黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

今日はゲームの話題無し

2015年03月16日 20時00分49秒 | Weblog
3月16日分。

 毎度。今日は午前中から割と長時間、DMMのメンテが入っていた影響で「かんぱに☆ガールズ」のネタは無し。幽霊です。その代わり、昨日に半日かかって野良仕事してきた話やら、幾つかストックしておきつつゲームの話題で流されていた時事ネタなどを拾っていきます。たまには違う話もしませんと、おつむの方も固まってしまいますしね。


 まずは、野良仕事の話から。まあ何はともあれ、コレをまずはご覧下さい。

 

 

 

 コイツをどう思う……? ということで、何かうっかり日付写し込みの設定を解除し忘れたまま撮ってますが、野良作業を実施していた先の、着手前の状況諸々がこちらになります。凄く……何というか、育ってます。何がって、雑草とか竹とか。1枚目が作業場所へ向かう道、2枚目が作業場所の別宅のようなものの脇、そして3枚目が別宅のようなものの裏手側です。
 うん、さすがにこれをこのまま更に放置すると、ここもじきに腐海に飲まれますね……。さすがにコレはアカン、夏場になって虫が大発生してしまうより前に、いくらかでも手を付けにゃならんなぁという話にもなろうってもんです。そんなこんなで、クエストは発令されまして、クエストの支給品ボックスに入っていたのはこちら。

 

 ぺかぺかぺかーん、カマ・ナタ・ノコギリぃ~(全部新品)。と、ドラ○もん風に紹介してみましたが、まあつまりは手作業でバッサバッサと切り開いていくしかあんめぇよと、そういうわけですね。ご両親様と私の3人がかりで伐採作業に突貫しましたが、まあ半日くらいじゃ手に負えない状態ですよ、ホント。なお追加支給品として、ちょっと高級な軍手と、私専用として先端に鉄骨補強入りの長靴、錆びて斬れ味は落ちているけど代わりに雑に扱えるナタもう1本が回ってきました。あと、ナタを腰につるしておくポーチも。
 カマは下草やら細い笹を刈る用ですが、私はほとんどナタで叩き切って進んでおりましたなぁ。主だってはノコギリで太い枝と竹を切り倒すか切り落とすかして、下草と笹は一束掴んで根元をナタでぶちぶち斬り飛ばしつつの侵攻に。とりあえず、2枚目のうっそうとした直線を何とかある程度は開通し、3枚目の竹林は、建物に密着し掛かっている竹を十数本切り倒したといった程度が昨日の成果でした。竹林側での作業はもう、竹を1本づつ根本付近をノコギリで切って、長過ぎるやつは途中で何回かに分けて切断し、枝をナタで落として焼却場所付近にぶん投げる。これを延々繰り返して……という作業プレイでした。作業プレイ好きですけどね。
 おかげで若干だけ腕が筋肉痛ですが、まあナタは重さに任せて、ほぼ腕力を使わずに振るだけなので、さほど酷いものでもなし。身体を動かした影響か、今日は多少体調が宜しい感じです。なお、裏手側の竹林は、写真に撮った以外の場所もまだ相当酷く、そっちにはまだ手を付けられなかったので、まだ複数回の突入が必要そうな塩梅です。運動にはちょうど良いけど、ゲンナリしそう……。

 

 

 オマケ。作業中、小休止ついでに見かけた春物的なサムシング。梅の花と、ちと育ってしまってますがフキノトウです。撮影アングルとか見せ方とか、そんなもん考慮してる余裕は無かったので、本当に撮って貼っただけ感ですが……。


 次、とりあえず軽いネタから。もう数日過ぎてしまっていますが、まあむしろ過ぎたからこそネタにしよう、ホワイトデーについて。これは正味「あっちゃー」くらいの案件なのですが、「ホワイトデーのお返しなく激怒 堺の43歳妻、31歳夫の首締め逮捕」だそうです。とりあえず、締められた側は死んでませんが、殺人未遂容疑で逮捕とのこと。まあ、お酒も入っていたようですし、日頃その他の不満なども諸々あったのでしょうが……。
 なお、世間男性一般から見るホワイトデーという代物は、「男性の40%がこの日を「面倒くさい日」と考えている」そうです。いやまあ、そりゃそうでしょうけどね。女性が分からしてみても、まあ友だち関係での交換とか、恋人同士ならまだしも、職場などで配る義理チョコ系は大変でしょうね。
 ……私? 母親殿から貰ったので、とりあえず適当に見繕って返しておきましたよ?


 今日のラスト。上でホワイトデーとバレンタインデーという類の話を扱っておきつつ、トリに持ってくるのがこの話題。ブロゴスより、「保守はなぜ同性愛に不寛容なのか?」なんて話をぶっ込んでみます。まあ、リンク先記事の詳細については、記事本体の方をご覧下さいということで割愛。
 まあしかし、「日本の伝統的な家族観」って……何でしょうね? 今現在イメージされる「日本の家族」って、父親が仕事、母親は家庭を守る専業主婦、そして幸せそうな子どもが2人くらいで庭付き一戸建てに犬を飼う、とかそんな感じ? こうした形の家族観が出来上がったのって、それこそここ数十年程度の話じゃないのかなぁ、と思うのですけれども。しかもこれ、同性愛排除の論理として使うのであれば、そういった思想はむしろ日本の伝統ではなくて、海外から来た、主にはキリスト教的な価値観なのですよね。
 戦国時代辺りだと小姓やら衆道やらというのは、結構当たり前の話で。明治時代以前には、法的にも同性愛を禁ずる類のものは無かった筈です。むしろ女人禁制の場所やらはたくさんあったくらいで、そういう場所では男色の方が主流だったくらいではないかなぁ、と。かのフランシスコ・ザビエルも、男色はさすがにどーかと思うわぁ的な発言が記録に残ってますね。徳川将軍家でも男色は普通にあったようですし、江戸時代までは同性愛って別に禁忌でも何でもなかったのですね。
 戦後になっても、廃止などの動きはありつつも、三島由紀夫がゲイであることを公表したり、なんてこともありました。まあその辺を鑑みるに、むしろ「伝統的な家族観」なんてものはまやかしですなぁ……としか。ついでに言うと、夜這いやら何やら性的には大雑把おおっぴらという文化もあった国ですから、同性愛云々はちょっと別としても、それ以外のところですら伝統的以下略なんてもんは彼らの幻想に過ぎないということが分かりますね。

 まあ、個人的には、同性愛に関しては「二次元の百合・レズについてはいいぞもっとやれ、801はちょっと守備範囲外だけどまあこっちに振って来なきゃ問題なし」な感で、三次元というかリアルの方になると、「そういう人もいることは知っているし理解するが、私自身の性的嗜好はとりあえずノーマルなので対象になってしまうと困るかなぁ」くらい。私自身の宗教観的なものからは、別に同性愛を排除する思考は出てきません。ただ、性的な好みからすると、ケツに突っ込むのも突っ込まれるのも「う~ん……」な感、ですか。
 正味、割と若い層は同じような感覚を持っていると思うのです。要は、自分に降りかかってこないのであれば、好きにやれば良いんじゃないの? という感覚。ただ、年齢層が高い方になると、キリスト教的な思想が入ってきて同性愛けしからんスタンスが強くなり、かつその時代ですとまだ人権や個人の性的嗜好の多様性といったものは認められない時期でしたから、それはもうやむを得ない面も多々かと。要はもう、思想的にそも受け付けないし、「生理的に受け付けない」という向きもありましょうね。
 んで、世間の多数派を占めるのは年齢層の高い人達であり、まだまだ性的嗜好として同性愛者は非常にマイノリティで、特に日本国内だとイレギュラー的な感すらあります。とは言え、この辺は時間の問題かなぁという気はしています。気の長いスタンスでの時間の問題、という感じですけれども。少なくとも、頑迷に同性愛けしからんスタンスが固着してしまっている高齢者層が、条例等の決定の場で権力を持っている間は、なかなか難しいでしょう。
 ただ、ある意味では定着してしまったもの勝ちな面はありますから、少しずつでも自分達の存在を示していくということ自体は必要なことかと思われます。今はまだ、少しずつの浸透を狙う時期だろうかなーと、そんなことを思うのでした。ついでにいえば、年寄りに理解を求めるよりも、これから世間の主導権をとっていくことになる、若い世代にこそ訴えかけていくべきでしょうね。

 ではでは。ひゅう、どろん。

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