イヌも歩けば棒に当たるということわざがありますね。このことわざ、良い意味にも悪い意味にも使われるそうです
悪い意味:犬がフラフラ用事もないのに出歩くと、棒で殴られるような災難に出会ったりするという意味。じっとしていれば良いのに、余計な行動を起こすべきでないという戒めとのこと。なにやら、コロナ禍のなかブラブラ歩きまわるなと言ってるみたいですね。これが本来の意味とされているのですが、
良い意味:用事もなくブラブラ歩いていて幸運に出会うこともあるという意味です。だから当てがなくてもブラブラしなさい、まずは歩きなさい、まずは行動を、という意味なのです。
コロナ禍のなか、GGIはワン公ではありませんが街をぶらぶら歩きしています。が、果たして吉と出るのでせるか、凶とでるのでせるか・・・
どちらであるかはともかく、ブラブラ歩いていますとトマソン物件以外にもヘンと申しますか想定外のものに遭遇してしまうことがあります。前回の日記に書きましたマリリンさんとの出会いはそのラッキーともいうべき一例でありますが、一昨日はヘンなものに遭遇しました。GGIがふだん乗り降りする京阪電鉄さん石坂線の駅、その踏切近くで、まったく想定外のものにぶつかり、一瞬、目がテンになりました。
今日の写真はこの想定外の遭遇物を撮ったものです。踏切近くにある空き地を囲っている工事用のテントの写真です。どうかクリックしてご覧くださいませ
テントには何か横文字かが書いてあります、「Corona」と・・・えっ、Corona?! どうしてこんなところにコロナなんだとよ~と思って、よく見ましたら「Gorona」です、えっ!コロナではなくゴロナ?!GGIは一瞬オツムが大混乱、新・新型コロナ出現!と思ってしまいました・・・
やっぱりワン公でも歩けばなにかにぶつかるのだから、GGIも歩くと、幸運を意味しているのか不運を意味しているかは定かではないけれど、とにかくヘンなモノにぶつかるんだ・・・これは奇遇・・・神さまな何かのお導きではないか・・・
この空地のすぐ近くに「五六七北川建設」という建築屋さんがあります。それでピンときました、「Gorona]というのは「五六七」のことなんだ!、この会社の名前の一部なのだ!つまり、この空地は五六七建設さんの所有地なのでありませう
この空地、以前にこの日記で紹介したことがあるのですが、軒下に掲げられている看板に本物の大きなサイコロが飾ってある「さいころ堂」というヘンな名前の、さっぱりはやっていなかったお店の跡地なのです。この跡地は踏切のすぐ横の細長い三角形という代物でありますので、よほどの物好きが現れない限りは売れたりしないでありませう・・・
いつも、京阪さんの駅の隣、さいころ堂の跡地の筋向いにあるこの会社の前を通るたびに、変わった名前だなあ、それに「五六七」は何と読むのだろうと思っていたのですが、すこし謎が解けました。それにしても、どうしてこんな変わった名前にしたのだろうと思って、この会社のホームページは見てみましたら、「五六七」という言葉の由来が記されていました。その由来は驚くべきものでありました、きわめて由緒正しきものでありました。以下にその説明文をこの会社のホームページから引用しておきます。
『仏教の仏典の中に釈尊の弟子とし弥勒菩薩さまがおられます。梵語名は マイトレイヤー といわれます。 弥勒下生経によりますと このかたは 未来に下界へ降り 仏となって衆生をお救いになる、未来仏 慈悲菩薩 でおられます。 釈尊が入滅してから 五十六億七千万年後に現世を救済なされるために下生されるところから五六七(ゴロナ)という名をいただきました。(五六七は別名ミロクとも読まれております)』
この説明を読んで、そうかあ、CoronaとGoronaは関係があるのかもしれないなあ、ひょっとしたらコロナが全世界で流行っている今年がお釈迦様の入滅から五十六億七千万年目に当たっているのかもしれないなあと思ってしまいました
弥勒菩薩さまあ、私は仏教の教えとはまったく縁なき衆生でありますが、それに今年は五十六億七千万年目ではないかもしれませんが、どうかゴロナならぬコロナの禍から人類をお救いくだるよう、世界の人々になり代わり、切に切に切にお願い申し上げます・・・
ゴロナさま、未来仏であり慈悲菩薩である弥勒菩薩さま、アベ君をはじめ世界の権力者たちは、コロナ禍のなかでもあいかわらず、経済すなわちカネ、経済成長のことばっかり気にしているのです.。かれらにとっては、「人間」より「経済」なのです。
そのため、コロナにかかって苦しんでいる人々だけではなく、コロナ禍のなかで「自粛」を事実上命令されたりして仕事を失ったり生活に窮している人々が日本にも世界にもたくさんいるのです、テレワークなどという優雅なことはできず、危険な環境のなかで働かざるを得ない人々もたくさんいるのです。これからもこうした人々の苦しみは、たとえコロナ禍が終っても、その後長きにわたり続くでありませう。
しかし、日本の権力者たち、コロナがおさまり喉元すぎたならば、よし、次はコロナからの復興だ、次はオリンピックだ、万博だ、カジノだと、コロナ禍のなかで、いまでも内心はおカネのことばっかり考えているのです。他の権力者のみなさんも、トランプさんも習近平さんもプーチンさんも同じようなことを考えています。でも、これでは貧しき人々はコロナ禍が終わっても置き去りにされるだけであり、いつまでたっても救われません
ゴロナさま、弥勒菩薩さま、私たち人間は、何か大きな過ちを続けてきたために、このたびのコロナ禍を招いたのかもしれません、何か罰があたったのかもしません。自業自得かもしれません。でも、世界でいま多くの人々が死に、貧しき人々が窮地に追い込まれています。慈悲菩薩である弥勒菩薩さま、あなたの時がいま訪れているのです。いまこそ衆生を救うためにどうか俗世にお出ましください・・・
いつもながら、今日はまたして気まぐれな日記になってしまいました。最後までお読みくださって時間を浪費してくださった方には心から御礼とお詫びを申し上げます
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
悪い意味:犬がフラフラ用事もないのに出歩くと、棒で殴られるような災難に出会ったりするという意味。じっとしていれば良いのに、余計な行動を起こすべきでないという戒めとのこと。なにやら、コロナ禍のなかブラブラ歩きまわるなと言ってるみたいですね。これが本来の意味とされているのですが、
良い意味:用事もなくブラブラ歩いていて幸運に出会うこともあるという意味です。だから当てがなくてもブラブラしなさい、まずは歩きなさい、まずは行動を、という意味なのです。
コロナ禍のなか、GGIはワン公ではありませんが街をぶらぶら歩きしています。が、果たして吉と出るのでせるか、凶とでるのでせるか・・・
どちらであるかはともかく、ブラブラ歩いていますとトマソン物件以外にもヘンと申しますか想定外のものに遭遇してしまうことがあります。前回の日記に書きましたマリリンさんとの出会いはそのラッキーともいうべき一例でありますが、一昨日はヘンなものに遭遇しました。GGIがふだん乗り降りする京阪電鉄さん石坂線の駅、その踏切近くで、まったく想定外のものにぶつかり、一瞬、目がテンになりました。
今日の写真はこの想定外の遭遇物を撮ったものです。踏切近くにある空き地を囲っている工事用のテントの写真です。どうかクリックしてご覧くださいませ
テントには何か横文字かが書いてあります、「Corona」と・・・えっ、Corona?! どうしてこんなところにコロナなんだとよ~と思って、よく見ましたら「Gorona」です、えっ!コロナではなくゴロナ?!GGIは一瞬オツムが大混乱、新・新型コロナ出現!と思ってしまいました・・・
やっぱりワン公でも歩けばなにかにぶつかるのだから、GGIも歩くと、幸運を意味しているのか不運を意味しているかは定かではないけれど、とにかくヘンなモノにぶつかるんだ・・・これは奇遇・・・神さまな何かのお導きではないか・・・
この空地のすぐ近くに「五六七北川建設」という建築屋さんがあります。それでピンときました、「Gorona]というのは「五六七」のことなんだ!、この会社の名前の一部なのだ!つまり、この空地は五六七建設さんの所有地なのでありませう
この空地、以前にこの日記で紹介したことがあるのですが、軒下に掲げられている看板に本物の大きなサイコロが飾ってある「さいころ堂」というヘンな名前の、さっぱりはやっていなかったお店の跡地なのです。この跡地は踏切のすぐ横の細長い三角形という代物でありますので、よほどの物好きが現れない限りは売れたりしないでありませう・・・
いつも、京阪さんの駅の隣、さいころ堂の跡地の筋向いにあるこの会社の前を通るたびに、変わった名前だなあ、それに「五六七」は何と読むのだろうと思っていたのですが、すこし謎が解けました。それにしても、どうしてこんな変わった名前にしたのだろうと思って、この会社のホームページは見てみましたら、「五六七」という言葉の由来が記されていました。その由来は驚くべきものでありました、きわめて由緒正しきものでありました。以下にその説明文をこの会社のホームページから引用しておきます。
『仏教の仏典の中に釈尊の弟子とし弥勒菩薩さまがおられます。梵語名は マイトレイヤー といわれます。 弥勒下生経によりますと このかたは 未来に下界へ降り 仏となって衆生をお救いになる、未来仏 慈悲菩薩 でおられます。 釈尊が入滅してから 五十六億七千万年後に現世を救済なされるために下生されるところから五六七(ゴロナ)という名をいただきました。(五六七は別名ミロクとも読まれております)』
この説明を読んで、そうかあ、CoronaとGoronaは関係があるのかもしれないなあ、ひょっとしたらコロナが全世界で流行っている今年がお釈迦様の入滅から五十六億七千万年目に当たっているのかもしれないなあと思ってしまいました
弥勒菩薩さまあ、私は仏教の教えとはまったく縁なき衆生でありますが、それに今年は五十六億七千万年目ではないかもしれませんが、どうかゴロナならぬコロナの禍から人類をお救いくだるよう、世界の人々になり代わり、切に切に切にお願い申し上げます・・・
ゴロナさま、未来仏であり慈悲菩薩である弥勒菩薩さま、アベ君をはじめ世界の権力者たちは、コロナ禍のなかでもあいかわらず、経済すなわちカネ、経済成長のことばっかり気にしているのです.。かれらにとっては、「人間」より「経済」なのです。
そのため、コロナにかかって苦しんでいる人々だけではなく、コロナ禍のなかで「自粛」を事実上命令されたりして仕事を失ったり生活に窮している人々が日本にも世界にもたくさんいるのです、テレワークなどという優雅なことはできず、危険な環境のなかで働かざるを得ない人々もたくさんいるのです。これからもこうした人々の苦しみは、たとえコロナ禍が終っても、その後長きにわたり続くでありませう。
しかし、日本の権力者たち、コロナがおさまり喉元すぎたならば、よし、次はコロナからの復興だ、次はオリンピックだ、万博だ、カジノだと、コロナ禍のなかで、いまでも内心はおカネのことばっかり考えているのです。他の権力者のみなさんも、トランプさんも習近平さんもプーチンさんも同じようなことを考えています。でも、これでは貧しき人々はコロナ禍が終わっても置き去りにされるだけであり、いつまでたっても救われません
ゴロナさま、弥勒菩薩さま、私たち人間は、何か大きな過ちを続けてきたために、このたびのコロナ禍を招いたのかもしれません、何か罰があたったのかもしません。自業自得かもしれません。でも、世界でいま多くの人々が死に、貧しき人々が窮地に追い込まれています。慈悲菩薩である弥勒菩薩さま、あなたの時がいま訪れているのです。いまこそ衆生を救うためにどうか俗世にお出ましください・・・
いつもながら、今日はまたして気まぐれな日記になってしまいました。最後までお読みくださって時間を浪費してくださった方には心から御礼とお詫びを申し上げます
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!