3月最後の週末、松山市は桜が満開だったようです。せっかくの花見日和なのに
私は病院にお泊まりしていました。
シクロ農園に行った次の日の真夜中、右下腹が痛くて眠れなくなりました。どっちを向いて寝ても痛い。次の日には熱まで出たので行きつけの医院へ、そこで詳しい検査のできる総合病院を紹介され、急いで行くようにと言われました。昼休みだけど待ってくれているから、と。これはいよいよ盲腸(虫垂炎)か?でもたくさんの検査をしてその結果の診断名は大腸の憩室炎という聞いたことも無い名前でした。 盲腸のすぐ近くに袋がありそこが炎症を起こしていると。ショックだったのはその憩室は老化によってできるんだそうで、見た目ばかりではなく体の中も老化は進んでいるとはっきりとわかったことです。
悪化すると盲腸と同じように腹膜炎を起こすといいますが、手術ではなく絶食と抗生剤で治るそうです。通院でも良いが土日で緊急の対応ができないなあ。お泊まりしますか? そう言われて「そうですね。」お泊りという気楽な言葉に惑わされてあまり迷いもせず決めてしまいました。早ければ月曜日には帰れるだろうということでした。
しかし、いったん入院してみると・・・・私って患者だったのよね。
24時間点滴の管につながれ不自由なこと。しかも点滴のせいで2時間おきにトイレに行きたくなる。一日目の夜はほとんど眠れませんでした。それでも朝は6時に検温、血圧測定、容体の聞き取り・・・しっかり健康管理をされまして、病室が寒くないか、明かりはどうか、などカーテンの開け閉めから消灯、エアコンまでこまごまとお世話してもらって、痛みはどうかと心配してもらって、患者様様の生活だったのです。ベッドがあると、寝なくてもいいのについつい横になってしまいます。 こんなことをしていたら体力落ちてしまうと、また起きあがるもののやっぱりベッドが楽。すっかり自分で病人にしてしまったなあと反省しつつ、まあたまにはゆっくりするのもいいか(普段からぐうたらしてるけど)と自分を甘やかして過ごしました。
個室でしたのでテレビは見放題、Wi-Fi使い放題、消灯時間も関係なく気ままに過ごしました。
ちょうど今治市の山火事が延焼を続けていた時なのでやはり気になります。火が西条市側に飛び火した様子でした。世田山にある栴檀寺の奥の院はどうなったかしら。友人の話によると多分焼けたのではないか、でもだれも確認に行けないから、ということでした。
前に世田山に上ったときの写真です。江戸時代の建物だそうで、屋根を支える彫刻が印象的でした。


どこの山にもある看板ですが、世田山のはやさしい看板でした。

通報者(第一発見者ではない)の話では小さな火があっという間に上に燃え上がったそうです。これについてもテレビで特集していましたが、あのあたりの土地は劣化した花崗岩の真砂土で(面白地形学で学びました)やせて水分を含まず植物が育ちにくいーつまり低い木が多くて下草の火がすぐに木に燃え移るのだそうです。それであのあたりに火事が多いのか、と納得しました。
火事は恵みの雨によってようやく沈静化し、月曜日には鎮圧宣言がなされました。 繰り返し放送される火事の映像を見ながらこれまで出会った消防車、隊員を乗せたマイクロバス、自衛隊の消防車(牽引されていた)そして県外ナンバーの消防車、へリコプターなどを思い出しこんなにも大勢の人が消火活動をし、応援をしてくれていることに胸が熱くなりました。
それと重なって今度はミヤンマーの大地震。
昔行ったカンボジアでは午後の2時間くらいは現地の人も木陰で休んでいました。この暑さの中、助かる命も助からないのではと。そしてその時の現地ガイドさんがポルポト政権のむごさを涙声で語ってくれましたが、ミヤンマーも軍事政権。自然災害を前に、武力で民衆を抑え込む軍事政権は、どれだけのことができるのだろうと危惧しましたが、やはり遅々として救助は進んでないようです。
最後にニュースをにぎわせたのはFテレビと中〇君の問題。
第三者委員会が、このような問題が起きたのはH氏が醸成した企業の「風土」と表現していまして、なるほどなあと思ったのです。ずいぶん前ですが、保護者の集まりで「女性差別は空気のように存在する」と言ったら「私は(ダンナに)尽くしたいんだからほっといてくれ」ときつく反論されたことがあります。風土ならば誰もがそれを受け入れて生きていく、僅かな疑問は「それが当たり前」に消されていく、抵抗すれば自分が傷つく・・・うまい表現だと思いました。
入院中大きなニュースが続いてついついテレビばかり見ることに。
月曜日の夜から食事をとれることになりました。そして異常がなければ火曜日退院です。
左下から右回りに10倍がゆ 煮豆腐 サツマイモとジャガイモのマッシュ 魚のすり身
やっと口にした固形物はおいしくて完食しました。 けど退院する朝も昼も同じようなメニューで、いつまでこんな柔らかいのを食べなくてはいけないんだろう、さすが嫌になってきました。

退院手続きをして車に乗り込むまで少しふらふらしました。私にとって空白の5日間、予想通り体力は落ちていましたね。けれどせっかくだから何か所か桜を見て帰るつもりです。
加茂川の土手。


もっと行くと桜の名所武丈公園がありますが、遠くから見てそこは余りきれいじゃなかったのです。ああ、やっぱり遅かったのかなと思いました。
そこで少し山の方にある小松中央公園に行ってみることにしました。
ここは駐車場に行くまでの道に桜があります。

足元のハナニラの青がさわやかです。

耳をサクラ型にカットした地域猫。

標高がちょっと高いだけなのに桜はいい状態でした。

向こうを見るともう新緑。

最後に中山川の土手を走りました。
こちらも昔からの花見の名所「ひょうたん池」
自噴水の池で昔はひょうたん型をしていたのだとか。 水に写る桜のきれいなところです。


こちらは花びらが散りかけていました。

花見の上に買い物までして帰ったのでさすがに疲れました。はなこの散歩をトラオにお願いしたら、はなこは今まで見たことのないような速さで走っていきました。そしてげっそりした顔のトラオを引っ張って帰ってきました。
気になっていたゴマダラチョウの幼虫は

葉っぱの上に移動。ちょっと緑かかってきたかな?
入院されていたんですか
もう退院されてお元気そうなので安心いたしましたが
何時何が起こるか判りませんね
それにしても流石あたこさん
退院の帰り足で花めぐりとは
ゴマダラチョウの幼虫元気でしたね
食欲もでてきたんでしょうか
実は、私も病気が見つかったのです。
息がきれる と先生に訴えたら、レントゲンを撮って、心臓に水がたまっているそうなんです。 つまり、心不全。
どおりで、しんどいはず と納得。
利尿剤を処方されて、次の日は30分に一度、トイレ通い。
水分と塩分を制限されました。途端に、これまでと世界が変わったかのようです。
明るい、楽しい春がきたのに憂鬱。年を自覚しました。
このような状態になったことを打ち明けるのは、あたこさんが二人目です。
ゴマダラ蝶、元気でよかったですね。
お大事にしてくださいね。
てっきり盲腸かと。でも盲腸は若い人に多いんだけどなあと思いながら受診したら、聞いたことも無い名前で。おかげさまで先生方の素早い連携と対応で軽く済みました。
丸まる日間の絶食で体力がガタ落ちでした。出なければもっとうろうろしてましたね。
わたしよりずっと大変なことじゃないですか。心臓となれば鬱々とするのも無理ないです。最近なんとなくお元気がないようなーって思っていたんですよ。
私の友人も、義妹も心臓の病気を持っています。私のブログにもよく登場しますが、義妹は遠出をするときは一人では行きません。けど仕事もしているしわたしともよく遊んでいます。
歳をとって外見だけでなく内臓も老化していることをしみじみと感じますが、これはどうしようもないことですね。今できることを楽しみながら暮らすしかないかなと思っています。
打ち明けてくださってありがとう。