UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

すっかり桜も散ってしまったのに冷たい風に吹かれて花見・・・

2018-04-09 01:18:38 | 日記
昨日は晴れてはいましたが冷たいか風が吹く一日でした。桜の花もこの風ですっかり散ってしまっておりましたが、お昼前、GGIは近くのお寺の裏手にある川沿いの小さな公園に花見にまいりました。これで今年は三度目の花見であります。

三度も花見をするなどという予定はまったくなかったのですが、この三度目の花見は自発的なものにあらず、花見にぜひとも参上せよと命令があったことによるものです。そうでなければ花もないし風も冷たいというまことに風流すぎる花見をするつもりなんかありませぬ、

GGIに命令を下したのは、民生委員をしていて「ふれあいクラブ」なる町内の高齢者たちよ、もっと交流しませうと真面目に活動を行っている、いわば老人クラブの会長さん、野球帽にスポーツシューズといういでたちのまだまだ元気な人物です、この人物が町内で出会うたびに「GGIさん、あなたはもうリッパな老人だから、こんどの高齢者の花見の集いに必ず出頭してください」とのたまわっておられましたので、花見に参加したのです。まあ、老人クラブ初見参というところでありませう。

正午少し前に公園へとでかけました。花も散ったし、冷たい風も吹いていることでもあるし、屋外での花見をやめにして隣の町の自治会と共用している自治会の建物のなかに場所を移してやるのかなあと思っておりましたが、GGIの予想はまったくの外れ。公園のほうに目をやりますと、もう青いシートが敷いてあったりテーブルとイスが用意されており、二十人ばかりの町内の方々が寄り集まっておりました。わが町の高齢者のみなさん、まことに元気であることよなあと感心してしまいました。

参加者は二十数人、しかし男性老人はGGIを含めてたったの5人、つまり大半が女性のみなさん。女性の方が元気に長生きを実証するような光景であり、GGIは圧倒されてしまいました。老いも若きも、これからは女性の時代でありませう・・・

まずは今日の花見を企画され、なにかとお世話された老人クラブ会長格の民生委員氏に表敬のごあいさつ

「GGIさん、わざわざいらっしゃって下さってありがとう。実は、うちの女房、若いころ教会の日曜学校でGGIサンの妹さんに習っていたそうですよ」

「えっ、妹が・・日曜学校で・・・それは知らんかったなあ、あいつ、いったい何をえらそうに教えていたのやろ、まともに何かを教えていたのか、これは多いに疑問ですねえ、ご迷惑をおかけしていなければいいのですが・・・」

今日の写真は時おり暖かい日がさす公園で冷たい風に吹かれながら散ってしまった桜を見物するみなさんを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ。GGIは写真左端のオバアサンの右隣に座って、みなさんとの交流に努めました。

このお婆さん、わが庵の近くにお住まいです。すっかり腰が曲がってしまっているのですが、ひとりで買い物用の手押し車にすがるようにしてスーパーに買い物にきている姿をよく目にいたします。

「あんなあ、私、もう耳も遠くなったし、腰もすっかり曲がってしまったし、もうこのへんでええわ、これ以上長生きせんでもええわ」

「そんなこと言うても、お弁当、しっかり食べてはるやん、元気に食べられるうちは大丈夫や、おばあさん、年いくつ、今年は?」

「83、昭和8年生まれ(1933年)や」

「それならまだ若い!ぼくのオフクロ、93まで生きていたからあと十年は大丈夫や!」

「おおきに、そやけど、もうええわ。そういえば、うち、むかしあなたのお父さんの下で働いていたんや」

これは初耳でありました、わがファザーは湖都市内にある某旧財閥系の電機メーカーで技術屋さんとして働いておりました。フアザーは昭和44年(1969年)に亡くなっておりますから、このお婆さん、若き日に事務員としてファザーの会社で働いていたのでありませう。わがファザーは明治生まれ、結構傍若無人であったようですから、このお婆さんにも迷惑をかけていたかもしれませぬ。

おそらく当日の最高齢者であろうと思われたのは今年91歳になるという老紳士でした。湖国の日銀であるところの地元の地方銀行の元エライさんのようでありました。このかたも耳が遠く、大きな声で話さなければなりませぬ。

「終戦の時はおいくつでしたか?」

「二十歳です、でも兵隊にはいっておりません。徴兵検査は受けたのですが、甲種ではなく丙種合格でしたので・・・しかし、学徒動員で名古屋の軍需工場で飛行機の部品などをつくるために働きました。働いていたといっても、もうロクな資材がないため不良品ばかりができて・・・まともな飛行機は一機もできなかったようです」

「そうでしたか、GGIの一家へ岐阜で米軍の空爆にあい焼け出されて終戦。ボクの親父も、電気関係の技術屋でしたので、兵隊には行くのは免れています」

「あなたのお父さんといえば、あの会社におられた、ナントカさん、名前が出てこないけど、その方が先年お亡くなりになったとき、《しのぶ会》が市内の某ホテルであったのですが、そのときあなたのお姿を見たような気がするのですが・・・」

「えっ、ほんとうですか、そうでしたか。あの亡くなった方は戦後親父と一緒に働いていた方です。親父より一回り若い方で、生前私も何度か会ったことがありますので、あの《偲ぶ会》に参加させていただたのです」

地元の銀行家であったこの人物、仕事柄から、この地域にある大企業のことに詳しいらしく、わがファザーが働いていた会社にも何人も知り合いがいたようでありました。

「あの先年亡くなった方は、とても優秀な方で京大で物理を専攻され、湯川博士と下で勉強されていたとのこと、GGIは湯川博士と門下生が写っている写真を見せてもらったことがあります。戦時中、原爆を開発するためにはサイクロトロンを作ることが必要ということで京大から親父がいた会社に派遣されて研究していたものの、ロクに研究機材がなく論文発表の場もなかったりして研究はあまり進まなかったとおっしゃっていました。これは最近になって明らかにされたことですけれど、戦後GHQは湯川博士が京大によう原爆開発の研究にどの程度タッチしたかを調べたようです。それによれば湯川さんはたいして原爆開発に深入りされていなかったとされています」

などなど、わが町の老人クラブ初見参、意外な出会いがあったりして、天候不良、花はすっかり散っていたものの、意外に結構な花見と相成りました。

別れ際に老人クラブ会長こと民生委員氏曰く

「GGIサン、次回は6月に催しを行う予定。かならずいらっしゃい!」

こうしてGGIもだんだん本格的老人になっていくのでありませう

なんもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!