孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間としてこの世に生まれたからには…

2017年10月31日 | Weblog
人間としてこの世に生まれたからには…

ちなみに衣食住でもって・食って寝て糞をしながらにして生きて・今のこの世を味わえばいいのです。

そして学ぶとしたら…この世人間界が矛盾偽善に満ちていることを学び知り気付き納得確信に至ればいいのです。

然るに理想目的や主義主張や信念なんか不要です。
また世間で目立つ名誉名声などの肩書や権威権力や財力も必要ありません。

何たって良い悪い・善悪損得優劣でもって比較判断している矛盾意識を持っているからには・何を成しても同じ矛盾偽善の結果になるからです。

然るに薬が毒にもなり・毒が薬にもなる矛盾があります。
また天国を語るには地獄を語る必要があるようにです。
然るに善人天使を語るためには悪人サタンが登場するようにです。

また自己満足を欲しがるのは不平不満を持っているからです。
然るに不平不満がなければ自己満足する必要もなくなります。

また欲がなければ人が集まる必要もありません。
然るに欲があるから集まりたがるのです。

ちなみに私が古今東西の有名人をボロカスに書けるのもその矛盾偽善に気付いているからです。
然るに皆さんも同じようにこの世人間界が矛盾でもって動いていることを知り納得確信に至れば同じことが書けるし人様に話して聞かせることもできます。
そして誰も異論反論できません…事実だからです。

となれば…あなた方も矛盾偽善となる頑張り欲張り見え張ることから卒業しなければなりません。

ちなみに私も過去では世間に目立つために事を成していましたが、その生き様に違和感が出てきたことからして・摩訶不思議な奇跡ともいえる必然ご縁の仕組みに仕組まれ続けて・結果的には家族から離れた孤独の自由にしての過疎地暮らしになったのですが、そのお陰でこの世人間界が矛盾偽善に満ちていることに気付き納得確信となった次第です。

そして自らが自己満することから卒業したことからして喜怒哀楽の矛盾からも卒業し、そして心穏やかな精神安定でもって生きていることの価値を見出したのです。

またそれ故に…過去の結婚生活・夫婦関係やその家族関係の矛盾偽善にも気付き…孤独の自由にして生きている現在・その選択が間違いではなかったと確信に至ったのです。

然るに恋愛や結婚や家族関係は性欲を含めた欲絡みの執着なのです。
だから世間に目立ちたがるのも欲絡みの執着になるのです。
そしてその喜怒哀楽からして心身のストレスとなっているのです。

然るに天国と地獄を味わい、善人と悪人を味わい、自己満足と不平不満の喜怒哀楽を味わう、そんな矛盾偽善からして中途半端な・どっちつかずの・半人前しか味わえないでいるのです。

だから納得できずにして…その思いを残す人生で終わり…未練執着のまま死に至るのです。

しかも…数に限りがある有限の世界でもって…己が欲張った…そのしっぺ返しからして…心穏やかなる老後とはなりません。

だから人生の締めくくりとなる老後を心穏やかに過ごしたければ…欲張ることから卒業するしか他に道はありません。

ちなみに欲張ることから卒業すると…豊かな自然界の恵みでもって生きているだけで満足できるようになりますから…その自然界に元からしてなかった人為人工的な自己満足となる趣味嗜好娯楽などの変化刺激が必要なくなります。

そして自己満足することがなくなると裏の不平不満になることもありませんから、常に心穏やかな精神安定でもって過ごすことにもなります。

然るに…この世の矛盾偽善からも卒業することになります。

となれば…持って生まれた個人意識丸出しでもって正直に生きていることが間違いではなくなり・個人の自由にして自分のために生きていることが人間本来の生き方だと気づきます。

となれば…人様の動向に惑わされることもなくなるし、不完全な恋愛関係や夫婦関係や家族関係を気にすることもなくなり、その孤独の自由にして生きている価値を見出すことにもなります。

そして…自由なくして…平等や調和になることは絶対に無理だと気づきます。

そしてまた…欲張らないで生きることからして自由になれることにも気付きます。

然るに欲張って生きている人には自由平等は味わえません。
と言うことは…不自由・不平等を味わっていることになります。

然るに人間として生まれ・生きていることの真価価値を味わえずにして…喜怒哀楽のある中途半端な・思い残しのある・半人前の人間人生で終えます。

私たちを牛耳るピラミッド型国家社会を支え犠牲となっている・その矛盾があります。

2017年10月30日 | Weblog
宇宙・神・愛の仕組みからして・人間は生まれながらにして…自己中心に思い考え行動する・自分さえ良ければの個人意識を持っています。

だから俗にいう薄情なのが当たり前なのです。

ところがそれではダメだとして人情・愛情・温情を説き、その自己犠牲でもって人間関係を築き、その絆を深めることが正しい人間関係だとしいて偽善を説く偉人賢人聖者がいたから…それらの人より劣ると思い込んでいた世間一般的な人たちがいつの間にやらそれが正しいと思い込むことにもなり洗脳されたのです。

然るに個人意識はダメだ、悪だ、罪だとばかりに暗示され・思い込む・洗脳されることにもなったのです。

また人間は苦よりも楽にしていたい思いがありますから、何か事を成すことは正直言って面倒くさいのです。

しかしそれが自分のために必要となると…その自分のために頑張り努力し熱心に集中できます。

然るにそれが個人意識の成せる業なのです。

ところが…自分のためよりも人のために苦労するとなると…先ほど書いたように…面倒くさくなる・薄情になるのが本性にあります。

なのに…それではダメだとばかりに…世のため人のために尽くしなさいと教えられ洗脳されました。

と言うことは…人の上に立つ一握りの特別人間に牛耳られ操られ洗脳されていることになります。

然るに…特別人間に支配されて…奴隷が如くに操られ…その特別人間に都合がいい世の中・人間関係となっているのです。

なのに…その特別人間を祀り上げ憧れ敬ったりしているのが…牛耳られているはずの世間一般的な人たちであり、またその特別人間を真似たりしているのです。

然るに…ピラミッド型国家社会となっているのです。
そして世間一般的な人たちがピラミッドの土台や支えとなって・犠牲となっているのです。

しかしそれも…己が欲張っていることが原因なのです。

然るに…これではダメだの不満と何とかしなければの欲や見栄や執着からして…自らが選んだ結果なのです。

だから原因と結果は同じなのです。

然るに…欲張ることから卒業しない限りダメなのです。

だから…どうしようもなく・どうすることもできない・不完全で矛盾偽善がある人間意識のままにして・その苦楽のある喜怒哀楽の人生を歩み終わることにもなっているのです。

となると…欲張らずにして心穏やかな精神安定にして生きていくしかないのです。

人間として生まれてきた価値ある人生とは・・・

2017年10月29日 | Weblog
万人が万人・指紋が異なるように・生まれながらにして性格個性や感性が異なっています。

となれば思い考えや主義主張も異なるし生き様も異なってきます。

しかも良い悪い・善悪損得優劣でもって判断する矛盾意識をもって生きています。

そんな不完全な人間界で生きているからには人殺し戦争も絶えません。

そして勝てば官軍負ければ賊軍となる・その繰り返しでもって時代が変化し発展していますから…いつの時代も人殺し戦争は絶えません。

また良かれと思って成したことがいつの間にやら悪い結果にもなっている史実事実が数多くあります。

然るに…薬が毒にもなる…そんな矛盾のある人間界で生きているのです。

ちなみに…道を歩いていた子供がつまずきこけたときに…自力でもって立ち上がることもあれば・他力の手助けで立ち上がることにもなります。

そこで自力で立ち上がって何事もなかった如くに平然とする子供であれば一人前ですが、手助けされるまで泣く子となれば自力の不足した半人前になります。

ちなみにその半人前の自力不足の人を援助救済することからして反対に…自力でなんとか乗り越えて一人前になることから逃げて…他力依存になるかもしれません。

然るに良かれと思って手助けしたことが悪い方向性にもなるのです。

また援助救済したものが反体制活動やテロ活動となって人殺し戦争に加担するかもしれません。

何はともあれ…矛盾偽善ある人間が何を成せども同じ矛盾偽善の結果になるのが…この世人間関係なのです。

しかも欲張ることで人殺し戦争にもなっているし、また欲が叶わずにして不満となり、その不満が諸悪の根源となっている事実があります。

だから…数に限りがある有限の世界でもって生きているからには…欲張らずにして生きているほうが…結果的には…世のためにも人のためにもなるのです。

ゆえに…矛盾偽善となる人のためならずにして…自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって…必然ご縁があるときに限り…自分にできることを自力でもって・急ぎ慌て欲張らずにして・しっかりやりながら…素朴謙虚にして…己のためだけに生きていけばいいのです。

しかも特別人間の手先となって欲張っていても事が知れていますから、今からでも欲張らずにして精神安定にして生きていくほうが賢い選択になるのです。

またそれしか他に道がないのです。

何はともあれ…人それぞれの思い考え意識が異なるからには…自己中心の個人意識でもって独自独歩の自力で生きることが人間本来の正直な生き方になるのです。

なのに個人意識はダメだとばかりに善人ぶることからして・人を惑わし集め巻き込むことになり…それが結果的には人殺し戦争に加担していることにもなるのです。

然るに個人意識で独自独歩に生きていれば大ごとには至らないが、人が集まれば集まるほど大ごとになっていくのです。

ちなみに人が集まることは欲絡みなのです。

だから欲絡みにして恋愛し結婚し家族を持つことになれば…それは欲絡みの執着になるのです。

ゆえに欲からして集まらなければ…孤独の自由にして・己一人で生きていくことにもなるのです。

ところが孤独が孤独感になる人は…欲絡みにして他力依存的で自力自信の少ない…先ほど書いた半人前なのです。

だから人間本来の孤独にしてその自由を味わえば…それが自力にも自信にもなり…一人前の人間にもなれるのです。

ということからして…この世人間関係の矛盾偽善を味わって気付き省みることになり、その欲絡みの依存心や善人ぶる生き方から卒業して・一人前の人間になることが人間として生まれてきた価値ある人生となるのです。

信念・信頼・絆・愛情・恋愛・結婚・家族関係は…愛ならぬ…欲絡みの執着となります。

2017年10月28日 | Weblog
多くの人が愛と愛情をごちゃ混ぜにしています。
だから好きになった人を愛していると映画ドラマで言っていますが、それは好きになっただけで愛ではありません。

ちなみに愛はそのまま・このまま・あるがままの自然体であり、成り行き任せなところがあります。

然るに欲はありません。

ところが愛情は矛盾偽善のある思い感情ですから不確かでその裏が出ると憎悪に変わります。
だから映画ドラマでそのドロドロした愛憎劇が多く描かれています。

何はともあれ…愛情・恋愛・結婚・家族関係は…愛ならぬ…欲絡みであり、それが拘り執着となり、また未練を残すことにもなって、嘆き悲しんだり憎悪にも変わっています。

だから愛情・恋愛・結婚・家族生活でもって幸せになることは絶対にありませんし逆に憎悪が渦巻く悲惨な結果にもなっています。

また人間関係からして信じて頼る…信頼…を相当に美化していますが、それは自分に無理なことを他力に依存している自分勝手な欲望なのに、それが思うようにならなければ不平不満となり、またそれが憎しみとなったり、また裏切られたと嘆き悲しむことにもなっています。

またその信頼を人間関係の…絆…として同じく美化していますが、その絆からして束縛制限支配されたり、馬車馬の手綱なが如くに操られています。

何はともあれ…欲張っている人間関係の中で自由平等調和はありません。
然るに不自由で不平等で不幸せな結果となります。

なのに欲張り続けている矛盾があるのが…この世人間界の現実です。

然るに人間の肉体や感情体を酷使するも最も肝心な精神体を疎かにしている結果なのです。

だからこの世人間関係が矛盾偽善に満ちていることに気付かないで…欲張ることで幸せになれるとさえ思い違いしている人も多いことでしょう。

また巷の神仏霊魂の世界や信仰宗教やスピ家などを信頼して…幸せを呼び込もうとしている…他力本願的に欲張っている人も多いことでしょう。

何はともあれ…欲張っているから問題になるのですから…逆に欲張らなくなるとすべてが自然的に解決するのです。

だから学問知識や経験体験がなくても…何がなくても…欲張らなければ…精神安定にして…宇宙・神・愛の仕組み流れに沿うことになり…新たな生き方を見出すことにもなるのです。

過去性・前世・生まれ変わりと執着の関係

2017年10月27日 | Weblog
この世に人間として生まれてきたのは原因があっての結果です。
ちなみにその原因は俗にいう魂であり・永遠の命を持つ意識体であり宇宙生命体といわれるものです。

然るに人間を終えれば…その肉体から離れて…元の原因に返り戻ります。

そして過去の拘り未練執着からして…やり残したことがあるかの如くに…再び人間に生まれ変わっているようです。

だから誰しも過去性・前世を引き継いでいます。

それが証拠に…同じ両親から生まれても一人一人性格個性感性が異なっています。

ちなみに私は放任主義の両親から生まれた四人兄弟姉妹の末っ子ですが、四人とも性格個性感性が大きく異なっていますし、その生き様もそれぞれに違っています。

ところでご縁があった霊能者から…私の過去性・前世の一つが…学問の神様と言われている菅原道真(すがわら の みちざね)かもしれないと言われました。

ちなみに親の放任からして家の中で学問に精出すことはなく…山や川や海で過ごす時間が多く…また何でも知りたがる・やりたがる・好奇心旺盛からして新たなことを数多くやってきたことが…新たな学問…となって現在に活かされています。

ちなみに過去性・前世からして様々なことに取り組みそれを成してきたし現世でも目新しいことを次々と乗り換えながらやってきましたが、その最後となったビデオ撮影制作が頂点に達したときに…やり遂げた感覚になるも…しかしこれまでの人間関係にも違和感があったことからして…このままに続けていくことの良し悪しにふと気づき…これまで様々なことをやり遂げてきたのだから終わりにして…また別な生き方があるのではと思っている矢先に…娘夫婦が目指していた田舎暮らしのお鉢が私に回ってきたのが原因からして…現在があります。

その過疎地暮らしとそのブログの書き込みが長く続くうちに…現在では「欲張っちゃダメよ」の生き様とそのブログになりました。
だから逆は真なりが如くの…新たな学問…を掲示していることになります。

何はともあれ…欲張らない生き様からして来世でもってまた新たな生き様を見出しその実践となることでしょう…

然るに皆さんも過去性・前世からして現在となっているはずです。
だから拘り未練執着を持ったままに人生を終われば、その思いを持ったままに来世に引き継がれていき、また同じ思いの繰り返しを続けることにもなるのです。
ちなみにそれが文化芸術や武芸スポーツや歌手やタレントであっても、また趣味嗜好娯楽の類であっても、神仏霊魂や宗教の類であっても、それらを引き継ぎやり遂げようと繰り返すことになるかもしれません。

然るに欲張り続けている限り来世でも欲張り続けて・その形が少し違えども・同じような生き様になるはずです。

だから結果が進化して変われども…その原因となる心意識精神は停滞したまま同じ繰り返しが続きます。

皆さんは…なんで人間に…生まれてきたと思いますか!?

2017年10月26日 | Weblog
皆さんは…なんで人間に…生まれてきたと思いますか!?

豊かな衣食住を味わうためですか…
そして変化刺激に富んだ趣味嗜好娯楽を味わうためですか…
また恋愛し結婚し家族を持ちまた本能である性欲を満たすためでしょうか…
また理想目的を持ち何か事を成して世間に目立つためでしょうか…
また神仏霊魂の世界を信じる信者になったり宗教が言う精神世界に従って生きていくためでしょうか…
また不確かな世界を究明したかのように見せかけて惑わすためでしょうか…

ところがこれらのことは誰もが公平にして成せることではありません。
然るに特別な差がある特別人間になるのです。

そして何よりも問題なのは…生まれながらにして良い悪いで判断し善悪損得優劣でもって生きている矛盾意識を持っていることです。

と言うことは何を成しても同じ不完全で矛盾がある結果となることです。

然るに…薬にもなるが毒にもなる…そんな矛盾と偽善のある世の中で生きているのです。

となれば…何事も自己満足と不平不満の矛盾の喜怒哀楽となっています。

しかも…不平不満からしてそれが人殺し戦争にもなっているのです。

然るに…不平不満が諸悪の根源となっているのです。

その不平不満となる原因が…表裏一体の矛盾にあり…
然るに自己満足したい思いが反対の不平不満と変わるのです。
すなわち満足したい思いがかなわなければそれが不満に変わるのが人間なのです。

だから常に…これではダメだの「不満」と何とかしなければの「欲」からして…この世が動いています。
また特別が好きな特別人間ほど不満も欲も多いはずです。

また先ほど書いたように…矛盾偽善の世界で何を成しても…薬が毒にもなることからして…便利な機械や道具が人殺しや戦争に役立っている事実があります。

となれば…満足であれ不満であれ…それが諸悪の根源・極悪人の人殺し戦争の所業加担につながっているのです。

然るに…喜怒哀楽で生きることがストレスとなるばかりか諸悪の根源・極悪人の人殺し戦争の所業加担につながっているその事実を知らなければ…自然界の崩壊や人間界の崩壊にもつながっていくのです。

と言うことからして…この世の矛盾の中で生きて…その矛盾を大いに味わい…その矛盾でもって生きていることを省みて…どうしようもない・どうにもならない・中途半端な矛盾の生き様から卒業することが…私たち人間に課せられた役割使命となるのです。

…何度も同じ似たようなことを書いているのも…
読むだけで心に届いていない人に向けた○○からのメッセージとなります。

欲張る者が天使が如くに振舞っていてもサタンが如くの所業になります。

2017年10月25日 | Weblog
多くの人が自己満足となる変化刺激や快感快楽でもって生きています。

その自己満足で生きるためには欲張らなければなりません。

ちなみに娯楽とかファッションとかレシピとか追及するのも変化刺激を求めて自己満足したがっているからです。

しかも…それがキリもなく続くのも…当然なのです。

だから一例をあげると…過去のインベーターゲームではもはや満足できなくなっています。

だから自己満足することから卒業しない限り…麻薬が如くに…ドツボにはまって抜け出せなくなり…結果的には自己破壊にいたり人間性を失うことにもなります。

となれば…欲求不満からして…人間性喪失の自己破壊と自然破壊と連動しているのですが…そのことに気付いていないことでしょう…

何はともあれ…私が欲張らない実践からして気付いたのですが…
数に限りがある有限の世界でもって私が欲張らなければ…私の取り分が…私より贅沢にしている人に行き渡ることはごく少なくて…私より貧している人に多くが行き渡ることです。

だから多くの人が欲張らなくなれば…それより貧している人に多くが行き渡ります。

そして次第に貧富の差が縮小されてバランスがよくなっていきます。

なのに欲張れば…貧する人をさらに地獄が如くに落とし込むことになります。

だから欲張る者が天使が如くに振舞っていてもサタンが如くの所業になります。

しかしその事実に気付く人はごく少ないことでしょう…
それどころか…己が欲張ているのに…それが思うようにいかなければ…その己が地獄が如くにいるとさえ錯覚勘違いしている人も多いことでしょう…

ところが欲張らなくなれば精神安定にして生きていけますから…豊かな自然界の中で衣食住に満ちた暮らしができることは…生きながらにして地上の天国を味わっていることになるのです。

となれば…己がサタンが如くの所業で生きているのとは大違いになります。

何はともあれ…食って寝て糞をしながらにして生きていることは…誰もが公平にして同じです。

ただ人それぞれの意識の在り方・精神が異なっているだけです。

そして欲張るか否かの選択でもって己の人生が決まっているのです。

だから御身が大切ならば欲張らなければ大丈夫です。

このブログは…宇宙からのメッセージ…神からの啓示ともなります。

2017年10月24日 | Weblog
このブログの書き始めから現在まで読み続けている人はいないと思います…が、その書き始めからして次第に進化していることに気づいているでしようか…

ちなみに自惚れ慢心・誇張拡大して言えば…書きながらにしてふと気づく・閃きインスピレーションからして次第に進化している…俗にいう宇宙からのメッセージとか神からの掲示ともいえるものです。

然るに…このブログを書き始める以前からして…摩訶不思議の世界・異次元の世界・見えない世界の諸々、また愛の霊能者が言う神仏霊魂の世界や良い悪いで判断しない完全真理の精神世界に関わることになった…
しかも私が探し求め欲したわけでもないのに…何故か向こうから必然でやって来るという…その奇跡ともいえるご縁の仕組み…宇宙・神・愛の仕組みの連続からして…しかも寄り道することなく一本道が如くに仕組まれ続けています。
ちなみにその経緯を何度か詳しく書いてきましたので今回は省略します。

その仕組まれ続ける根底にあるのが…欲張らずにして・成り行きに任せてきた…
愛意識の道筋と言われる…あるがまま・自然体と言われる…
探し求め期待しない・理想目的願望でもなく…自然体となる成り行きに任せる生き様からして仕組まれ続けたのです。

そんな仕組みの中にあった…宇宙エネルギーの先生・愛の霊能者・完全真理の耕栄さんと縁が切れたのも…それら先生方に人気が出てくるほどに欲目に走ったことからして…私にはそれが違和感となり…それら先生方から離れていったのです。

そしてそれら先生方が言われていた内容の中から…良いとこ取りして…ブログを書いていたのが当初です。

そして過疎地での孤独の自由からして独自独歩に歩むことになり、また暇からして自問自答することが多くなり、また自己満足しなくなるほどに変化刺激を求めなくなり、その心静かに暮らしていると次から次と閃きが如くにふと気づき続けそれがこのブログの内容となっています。
…また時代の先取りをして絶好調だった盛りに…ふと気づき…そのビデオ撮影制作業を自主廃業したことからして…しかもご縁が仕組まれ続けて過疎地暮らしに至り現在があることを付け加えます。

そして現在では…過去の宇宙エネルギーや霊魂の世界や完全真理のことよりも…ただひとつ…欲張らない…然るに欲が出ても執着しない…の一点張りとなっています。
然るに特別な精神世界を卒業したのです。

然るに何かと欲張らずにして成り行きに任せてきたその生き様からして…私が自ら導き出した実践真理とも言えます。

と偉そうに書くも…昔から言われていた「欲張っちゃダメよ」の一言なのです。

しかも…数に限りがある有限の世界だから…しごく当たり前のことなのです。
また…東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できることからして言えば…
欲が出ても執着せずにして…欲張らない実践しか他に道はないのです。

しかし誰も皆が欲張っているこの世人間界だけに…孤独の自由の独自独歩からして・自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって・自分一人でもってしっかり実践するしかなさそうです。

孤独の寂しさからして孤独感になるのも…誰もが公平にして個人意識が仕組まれているからです。

2017年10月23日 | Weblog
人間は生まれながらにして孤独です。
だから死ぬ時も己一人の孤独にして死に至ります。

また自己中心の個人意識を持っているだけに他の人とは絶対的に調和できません。
だから孤独にして寂しがる孤独感にもなっています。

その孤独感からして人と集まりたがるところがあります。
また寂しさからして人為人工的な諸々と接し触れ合うことで一時的に癒されたり孤独感を忘れていたがるようですが、
しかし原因は己の精神にありますから根本的な解決に至らずにして…何度も麻薬が如くに繰り返されます。

また寂しさからして人が集まれば・当然ながら比較競争して差をつけ合ったり、また己の欲を満たすために同じ欲をもつ者同士が一緒に集まることにもなります。

となれば…同じ欲を持つ者同士が集まった組織団体とこれまた他の組織団体と比較競争し争うことにもなります。

と言うことからして勢力争いにもなっていますし、それが抗争や一揆や乱や維新革命や戦争にもなっています。

ゆえに…好き合った者同士が恋愛結婚するも…互いの性格・個性・感性・波長が合わなくて…何かと問題が起こるのも当然のことなのです。

だから性格の不一致からして離婚になるのも当たり前となります。
と言うことは…互いを束縛制限することになる婚姻制度の過ちでもあるのです。

…ちなみにそのきっかけとなるのが…自由なセックス・フリーセックスをいさめるモーセの十戒にあります。

また離婚に至らなくて・その家族関係が続く中にも不平不満な出てきて、それが夫婦喧嘩・親子喧嘩・子供同士の喧嘩にもなって心を乱しています。

然るに…人が集まる中には…欲があっても…自由平等平和の調和はないのです。

ところが人それぞれが孤独のままに生きていれば…他の人と比較競争することもありません。
だからその孤独の自由にして思うがままに生きていけます。

またその孤独だけに己が生きていくための自力を高めることになります。
またその自力とその自信からして他力に依存することもなくなります。

となれば不確かなことを信じたり期待し、また願い祈ることにもなりません。
然るに…信じるか否かから卒業できます。

そして…己一人の孤独の自由意識と比較競争しない平等意識でもって…己一人が心静かになる精神安定の平和意識でもって生きていくことになります。

ゆえに…己一人の個人意識でもって・己一人が地上の天国が如くの生き様を味わいながら生きていくことになります。

然るにそれも…宇宙・神・愛の仕組みに素直に従い…その持って生まれた個人意識のままの孤独の自由にして…真面目に正直にして生きてきたその結果なのです。

ちなみに己の個人意識に従わずにして…世間に良い子ぶって目立つことは偽善でもって生きていることになるのです。
然るにこの世人間界が矛盾偽善に満ちているのです。

となれば…俗にいう神に従わずにして…その愚かな偽善丸出しでもって・苦と楽のある中途半端でもって・己の心精神を乱しながら・そのストレスを抱えながらに生きていることになります。

然るに持って生まれた個人意識でもって正直に生きていくのか、
その自分さえ良ければの個人意識を隠した偽善でもって生きていくのか、
その選択で己の生き様人生が決まります。

世間一般的な暮らしの中で欲張ることは極悪人の所業になります。

2017年10月22日 | Weblog
数に限りがある有限の世界で欲張って生きている人は自然界を汚染し破壊している方向性に進んでいることになり、また世間に目立ちまた聖人君子が如くに思われている人であっても、その欲張って生きている限り人殺し戦争となる方向性に進んでいる極悪人に当たります。

そして世間の片隅で静かに暮らしているニートやホームレスの人、
世間に馴染めないで引きこもり学校に行かず就職もせずに結婚もせずに車を持たずにして暮らしている人、
また性格個性からして頑固で偏屈で世間から後ろ指をさされているような人であっても、
また肉体的なことや精神的なことや能力的なことからして独り立ちできないで世間の厄介になっている人であっても、
その生き様からして欲張っていなければ…宇宙・神・愛の仕組みの自然界から見れば善なる生き方に当たります。

然るに人類万物を創造しはぐくみ育てている自然界から見れば…欲張ってる人は悪人となりますが、欲張っていなければ善人となるのです。

すなわち欲張ることからして自然界をダメにし・また人殺し戦争となるが、
どんな生き様であれ…欲張らなければ大したことにならずにして平穏な生活となり結果的には世のため人のためになっているのです。

だから数に限りがある有限の世界で欲張ることには無理があるが…
ところが欲張らずに生きることは東西南北の老若男女の誰もが公平にして無理なくできることなのです。

それなのに欲張ることは…いかにも極悪人の所業となるのです。

だから欲張ることから卒業しない限り自由平等平和の調和の世界には絶対になりません。

然るに何度も書いていることですが…小さな原因からして次第に事が大きくなっているのがこの世なのです。
だから事が大きくならないうちの小さなうちに止まることが必要なのです。

だから…欲張っちゃダメ…なのです。