高松塚古墳の周辺は公園として整備されています。 草木は茂っていますが道にはみ出すことはなく、道も広々として歩きやすいです。 車の通らない道なのに「スピード落とせ」の看板? どうやら道が良すぎて自転車のスピードが上がるようですね。
高松塚古墳から中尾山古墳へは、いったん下り坂になって小さな平地にでた後、また小高い山を登っていきます。
先生はできるだけたくさんの所を案内したいと、早足で歩いていきます。 先生のそばにいなければお話は聞けないのだけれど、辺りの景色や花も気になるし、写真も撮りたいし・・・・
中尾山古墳を見た後はまた山を下って、次の山の中に入っていきました。 今度はどこへ行くのかしら。 詳しいことは知りませんのでひたすらついていきます。 でも、やっぱりいろいろ目について立ち止まる。
ヒヨドリ草が咲いていました。
みんなに遅れては大股で歩いて追いつき、また遅れては小走りにを繰り返しながら行くと、目の前にもう一つの丘が見えてきました。
左手奥に、天武・持統天皇陵が見える場所で説明を聞いています。
持統天皇(女帝)は、自分用の墳墓を造らせず、夫と同じ墓に埋めてほしいと言ったとか。 自分が生んだ子を大王にするために姉の子を死に追いやり、そのわが子が早世してしまったため、孫が成長するまでの間自らが大王となって政治を司った女傑です。 政治家としての手腕も、残酷さも備えた女帝でしたが、肉親への愛は人一倍強かったのかも。
その陵墓は宮内庁の管轄でもちろん立ち入り禁止です。 この雰囲気にはそぐわない、ペンキ塗り立ての張り紙がなんだかおかしいです。
道は再び山の中へ。
鬼の俎(まないた)と呼ばれる巨大岩。 この地に残る伝説から鬼の俎と呼ばれますが、れっきとした古墳の一部なのです。 この古墳が先にあって、後から新たな権力者が自分の古墳を作る際に壊したのだろうと言われています。
で、その壊し方なのですが、どうも石槨(棺を入れる部屋)の上部を山の下の方へ転がしたらしい 自分の墓をつくるために人の墓を壊すなんてねえ。 しかし、そんないい加減な壊し方でいいのか。 なんだか手抜きのような、・・・・
それが、その形から鬼の雪隠と呼ばれて残っています。
もとはこれがこんなふうに立ってて・・・・・と興味の尽きない皆さん。
この旅行の一行は先生や添乗員さんを除くと36人でした。 高齢の方は拝観料などが割引されたり無料になったりするんですね。それで調べたのですが、65歳以下はたったの5人! ほとんどが後期高齢者ではなかろうか(ちょっと大げさ!?)と思われるようなお年寄り集団ですが、皆さんのお元気なこと。 早足の先生にしっかりとついていっておりました。
先生は若いときからずっと発掘の手がかりを求めてこの辺りをくまなく歩かれたとか。 いやあ、考古学は体力と忍耐力ですわ。 わたしたちも歩いた、歩いた。
下の地図でいうと、飛鳥駅でバスを降りて1~6まで行き、少し同じ道を引き返してバスの待つPまで。 この地図、距離まで正確かどうかは分かりませんが、電車の駅2つ分以上歩いているのではないでしょうか。
汗だくになりながらバスに乗り込んで、前の時計を見ると
まだ10時半!
わたしの体は、もうお昼だよと訴えておりました。