元に立っているような感覚がしました。

ここでは人間関係での必然ご縁の摩訶不思議な仕組みのことは省略します。

別件になりますが、戦中戦後の昭和と高度経済成長を経験してきたので、映画ドラマの「がばい婆ちゃん」を超える昔懐かしい話の数々「昭和劇場」版をヤフーのブログに書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/utyu21

謎の発光体の後日談として、その正体は果たして何だったのでしょう?

2014年09月16日 | Weblog
今年も8月になってから5回ほど、夜中に青白く光る小さなホタル大の発光体を見ました。
その5回目は台風11号が徳島に上陸しての暴風雨の中でして、4mほど離れた庭先の雑草や雑木が生い茂る中で、3個体ほどが不規則に発光していたのですが、今回は今までと違って瞬間的に強い光を放しているのが1体いました。
目撃した事に特別な意味合いは無いと思いますが、摩訶不思議なことだけに私は喜んでいます。
これ等の異次元現象&摩訶不思議に関心があれば、2010,5,16日投稿の「付録=私の住む所は異次元スポットかな・・」をご覧下さい。

「後日談」
何することも無い夜中の退屈しのぎに庭先のテラスに毎夜出るようになった関係からして、二日に一度の割合で謎の発光体を見ることになりました。
それでも執着すること無く、その摩訶不思議の事実だけで十分でした。

ところが最近になって足場の悪い暗い茂みの場所では無くして私の足下1メートル位の直ぐ近くの平地で発光することが二度ありましたので、そこでその発光体を懐中電灯で照らし出したのですが、その光る場所には物体&生体らしいものは全く見えなくてタダ地面だけでした、
そこでライトを消してみると発光体がそのままに発光していましたので、そこでもっと近寄りその発光体の目先鼻先までライトを近づけてから点灯したのですが、しかしそこには物体生体らしいものは見られませんでした。

然るに人間の目では透明なのに発光していたことになります。
そしてまたライトを消してみたのですが、しかしもう二度と同じ場所で光ることはありませんで、移動したのか?または別物なのか、他の場所で発光しているのを見ることになりました。
しかしそれで発光体が恐れをなしたのか?、または私が透明体である事実を見届けることができたからなのか?、それ以来発光体が身近に居たことはありません。
また毎年時期的に見られなく頃ですから、ここ3日くらい見ておりません。

変化の乏しい単調な生き様の中にその幸せがあるように思えます。

2014年09月07日 | Weblog
良い悪い(善悪優劣損得)で判断して人を責めたり自分を責めたり、また自己満足したり不平不満になったり、それに執着して私は正しいとして主張堅持したりまたそれらを守るその守り意識からして何かと戦うことにもなっています。
然るに幸せとはいえません。

そして不平不満に執着するとそれが不安心配や怒り憎悪や嫉妬にもなり更に仕返し報復する事にもなり、然るにそれらが自己破壊&他者破壊の破壊意識でもあることに気付いている人は少ないことでしょう。
然るに幸せとはいえません。

だから良い悪いで判断している限りにおいて幸せと言えるようなことにはなりません。

然るにその矛盾する不完全意識のこの世人間関係でいくら頑張り欲張り見栄張り何か事を成しても、また趣味嗜好娯楽に興じても、結果的にはその苦労と自己満足の喜怒哀楽を味わう事になりますから、然るにそれで幸せとはいえません。

然るにその苦楽の自己拡大で生きていると他力に依存することも多くなり、結果的には物質経済的な事や趣味嗜好娯楽的なことの進化拡大やその人間関係も同時に進化拡大することにもなりますが、
ところが良い悪いで判断しない完全真理の説くところの自己縮小の実践となるとそこで素朴に生きることになり、然るに不完全な物質経済的な依存もまた不完全意識の人間関係の依存やその思惑期待することも縮小されてきます。

然るに自己満足することもどんどん減り続けますから、その裏の不平不満も出にくくなってきます。

その自己縮小の実践からして気付いたのが、不平不満が出てこない生活に馴染むと、その不満不足不信や不安心配や怒りが無い暮らしそのものが幸せにも思えるようになったのです。

然るに不満不信や不安心配や怒りも無く、タダ食って寝て糞をしているだけのような生き様に価値が見い出せたのです。

そしていつの間にやら(自然体でもって)良い悪いで判断する必要性も次第に無くなっていくのです。

そして楽にして生きて、そして楽にして死ねれば、その人生が幸せだったことにもなるのです。

然るに巷の信仰宗教や精神世界や超能力者や霊感霊力者やの教えに従い係わることやまた摩訶不思議&異次元現象を体験経験することで特別な事になるわけではなかったのです。

ちなみに過去のアインシュタインが言ったように神がサイコロを振るわけではないのです。
すべては人の意識の有り様が原因でその結果が現れているのです。

然るに此れまで自己拡大を味わってきただけに尚のこと欲張らない自己縮小の実践を始めればその自己縮小の真価価値を味わえることになるのです。

然るに私は不完全意識ながらもその不満不足不信不安心配も無く、また自慢するほどの自己満足(遣り甲斐&生き甲斐&充実感)特別意識も無く、然るに何事も無くタダ生きているだけのような単調な生き様が何だか幸せにも思えるようになったのです。

然るに幸せは外からやってくるのでは無くして、然るに見えることでも無くして、完全真理を納得確信して自己縮小の実践を続けているその己の心意識の中にある事なのです。