最近の世の中、妙にあからさまな物言いがはやっていますね。たとえば、昨今は「ひとは見かけによる」などというフレーズが幅をきかせております。まことにヘンな時代になってきましたね。「ひとは見かけが9割」とか、もっと極端な場合は「ひとは見かけが100%!」とまで言われたりします・・・
ひとを外見だけで判断しようというのです。そんなことが世間で本当のまかり通っているのかなあと思っていましたら、どうやらまかり通っている気配なのです。
いつであったか朝日新聞が「ひとは見かけかどうか」というテーマで読者から意見を募ったとき、まことに説得力ある「ひとは見かけによる」ことに賛成する意見が寄せられていました。大都会の大企業で働くある女性の意見です
「はっきり申し上げて私は美人です。ですから通勤電車の中で毎日のように顔や胸のあたりをじろじろ眺められたりします。私はたいした大学を出たわけではないのですが、就職試験ではまったく苦労しませんでした。どこの大きな会社の試験を受けてもすぐに内定の通知が来るのです。大学の友達は誰もが内定ひとつもらうのに四苦八苦しているのにです。おかげで私はいま名の通った大企業で毎日楽しく働いています。私の経験から《ひとは見かけによる》ということを確信をもってもうしあげます」
まことにワッハッハであります!大企業の就職試験担当者諸氏、とりわけ面接試験担当の男性諸氏、何やかや、能力主義、将来性のある人材、男女機会均等、やる気、特技などなど、もっともらしいことを言いながら、結局、女性の場合は容姿で選んでいるのですね!ごリッパです。容姿端麗か否か、これが採用に際しての一番の決め手というわけです
などと、今日は最初から脱線いたしましたが、「ひとは見かけ」に似た表現である「何と言ってもイメージが大事」というフレーズがまかり通っているのも最近の風潮ではないかと思います。
たとえば、先日の新聞で「自民党はイメージ選挙」という見出しの小さな記事を目にしました。中身をよく読まなかったのですが、要するにこのたびの参院選で、自民党は具体的な政策がどうのこうのということよりもアベ君やアベ君が率いる自民党のイメージを売り込んで勝つ作戦であるいった内容の記事であったようです
イメージ選挙の定義はいろいろありますが、某辞書によりますと、たとえば「具体的な政策をあまり重視せず、党首や候補者のイメージやスローガンのような抽象的な言葉で有権者の支持を獲得する選挙手法」とされています。まあ妥当な定義であると言えませう
実は、イメージ選挙というのは昨日今日に始まった話ではありません。1960年代半ばに米国の社会学者ダニエル・ブーアスディンが「幻影の時代」という欧米の大衆文化についての名著を著わしています(訳書:東京創元社、1964)。「幻影」というのは「イメージ」のことです。
彼は、マス・メディアの巨大な発達とともに欧米市民の実生活と心理的動向が革命的といえるほどに変貌しており、疑似的なイベントが現実の出来事にとってかわるなど、実体より幻影(イメージ)を愛好するようになっていると論じ、その例をとしてケネディの大統領選のときの様子を挙げています・・・
さて自民党さん、どんなイメージ選挙を展開するのであろうと思っておりましたら、一昨日、近くのコンビニの傍らに設けられている自民党広報版で自民党さんのポスターに遭遇しました。このポスターを一目見て、GGI、なるほどこれが「イメージ選挙」かと納得しました・・・
今日の写真はこのアベ君の姿が大きく写っている選挙用のポスターを撮ったものです。もうアベ君の姿なんか見飽きたと思われるかもしれませんが、よろしければクリックしてご覧になってくださいませ、いま日本列島、「これが目に入らぬか!」とばかり、津々浦々にこのポスターが貼られているのです。
このポスター、アベ君の姿に「日本の明日を切り拓く」というキャッチコピーが付されているだけです。政策については何も触れられておらずスローガン一つが掲げられているだけ、上記の「イメージ選挙」の定義がそっくり当てはまるポスターです。いったい自民党が将来何を目指してどのような政策を実行しようというのか、それは皆目不明、つまり実質的内容はゼロですが、そんなことよりも「私こと安倍晋三が日本の明日を切り拓いてみせるのだ」というカッコいい(と自分で思い込んでいる)イメージを売り込みたいのでありませう。
このポスターは今や政府の広報機関の一部でもある電通のコピーライターさんたちやデザイナーなどと首相官邸や内閣府の頭がいいつもりのコソクなエリート広報マンたちの合作によるものでありませう。以下は彼らの会話です。
「あのなあ、大丈夫や、選挙民なんか何も考えていないから。具体的な政策なんか掲げる必要なんかない、そんなものをポスターに書いたりすると野暮ったくなるだけや、それよりイメージ、要するにイメージ、シンプルで力強いイメージが大事、イメージがすべて!安倍首相のカッコいい姿ととにかくシンプルなキャッチコピーだけで十分!」
「キャッチコピーは《日本の明日を切り拓く》かあ、いくらイメージやと言うても、いかにも平々凡々、平々凡々すぎるのコピーやなあ、こんな意味内容のないコピー、どこの政党でも使えるやないか、共産党が使ってもおかしくないぞ、こんなので大丈夫なのか?」
「大丈夫や、大丈夫。心配無用、中身なんかどうでもええのや、とにかくシンプルなところがええのや、カッコいいけど意味内容がまるでないところがミソなんや、野党の連中はアタマ悪いから、なんとなく格好のつくキャッチコピーを選びたがるけれど、そんなコピー、野暮ったいだけで誰も見向きもせん。とにかくシンプルで力強いイメージが大事なんや」
「そうかあ、それなら結局、中身なき空虚な強い独裁者のイメージで行けばええというわけやなあ」
「そうや、そうや、そのとおり!君、わりとアタマええなあ」
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!
ひとを外見だけで判断しようというのです。そんなことが世間で本当のまかり通っているのかなあと思っていましたら、どうやらまかり通っている気配なのです。
いつであったか朝日新聞が「ひとは見かけかどうか」というテーマで読者から意見を募ったとき、まことに説得力ある「ひとは見かけによる」ことに賛成する意見が寄せられていました。大都会の大企業で働くある女性の意見です
「はっきり申し上げて私は美人です。ですから通勤電車の中で毎日のように顔や胸のあたりをじろじろ眺められたりします。私はたいした大学を出たわけではないのですが、就職試験ではまったく苦労しませんでした。どこの大きな会社の試験を受けてもすぐに内定の通知が来るのです。大学の友達は誰もが内定ひとつもらうのに四苦八苦しているのにです。おかげで私はいま名の通った大企業で毎日楽しく働いています。私の経験から《ひとは見かけによる》ということを確信をもってもうしあげます」
まことにワッハッハであります!大企業の就職試験担当者諸氏、とりわけ面接試験担当の男性諸氏、何やかや、能力主義、将来性のある人材、男女機会均等、やる気、特技などなど、もっともらしいことを言いながら、結局、女性の場合は容姿で選んでいるのですね!ごリッパです。容姿端麗か否か、これが採用に際しての一番の決め手というわけです
などと、今日は最初から脱線いたしましたが、「ひとは見かけ」に似た表現である「何と言ってもイメージが大事」というフレーズがまかり通っているのも最近の風潮ではないかと思います。
たとえば、先日の新聞で「自民党はイメージ選挙」という見出しの小さな記事を目にしました。中身をよく読まなかったのですが、要するにこのたびの参院選で、自民党は具体的な政策がどうのこうのということよりもアベ君やアベ君が率いる自民党のイメージを売り込んで勝つ作戦であるいった内容の記事であったようです
イメージ選挙の定義はいろいろありますが、某辞書によりますと、たとえば「具体的な政策をあまり重視せず、党首や候補者のイメージやスローガンのような抽象的な言葉で有権者の支持を獲得する選挙手法」とされています。まあ妥当な定義であると言えませう
実は、イメージ選挙というのは昨日今日に始まった話ではありません。1960年代半ばに米国の社会学者ダニエル・ブーアスディンが「幻影の時代」という欧米の大衆文化についての名著を著わしています(訳書:東京創元社、1964)。「幻影」というのは「イメージ」のことです。
彼は、マス・メディアの巨大な発達とともに欧米市民の実生活と心理的動向が革命的といえるほどに変貌しており、疑似的なイベントが現実の出来事にとってかわるなど、実体より幻影(イメージ)を愛好するようになっていると論じ、その例をとしてケネディの大統領選のときの様子を挙げています・・・
さて自民党さん、どんなイメージ選挙を展開するのであろうと思っておりましたら、一昨日、近くのコンビニの傍らに設けられている自民党広報版で自民党さんのポスターに遭遇しました。このポスターを一目見て、GGI、なるほどこれが「イメージ選挙」かと納得しました・・・
今日の写真はこのアベ君の姿が大きく写っている選挙用のポスターを撮ったものです。もうアベ君の姿なんか見飽きたと思われるかもしれませんが、よろしければクリックしてご覧になってくださいませ、いま日本列島、「これが目に入らぬか!」とばかり、津々浦々にこのポスターが貼られているのです。
このポスター、アベ君の姿に「日本の明日を切り拓く」というキャッチコピーが付されているだけです。政策については何も触れられておらずスローガン一つが掲げられているだけ、上記の「イメージ選挙」の定義がそっくり当てはまるポスターです。いったい自民党が将来何を目指してどのような政策を実行しようというのか、それは皆目不明、つまり実質的内容はゼロですが、そんなことよりも「私こと安倍晋三が日本の明日を切り拓いてみせるのだ」というカッコいい(と自分で思い込んでいる)イメージを売り込みたいのでありませう。
このポスターは今や政府の広報機関の一部でもある電通のコピーライターさんたちやデザイナーなどと首相官邸や内閣府の頭がいいつもりのコソクなエリート広報マンたちの合作によるものでありませう。以下は彼らの会話です。
「あのなあ、大丈夫や、選挙民なんか何も考えていないから。具体的な政策なんか掲げる必要なんかない、そんなものをポスターに書いたりすると野暮ったくなるだけや、それよりイメージ、要するにイメージ、シンプルで力強いイメージが大事、イメージがすべて!安倍首相のカッコいい姿ととにかくシンプルなキャッチコピーだけで十分!」
「キャッチコピーは《日本の明日を切り拓く》かあ、いくらイメージやと言うても、いかにも平々凡々、平々凡々すぎるのコピーやなあ、こんな意味内容のないコピー、どこの政党でも使えるやないか、共産党が使ってもおかしくないぞ、こんなので大丈夫なのか?」
「大丈夫や、大丈夫。心配無用、中身なんかどうでもええのや、とにかくシンプルなところがええのや、カッコいいけど意味内容がまるでないところがミソなんや、野党の連中はアタマ悪いから、なんとなく格好のつくキャッチコピーを選びたがるけれど、そんなコピー、野暮ったいだけで誰も見向きもせん。とにかくシンプルで力強いイメージが大事なんや」
「そうかあ、それなら結局、中身なき空虚な強い独裁者のイメージで行けばええというわけやなあ」
「そうや、そうや、そのとおり!君、わりとアタマええなあ」
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!