このところアベ君の評判がますますよくないようですので、彼が元気が出るような刺激的なハガキをつくってあっちこっちにばら撒きました。
このハガキ、実は一年か二年ほど前に作ったものなのですけれど、その頃はまだ時期早尚だったのでせうか、反応は芳しからぬものでありました。けれどもしばし時が流れ、もうそろそろばら撒き時に至ったのではではないかと思ったのです
今日の写真は既に一度紹介したのではないかと思うのですが、このハガキを撮ったものです。アート・ディレクションはGGIさまが担当しました。よろしければクリックしてご覧ください。
このハガキを受け取ってしばし眺めていた某知人が申しました
「このハガキ、受け取って、いったい何人ぐらいがほんとうにハガキをだすことになるのかなあ、そこが問題とちがう?GGIさん、セッセとあちこちで撒いたりしてご苦労さんやけれど、実効性のほどがもうひとつ定かではないような気がするけれどなあ・・・」
「まことに御言葉のとおりでござる。実効性まるで不明というか視界不良。たとえば百人に手渡したとして、まあ、半分の五十人は何かもらったけど、どうでもええわ、ジャマまやなあ、ぐらいにしか思わんやろなあ、その結果、もちろんハガキを出したりはしない」
「そうかあ・・・それで残りの五十人は?」
「残りの五十人の半分ぐらい、二十五人ぐらいは、このハガキ、出す気がないでもないけれど、切手はらないかん、めんどうやなあなどと思って机の上などに放置しているうちに紛失、結局は出さんやろなあ」
「どんどん目減りしていくなあ、じゃあ、残った二十五人は出すことになる?」
「いや、そう願いたいのやけど、このうちの三分の二ぐらいは出すつもりはあっても些事雑事に追われているうちに忘れてしまった結局はださない・・・」・・・」
「それじゃ、ハガキをせっかくばらまいても大半はムダということやないか」
「そうや、現実は厳しい。結局、百人に配ったとしたら、正直言って、いいとこ10人ぐらいやろなあ、ハガキを実際に出すのは・・・あのなあ、この三月から四月にかけて三百人ぐらいに配ったと思うけど、《ありがとう》と言って受け取ってくれたのは十人ぐらい、《このハガキなかなかいいなあ》と言って笑顔で受け取ってくれたのが一人、それに一枚受け取ってから《もう一枚ちょうだい》と言った人が一人やった、のこりは目の前に差し出されたハガキを無言で受け取るだけ、これが世間や、GGIとても勉強になった、勉強家にならざるを得なかったというわけや」
「勉強になったと言っても、それではGGIはく骨折り損んの何とかやないか」
「いいえ、いいえ、決してそんなことはありませぬ。と言うのは、実はこのハガキには巧妙なる仕掛けが施してあるのや。ほら、アベ君の写真の下、ハガキの隅っこに《このハガキは用途自由、コピーも自由》と書いてあるやろ。これが仕掛けや」
「つまりなあ、百人に一人でもが、この《コピー自由》という説明に気づいて、《そうか、コピー自由なのか、それならひとつ オレもこのハガキたくさんコピーしてばら撒いてやろう》と思ってくれたらしめたもんや。そうしたらこのように決意した人物が新たに作って配ったハガキを受け取った人たちのなかの誰か一人が、同じように《そうか、コピー自由なのか、じゃあ俺もコピーしてばら撒いてやろう》と思って、次いでその人がコピーして作ったハガキを受け取った人たちの一人が・・・次いで、次いで、次いで、というわけでこのハガキが無限に広がっていく可能性をこの仕掛けは秘めているのや、まあなあ、そのような人が百人に一人ぐらいはいてくれることを願ってGGIは来る日も来る日も雨にも負けず風に負けず・・・というわけや》
「そうかあ、なかなかの深謀遠慮やなあというか、雲をつかむような話というか・・・百人に一人を願って来る日も来る日もなんて、まるで修行僧みたいやなあ・・・」
「まあ、来る日も来る日もと言うのは大ウソです。でもなあ、原理的にはGGIの作ったハガキ、無限に広がる可能性を有していることを理解してくれれば十分でございます」
「わかった、では無理やり理解することにしませう、GGIさん、せいぜい長生きしてください!」
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
このハガキ、実は一年か二年ほど前に作ったものなのですけれど、その頃はまだ時期早尚だったのでせうか、反応は芳しからぬものでありました。けれどもしばし時が流れ、もうそろそろばら撒き時に至ったのではではないかと思ったのです
今日の写真は既に一度紹介したのではないかと思うのですが、このハガキを撮ったものです。アート・ディレクションはGGIさまが担当しました。よろしければクリックしてご覧ください。
このハガキを受け取ってしばし眺めていた某知人が申しました
「このハガキ、受け取って、いったい何人ぐらいがほんとうにハガキをだすことになるのかなあ、そこが問題とちがう?GGIさん、セッセとあちこちで撒いたりしてご苦労さんやけれど、実効性のほどがもうひとつ定かではないような気がするけれどなあ・・・」
「まことに御言葉のとおりでござる。実効性まるで不明というか視界不良。たとえば百人に手渡したとして、まあ、半分の五十人は何かもらったけど、どうでもええわ、ジャマまやなあ、ぐらいにしか思わんやろなあ、その結果、もちろんハガキを出したりはしない」
「そうかあ・・・それで残りの五十人は?」
「残りの五十人の半分ぐらい、二十五人ぐらいは、このハガキ、出す気がないでもないけれど、切手はらないかん、めんどうやなあなどと思って机の上などに放置しているうちに紛失、結局は出さんやろなあ」
「どんどん目減りしていくなあ、じゃあ、残った二十五人は出すことになる?」
「いや、そう願いたいのやけど、このうちの三分の二ぐらいは出すつもりはあっても些事雑事に追われているうちに忘れてしまった結局はださない・・・」・・・」
「それじゃ、ハガキをせっかくばらまいても大半はムダということやないか」
「そうや、現実は厳しい。結局、百人に配ったとしたら、正直言って、いいとこ10人ぐらいやろなあ、ハガキを実際に出すのは・・・あのなあ、この三月から四月にかけて三百人ぐらいに配ったと思うけど、《ありがとう》と言って受け取ってくれたのは十人ぐらい、《このハガキなかなかいいなあ》と言って笑顔で受け取ってくれたのが一人、それに一枚受け取ってから《もう一枚ちょうだい》と言った人が一人やった、のこりは目の前に差し出されたハガキを無言で受け取るだけ、これが世間や、GGIとても勉強になった、勉強家にならざるを得なかったというわけや」
「勉強になったと言っても、それではGGIはく骨折り損んの何とかやないか」
「いいえ、いいえ、決してそんなことはありませぬ。と言うのは、実はこのハガキには巧妙なる仕掛けが施してあるのや。ほら、アベ君の写真の下、ハガキの隅っこに《このハガキは用途自由、コピーも自由》と書いてあるやろ。これが仕掛けや」
「つまりなあ、百人に一人でもが、この《コピー自由》という説明に気づいて、《そうか、コピー自由なのか、それならひとつ オレもこのハガキたくさんコピーしてばら撒いてやろう》と思ってくれたらしめたもんや。そうしたらこのように決意した人物が新たに作って配ったハガキを受け取った人たちのなかの誰か一人が、同じように《そうか、コピー自由なのか、じゃあ俺もコピーしてばら撒いてやろう》と思って、次いでその人がコピーして作ったハガキを受け取った人たちの一人が・・・次いで、次いで、次いで、というわけでこのハガキが無限に広がっていく可能性をこの仕掛けは秘めているのや、まあなあ、そのような人が百人に一人ぐらいはいてくれることを願ってGGIは来る日も来る日も雨にも負けず風に負けず・・・というわけや》
「そうかあ、なかなかの深謀遠慮やなあというか、雲をつかむような話というか・・・百人に一人を願って来る日も来る日もなんて、まるで修行僧みたいやなあ・・・」
「まあ、来る日も来る日もと言うのは大ウソです。でもなあ、原理的にはGGIの作ったハガキ、無限に広がる可能性を有していることを理解してくれれば十分でございます」
「わかった、では無理やり理解することにしませう、GGIさん、せいぜい長生きしてください!」
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!