UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

今日の用事は・・・え~、何だっけ・・・

2019-11-12 00:27:07 | 日記
11月6日の朝日新聞、川柳欄になかなかの作品が紹介されていました

《歯を磨き髭を剃ったが用はない》 

福岡県の河原公輔さんという方の句です。秀句の☆印がつけられていました。評者はただ「85歳」とだけ記していました。

この秀句に遭遇して、一瞬不謹慎にもワッハッハと笑ってしまったのですが、後期高齢者4年生のGGI、まだ85歳までには少し時間があるけれど(ただしそれまで生きていられたらの話です)、まったくそうだなあと深く感じ入ってしまいました。

以前、俳句や川柳、短歌など、そのできの良しあしとは別として、一読して「それがどうした」では済まない強く印象に残るものがときおり見受けられ、GGIはそうした句を是としていると書きましたが、この川柳もまさに記憶に残らざるを得ない一句です。

生きているけれど用はない・・・・これは小難しく気取って分かったふうなことを申し上げます、いわば「実存の不安」あるいはミラ・クンデラの難解小説の題名を勝手に借用しますと「存在の耐えられない軽さ」を詠った句であると言ってもよいでありませう・・・

そんな小難しいことはともかく、たしかにGGI、後期高齢者4年生のわが身の日常を考えますと用事なんてロクにないのであります。少なくともたいした用事なんか、何としても今日中に済ませておかなければならないといった用事は、ほとんどないというのが現実です。

福岡の河原さんは歯を磨き髭をそるだけでもリッパであります。一つ用事を済ませているからです。GGIなんか、遅寝遅起きして頭がボ~としたまま顔も洗わず歯も磨かず髭もそらず、ようやく目がしっかり覚めたころには、さて今日の用事は何だっけと迷うありさま・・・

誰かと会う約束をしていても、ほとんどの場合、是非今日でなければダメということではありませぬ。気が乗らなければ予定変更、別の日にすれば良いだけの話。その他、買い物をするとか役所になにか用事があるといった諸雑用の場合も、手持ちのおカネが底をついて小銭しかなかったり、トイレットペーパの残りはほんの僅か、あとはウンを天に任せるしかないという場合を除いて、いくらでも予定変更は可能、今日こなさなければならないという用事ではありませぬ。他の大半の用事も是非今日済ませてしまわなければというほどのものではありませぬ。

それに、幸いなことにと言うべきであるか否かは何とも申せませんが、子育ての最中の女性のみなさんやどなたかの介護をしておられるみなさんのように、待ったなし、今すぐ子どもや介護が必要の方のためにやってしまわなければ、といったような、切羽詰った用事もありませぬ。

誰かに今日までにやっておくと約束した何かの用事をまだやっていなくても、「ゴメ~ン、堪忍なあ、もう年やからボケてきて忘れてたあ・・・」と延期すればよいだけです。読書したり何かを見たり聞いたりして教養を高めるという用事があっても、ぜひ今日教養を高めなければならないというわけではありませぬ。

神さまなんかに何か約束しているとしても、今日その約束を果たさなければならないということはありません。いくらでも延期すればよいのです・・・神さまゴメンナサイ、そのうち何とかしますから・・・

身体の調子が悪くてこのままでは死んでしまうという危機的な状況にある場合はそれこそ大用事であり、病院に行かなくてはなりません。しかし、そういうことはここ数年二度ほどありましたが、メッタにはありませぬ。

恐ろしい借金取りが今日やって来るのであれば、あるいはケーサツが今日GGIを捕まえに来るというのであれば、今すぐ逃げ出さなければなりませんが、いまのところ借金取りにもケーサツにも縁はありませぬ。

このように突き詰めて考えますと、いや突き詰めなくても、この福岡の河原さんと同じく、GGIには用事がないのです。少なくとも、ほとんどないというのがまごう方なき真実です・・・

GGIはかくの如き状況にあるのですが、まだ高齢者に入り口にいる某知人が某日GGIに申しました

「GGIさん、老人にはキョウヨウとキョウイクが大切です、分ってますか?」
「教養と教育が大事なのは老人に限ったことじゃないだろう」
「違いますよGGIさん、あのねえ、キョウヨウは今日用事があるという意味、キョウイクは今日行く場所があると言う意味です」
「ショーモナイ!下手な駄洒落は止してくれ」

でも、ちかごろは老人の間でこのキョウヨウとキョウイクが流行っている気配であります。できるだけ用事を作って外出する、どこかで行われるカルチャー教室やおけいこ事や趣味などの集いの場にコマメに足を運ぶといった用事だらけのライフスタイルが流行っているようです。

GGIはときおり気まぐれに謀議などを開催しますが、謀議会場に現れた老人諸氏の手帳を覗いてみますと、何やらキョウヨウとキョウイクがびっしり詰まっている気配・・・GGIは手帳にメモをとるという習慣がまったくありません。次回の謀議の日程を決めてもメモしたりはいたしませぬ。それを見ていておせっかいな老人が言いまず。

「GGIさん、メモ取らなくても大丈夫なの?」
「大丈夫、オレ、毎日ほとんど用事ないから、それくらい覚えてられる」

あのねえ、手帳にセッセとキョウヨウやキョウイクの予定をメモする老人のみなさん、みなさんの用事はだいたいにおいて、その用事をこなそうが放置しておこうが命に別状がない、どうでもいい用事なのであります。大半は、ほとんどは、取るに足りない用事なのです、つまりそうした用事は用事がないも同然なのであります・・・・

と、エラソーに上から目線でお説教を垂れようと思いましたら、とつぜん「用事」をテーマにした優れた詩があったことを思いだしました。すでに一度この日記で紹介したことがある詩です。

杉山平一という詩人の作品です。



ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思いだすことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思いだせぬまま
僕はすごすごあの世へもどる

(石垣りん「詩の中の風景」より引用)

みなさん、人生には、ほんとうはほんとうの用事があるはずなのです。ほんとうの用事とは何か・・・・しっかり考えませう、思い出しませう・・・・いや、もう考えても遅いかもしれませぬ・・・

今日の写真は、ただ大空で戯れているだけで何か用事がありそうには見えない雲クンたちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、雲クンの言い分を聞いてあげてください。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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