高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、45年の歴史をもつ共同購入の会です。

天竺舎だより 10月10日記

2019-11-02 09:00:00 | 生産者からのメッセージ


 津野町 天竺舎の雨宮智子です。

やっと秋らしくなって、さわやかな風が
すみきった青空とさわやかな風の吹いた日(10/9!)、
やっと今年の酷暑も去った!と感じられました。
そう言えば、昨年の今頃はイギリスはハワースの丘、ヒースの丘で風に吹かれておりました。
ブロンテ姉妹の暮らしたヒースの丘は あこがれで、あこがれで、
嵐が丘のモデルになった家というのへ行くハイキングコースは、感無量、あの風は忘れません。

風と言えば、同じく昨年訪れたポーランドの収容所跡地を吹きわたる風も忘れられません。
場所はワルシャワから北東へ行ったルブリンという城下街の
郊外にあるルブリン強制収容所(マイダネク収容所ともいうらしい)。
広い草原(300ha近くだとか)のはしの方に、何棟かの収容施設、
奥の方にガス室(ガス室の壁は青く染まっていた…)、遺灰が詰められている慰霊塔、
そして、草原の中を区切るようにある二重の鉄条網の塀、その所々にある監視塔。
このすべての中を吹きぬけていく風…。
無気味でした。
今もちゃんと思い返すと気分が悪くなります。
ちゃんと体験できてよかったです。

(収容所)

ついでに、ポーランド訪問地をもう少し。
ワルシャワから西へ、バルト海に面したGdynia(グディーニャ)という港町。
第2次大戦末期、ソ連軍がポーランドに攻め入ってきます。
ドイツ軍は、ハンニバル作戦というのを実行して人々をドイツ本国へ逃がそうとします。
商船から軍艦まであらゆる船に人々をのせます。
その港がGdyniaでした。
その内の1隻が潜水艦に襲撃され、一万人近い人が亡くなりました。
Gdyniaの沖です(「凍てつく海のむこうに」という本に詳しいです)。
今のGdyniaは大きな港都市。
遊園地や公園もあって、多くの観光客で賑わう明るい都市でした。

Gdyniaの少し東にGdansk(グダンスク又はグダニスク)という大きな古い街があります。
古い街並みは観光客であふれかえっていました。
そのはずれに「第2次大戦博物館」というのがありました。
戦争への流れ、一人の兵士、一人の収容所で殺された人の遺品や写真、
などなど膨大な展示解説がありました。
私は10時の開館と同時にはいって、
空腹と解説判読に頭がボーとして出てきたら午後の3時すぎていました。
正しいとか、誰が悪いとかではなく、何があったのかが述べられたものだと思います。
日本にもあって欲しいです。
謝罪とか保障とかの問題ではなく、
誰が何をしたのかは、きちんと伝えなければいけない、
消えることではないーーとつくづく思ったものです。

ポーランドの歴史は複雑すぎて…あっちからもこっちからも攻められた歴史、
…で、文化はとってもすてきで今も続いている…
またいきたい処です。

※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知せ』2019年11月号より転載しました。
コメント
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