精神世界の中にも天国と地獄・飴とムチ・薬と毒の裏表の使い分けによって、それらを信じる人を束縛支配・虜にしたがる邪な意識の者がいます。
すなわち安心と不安を教えその人心を操り束縛支配する形です。
だから不幸があると信仰心の欠如や因縁や怨念の性にしたり善行の少ないことが原因のように思わせ、その不幸を救ってくれるのが我が神や教祖のように教えることで、その信者を思い通りに操ることから人集め金集めにしているのです。
私が仕組まれ精神世界・霊魂霊界を始めて知ったのが、世間に目立つことなく水面下で静かに霊魂の修正のお役を果たしている宇宙的愛の霊能者だったことで、それら信仰宗教組織団体や邪な霊能者の見極めから釈迦やイエスの過ちまで知ることになりましたので、今の完全真理も違和感無くスムーズに理解できました。
ところがもしも巷の不完全な人集め金集めの信仰宗教や邪な霊能者とご縁があれば初心者だけにそれに染まっていたかもしれません。
と言うことは世間的な信仰宗教や霊界を専門とする者たちと最初にご縁があった人であれば、完全な宇宙・神・愛を説く完全真理に馴染めずに違和感や否定反発しているかもしれません。
此れまでに幾多の信仰宗教に熱心な人とご縁がありましたが、何が原因からして信仰宗教に係わる事になったのか聞いたところ、身内に深刻な問題があったことからその人救いのため、またいろんな宗教を学び知っていたが此れまでと違った形に興味を持ったことからとか、生き甲斐探し、自分探し、神探しを書物で見つけたことからがありましたが、それらの人は能力・性格的にも羨ましいほどの人でしたが、やはり自分の思い思惑・欲が原因からして、その自分の思いに似合った都合の良い形を見つけたことから始まったようです。
だからあれこれと邪魔になるものを捨ててまでも熱心になれたわけです。
ところが問題なのは(何故かしら)盲信状態の一途さから(私は正しいとばかりに)他の宗教や真理に見向きもしません。
本来なら複雑怪奇な精神世界だけに(一筋縄では解決できないだけに)多くを学び知って実感しそれを積み重ね照らし合わせてながら本物に近づく道筋を歩んでいくほうが道を誤らないで済むと私は思います。
そして完全真理にたどり着けばすべてがつながり完結します。
また誰もが説いているように「欲」を捨てない限り本物に巡り合える事は絶対にありませんが、その欲を捨てることを説いている本人が知らない間に欲を持っことになっているのですから、何処もかしこもおかしな事になっているのです。
精神世界を説く者もその教えを聞く者も(人を集めたり人が集まりたがるのも)何らかの欲を持ったのに、その欲に気付いていません。
また特別な霊力・霊感・霊視を人知れず使うことなら問題は無いが、(金儲けでなくても)特別な形になる霊視を見世物・売り物にしているのも自分を目立たせる欲絡みになります。
すなわちこの世の人間であるかぎり何らかの欲・思惑期待を持っているだけにどうしようもないわけです。
だから薬にも毒にもならない、すなわち良くも悪くも無い、その裏表の矛盾の無い完全真理を学び知り、その欲から離れたような自己縮小の道筋を選んで、その無理も無駄も無いその自力と自信でもって穏やかに生きていくしかありません。
そして意識の進化の<時>を待つ事になります。
すなわち安心と不安を教えその人心を操り束縛支配する形です。
だから不幸があると信仰心の欠如や因縁や怨念の性にしたり善行の少ないことが原因のように思わせ、その不幸を救ってくれるのが我が神や教祖のように教えることで、その信者を思い通りに操ることから人集め金集めにしているのです。
私が仕組まれ精神世界・霊魂霊界を始めて知ったのが、世間に目立つことなく水面下で静かに霊魂の修正のお役を果たしている宇宙的愛の霊能者だったことで、それら信仰宗教組織団体や邪な霊能者の見極めから釈迦やイエスの過ちまで知ることになりましたので、今の完全真理も違和感無くスムーズに理解できました。
ところがもしも巷の不完全な人集め金集めの信仰宗教や邪な霊能者とご縁があれば初心者だけにそれに染まっていたかもしれません。
と言うことは世間的な信仰宗教や霊界を専門とする者たちと最初にご縁があった人であれば、完全な宇宙・神・愛を説く完全真理に馴染めずに違和感や否定反発しているかもしれません。
此れまでに幾多の信仰宗教に熱心な人とご縁がありましたが、何が原因からして信仰宗教に係わる事になったのか聞いたところ、身内に深刻な問題があったことからその人救いのため、またいろんな宗教を学び知っていたが此れまでと違った形に興味を持ったことからとか、生き甲斐探し、自分探し、神探しを書物で見つけたことからがありましたが、それらの人は能力・性格的にも羨ましいほどの人でしたが、やはり自分の思い思惑・欲が原因からして、その自分の思いに似合った都合の良い形を見つけたことから始まったようです。
だからあれこれと邪魔になるものを捨ててまでも熱心になれたわけです。
ところが問題なのは(何故かしら)盲信状態の一途さから(私は正しいとばかりに)他の宗教や真理に見向きもしません。
本来なら複雑怪奇な精神世界だけに(一筋縄では解決できないだけに)多くを学び知って実感しそれを積み重ね照らし合わせてながら本物に近づく道筋を歩んでいくほうが道を誤らないで済むと私は思います。
そして完全真理にたどり着けばすべてがつながり完結します。
また誰もが説いているように「欲」を捨てない限り本物に巡り合える事は絶対にありませんが、その欲を捨てることを説いている本人が知らない間に欲を持っことになっているのですから、何処もかしこもおかしな事になっているのです。
精神世界を説く者もその教えを聞く者も(人を集めたり人が集まりたがるのも)何らかの欲を持ったのに、その欲に気付いていません。
また特別な霊力・霊感・霊視を人知れず使うことなら問題は無いが、(金儲けでなくても)特別な形になる霊視を見世物・売り物にしているのも自分を目立たせる欲絡みになります。
すなわちこの世の人間であるかぎり何らかの欲・思惑期待を持っているだけにどうしようもないわけです。
だから薬にも毒にもならない、すなわち良くも悪くも無い、その裏表の矛盾の無い完全真理を学び知り、その欲から離れたような自己縮小の道筋を選んで、その無理も無駄も無いその自力と自信でもって穏やかに生きていくしかありません。
そして意識の進化の<時>を待つ事になります。