孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

黙示録&マヤの暦の2012年問題等は精神世界に係わる者にたいする嘘も方便になります。

2013年05月24日 | Weblog
マヤの暦が原因からして2012年問題が取り沙汰されていましたが、その2012年問題が起こるとして耕栄さんもまた過去にご縁があった超霊能者も明言していました。

しかし私はそれを信じるか否か(事実か否か)ではなくして、その精神世界で言われていることのその実践のための嘘も方便かもしれないとブログに書いた覚えがあります。
すなわちなかなか実践できないでいる人たちに急を要するような目的意識を持たせてその実践を促すための方便だったわけです。

とにかく実践行動できそうも無いことを実践行動させるには何らかの思惑期待&目的理想がなければ人は動かないのです。
それゆえに特別な神仏霊魂や神懸り奇跡の超能力や霊力霊感に(その期待感からして)魅せられやすいのです。

しかし2012年問題にしろ黙示録的な予言にしろ、宇宙・地球・自然界が変化進化拡大しているのは事実からして、いつの日か「その時」が来るのは間違いありません。
それが水の中の生物が陸上に上がって進化したことやそれら小動物が次第に巨大化し恐竜時代になり死滅したように、また過古の巨大都市が沈没したり廃墟となったように、その始まり終わる繰り返しが事実にあります。

ただ「その時」がいつなのかは成り行きからしての必然ご縁の自然発生的に起こることですから、(仮の例えにして)全知全能の創造主&神様と言えども確かな予測はできないはずです。


その目的意識が無ければ動かないことからして思惑期待&理想目的を持たせるその教えの言葉が美化されたようです。
ところが目的意識でもって始めたことは不完全なだけに裏表のその苦楽を味わいます。

ところが成り行きの必然のご縁であれば(不完全意識同士であっても)自分に出来ることをご縁ある人から必然にして求められたわけですから気分よく楽しく出来るし、受ける側もそれで難義が助かるわけですから、共に喜楽が有っても哀苦は(概ね)ありません。

だから美化された言葉(理想目的)に添うことに酔いしれていると自己拡大&苦楽からは抜け出せません。

しかし呑気気楽にしての(余裕からしての&成り行きの)必然のご縁であれば(暇で退屈からして)喜んで楽しく接することができます。

とは言っても時として我がまま・エゴ丸出しの人とご縁があるときもありますが、その時は必然性に欠けることからして無駄に動かずに簡単な解決の糸口アドバイスで止まります。
それが相手に気に入られなければそのご縁も遠ざかりますが、そのほうが面倒に巻き込まれないから、私には都合がいいことにもなります。

ちなみに理想目的をもって目指すほうがカッコいいしその思い思惑が叶うことを目標にしていますからわりと意気込み実践実行しやすいが、
ところがその思い思惑&理想目的期待の無いままに自然の成り行き任せにするには当然ながらその必然ご縁が仕組まれるその時まで待ち続けている状態になりますから、そのままにして穏やかに待てるその自信と自力が必要ですし、また見栄や世間体(カッコつけ)プライドも捨てなければなりませんから大方の人は無理でしょう。

だから自分を捨てるくらいの度量&精神力実践力が無ければ簡単そうで簡単ではありません。だから何らかの有事がきっかけから始まる人が多いでしょう。

ちなみに内面の精神に関しては単なる思い付きで事が始まることはありません、何たって自分の中に無かったことを新たにはじめるわけですから、清水の舞台から飛び降りるくらいの精神力&実践力が必要になります。
ちなみに私の場合は元から(過去世から)して備わっていたようです。

何はともあれ先ずは気を楽にして心身ともに楽に生きることからして(その自力自信からして)次第に成り行き任せにできるようになっていくと思います。
ただ成り行き任せ&自然体にする必要性がないと思う人には釈迦に説法になります。