こけむしろに行くまでに昼食をすましておこうと内子町に寄り道しました。
内子には内子座をはじめ古い町並みが保存されていて趣のある風情を醸し出している町です。でも、今日は町並みがメインではなくあくまでもこけむしろでの作品展。これはその前座、そう前座だったんです。ところが、川沿いにある駐車場に向かおうとしたら、
あ、咲いてる
ソメイヨシノよりも早くしだれ桜が満開でした。
しだれ桜ってふつうソメイヨシノより遅いのにねえ。南予はやはり暖かいのかしら。でも、こけむしろ付近の桜は全く咲いていませんでしたから、ここが日当たりも良く暖かかったのかもしれません。
足元には、栄養状態の良さそうな元気なリュウキンカ
普通のより背丈も高く、花もずいぶん大きかったです。
私たちはしばし川辺を散策。思わぬ良いお花見ができました。
それから昼食を取るために下芳我邸へ
下芳我邸は、明治中期に本芳本家から分家して建てられた建物だそうです。現在国の登録有形文化財に登録されています。築140年という古い建物を再生して「蕎麦 つみ草料理」のお店になっています。
お店はほぼ満席状態でしたので、あまり写真は撮っていませんが、こんな感じ。もっと考えて撮れば良かったですね。
そして
全員が「野遊び弁当」を注文しました。正面からだと全体が写りにくかったのでお友だちのを後ろ側から写しております。
蕎麦とサラダ風に盛ったお寿司、天ぷら(緑色のはヨモギの天ぷらです)そして野菜の炊き合わせと焼き魚、卵焼き。デザートがついて1480円。右隅に見える透明の器は小さな醤油差しで、季節の花が活けてありました。それが、一人一人違うの。フユシラズだったりオドリコソウだったり。野の花を愛でながら弁当を食べているという演出でした。おいしかったと思います、というのはわたしちょっと風邪気味でおそばの本当の味がわかりませんでした。でも、食欲が減少していたにもかかわらず完食しましたからね。
ここは2階がギャラリーになっていてかわいい小物を売っているというので上がってみました。
近隣の手作り作家さんたちの作品が所狭しと並べられています。
折り紙のおひな様は、調度品のタンスまで折り紙で。
草木染め、透かし和紙のタペストリー、表面に薄い金属箔を施したギルディングという手法の和紙・・・・
私が一度見てみたかったギルディングの作品。ギルディングはもともとフランスの工芸だそうですが、
美しいです。和と洋とがみごとに調和しています。
ここで私は初めてこの建物のすごさを認識したのです。わかってたら外観も含めてバンバン写真を撮ってたものを。だけど、素人には見ただけではわかりません、ちょうどガイドさんがいて、熱意を込めて説明してくれたからなのです。
ここからはガイドさんの説明
この部屋には左右二つの床の間がしつらえてあります。どちらに座っても上座下座を作らない、客を迎える上での商人としての心遣いだそうです。
ただし、同じもの二つでは芸がない。そこで一つの床は
畳敷きです。え?畳と板とでは畳の方が格上じゃないの?と密かに思っておりましたら、そのかわり隣の飾り棚は2段飾りでしかも横の梁が柱にそろえて断ち切ってある、逆に格下の板の床(とはいってもケヤキの一枚板です)のとなりの飾り棚は千鳥棚。
そして梁が柱よりも床の方にはみ出しています。飾り棚としてはこちらが格上なんだそうです。こうして左右の床を平等にしてあるのだそうです。
さらにさらに、断ち切ってある梁の方も、断面を見せることなく薄い板で隠してあります。断面をむき出しにしていると腐りやすいからだそう。へえ~、なるほど、の連続でした。
二つの部屋の間にある欄間
まあ、この細工の細かいこと、美しいこと。3面合って3面とも模様が違います。
私たちがまだ先の予定があると知ってガイドさんの口調が早くなりました。でもどうしても知ってほしいという熱意が伝わってきます。
この障子の桟
縦横に木を組み合わせているのですが、
左端は横木が上、真ん中は縦木が上、右はまた横木が上というように複雑に組み合わせているんですね。だから一箇所壊れると、桟を全部分解して修理しなければなりません。今はもうそれができないので壊れた箇所はそのままになっています。
そのほか、釘の見える場所には金属で作った鶴や亀の釘隠。木蝋生産で財をなした豪商の求めに応じて職人が全身全霊で作り上げたものだということが伝わってきました。
時間があればゆっくりとお話を聞きたかったのですけど・・・・私たちはおなかも心も満たされて店を出ました。「よかったねえ」「これは前座よ、前座。本番はこれからだからね。」「だけど満足して、一瞬、さあ帰ろうと思っちゃった。」
そして話題はいつかテレビで見た100円均一の店のことになりました。 凄腕と言われるバイヤーがサンプルを持ち込んだ工場関係者に「100円の値打ちもない」と、改善と努力を求めるシーンについてです。日本の100円均一の品のクォリティの高さはこのような過程を経て維持されていると肯定的に紹介されていましたが、わたしは「100円の値打ちもない」と面罵するその姿勢に違和感を覚えました。安くて品物豊富でよく利用する100円ショップ。これを作る人たちはどれだけの利益を得ているんだろう。本当に100円でいいのかと思いこそすれ、100円の値打ちもないと思ったことはありません。ものを作る人がいなければ販売に関わる人たちは利益を得ることができないわけで、経済の底辺を支える「作る」ということにもっと敬意を払うべきではないのだろうか、たとえ100円の品を作る人であっても、です。
ものつくり人の端っこの端っこに連なるわたしたち4人、内子の片隅で遠吠えをしておりました。