4月15日の新聞にユニセフの広告が掲載されておりました。「ユニセフ遺産寄付プログラム」なるもののPRです
今日の写真はこの広告を撮ったものです。GGIと同じ年代の方は、どうかクリックして、しかとご覧くださいませ
この広告に付されている写真は目にして、GGIはおもわず昭和20年代のわが小学校時代の思い出してしまいました。まるでわが身を目にしているような気がいたしました
そうです、あのころは日本人はみんなビンボーだったのです、質素そのものの暮らしをしていたのです
広告には次のようなコピーが書かれています
《脱脂粉乳がうれしかった時代のことを娘に話してみようか》
そうですね、なつかしき《脱脂粉乳》であります。そういうモノがありましたね。しかしながら、なつかしく思い出したというよりは忘れたくても忘れようがない《脱脂粉乳》なのであります。
広告には以下のような説明文が付されております
《戦後の食糧難時代、わたしが通う小学校に届いたのは、ユニセフからの「脱脂粉乳」だった。決して美味しいものではなかったが、ありがたかった。あれから半世紀以上、「ユニセフ遺産寄付プログラム」を知った。栄養不良や病気に苦しむ世界の子供たちの力になれるのなら、わたしの遺産の一部を贈ってみたい》
あの脱脂粉乳がユニセフからのものだったとは、この広告を見るまでGGIは知りませんでした。米国からの援助物資であると思い込んでいたのです。
あの脱脂粉乳、ほんとうに「決して美味しいものではなかった」どころか、はっきり言いますと、極めてまずかった、ことにアルマイトのお椀に入った冷えた脱脂粉乳は最悪でありました。そのまずさに「ありがたかった」気持ちなんかを軽く吹き飛ばしてしまうぐらいのものでありました。
しかし脱脂粉乳以上にまずいものがありました。カイニンソウと呼ばれる茶色の液体です、回虫駆除のための薬です。何とも言えない吐き気を催すような味とにおい、学校ではときおりこれを飲まされました。回虫がお腹のなかにいる子が珍しくはなかったのです。「笑うカイチュウ」という著作もある回虫研究の大家である藤田 紘一郎氏が泣いて喜びそうな時代であったのです。
髪の毛にシラミがいたり、そのためDDTを頭に散布されたり、青洟を垂らしていたり、冬になると霜焼けで手が痛くてたまらない、などの子どもたちが珍しくない時代でありました
とりわけ食の貧しき時代に育ちましたのでGGIはあまり食べ物に関する趣味はありませぬ。食べ物についてとやかくいうことは不謹慎であるとうのが、あの時代に育ったGGIの堅き信念であります。ですから、食べ物についてグダグダ薀蓄をかたむけたりすることも、あれは美味い、これは不味いなどと不遜なことを口にすることも滅多にいたしませぬ。そんなことを言えるような身分ではないからであります
また食についての特別な趣味もありませぬ、苦手なものはありますが、何でも美味い不味いなんか言わずに食べる主義です。それに外で食事しましても、食べ残すなどという怖ろしいことは滅多にいたしませぬ。食べ残したりする人を目にしますとGGIはまことに不愉快になります。食べ物を捨てるというような神を畏れぬ行為も滅多にいたしませぬ。どうしても捨てざるを得ないときは、野良ネコ殿に、無事を祈りつつ、差し上げることにしております
したがいまして、ちかごろ流行のグルメ趣味など、貧しかった時代のことを考えますと天に唾するような飛んでもない話であります。ですから、あの店のあれが美味い、あれは不味いなどとエラソーなことを言う同年代に育った人間に遭遇しますと、GGIは思わずムシズ(虫唾)が走ります。
「おまえなあ、そんなエラソーなこと言える身分やないやろ!」
かようなしだいでGGIの食生活はまことに平凡なものであります。しかしながら、今年からは食生活が若干変化が生じるかももしれません。と申しますのは、先日の日記にも書きましたが、某知人が我がガーデンの一角で野菜などを耕作することになったからです。でも問題がないわけではありませぬ
昨日もGGIが目覚めましたころには、この知人がセッセと畑仕事に勤しんでおりました。
「おはよう、早くからご精が出ますねぇ」
「おはようと言ってもGGIさん、もうこんにちわの時間ですよ」
「そやなあ・・・ところで何を植えるつもりなのですか?」
「まあ、手始めにトマトとかキューリとかですね。できたらGGIさんにもさしあげますよ、できたてのトマトを食べたら、スーパーで売っているのなんかまずくて食べられなくなりますよ、キュウリは次から次に大きいのがなりますよ」
「キューリーにトマトかあ・・・オレ、あんまり・・・ちょっぴりでいいですよ、いただくのは・・・野菜はあんまりなあ・・・」
「GGIさん、野菜は嫌いですか?」
「そやなあ、嫌いというほどではないけと、好きというほどでも・・・」
「そうですか、じゃあ、GGIさんはいったい何がお好きなのですか」
「そやなあ、好きなものと言われてもなあ、とくにはなあ・・・」
「じゃあ、肉はどうですか、好きですか嫌いですか」
「そやなあ、嫌いということはないけど、特に好きというほどでも・・・」
「上等のステーキなんかは?」
「あえて否定はいたしませんが、ステーキがあっても苦しゅうない、ステーキでなくも結構というか・・・」
「じゃあ、魚はどうですか」
「そやなあ・・・嫌いではないけど、とりわけ好きというほどでも・・・でもチリメンジャコはすきかなあ、というか毎日世話になってるしなあ。でもなあ、どうやら最近《チリメンジャコ・カルテル》のようなものが存在しているようや、独禁法違反の疑い濃厚、公取はなにをしてるんや・・・・」
「チリメンジャコなんて魚にうちに入りませんよ、それよりもおいしいサシミや寿司なんかは?」
「そやなあ、あえて否定はいたしませぬ、あっても苦しゅうない、なくても結構というか・・・」
「じゃあ、エビやカニなんかは?」
「そやなあ、オレ、実は甲殻類は嫌いではないけど・・・苦手というか・・・あの甲殻なるものがジャマでなあ・・・」あれは人類の敵や・・・」
「じゃあ、果物や果実は・・・」
「そやなあ、特に嫌いということはないけど、ないと困るというほどでもないしなあ・・・」
「このガーデン、柿の木や無花果があるじゃないですか、GGIさんは食べないのですか?」
「そう言えば、旧八重葎庵時代には大きな実が毎年どっさりなる梅の木もあったんや、でも新八重葎庵建立のときにバッサリやれれてしまった・・・」
「それで好きなんですか、嫌いなんですか?」
「そやなあ・・・好きとか嫌いとかいうことよりも・・・わざわざ実をもぐのが面倒やしなあ・・・オフクロが生きていた頃は、無花果の実を巡ってオフクロとヒヨの軍団が毎年大バトルを繰り広げていたので、オフクロに味方して無花果の実をもいでやったことはあるけどなあ・・。今はなあ、まあ野鳥さんたちに提供というか・・・カエサルのものはカエサルへというか・・・」
「柿の実や、梅の実はどうするのですが、GGIは食べないのですか」
「柿の実は元大工のゴローさん、今年六十どころか来年九十になるはずの元牛若丸のゴローさんが秋になるとやってきて、収穫していくことになっている。以前あった梅の木なあ、その頃は毎年、だれかに梅の実を配ってあるいていたけどなあ・・・まあ、果物というものはGGIにとりましては、その美しき姿を愛でているだけで十分・・・それ以上の存在ではありませぬ・・・」
「GGIさん、そんなことばかり言っていないで、何か好きなものはないのですか、好きで好きでたまらんという食べ物は」
「そやなあ、ないことはないというか・・・・そうや、GGIのアニキはええ年してスイーツにまるで目がないのや、あれは飢餓時代の深き後遺症、トラウマや、ちいさいころスイーツなんか夢のまたユメやったから、いまになって必死で埋め合わせようとしてるやろうなあ・・・」
「でも、まあ、はっきり好きといえるのは玉子やなあ、むかし、GGIが御幼少のころ、食極めてますしき時代は、玉子は大の御ちそうやった。だから三つ子の魂というわけ」
「どんな玉子料理がすきですか」
「そやなあ、玉子料理ならなんでも好きや、目玉焼き、ゆでたまご、スクランブルエッグ、オムレツ、出し巻、天津飯・・・それに玉子は物価の優等生やしなあ、いまでも特売日には10個入りのパックがたったの10円なのや!」
「GGIさん、よくわかりました、では今年はできたてのトマトやキューリなどを差し上げてGGIさんの貧しき食生活の大幅なる改善に資することにたします」
「そんな無理したあアカン、無理は体にドク、どうか決して無理しないでください、お願い・・」」
今日もあいもかわらず意味なきダラダラ話になってしまい失礼いたしました。
グッドナイト・グッドラック!