矛盾偽善の無い完全真理と自己縮小=孤独と自由=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

良いとこ取りの積み重ねからしての裏が出て、そのしっぺ返しになるのが巷の有事です。

2013年12月31日 | Weblog
先祖供養したから、親孝行したから、それで安らかにあの世に導かれると思っていると裏切られる事になるやも知れません。
何故なら思い思惑期待の欲があるから、その欲の裏が出て裏切られる結果になるのです。

然るに数十万円もの出費で立派な戒名を付ければ霊界の位の高い所にいけるなんて思っていても、それも思い思惑期待の欲絡みですからその結果も同じです。

また神様を信じていたから、仏様を信じていたから、聖書経典を唱えていたから、祈り祈願していたから、然るに大丈夫と思っているのも他力絡みの欲ですから、その結果も裏切られたような結果になります。

また生前に神様仏様の教えの布教に係わっていたから私は大丈夫も同じです。
然るに寄付集めや町内活動や社会奉仕や援助救済やの巷の善行奉仕活動に係わっていたからとて同じです。
また役柄からしてのその目立つ前書きや肩書き、然るに名誉名声や権威権力をもってしても欲張った結果だけに同じです。

また栄養薬効効果成分などを抽出したりそれを合成した健食サプリを長年愛用していたり、また治療治癒の医薬品や人工透析に依存していたり、また人の血液や細胞や臓器提供を受けて延命治療していれば、その自分さえ良ければの良いとこ取り意識からしての弊害副作用のみならず、そのしっぺ返し(裏返し)からして苦しみもがきながらに死することにもなるし、安らかにあの世へ旅立てないその可能性が十分あります。

然るに良いとこ取りで欲張って如何にも得をしたようでも、その欲張りの繰り返し積み重ねからしての、そのしっぺ返しで大損することになるでしょう。

しかも(今はよくても)人生最後の死に目の時にしっぺ返しが長期間出てくる可能性が多いにありますから、その犠牲となる身内を巻き込むことにもなります。

ちなに有事でもって苦渋を味わうことになったり、また死する時に苦痛でもがき苦しんだりするのは、此れまでの罪滅ぼしが仕組まれたと昔から言われています。

然るに私の死に様がどうであれ、それは私が意識の原因のその結果ですから、その自分独りの自己責任を全うする気構えが出来ています。
だから救急病院に運ばれること無く苦痛でもがき苦しみ野たれ死に白骨で発見されることもまた突然死や孤独無縁死も望むところですし、また親孝行や死後の葬儀供養はいっさい望んでいません。

これ等のことは信じなくても大丈夫です。
あなた方の意識が原因の自己結果が出てその自己責任を味わうことになるだけです。
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世間では「良いことをして何が悪いのよ」と胸を張りますが、

2013年12月30日 | Weblog
私は冥想を知りませんが、日々が暇で退屈で殆どが無言だけに常に思い考え自問自答しています。

ところで世間では「良いことをして何が悪いのよ」と胸を張り、然るに「良いことは正しい」ことになり、それが正義にも思っています。

然るに困っている人を助けることは良いことですから、その困っている形のその原因を取り除くことやそれを修正改革することにもなっている事実があります。

だから貧困が原因になると経済を考え、また教育が原因だとなると学校を考えますから、その経済支援や学校創立やその教育指導改善改革を進めます。
然るに見える結果の形を変えることに精出すだけですから、然るに根本原因の矛盾が消えずにその矛盾がいつも出てくるのです。

※神懸り奇跡の超能力霊力も然るにファバラエネルギーも結果形が変わるだけで人間の大元の原因意識はそのままですから、然るに矛盾する生き方が続くことを付け加えておきます。

然るに史実にして経済支援や教育指導からして進出侵略支配した過去があり、それに反感を持った者が武装して革命クーデターになり互いに人を殺し合うことになったり、それが遺恨に残り双方共に火種が残って未だにくすぶり続けています。

またその支援教育からして企業戦士となった者が他国に進出侵略して経済支配することにもなれば、またそこでも物議騒動抗争が起こることにもなります。

然るに戦国時代を終わらして太平の世の中が長く続いた徳川幕府が良かったのに、それを崩壊させた明治維新が今度は良い事になったが、しかし早くも他国と戦争が始まり多大な犠牲がありましたが、その明治維新が本当に良かったのでしょうか、

その戦争を早く終わらすために原爆を投下した国家社会人民が正しいのなら、その被爆国家社会人民が悪かったのでしょうか、

果たして(悪の巣窟の親分)フセインは悪だったのでしょうか、
それを滅ぼした国家社会人民は善人だったのでしょうか、

また過去に敵の要塞に爆弾を抱えて飛び込み自爆したり、また敵艦に特攻爆撃したのが正しいのならばその敵の兵士が悪だったのでしょうか、
また大昔に敵対する者を殺した聖徳太子が善人ならば殺された側は悪人だったのでしょうか、
然るにモーゼが正しければその国の支配者や手下の軍隊は悪でしょうか、
然るにイエスとサタンが戦ってイエスが聖者に言われていますが、負けたサタンは本当に悪だったのでしょうか、

然るに私はそれらに矛盾&疑問があります。

然るに巷では「勝てば官軍」然るにヒーロー英雄や聖君聖者や支配者にもなりますが、人を殺しあったのは同じなのに「負ければ賊軍」然るに昔のヤマタノオロチや赤鬼青鬼の類やまた人殺し盗賊やまた魔女サタンや悪の巣窟と呼ばれることにもなります。

前置きが長くなりましたが、
良い悪いは不完全意識の人間が手前勝手に己の都合が良くなるように張り合い言い合っているだけです。
然るにどっちも良くてどっちも悪いことになり、然るにどっちも同じで、然るにどっちでもないその結果事実が出ているだけになります。

だから釈迦やイエスがどうなのか?、然るにその人様のことではなくして(耕栄さんや霊能者や伊勢白山道を含めて)あなた方の意識がどうなのか?それに気付くことが肝心なのです。

然るにその要点をもっと早めれば、
大を(世間を)見ずにして、その小を(自分を)見ることが肝心なのです。

然るに矛盾のある国家社会人民からして起きた「どうしようもない」その(大きな)結果を見るのではなくして、その事の始まりの(小さな)原因意識に「気付く」ことが肝心なわけです。

然るにその原因が「欲」だと書いているわけです。
然るにその欲が集まると事が大きくなるのです。

だから国家社会人民がどうであれ、また先行きがどうであれ、そこを成り行きに任せて、ほっといて、気にせずに、先ずは己が欲張らずに生きることを味わうその必要性を書いているのです。

そしてその欲張らない意識からして(人間終われば)新たな時代の幕開け&意識改革&闇意識の夜明け&地球維新が始まるとも書いているのです。
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性欲と孤独感が無ければその人間関係も必要なくなります。

2013年12月29日 | Weblog
自分の思いを告げるその言葉の裏に欲が潜んでいること、然るに美しい言葉にトゲがあることを書いています。
然るに自分の思いを告げる相手がいなければ無言のままに時を過ごせます。

また本能である性欲とまた孤独感が無ければその人間関係が無くても何ら差し障りはありません。
然るに特定の人に愛しているとか好きだと告げる裏にはその性欲と孤独感が隠れていることにもなります。

然るに動物的では人間のプライドからして恥ずかしいからそこで美しい言葉を告げてそのプライドを守っているのかもしれません。

また人様の不平不満や愚痴小言や陰口を聞きたくもないのにそれを我慢しているのも性欲と孤独感が絡んでいることにもなります。

また楽しむのも楽にするのも一人よりも人数が多い方が都合がよくなりますが、しかしその相手にも楽しんで楽にしてもらえなければ不公平で機嫌が悪くなるしその不平不満や愚痴小言や陰口を言われますから、然るにその苦をそれだけ多く味わうことになります。

然るに得することも多いが損することも多く、然るにチャラになりますが、しかし精神面では良いことよりも悪いことの方が重みを増して残ります。
然るにその分だけ余計に不平不満や愚痴小言や陰口を多く言われます。

また雨やんで傘を忘れるが如くになり感謝が薄れてきます。
然るにその感謝が薄れるから尚更に不平不満や愚痴小言や陰口が多くなる要因にもなっています。

然るにそんな繰り返しの人生で一生を終わるのは惨めで虚しくなるのは当然です。

ちなみに裏表を味わっている私の此れまでの人生経験からして言えば、然るに多くを語らない人生の方が波風が少ないように思いますが皆さんはどう思われますか、

また孤独からして性欲が片手落ちになっていますが、しかし孤独感を味わう事無く勝手気ままな自由な時間とまた波風の立たない静寂な時を味わっていますが皆さんはどう思われますか、

何かご意見があればそれを書き込んでください。
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(皆と一緒だから)「私は大丈夫」(信仰心から)「私は守られている」と思っているだけです。

2013年12月29日 | Weblog
自分さえ良ければでその良いとこ取りし合うご都合主義の人間関係を美化したがることからして、そこで愛情が言われ、絆が言われ、信頼が言われ、助け合い等が言われていますが、しかしその裏が隠れているその矛盾の事実を書いてきました。

しかしその裏の事実を知らなければ其れが正しいことになり、その行動をすることで私は正しい(潔癖症&正義感)にもなっています。
そしてそれらに反すると不平不満になり、それからして更に不安や怒りになり自殺や他殺の破壊意識やまた正義の戦争にも繋がっていることを書いています。

また(世間に目立つブログをちょこっと見ると)<完全>の意味も知らずに不完全&矛盾&不確かなことを如何にも完全事実に似せて書いていたり、また安心のアメと恐れのムチの両方を書いていたり、また私は正しい&正義の味方&錦の御旗にして人心を惑わしているブログが目に付きます。

然るにそれらを書く者も欲絡みであり、それらを読む者も何らかの欲からしてですから、結果的にはその矛盾不完全さに気付けないようです。
またこのブログで諸悪の根源が欲にあると書いていても、然るに表立った大きな欲のことばかりに気をとられて陰に潜んでいる小さな欲に気付けないのです。

ところが(このブログを含めて)それらも単なる知識で終わっているから、
然るに知っているだけ&言うだけですから、それが大勢であれ少数であれ、私的には(個人的には)「どうでもよく」然るに「どうしようもない」(関係ない)のです。

それよりも自分さえ良ければの皆の集合意識&闇意識に流されている、然るに赤信号を皆で渡っている方が問題なのです。

だからその集合意識&闇意識&真坂の有事に巻き込まれないために、然るに己の意識からして欲から抜け出し離れることが肝心なのです。
然るに己の欲に気付いて、その欲を出さないようにするしか、他に道はないのです。

然るにその欲を出さないでいると欲張る者から置いてきぼりにされますが、それさえ気にしなければ(見栄や世間体が無ければ)赤信号を渡ること無く穏やかな心で過ごせるのです。

そして欲張らなければ自力を多く使う事になりますからその自信も出てくるので(確かに生きていることを味わえるので)この先に起こる有事に(流されることなく)対応できる精神力も次第に身に付いてきます。

然るに欲張るその闇意識には安全安心は絶対に無いのです。
なのに(皆と一緒だから)「私は大丈夫」、または(信仰心から)「私は守られている」と思っているだけです。

然るに皆から(欲張る者から)離れたり、また他力依存(頼る&信じる&信仰心&期待感)から一旦離れると、
この世の不完全さやその人間関係の不完全さや己の力量不足に「気付き」ます。

然るに余計なことや無理なことや無駄なことをし無くなり(欲張り頑張り見栄張りしないで)然るに「楽に生きる」その深い味わいを知ることになります。
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幸せに思えることに何があるでしょう。

2013年12月28日 | Weblog
幸せに思えることに何があるでしょう。
然るに好きな人と一緒にいるときが幸せであってもそれが長くは続きません。
しかも本心から好きな人と一緒になれる確率は(思い思惑理想目的&欲絡みだけに)殆どありませんから、然るに妥協や都合で一緒になっているだけになります。

また可愛らしい赤ちゃんや動物のペットや植物を育てることが幸せに思えてもその苦楽が伴い裏が出て嫌気が出ることにもなります。

また衣食住や財や名誉名声肩書き権威権力からして幸せに思うことになるかもしれませんが、それは自分独りの自慰的満足に等しいから本物にはなりません。

だから不完全意識の人間関係やその見栄や世間体のプライド絡みや衣食住金銭物質の価値観や私は正と思うことからしてそれで幸せに思うことにはなりません。

また素晴らしい凄いと魅せられたり、また憧れ、敬い、尊び、信頼することでそれが幸せに思えるならば、それは思い込みすり込み現象の自己陶酔や自己洗脳ですから本物ではありません。

また見えない神仏霊魂を信じているだけで幸せに思えるもの同じです。

然るに上記と無関係の生き様になればどうでしょうか。

然るに傷つき汚れた車両がお似合いの場所やボロを着ているのが似合う所や整理整頓清掃もほとんどしないままにクモの巣が張り巡らせていたりススぼけた台所や隙間風が入る居間や土がむき出しの土間や庭先で過ごすことが似合っているその生き様ならどうでしょうか、

また暑かろうが寒かろうが雨が降ろうが雪が積もろうが台風が来ようが雷が鳴ろうがその成り行きを味わうことになり、

また急ぎ慌てることのないままにして、朝の起床に時間がなくて起きたい時に起きてお腹がすけば有る物を何でも食って眠たくなれば寝て糞をしながらにして生きているだけのような生活ならどうでしょうか、

また緊急の時の救急車やパトカーや消防車が来るのに相当な時間が掛かる山間僻地で静寂な時を過ごすことはどうでしょうか、

またむやみやたらと出向いていかない、また人が尋ねて来ることも電話が鳴ることも極まれな、然るに孤独にして自由にして静かにして生きることはどうでしょうか、

然るにそんな居場所や生活に不満無く過ごしていればどうでしょうか。

然るに余計なことや無理も無駄も無く&頑張り欲張り見得張ることなく、金品エネルギーの省エネにして楽チンに生きることが幸せにも思えるようになりました。

然るに一般世間や人間関係の柵シガラミから離れたことで幸せな思いを味わえるなんてのは矛盾していますが、
しかしそれは人間関係に原因があってのことですから、その人間関係から離れることしか他に道が無いとも確信しているのです。

然るにその人間関係の矛盾&裏表&自己拡大と自己縮小を味わうことが宇宙&神&愛の仕組みからしての人間の役割使命だからです。
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環境人権問題、ヒーリング癒しや占い予言予知、神の啓示や救世主と呼ばれることで止まっています。

2013年12月27日 | Weblog
私の知りたがるやりたがる意識からしてご縁があった摩訶不思議な効果効用のある超化学的サプリに止まらずにして、更に波動とも言われていた宇宙エネルギーに出会い、またそこで止まらずに霊魂&想念の世界に係わり、またそれを超えた完全真理&ファバラエネルギーに新たなご縁があったわけですが、しかしそれで止まらずにして己だけの独自独歩に変わり現在に至っています。

また仕組まれ続けたことからして過疎地の廃屋を購入したことからして田舎暮らしの真似事が始まり、然るにそこで止まらずに本格的に単身移住して家庭菜園やヤギやニワトリを飼育して素朴を楽しむことになり、然るに自己拡大から一気に自己縮小になり、そこでも止まらずにして素朴を「楽しむ」ことから卒業して、そこで余計なことや無理無駄の無い生き様にして<楽に>生きることになったのが現在ですが、

しかしそれも途中結果であって、この先で願わくば私と似通った意識の仲間が増えて互いが和気藹々に語り合い接し触れ合う事になるのを待っていますし、然るにその先のことも意識していますので「止まる」ことはありません。

然るに巷で環境問題や人権問題やまたヒーリング&癒し系やまたアドバイザー的存在で止まっている人やまた奇跡の占い者と言われて止まっている人やまた予言予知が当たると言われてそこで止まっている人や神の啓示やお伝えを告げることで止まっている人やまた奇跡の世直し救世主が如くに言われてそこで止まっている人もいます。

然るにその特殊能力からして人様が喜んだりもするが、しかしその反対にマヤカシ&インチキ呼ばわりされることにもなっています。

またその結果が出て喜ぶ人が大勢いてもそれは結果ですから、然るにその結果を得た人のその意識は相変わらず同じですから、然るに一時解決するだけで終わりそのリピート客や雨やんで傘を忘れるが如くの意識のままにしてそれ以上の意識の進展は望めません。

然るに余計なことに無理して無駄になるのです。

しかもその言い出しっぺの張本人も(世間で目立つものの)相変わらず不完全意識のままにその苦楽を味わい続けることからは抜け出せないでいます。

然るに自己満足で終わってその先がまだまだ続くことに気付かなければ(新たに仕組まれることも無くて)其処まで止まりになるのです。

然るに(仕組まれ続けてきた私からすれば)それが宇宙&神&愛の仕組みだと確信しています。
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釈迦やイエスやサイババの類もまた耕栄さんや霊能者や伊勢白山道なるものも途中の結果なのです。

2013年12月27日 | Weblog
人それぞれに思い考えるその意識が異なっていますから、然るに冠婚葬祭や伝統風習や道徳を守ることが正しいと思っている人にこのブログは似合いません。

然るにそれを事実にしてそれら柵シガラミから離れている私の事例を一般的な人に語ることからして違和感や不信感を持たれて私を非常識不道徳に思われようが、それはその冠婚葬祭などが必要に思う人だけの問題ですから(私には関係なくて)
然るに私自身は何らお構い無しに(善悪優劣)(損も得もなく)(気にしないで)(マイペースに)暮らしているのです。

しかし大方の人は見栄や世間体やプライドや生活を守るために(面倒ながらも)(それが正しいとして)仕方無しに&しぶしぶと応じていることと思われます。
然るにそれも人間関係を維持していくためには必然のことですから、それがダメとは書いていません。

ただ余計なことに無理してそれが無駄になるその事実を事細かく説明して書いているだけです。
然るにそれを納得するか否かは人それぞれの想念に任すしかありません。

それでも事実にして実践しそれを実際に味わえば然るに納得確信することになるかもしれません。
然るに言うだけ聞くだけの精神世界を卒業して然るにその実感でもって悟り習得することが出来れば上出来なのです。

そして見栄や世間体やプライドを守ることがどうでもいいことになれば更に本物になるのです。

然るに実践しながらにして(結果的に三歩進んで二歩下がる事になっても)一歩一歩と進んでいくことが出来れば上出来なのです。

だから何度も書いているように過去の釈迦やイエスやサイババの類もまた現在の耕栄さんや霊能者や伊勢白山道なるものもまだ途中なのですから、然るに其処に止まる事無く一歩一歩と進み続けるのが役割使命なのです。

然るにそのためにも欲張らないことです。
然るに欲張ればその時点までの心意識精神力で止まることになります。
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「食って寝て糞」をしながら「成り行き」に任せた「楽チン」な生き方しか他に道が無いようです。

2013年12月26日 | Weblog
過去の釈迦やイエスやの類、然るに摩訶不思議の超能力や霊力からして始まった輩も生まれた時は言葉も知らない赤ちゃんでした。
そして育ちながらにして先人の意味のある言葉を使って会話が出来るようになりました。

然るに自分の思い&想念(意識)にマッチした都合の良い言葉を応用して使って自分の思い考えを出すことから始まったのです。
そしてその中に己独自の組み合わせの熟語や語句が語られるようにもなりました。

然るにどんな偉い人でも(先人からして)学び知り、そして学び知りながらにして己が気付くことから始まったのです。
然るに何事も初心者から始まり、そして自分を確立させるために(役割個性を出すために)学び知り気付くことが(止まる事無く)ずーっと続くのです。

然るに釈迦やイエスやの類も己の役割個性&お役を果たしながらにしてまた学び知ることの繰り返しからして己が成長していくのです。
然るに始まりからして完全ではなかったのです。

然るに(その道に長けた賢人だけに)その事にも既に気付いていたはずなのです。
然るにその道を(修練鍛錬修行で)極めることになるものです。

また先人&先生先輩&賢人が言う事にあるのが「自然体」や「初心に帰る」があります。
然るに簡単に言えば「欲張らない」ことです。

ところが誰しも欲張ったから中途半端に終わったり挫折するのです。
然るに自然体を言う輩さえもそれが実践できなかったのです。

然るに自然体&やり直しの初心に帰ることを言うだけ聞くだけでそれが成せなかったのです。
また(欲からして)途中でやめられなかったのです。

然るに山田耕栄さんの完全真理が説くところの「良い悪い」で判断しない教えが実践できないのも、
然るに良い悪いで判断してその良いとこ取りしたがるその欲が原因なのです。

然るに「欲」がすべての原因なのです。
そして「人が集る所に欲がある」となるのです。
然るに神懸り奇跡の超能力霊力を見せびらかすことは欲絡みの「客寄せパンダ」同然になると書いているのです。

だから(誰でもが)(役割を果たす中で)欲張らずに「食って寝て糞」をしながらの素朴にして、宇宙&神&愛の必然ご縁の仕組みの「成り行き」に任せた「楽チン」な生き方しか他に道が無いとして書いているのです。
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このブログを読んで学び知り気付くことが面白くて楽しいのが本来の精神世界だと確信しています。

2013年12月26日 | Weblog
過去にご縁があった霊能者は自費でもって全国各地の霊的場所に出向いていって其処の乱れた磁場を調えたり、またお役柄を間違ったり見失っている霊魂の修正をしているのですが、しかしそれが世間に目立つこともない水面下でやっているその苦労を誰も知らないから、また霊界全体が一気に修正されることが無いだけにその力及ばないことからして陰で涙することもありました。

また耕栄さんも集まる者のその意識を感じ読み取れることがあるだけに、その集まる者のお粗末な意識に苛立つこともありましたし、その者たちの集合意識からして体調を崩すこともありました。
また人様の思い考える事が言葉となって耕栄さんに聞こえてくるときがあるようですが、そうなると知らなくて済むことが知ることになりますから、然るに余計なことに気をもむ事にもなります。

然るに羨ましい面があるけれども一方では気の毒にも思える面があります。
然るに人並み以上の特殊能力を持っていることでそれが良いときもあるが悪いこともあるのです。
然るに人並み以上を出していればそれ相当の苦と楽&喜怒哀楽が伴うのです。

然るに霊能者の場合でも耕栄さんの場合でも(内心では)それをやめたい時があったはずです。
何たって私がその両者を端で見ているだけで無理矛盾があるとして其処から離れたのですから、然るに特殊能力を持つ有能な人たちですから自らがその無理矛盾に気付いたはずです。

然るに矛盾があって無理をしているのにそれが心から納得できるはずは絶対にありません。
だから(私なら)(無理したくないから)自らの意思でもって(惜しげ無く)辞めると思います。

然るにこのブログが続くのは内心では面白くて楽しいからです。
然るに文書作成に矛盾からして悩みまた苛立つようならとっくにやめています。

然るにこのブログを読む人も(学び知り気付くことが)面白くて楽しいのではありませんか。
それが本来の精神世界だと確信しています。
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人間界でもってそのお役を果たして&罪を果たして死に至る仕組みがあります。

2013年12月25日 | Weblog
私の知りたがる&やりたがる性格個性からして様々な初物を先取り先駆けてきた中で未だに(運命共同体が如くに)続いていて、しかも一番有効に活用できて、然るに今も多いに役立っているのが「ワープロ」です。

そのワープロが発売された当初で(約20万円超)私ほどの年代の人ならば分厚い説明書が添付された複雑難解な電子機器に苦手意識が強く(食わず嫌いが強く)また初期だけに使い勝手が非常に悪く、しかも未だ世間一般的ではなくて当初は小規模自営業の私どもには無用の長物でしたから、然るに必要性の無い贅沢な遊び道具の感じでしたから、然るに使いこなしマスターする事無く無駄使いの飾り物で終わる可能性があったのです。

ところが「覚えるよりも慣れろ」からして毎晩遅くまで両手の二本指でキーボードを打ち込んでいました。
そこで役立ったのが無学な私でもローマ字の読み書きだけは何とか習得していたことです。
しかも変換された漢字は読めても(意味はイメージ的に理解できましたが)しかしその漢字を記憶して書くことが苦手でしたし、また書く文字の書き順はでたらめで蛇の寝床の如くにして曲がりくねりのへたくそでした。

しかしワープロなら何度でも書き直し修正削除や並べ替えや書き込み割り込みや丸ごとインサートしたりページ移動が簡単にできましたから、然るにワープロは私にとって好都合だったのです。

然るにワープロは神の手を持つ道具、神の使いが如くの神様仏様&様様になるのです。
だからその運命共同体のワープロからして今日の私があるといっても過言ではありません。

前置きが長くなりましたが、
生きて何とかしていればそれが成るようになって、いつしか自分の個性役割を果たす時が来て、それが納得の出来る生き方であればそれで十分です。

しかし一般的には(巷では)何の取りえも無くだらだらと生きていても、その一生の内に己のお役&神の愛を(無意識の内にでも)果たす時が必ずあります。

それがたったの一度きりでも(それがお役だから)(またそれに気付かなくても)それで十分なのです。
然るに基本原則から言えば人間界は学びあいですから生きて無駄は無いのです。

然るにそれが波風の立たない生き方や波乱万丈の生き方であっても、そのお役でもって国家社会や世間一般や家庭生活の流れが変わるその節目の時のその役割を果たす事になるのです。

然るにそこで皆して学び合うことになるのです。

然るに己が気付かなくても、その己のお役をきっちりと果たして人間を終える仕組みがあるのです。

それが過去の釈迦やイエスの類やまたモーゼー如きの(宗教家の)残虐非道の結果を残した者やまた戦争でもって原爆投下に係わったりまた自然破壊や放射能問題に係わったりする、その事故や事件や犯罪や極悪非道や戦争やの、その加害者も被害者も、また罪人や死刑囚でも、また非凡な人や凡人であってもです。

然るに人間界でもってそのお役を果たして&罪を果たして死に至るのです。

然るに宇宙&神&愛には「良い悪い」(善人悪人)はありません。

しかし人間界には善悪損得優劣があり、それを皆して味わいます。

然るに完全真理&精神世界を学び知り実践し気付くことが重要になるのです。
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