耕栄さんの完全真理を知る以前は・・・誰もが「私は正しい」と自己主張する正義感を持っており、その正義がぶつかり合って醜い争い戦争になっている事実(正義の矛盾)に気付いた程度でした。
その正義感の出所が「良い悪い・善悪優劣損得」で分離判断する個人意識にあることを知り、その矛盾も妥協も無い完全を知ったのが山田耕栄さんの講演会録音テープからでした。
良い悪いで分離判断しなければ「不平不満」が無くなります。
人を責めることも自分を責めることもありません。
家庭や職場・社会から不平不満が消えます。
不平不満が無ければ争いや戦争になりません。
あれこれと書かなくても・・・万事が解決できます。
思考分析、議論する必要もありません。
実践すれば確かに不平不満がなくなるのだから、誰にでもわかることです。
でも人様に求めることではありません、先ずは自分が実践する価値あるものです。
すなわち実践の真理なのです。
言うだけ、聞くだけ、奇蹟を見せる、神仏に祈願する、そんな教えではありません
私が持った不平不満は誰の性でもありません、不平不満に思った私の意識に原因があるのです・・・私の意識に元々の原因があって、その原因から不平不満という結果が出ているのです。 すべて私自身の意識が原因だったのです。
そして私が不平不満を持たなければ平然としておれたのに・・・その不平不満を持ったために私の心が乱れ、そのことに執着すると更に心の奥に抱え込みいつまでも長く引きずることにもなります(執念)。 (確かに相手が悪いはずなのに・・・何で)私を悩み苦しませる結果になるの、何か割に合わない話ですね ・・・その割に合わない損をしたから、その損を取り戻したいという思いが今度は仕返し復讐・報復・破壊となり、暴力虐待、争いや戦闘・テロや戦争へとエスカレートしていくことにもなります。
そして・・・こうなったのもあいつが悪いからだ ・・・私は正しい、私は正しいことをしていると、正義の権利・行使をして相手を責め・攻めます。
例え小さな原因であっても、その原因があれば結果はいつまでも出続けます(原因を無くさない限り)。 そして先程のように執着するほどにどんどんエスカレートしていきます。
だから不平不満にならない「心の安定」があってこそ生活の安定安心になります。
貧乏であっても心穏やかで安心安定していれば、たとえ食って寝て糞をするだけのような生活でも安定した生活、生きる命の喜び感謝になるのです。
生活の安定安心がないから不平不満になるのではなくて・・・自分の「心」に安定安心が無いから不平不満になっているのです・・・誰もが勘違いしやすいところで重要です。
だから先に生活の安定を求め続けている限り心の安定は得られません・・・心が先か!形が先か?で大違いの結果が出てきます。
それを教えてくれているのが良い悪いを持たないという完全真理です。
机上の理論・討論ではありません、平凡な日常の実践で自己縮小していくのです。
その完全を一度知ればもう後戻りはしません(出来ません)・・・(何故なら)その他のことは不完全で非実在だと知るからです・・・この世のあらゆる不完全・非実在はぜんぜん面白くも楽しくも無くなり、意気込み魅力に欠けている事を知るからです。
そして誰もが皆未熟だから(差は無いから)ただ実践を続けるしかありません。
その正義感の出所が「良い悪い・善悪優劣損得」で分離判断する個人意識にあることを知り、その矛盾も妥協も無い完全を知ったのが山田耕栄さんの講演会録音テープからでした。
良い悪いで分離判断しなければ「不平不満」が無くなります。
人を責めることも自分を責めることもありません。
家庭や職場・社会から不平不満が消えます。
不平不満が無ければ争いや戦争になりません。
あれこれと書かなくても・・・万事が解決できます。
思考分析、議論する必要もありません。
実践すれば確かに不平不満がなくなるのだから、誰にでもわかることです。
でも人様に求めることではありません、先ずは自分が実践する価値あるものです。
すなわち実践の真理なのです。
言うだけ、聞くだけ、奇蹟を見せる、神仏に祈願する、そんな教えではありません
私が持った不平不満は誰の性でもありません、不平不満に思った私の意識に原因があるのです・・・私の意識に元々の原因があって、その原因から不平不満という結果が出ているのです。 すべて私自身の意識が原因だったのです。
そして私が不平不満を持たなければ平然としておれたのに・・・その不平不満を持ったために私の心が乱れ、そのことに執着すると更に心の奥に抱え込みいつまでも長く引きずることにもなります(執念)。 (確かに相手が悪いはずなのに・・・何で)私を悩み苦しませる結果になるの、何か割に合わない話ですね ・・・その割に合わない損をしたから、その損を取り戻したいという思いが今度は仕返し復讐・報復・破壊となり、暴力虐待、争いや戦闘・テロや戦争へとエスカレートしていくことにもなります。
そして・・・こうなったのもあいつが悪いからだ ・・・私は正しい、私は正しいことをしていると、正義の権利・行使をして相手を責め・攻めます。
例え小さな原因であっても、その原因があれば結果はいつまでも出続けます(原因を無くさない限り)。 そして先程のように執着するほどにどんどんエスカレートしていきます。
だから不平不満にならない「心の安定」があってこそ生活の安定安心になります。
貧乏であっても心穏やかで安心安定していれば、たとえ食って寝て糞をするだけのような生活でも安定した生活、生きる命の喜び感謝になるのです。
生活の安定安心がないから不平不満になるのではなくて・・・自分の「心」に安定安心が無いから不平不満になっているのです・・・誰もが勘違いしやすいところで重要です。
だから先に生活の安定を求め続けている限り心の安定は得られません・・・心が先か!形が先か?で大違いの結果が出てきます。
それを教えてくれているのが良い悪いを持たないという完全真理です。
机上の理論・討論ではありません、平凡な日常の実践で自己縮小していくのです。
その完全を一度知ればもう後戻りはしません(出来ません)・・・(何故なら)その他のことは不完全で非実在だと知るからです・・・この世のあらゆる不完全・非実在はぜんぜん面白くも楽しくも無くなり、意気込み魅力に欠けている事を知るからです。
そして誰もが皆未熟だから(差は無いから)ただ実践を続けるしかありません。