UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

「そやけどなあ」などと言っているうちは・・・・街角で仏さまのお教えについて考えてしまうの記

2021-10-16 23:41:08 | 日記
わが庵の近くに真宗大谷派のお寺があります。このお寺のお坊さまは中学・高校でGGIの一年先輩です。このお寺の門の脇に掲示版があり、いつも仏教の教えのようなものが短く毛筆で記されています。たぶん、このわが先輩氏に手になるものでありませう

この教えのようなもの、内容はときには難解であり、教養なきGGIは理解に苦しむことがあります。その一例を今年の1月19日の日記で紹介しました。掲示板には以下のように記されたいたのです。

曰く、「善人とは暗い人、悪人とは明るい人」

えっ!そうなの?ほんとう?
凡人たるGGIは驚いてしまいました。もしこれがほんとうなら、GGIはあまり明るいほうではありませんので、どちらかと言えば善人なのかなあ・・・でもなあ・・・

すぐには理解不能でありましたので、このフレーズの意味について、GGIはいろいろこねくり回して考えてみました。でも、結局はよくは理解できませんでした。どのようにこねくり回したのかは上記の1月の日記に書いておりますので、おひまな方はご覧くださいませ

その後、街角にこういう難しいことを掲示されても困るんだよなあ、人騒がせだよなあなどと思っておりましたら、一昨日、またしても難解なことが書いてあるこの掲示板に遭遇してしまいました。このたびの掲示の内容は以下のとおりです。

今日の写真はこの掲示板を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

仏の智慧をいただくことがなければ
「それでも」「そやけど」
「あいつが」「こいつが」
という世界を出ることがない

これはGGIのとりましては、とても気になるお教えであります。と申しますのはGGIは優柔不断、不決断をモットーとしているため、知人たちに何か言われたときのお得意の口癖は「そやなあ・・・それでもな・・・そやけどなあ・・」であるからです。

そうかあ・・・そんなことばかり言っているから「あいつはなあ・・・」とか「こいつはなあ」と他人をけなしてしまうことになるんやあ・・・これは良くないことなんやあ・・・でもなあ、仏さんの智慧って何なの、それに知恵と智慧はどうちがうんやあ?・・・

とすっかり悩んでしまいましたので、仏さんの智慧って何なのか、ネットさんで調べてみました。そうしましたら、以下のように説明されておりました。

《人間の知恵は頭が上がり、仏の智慧は頭が下がります。人間の知恵とは、人間の方から未知なるものを学び、覚え、理解することであり、知識、教養、学問の世界です。そして知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり頭が上がってきます。
 しかし仏さまの智慧とは、仏さまの方から私を照らし、めざめさせ、心の闇を破ってくださる働きですから、仏さまの智慧に遇えば遇うほど、私の愚かさ、恥ずかしさ、罪業の深さに気づかされ、頭が下がるばかりです。
 仏法は、知識・教養・学問の世界ではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、めざめさせてくださるのです。》

(以上の一文は浄土真宗東本願寺派:北御堂のサイトより引用しました)

いかがですか、みなさん、お分かりになりましたか?

GGIとしましては、分ったような分らないような・・・もうひとつよくわからないなあ・・・突然「心の闇」と言われてもなあ・・・それでもなあ、そやけどなあ・・・、己の愚かさと恥じについてはいくぶん自覚しているけどなあ、でもなあ、罪業の深さとなるとなあ・・・よく分かんないよなあ・・・」などと思わず呟いてしまいます

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

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