孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自問自答することが無くなるごとに己の精神世界(意識&命)を手放したも同然になります。

2013年05月06日 | Weblog
自らの精神に問い掛ける自問自答が己の精神世界です。
ちなみに肉体の反応からして自問自答することは出来ません。
同じく感情を出したり引っ込めたりして自問自答することは出来ません。
だから自らの精神に自らが問い掛けてその答えを探るしかありません。

巷には神仏霊魂の精神世界を説く宗教真理がありますし、また神懸り超能力者や霊能者が説く形もあり、またそれらが書物となっていますし便利なネットでも色々と学び知ることが出来ます。

しかしそれらの形からして学び知ったことは知識であり人様からの借り物でもありますから、それらの見聞と自前の体験経験を引き出し照らし合わせて自問自答することで納得理解自覚悟りにもなりますが、先に他力が絡んでいるだけにそれもまだ借り物になります。

だから学び知ったことを実践してそれを実際に味わなければ自分のもの&本物にはなりません。
だからこのブログを読んで理解納得確信悟りになっていても、その実践からして味わっていなければ確かな本物にはなっていません。

ちなみに無理も執着も無く自然体で暮らしている事実があって、後日その自然体を説く教えからして(自問自答して)自覚納得確信悟りに到ったのであれば、既に自然体が自分のもの&本物になっていたことになります。

だから自分の個性役割を無理なく果たしている人は自分に出来ることを当たり前が如くに成しているわけですから、巷で言われているその精神世界を知らないままに居ても既に実践でもって成しているのですから、その人にとって精神世界は必要なかったことになります。

ところが(宗教真理を含めた)巷では無理することを良しとしています。
だから食って寝て糞をしながら自分に無理なく出来ることをしているだけではダメだとして様々な言葉で自己拡大を勧めています。

ところがその自己拡大に疲れて精神を病む人が増えるばかりです。
そこで巷に様々な精神世界を語る類が増えることにもなりました。
しかも人集め金集め&勢力拡大のために語る輩が尚更に世間に注目されるという矛盾まであります。

その精神を病むその原因が自らの意識にあることを巷の宗教真理が教えてもいるが、しかしそれを自覚し悟るにも自らの実践が必要になります。
ところがその実践よりも神仏祈願や神懸り超能力者や霊能者を信じてそれに頼るという(信仰心)信者が増えました。

そうなると尚更に自問自答することが少なくなります。
すなわち己の精神世界(意識&命)を人任せにして手放したも同然になります。
だから邪な輩が説く精神世界に引っかかって抜け出せなくなるのです。

だから他力依存よりも自力(個性&自らの意識)で生きることが必要だと(自らの見聞と体験経験からして)実感でもって書いているのです。

またそのためにも自他共に(個性を出し合える)自由が必要なのです。
だから否定反発&束縛制限のない自由な人間関係が必要なのです。

とは言っても現在では無理なことですからして、
せめても己が自由にして、無理執着の無い楽チンでもって、自らの自力&個性(意識&精神力)を高めていくしかありません。

そのためにも人体を酷使したり感情でもって成す事無く、ゆえに無理無駄余計なことで慌てず騒がずに、己の中の精神(自問自答)でもって気付きながらの静かにして楽に生きるほうが省エネになって楽チンではないのと書いているのです。

ちなみに私の過去と同様にして急ぎ慌しく往来している人を横目で「ご苦労さん」と見ながらも、その私自身は(貧乏なのに)何するでもなく呑気に暮らしまた日中からして温泉三昧の生活に親しんでいます。
だからそんな私が過去の生き様に戻ることはありません。