あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

野の草花は、はびこりせめぎあい

2024-10-31 10:18:02 | 植物
  10月見かけた川の風景です。川底は、水の代わりにどこまでも続く草。
  


 白く見えるのはおそらくシャクチリソバ・・・だと思う?

 
 写真に撮るのがちょっと遅くなりましたが、少し前まではもっと真っ白だったのです。
 
 そばの花にそっくりです。けれど畑に植えられたものではありません。もう10年以上も前に、畑の端っこで見かけた時は、畑から飛び出したものかもしれないと思っていたのですが、シャクチリソバという外来種もあるということなのです。
 
 
 これが、年々この川周辺を拠点にほうぼうに広がっているような気がします。川のそばに多いので水を好むのかなと思っていましたが、
 全く水のない別の場所でも見つけました。
 
 


 
 すでに三角の実もついていました。
 


 こうなると、ますます判別しかねます。この土地でそばを栽培していた可能性もありますので、そばの名残かも? 今まで私の見たソバ畑は、乾いたよく日の当たるところにありました。それともこれはそばで、川の中のとは別物?
 
 
 一枚目の写真でうっすらピンクに見えるのは
 
 ミゾソバ でした。 これもかなり広い範囲に広がっています。
 
 
 白い塊とピンクの塊が交互に続いて、陣地争いのように見えました。
 ただ、ミゾソバはところ選ばずどこにでも見かけます。ほかの草に交じってちらほらしている場所もあります。緑の中の花はなかなかかわいいのですけど、とげがあるのよねえ。
 
 ヒレタゴボウも一枚目の写真の右上にちょこっと写っているのですが、実際は群生しています。これは水田でも見かけますから、水を好む植物ではないでしょうか。 乾いた土地の我が家の周辺では見かけません。 

 
 手前に写っているのはガマなのですが、これも、川の一部を占領しています。これは少し離れたところにガマ畑があって今は放置されていますから、多分そこから来たのでしょう。今後どうなっていくかな?
 
 川の中の群生を見ていると、野の花は勢力争いが熾烈なのかもしれないと思います。塊になって、しのぎを削っているように思えます。
 この川底、いずれは底の土砂ともどもきれいにさらえるのでしょうがー
実際上流の方は川底が見えていました。去年までシャクチリソバがいっぱいだったのに。で、その土砂はどこへ行った?
 運ばれて行った場所で、白い花が咲いているかも。
 
 川から広がると言えば、先日気になる記事を見つけました。侵略的水草が県内で2か所、今治市と西条市で見つかったというのです。繁殖力が強く、他県でも排除に苦慮しているとか。2ミリの根っこでも再生するというから脅威です。(写真は新聞記事から)
 
 
 地球上最悪の侵略的植物と言われ、繁殖して水路を妨げたり、田畑に侵入して農作物を覆ったり、在来種の植物を圧迫したりするそうです。
 早速その川へ行ってみたのですが、見つかりませんでした。川って長いんですもの。でも、この繁殖力からいうと、立て札でも立てて、摘み取ることのほかにも川に入って泥をかき混ぜる行為(魚とりなど)にも注意喚起すべきではないかと思うのですが、どうでしょう。
 
 土手では、
 コセンダングサ。
 
 
 この繁殖力にはかないませんねえ。
 
うちに生えているのは見つけ次第引き抜きます。一本たりとも見逃すと、衣服がくっつき虫だらけになって取るのに苦労しますから。放っておくと畑全体支配されます。
 
 川はこれくらいにして、運動公園で見つけた、ヌスビトハギ
 
 
この間まで薄ピンクの可憐な花をつけていたのですが、これが園内どこにでも広がっているのです。



 ネジバナは大丈夫かなあ。カワラナデシコも大丈夫かなあ。特定の植物が広がると、力を持たない植物が消えてしまいますから心配です。ここの運動公園は管理が追いつかないようで気になっています。
 
 とある耕作放棄地で見つけたマルバルコウソウ
 ただ、我が家の周辺では見かけません。そのうちこのあたりにも? そうなるとピンクのホシザキヒルガオと競争になるかもしれません。
 
 畑一枚覆いつくそうとしています。
 
 
 かわいいのですが、この色褪せた赤はちょっと・・・私好みではないです。
 
 


 
 ひところ、花粉症の原因になるといわれ目の敵にされたセイタカアワダチソウ。他の植物の繁殖を阻害するとかで大々的に退治されていましたね。どうも花粉症は濡れ衣だったみたいです。道端で見かけてもだれも引き抜く人はいません。ただ、耕作放棄地では畑全体が黄色くなるほどこれで覆われます。
 今咲き始めたところです。
 
 
 咲き始めはきれいなんです。
 
 
 これは道端のを写しました。
 
 
 小さな黒い虫がたくさん来ていました。



 セイタカアワダチソウはある程度繁殖すると、自ら繁殖を抑制するんですって。でも大きい植物ですから結局は足元の小さな植物はなくなっていくんですよね。
 
 
 
 





 


 
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今年の10月の花々

2024-10-28 08:43:00 | 植物
10月初め、ヒガンバナが真っ盛りだったころ、
しつこく載せます。
 
 
 オシロイバナの茂み(大げさではなく)の中にたった一輪顔を出した白花のヒガンバナを見つけて大急ぎでオシロイバナを処分しました。種ができかけていましたから。
 そうしたら、中からたくさんの花が出てきました。良かった~

 
 そして去年、ダメもとで植えた(時期が遅いからと、甥っ子にもらったもの)リコリスが2輪咲きました。これもよかった~




 もらったのはオレンジ6球、白かクリーム色かが6球のはずでした。多分クリーム色だったと思うけど、そちらのほうは

 
 花も咲かず、10月中旬になってひょろっとした葉っぱが2本出てきました。残りは? 土の中で腐った?
 オレンジは何とか生き残っていたみたいです。来年に期待。
 
 
 一方、オシロイバナのなくなった白花のヒガンバナのところでは
 よく似た葉っぱが4種類出てきました。
 
 こぼれ種から芽が出たオシロイバナもいっぱい。抜いてからひと月もたってないのに。これから大きくなってどうする?
 


 
 白花のヒガンバナと思ったけど、違う。
 
 
 あれ?と思ったのですが、よく考えたら去年ショウキズイセンを一つ植えたのでした。
 
 これが白花のヒガンバナ


 
 これはダイヤモンドリリー。これから花が咲くのでしょうが、まだ花茎が見えません。葉が伸びすぎで倒れているけど大丈夫かな?
 

 
 そしてこれ。


 どう見ても普通のヒガンバナですよね。 去年球根がいっぱい露出している道端で、キツネノカミソリだと思って拾って帰った球根なのですが、ちがったみたい。キツネノカミソリの葉はたしか春に出るんじゃなかったかな? これ、ものすごく増えそう。だって、拾って帰ったのは二つだったのです。あちゃー、どうしましょうね。
 
 
 キンモクセイが、なんとかお祭りに間に合いました。 今年はなかなか咲かなかったのです。
 うちのキンモクセイは切ってしまったのでこれは運動公園の花
 
 
 香りはするものも、花つきのさびしいこと。

 祭りを過ぎてもヒガンバナは咲いていました。



 長い間つぼみのままだったシュウメイギクがやっと咲きました。
 縮れたつぼみがひと月あまりついていて、病気で咲かないのかと思ってしまいました。我が家では今までシュウメイギクはどこに植えてもうまく咲かなかったのです。

 
 つぼみが縮れていたのは八重咲だったからなのね。わたし、一重も好きなんだけど。

 
 トレニアもまだ元気です。

 
 昔は紫だけでしたけど、今は色も豊富です。よく見るとかわいい。

 
 名前がわかりません、というか忘れてしまいました。アゼムシロに似ている小さな花。

 
 センニチコウ



 赤と
 
 ピンク

 これだけは夏の日照りにも強かった。



 花に同化している赤とんぼ
 
 ホトトギスも何とか咲きました。
 
 
 けど、足元は

 
 何とか厳しい夏の暑さを生き抜いたことを物語っています。
 
 何とか生き抜いたのはこれも
 


 
 フジバカマ。春にはこのあたりにわんさか伸びていたのに、たった一株。全部夏の間に枯れました。ただ、小さな芽は出ています。
 


 もう少し日陰になる場所に植えてやらないといけないのかもしれません。 

 コムラサキシキブは実がわずかに残っているだけです。 シロシキブはとっくにありません。わたしの感覚では、いつもはもう少し遅い時期まで残っていたのに。
 


 
 最近ボケボケの写真が多いです。
 
 フウセンカズラも上の方で頑張っています。今年は下の方が茂らなくて、グリーンカーテンの役目を果たしませんでした。これも夏のせい。

 
 その中に!



 バタフライピーの花がさいていたんですよ。うれしい~
 今年撒いた種が一つも芽が出ず、こぼれ種を期待したのですが、去年いっぱい咲いた垣根の下も1本も出てきませんでした。これは、去年、余った苗をフウセンカズラと一緒に植えたものですが、生えていることさえ気が付きませんでした。まさか、ここで咲くとは!夫の除草剤攻撃もすり抜けているのです。
 
 ほったらかしと言えば、夏の間ビワの木の下でシンビジュームたちに埋もれていたマユハケオモトに花が咲いているのを見つけました。この夏は20日以上雨が降らないことが2回もありましたから、たま~に水やりはしていましたが、まさかね。
 
 鉢が泥だらけです。外に放置してたんですから。
 
 
 裏側
 
 
 全部で4株になっているのですよ。
 ほったらかしがよかったということか。
 
 ヒガンバナやキンモクセイなど去年も同じような記事を書いていました。秋の気温の高さはずっと定着するのでしょうか。
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おもしろ地形学という名のツアー2

2024-10-25 23:45:00 | お出かけ
 昼食後、バスは世田山(世田薬師)のふもとを抜け、山沿いの道を西へ向かいました。そして愛の山の手前、何にもないところで停まりました。
 
 バスは路駐です。 下りると道前平野が見渡せました。
 
 手前は水田、その向こうに集落があります。 右手のこんもりした丘は「おしぶの森」。わかりにくいかもしれませんが、手前に小さな「すくも山」が重なって見えます。
 
 集落のあるあたりが扇端部分で、その向こうはまた水田。山のふもとにうっすらと白く見えるのが高速道路のようです。それと並行して低い位置に国道11号線、さらに低い位置に中山川が流れています。



 説明によると、これが典型的な土地利用なのだそうです。山のふもとの水のあるところ(扇のかなめ部分)に集落ができ、いったん水は山から運ばれた土砂の下を潜って流れ(扇央)、その水が再び湧き出るところ(扇端)に集落ができました。
 
 弘法大師さんがここを掘れと杖を突くと水が湧き出たーそんな伝説がいろいろなところに残っていますが、案外お大師様はそうした地形の仕組みをわかっていたのかも。だとしたら昔のお坊さんは地理学や土木に長けていたのかも。
 
 集落の向こうに見える山々が石鎚山系の山です。そして自分たちが立っているところは今治から続く高縄山系の端っこ。その間を中央構造線が通っており、向こうは変成岩、こちらは花崗岩の土地というわけです。その境目が、この辺に限って言えば中山川のようです。この後その一端を見に行きます。
 
 
 ここで、山の三角断面というのを模型を使って説明してもらったのですが…
 
  理屈はわかるものの、どこのことを言っているんだろう?向こうの山並みは細長く伸びています。あれを横断するように切ってずらせば断面は三角形ではありますが?
 
 後日、もう一度ここを通ってみて、これのことか?と思ったのは
 
 後日撮影


 私たちが立っているすぐ後ろの山が三角形でした。かまぼこを切って少しずらせばこんな風に見えますよね。
 
 バスは愛の山と三角形の山の間を走って行って、また路駐、いや数分間停止しました。何のことかわからないままバスを降りると、講師の先生がペットボトルを持って立っていました。
 そして道の真ん中に水を流しました。
 ますます?の私たち。
 


 先生曰く、この辺りにおそらく日本で二番目に低い分水界があるのだと。
 分水嶺はよく聞く言葉です。山頂に降った雨が別々に流れていく堺のことですが、この谷でもそれが見られるというのです。
 それらしい所はなんとかわかりました。
 用水路の水も、大きな石の下で左右に別れて流れていました。
 
 
左へ
 
 

 右へ
 





 ううん、なんとなく分かった気はしましたが、雨が降っている時に見てみたいものだと思いました。
 
 さて、バスは山沿いの道をずんずん行って川(関谷川)に突き当り、川沿いの道を下って中山川の河川敷にやって来ました。
 説明によると、ここまで走って来た道が、関谷川によって作られた扇状地の周辺だということです。この扇状地も、扇のかなめにあたる場所に集落があり、中ほどに果樹園地帯が広がっています。そして扇端部分にまた集落が広がっています。関谷川が運んだのは肥沃な土と大きな瓦礫だったようです。そのために水はけがよく(別の言い方をすれば水持ちが悪い)果樹栽培に向いているのだとか(別の言い方をすれば水田には向いてない)。
 
 河川敷にはキッチンカーが待っていてくれました。人気のララジュースさん。
 イベントで何度かお会いしましたが、こんな車だったとは気づかなかった。



 いちごのラッシー
 

 濃厚でおいしかったです。ホッと一息つきました。ここまで結構真剣にお勉強しましたから。
 それぞれが好きなものを飲みながら最後のお話を聞きました。さすがにみんな疲れて、そのあたりに座り込んで聞く人も。私も座りたかったけど、我慢して立っていました。この河川敷は、私のブログにもしばしば登場する、新たな桜の名所です。写っている木々はすべて桜。
 
 模型を使って、断層の説明です。

 
 ここにわずかに川上断層の地層が露出している場所があるというのです。

 
 向こう岸の左の方、黒い石の部分がそれのようです。わかりにくっ。
 西条市に走る断層は、一番大きなのが中央構造線。説明パンフレットを見たところ、中央構造線の付近をしわのようにいくつかの断層が走っていました。中でも一番危険なのが川上断層なのだそうです。
 
 バスはここから湯谷口温泉を通って国道11号線に出ました。国道は、旧周桑郡小松町あたりまでほぼ中山川と並行に走っています。最後に石鎚神社の駐車場にやってきました。
 
 ここで見たのは、加茂川が作った扇状地、最初に見た観音水につながる、旧西条市の全体像でした。
 
 新居浜市方面
 連なる橋は加茂川にかかる橋かと思います。こんな風に見たことがなかったので、違っているかもしれません。
 
 
 正面

 
 左方向、旧周桑郡は山に隠れて見えませんでした。
 
 驚いたことに、目の前の水田も干拓されてできた土地だそうで(禎瑞はさらに向こう)。目の前の木々の下あたりまで海岸だったというのです。干拓事業は一度だけではなかったのですね。

こうして、西条市中心部を出発して、海沿い山沿いを走り西条市の西部を一巡してツアーは終わりました。
 
 以下、長文ですので適当に読み飛ばしてください。
 
 このツアー、主催者も驚く反響で、一緒に行くはずだった友人一人はキャンセル待ちになってしまいました。そしてついにキャンセル者は出ず、参加できなかったのです。
 ただ、平日のツアーということで参加者のほぼ全員が高齢者。若い人たちが参加できる形はないのかしら。それはそれでも残念ではありましたが、わが地域を知ろうと思う高齢者が多いということはどういうことか?
 私に限って言えば、若いときは職場と家とを往復するだけ。いつまでも自分の住む町に愛着を持てなかったというのが正直なところです。保護者の中に、私の出身高校の2年後輩がいて、彼女が「私はいまだにこの土地に馴染めなくて・・・」と言った人がいます。共感しました。家庭訪問では、子供のことではなく高校時代の思い出話で盛り上がりました。彼女、子供さんの受験を機に松山へ引っ越したと聞きましたが、その後どうしているかしら。
 
 それから・・・
 
 退職して、時間に追われることも無く犬を連れて散歩して、気ままに花畑の手入れをして、たまに農作業もして、身の回りの草の小さな花にまで目を止めるようになり、草にとまっている虫をしげしげと眺めるようになり・・・・そこに生きている草木も生き物もすべてをひっくるめて愛するようになって郷土への愛着は生まれるものだと、今はしみじみと思います。
 そして地球の動きから始まる土地の歴史に目を向けたら、ここに住んだ祖先への思いが加わりました。
 
 後日、娘から聞いたことです。
 
 関谷川扇状地ではところどころにお地蔵さんが立っているのを見かけます。娘曰く
「お地蔵さんのあるあたりは、昔どざえもんが溜まる場所だったんだって。」
不謹慎な言い方ですみません。地域の古老にこのように言われたらしいです。わたしはそれを聞いてこんなことを考えました。
 
 過去に何度も土石流が流れたに違いありません。そのたびに扇のかなめの部分は被害を受け、扇端部分の流れが緩やかになった場所に犠牲になった人が行きついたのでしょう。それがあのお地蔵さん付近だったのではないかと思いました。私の知っている限りお地蔵さんの建っている場所は全部水路のそば、そして集落のそばです。土石流は中山川に向かって流れて行ったことが想像できます。
 講師の先生の
「何もかも自然の現象にすぎないけれど、そこに人がいれば災害になる。」
 大昔から、人は水を求めて住み、災害の危険と隣り合わせて暮らしてきたのですね。到底人力では歯が立たない、強力な自然を相手に少しでも手を加えて安全を得ようとしたり、暮らしを豊かにしようとしたり、犠牲者を後世にわかる形で悼んだり・・・そうした人々の思いの上に自分たちの暮らしがあるーとても大切なことを学んだツアーでした。
 
 それにしても
「すべては自然現象。人がいればそれが災害になる。」
 昨今の災害を思うとなんだか切ない言葉です。
 
 
 
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おもしろ地形学という名のツアー 1

2024-10-20 10:03:00 | お出かけ
 ようやく9月の内容になりました。
 
 面白地形学という名の、ちょっと変わった募集ツアー。主催は市の観光物産協会です。西条市の地理に詳しくない皆様にはなんのこっちゃ、の内容ですが、とても充実した一日でしたので自分のために記録します。相変わらず長い文章ですがお許しを。
 

 講師は西条自然学校の山本先生。先生曰く、

 高校の地学程度の内容をわかりやすく伝えたい。今まで知らなかったびっくりのこともたくさんあるはずです。

とのこと。

 スタートは、市の文化会館のそばの観音水から。
 このあたりは、加茂川が運んだ土砂でできた扇状地の扇端部分にあたります。扇状地の水はいったん地下にもぐり、先端部分でわいてくるのだそうです。打ち抜きと呼ばれるこの水は、日本の名水100選にも選ばれています。
 西条市内には、こうした泉が90か所以上あるそうです。観音水は誰でも水を汲むことのできる水場です。
 
 

 この川のように見える水路が、実は川ではなく、湧出水の連続だったとは。



 ドブ川だったここをアクアトピアとして整備したのだそうです。今では素敵な憩いの場所になっています。



 西条市の中心部は、昔は田園地帯だったのですが、そのうち、豊かな水を利用して製紙業が起こり、やがて染め物業が盛んになったそうです。
 そういえばこの近くに「紺屋町」という通りがあったっけ。それって、染め物に関係のある町だったのかもしれません。
 
 ここから一行は大型バスに乗り込み、加茂川の土手を下って海近くまで出ました。そこから海沿いの防波堤に沿って作られた細い道を行きました。本当にバスがギリギリ通れる広さで、教習所のクランク練習場みたいなところを通り抜けた時は、車内から拍手が沸き起こったほどです。
 着いたのは海辺に立つ龍神社。晴れた日にはここから真正面に石鎚山が見られます。この日はあいにくというか、幸いというか(しのぎやすかった)、曇って見えませんでした。
 


 波堤沿いの道から行くにはこんな急な階段を降りなければなりません。



 防波堤より遥か低いところに田園と集落が広がっているのでした。



 江戸時代、龍神社の場所は、中山川と加茂川の2つの河口に挟まれた砂州の端っこでそまわりは海でした。その海を干拓してできた土地です。この先もずっと遠浅の海が続いているのだそうです。河口干潟としては全国で6番目の規模、四国最大の大きさだそうです(干拓した残りこの広さ。もとはどれだけ広い干潟だったのか!)干拓地は約300町、5年の歳月をかけのべ57万人の人の手によって完成しました。



 この地域は、干拓を指揮したお坊さんの何をとって禎瑞と呼ばれています。
 と、このことは地域の教材にもなっており、わたしもおおよそのことは知っていました。
  
 次にバスは国道196号線に出て、高須海岸近くから左折、大明神川の土手道を行きました。ここはダンプも通る道です。いうのも、川の砂を定期的に取り除かなければ、川底がすぐに上がってしまうという、天井川なのです。堤防上の標高21.7m、駅付近の集落は標高8mという差があります。
 水は大雨の時以外滅多に流れていません。きれいな、砂が水の流れのように続いていました。
 

 おや?何かの足跡が
 
 
 足跡がほぼ一直線に続くのはキツネかもしれないということです。キツネはモデル歩きなんですって。その下のやや乱れた足跡は?

 説明が終わりバスに乗り込もうとしたとき、あと数分で電車が来るという情報が。せっかくなので電車が川の下のトンネルを通るところを見ようということになりました。
 
 トンネルの見える場所まで坂を下りて、にわか撮り鉄になって電車を待ちます。
 トンネルの上に車道があります。撮ることのできる場所が限られているので、うまくは収められませんが



 やった! トンネルに入っていく姿を写せました。
 
 
 大満足でバスに乗り込み、再び196号線へ出て、今治方面に向かいます。海岸沿いの道です。次の目的地は瀬戸内東予休暇村です。

 まずは海岸まで下りて渚の端までいきました。
 潮が満ちていて先まで行けませんでしたが、この先には越智郡(今治市)と周桑郡(旧東予市・周桑郡)との境の石柱が立っています。
 
 
 ここで見たのは縦に割れている岩と海蝕洞。






 
 ここは以前ウマオの付き添いで来たことがありました。その時は入ることができなかったのですが、今回は入れます。ワクワク。人ひとりやっと通れる隙間を行けるところまで行きました。何もなかったですけど。
 
 この場所は高縄半島から続く地形で、花崗岩でできています。風化して崩れやすい岩です。一方、石鎚山系のふもとは変成岩でできた土地です。伊予の青石と呼ばれる青みを帯びた石は庭石として人気があると聞いたことがあります。
 つまり、西条市は2つの異なった成り立ちの土地があるということなのです。
 
 海岸の砂。
  透明な石英 白い長石 茶色のはなんだっけ? キラキラ光る雲母も混じっています。

 
 
 花崗岩は墓石に使われています。但し、大島石と呼ばれる、島から切り出された灰色の花崗岩です。そして、運動場の砂も花崗岩、稲の苗を育てる真砂土も花崗岩です。
 
 浜辺の植物
  

 たしかハマゴウ とネナシカズラ
 
 
 
 初めて見た花









 
 
 
 この後は国民宿舎で昼食です。
 
 瀬戸内御膳
 
 
  ご飯はもちろん鯛めし。おいしくいただきました。
 
 テラスから改めて海を眺めました。
 
 
 手前に見える白浜には「天然記念物カブトガニの生息地」と看板が立っています。この天然記念物、じつはカブトガニではなく、生息する海そのものが天然記念物なんだそうです。
 
 遠く向こうには埋立地が広がっています。工業用として埋め立てられたこの土地、思うように企業誘致は進まなかったようです。かといって農業用地にするには塩分が含まれていて不向きだったとか。
 
 
 ここからさらに今治に向かっていくと、織田が浜という美しい海岸がありますが、そこも大反対運動にも関わらず大半を埋め立てられて狭い範囲しか残っていません。
 
 高度成長期に、経済優先の施策だったのでしょうが・・・一度壊された白砂青松の海岸は、もとには戻せませんものね。

続く
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灯台元暗し

2024-10-16 01:58:19 | 植物
 
 またまた夏の話題ですみません。ジャコウアゲハの観察番外編です。
 本当に偶然なのです。はなこが道の端っこの三角地にしゃがみ込みまして、わたしは袋を手に用が済むのを待っていました。そういえばここをしげしげと見たことはなかったなあ。ポチもはなこも素通りしていたのです。で、そばに植えてあるお茶の木を眺めていたら、なんと! 見覚えのある、しかしこの辺では見たことのない蔓が絡まっているのに気が付きました。
 
   これは? ウマノスズクサ!
 10年近く前、趣味のビニールハウスの中でジャコウアゲハの死骸を見つけて以来、どこかにあるはずと探し続けていたウマノスズクサです。ようやく見つけたのは去年、しかもここからはかなり離れた場所。それがまさかこんなところに生えているなんて。
 地面には小さな苗。道の真ん中にまで生えているのです。
 
 
 4,5日して花が咲きました。間違いありません。
 
 
 うちの方では隣の畑との境に、お茶やシキミの木を植えているところが多いです。お茶も自家製だったんだろうな。シキミも今のように買ったりせず、自分の家で調達していたんだろうな。きっと日々の暮らしに欠かせない木だったのだろうと思います。ちなみに我が家も隣の畑との境にはお茶を4,5本と2本のシキミとを植えています。
 
 で、ここの持ち主さんに会ったとき、ウマノスズクサを根っこから採っていいか聞いてみました。すると
 
 ええ? ここで30年以上仕事してるのに知らんかったがねー
 もちろん採ってええよ。
 
 と、そこからジャコウアゲハの話になって、写真も見せて、盛り上がりました。
 
 それはそれは、灯台元暗しじゃったねえ。
 
 ほんとに。
 
 その間、はなこはおとなしく待っていてくれます。
 
 
 ウマノスズクサを見つけた時、この茶の垣根にはどれだけの蔓が絡みついているのだろうと、ぐるっと見て回ったのです。
 
 どれも7月の写真ですが、羅列します。
 
 多分ボタンヅル。


アマチャヅル あー花を見るとヤブガラシかもしれません。いずれにせよ、ここの散歩道には両方生えています。

 
 ノブドウ(一番手前の葉)
 
 




 カラスウリ


 
ヤマイモの仲間
 
 
 多分スイカズラ ヘクソカズラも混じっているかも



? ビナンカズラの葉のようにも見えますが。



 ハスノハカヅラ 下の方にあるのがヘクソカズラですね。カラスウリ、ボタンヅルも混じっています。

 
 と、まあ、こんなにもたくさんの蔓が巻き付いていたのです。ここにないのは、エビヅル、イシミカワ、アケビ、カナムグラくらいでしょうか。いや、強敵のクズがここにないのは幸いです。
 
 そして秋。
 うちのレモン畑のイシミカワ。こんなにきれいな実がなっています。
 


 
 
 けど、この蔓延りようは許せません。直ちに引きはがしました。



 それからこれも別の場所ですが
 黄色い花が咲きます。

 
 トリキリマメですかね。タンキリマメかも。

 
 黒い実がつぶらな瞳のようでかわいいのですが、
 この奥にはお茶の木があるのです。きっと瀕死のはず。
 
 ここのお茶の木にはさらなる受難
 ようやく隙間から顔をのぞかせることのできた葉っぱに
 
 
 夏、葉っぱだけだったノブドウにも実がなり始めました。
 奥の葉はビナンカズラ



 ノブドウの花
 


 ここのノブドウは実がまばらのようです。
 
 


 余談ですが
 
 秋になってはっと気が付いたことがあります。
 いつも通っているあの道。お茶の木の蔓が大分退治されて、お茶の枝が刈り取られました。それを刈ったのはジャコウアゲハの話をしたあの持ち主さんです。お茶の木が向こうの畑との境だとすると、こちら側にある散歩道は? 
 
 あの持ち主さんの畑の一部か!
 
 そういえばここを通るのはあの持ち主さんの軽トラと私達だけ。お茶の木が途切れたその先は両側とも同じ持ち主さんの畑でその真ん中に車の通る道が続いている。つまり、私は何年も堂々と人様の畑の真ん中を歩いていたというわけです。われながらなんとずうずうしい。もちろんそれについて文句を言われたことも無く、いつもポチやはなこに声をかけてくれる優しい持ち主さんです。
 今日なんか、持ち主さんの軽トラと真正面に出くわしてしまい、私とはなこがよけるために、ウマノスズクサのところまでバックしてくれたのですよ。
 
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そして誰もいなくなった2 ジャコウアゲハの観察2

2024-10-13 10:41:30 | 生き物
 7月9日には確かにいたはずの小さな幼虫(卵c)の姿が見えなくなりました。葉っぱの一枚一枚、裏も丁寧に見ましたがいません。どこへ行ったのか? 大きな幼虫が切り落とした葉っぱに紛れていた? それなら捨てるときに気が付くはず。で、私の出した結論は?
 
 ほかの幼虫に食べられてしまった
 
 ジャコウアゲハの共食いについてはいくつかのサイトで触れられていました。あの時一緒の茎にいたからなあ。私は幼虫を別々の草で育てなかったことを激しく後悔しました。
 (卵Cの件だけではなくほかの理由もあって) 
 
 7月6日 娘と出かけたついでに回り道してジャコウアゲハの生息地に行ってみました。そこで見つけたのは
 
 
 桑の実みたいな赤い幼虫。
 ネットで検索すると、こういう個体も見られるそうです。中には、寄生バチに寄生されているという説もありました。だったら観察してみるしかないでしょう。というわけで我が家に連れ帰りました。
 前からいる、小さい幼虫3と同じくらいの体格でした。これが、別々に飼わずに後悔した理由です。
 
 見分けがつかないの。いや、途中まではわかっていました。
 
 顔が茶色。(今までのは全部黒)

 
 体も少し色が違うのですが、光の塩梅で写真はあまり正確ではないです。
 
 7月11日
 
 それにこんなにもつれ合っていては・・・
 
 
 この格好!もしかしてどちらかが食べている? いや、大丈夫でした。急いで2匹を分けました。
 
 分けたにも関わらず、赤、黒どちらかの幼虫が忽然と姿をけしました。どこをどう探しても見つからず、わたしは、どこかでさなぎになって羽化して、開けていた玄関から飛んで行ったのだろうと考えました。
 
 
 7月14日 残った1匹が活発に動き出しました。 茎を登っては下り、壁に上っては下り・・・
もしかしたらさなぎになる場所を探しているのかな? 出来たらわかりやすい場所でなってほしいな、と割り箸を与えてみたのですが、
 
 
 やっぱり下りて行ってしまい
 床を這いだしました。
 
 
 どうもこれは赤い幼虫のようですね。
 
 いったんドアのところまで行き、また引き返して上り口まで来て



 上に行こうとしていました。いったんその場を離れたその間にいなくなってしまったので、床に這いつくばって上を見上げると、
 
 いました。またもやベンチの下です。まだ脱皮した殻をくっつけていました。
 
 7月14日
 


 しかし、おかしい。床を這っていた時から一日もたっていません。まだ前蛹のはず。さなぎになるはずがありません。これは赤い幼虫とは違う。とすると?
 行方不明になっていた幼虫③だ!
 だとしたら赤い幼虫は?
 またまた床に這いつくばって探した結果
 
 7月16日

 
 なんと、上がり框の2cmほどの出っ張りにいたのです。
 
 普通の色と変わりない蛹でした。
 
 7月25日
 ベンチの下のさなぎが羽化を始めていました。
 
 
 チャンス! 動画を撮り始めたのですが、いつまでたってもこの状態から抜け出せません。おしりにくっついていた前蛹時代の殻もそのまま残っています。その殻は私がはずしてやりました。
 
 7月30日彼(彼女)の力の限りの努力にもかかわらず、ついに死んでしまいました。
 
 
 
 最後に残った赤い幼虫は
 7月25日 色が黒くなってきました。

 


 
 
 7月26日 朝 無事に羽化してドアのガラスにとまっていました。
 

 
 赤い幼虫は寄生されていなかったようです。
 戸を開けると、さっと飛んで行ってしまいました。
 
 我が家の近くに放すことに気がかりがないとは言えないけど、成虫のえさになる花ならこのあたりにも豊富に咲いています。ちょうど大型のチョウがすきなクサギの花が咲きだしたし、ランタナもたくさん花が咲いています。生きていくには問題ないでしょう。遠く離れた生まれ故郷まで帰っていけるか? でも、10キロもは離れていません。
 
 ひとつ希望があるのです。
 
 飛んで行ったチョウは1匹ではないということ。実は娘のうちで飼っていたチョウが2匹、玄関を開けたとたんに逃げられたそうです。だから仲間は3匹。
 そしてー
 意外なところでウマノスズクサを発見したのです。うまくいけばジャコウアゲハの生息地がもう一か所増えるかもしれません。
 
 ジャコウアゲハの故郷は今




 きれいに刈りはらわれ、新たにウマノスズクサが伸びようとしていました。もちろん幼虫も卵も見つけることはできませんでした。
 
 こうして、本当にだれもいなくなりました。   
 
                                  ジャコウアゲハの観察 おわり
 
 
 
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そして誰もいなくなった ジヤコウアゲハの飼育記録 1

2024-10-10 23:24:17 | 生き物

もうだいぶ前のことですが(季節は初夏)ジャコウアゲハを次々と飼育しましたので記録に残しておきます。

6月23日、わずかな晴れ間を縫って羽化した成虫を放しに行きました。
 
ジヤコウアゲハの観察 前編 - あた子の柿畑日記

ジヤコウアゲハの観察 前編 - あた子の柿畑日記

9年間探し続けていたもの、それは、わたしの住む地域に住むジヤコウアゲハです。去年、ついに食草であるウマノスズクサを発見しました。が、蝶の成虫をこの目で見ることはで...

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ジヤコウアゲハの観察 後編 - あた子の柿畑日記

ジヤコウアゲハの観察 後編 - あた子の柿畑日記

前編幼虫〜サナギ後編羽化放蝶6月23日6:23あまり早起きはできませんでした。案の定、羽化は終わって羽もかなり伸びていました。昨夜1時まで粘らずさっさと寝たらよかった。...

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  その時、うれしい光景を目にしたのです。数匹のジャコウアゲハの飛び交う姿、そして何匹もの幼虫と卵。そこは確かにジャコウアゲハの生息地だったと思えました。そこで、刈りはらわれそうな場所にいた幼虫を2,3匹連れて帰り、娘と半分ずつ分けて飼うことにしました。
 
 わたしは1匹だけのつもりでしたが、持ち帰ったウマノスズクサを整理していたら、もう1匹いたのです。体の大きい幼虫A やや小さいB
 まずは幼虫Aから
 
 6月24日
 
 
 
 
もりもり食べて
 
葉が足りないのか下まで下りてきました。
 
 
 
また登って行って茎のてっぺんで茎をかじっています。
 
 
葉っぱには見向きもせず
 
かじって落としてしまいました。
 
6月30日 茎を登って前蛹に。 わかりやすい場所でよかった。
 
 
7月1日 蛹になりました。
 
 
7月11日 色が黒くなってきました。 今度こそ羽化の瞬間が見られるかも。
 
 
 
正面から見ると犬の顔みたい。
 
 
 
 
 
 
7月11日 午後3時半過ぎ またもやその瞬間を見逃しました。
せっかく昼間の羽化だったのに。
 
 
 天気が悪かったので放すのは明日にすることにして、蜂蜜をガーゼに浸して与えました。
 これはまだ吻を伸ばしていませんが
 
 
 少しするとしっかりと蜜を吸っていました。
 
 
 7月12日 無事に生まれ場所に返すことができました。 いなくなったジャコウアゲハ 1
 
 
 次にその時見つけた卵。室内で飼育したほうが、寄生バチなどの犠牲にはならないというので連れて帰ったのです。
 
 卵C
 
 
 ところが、これももう一個くっついていたのです。卵D
 
 
 こうして大写しにしてみると、これは本当にジャコウアゲハの卵だったのでしょうか。
 
 6月27日 卵Cの孵化の瞬間に出会いました。残念ながら手元にスマホを持ってなかったので、決定的な瞬間を写しておりません。



 
 もう一つの卵Dは?

 
6月28日 はやくもイモムシに Dは変化なし


 
 6月29日 目に見えて大きくなっていきました。

 
卵 Dはついに孵化しませんでした。いなくなったジャコウアゲハ2
 
7月9日
一つの茎に幼虫Bと卵Cが一緒にいます。いや、いました。この日までは確かに。
 
 
 しかし・・・    続く
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ヒガンバナについての疑問②

2024-10-07 20:14:07 | 植物

 ヒガンバナについての疑問2  ヒガンバナに対する人々の意識は変わったのか?

 
 これはかなりの自信を持って
    YES
と答えます。
 
 彼岸頃に墓地で真っ赤な花を咲かせるヒガンバナは、死人花とまで言って忌み嫌う人も多かった。わたしの夫も、縁起が悪い、と、嫌っていました。半世紀近く前のことです。今は何も言いません。
 道端の柿畑の持ち主は、生えていたヒガンバナの球根(正確には鱗茎)を全て掘り上げ、道に放置していました。すると、道を通る車がぺちゃんこにしてくれます。その畑には今もヒガンバナはありません。
 ズラッと並んだヒガンバナを棒で薙ぎ倒して行く悪童もいました。
 でも今は、わざわざ咲いたヒガンバナを刈る人は、わたしの知っているかぎり、この空き地の持ち主だけではないかしら。
 ここの持ち主さんは、いまだに縁起の悪い花と信じているのかもしれません。
 
 昨日の夕方
 


 真ん中まですっかり刈り取られました。

 けどね、手前の花、わかります?真っ先に刈られた、道端の花なんです。


 この通り、綺麗に復活。
 




 うーん
いまいち意図が分からん。
 
 最近では、ヒガンバナを美しい、愛でるべきものとして大切にしようとする人が増えているなと感じます。
 
 昨年行った松山市窪田町のヒガンバナは地元の人たちがお世話をしているそうです。
 
 それから、個人でも、ヒガンバナをたくさん咲かそうとしている人が少なからずいるようです。
 


 ここのヒガンバナは、草一本生えてない花畑の端っこに咲いています。敢えて残しているようです。
 
 道路脇の空き地も、年々花が増えています。ボツリポツリと白花が見えているところを見ると、ここも意図的に紅白のヒガンバナの群生を作ろうとしているのではないかと思います。
 




 畦道は、刈る人もなく放置した結果、赤い帯が年々豪華に。
 
 




 ここを犬を連れたご夫婦が散歩していたり、小さな男の子とお母さんが、虫取り網を持って歩いていたり…
 ノスタルジックで素敵な光景なんです。
 
 そして、彼岸花で赤い道になったという実家近くの道は
 
 前も
 


 後ろも


 ヒガンバナだらけ。。ここ、細いけれどちゃんとした道なんです。子どもの頃はこの道も遊び場の一部でした。





 以前、弟が、
これを踏んで歩く気にはならんじゃろう
と言ったのを覚えています。確かに。これを踏みにじるなんてね。
 綺麗な花は昔も今も変わらずきれいなのに、根拠のない言い伝えや刷り込みに影響されて綺麗に見えなかった昔。それが、綺麗ものはきれいと素直に認めるように、人々の意識が変わってきたのは喜ばしいことだと思うのです。これって花に限らず、世の中全体に言えることですよね。
 
 わたしは咲き始めのちょっと暗い赤が好き。
 






 
 
 
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ヒガンバナについての疑問 ①

2024-10-06 02:25:00 | 植物
 10月になってどこもかしこもヒガンバナだらけになってきました。ヒガンバナの咲いている風景を見て、わたしなりに気づいたことを書いてみます。科学的な裏付けのない素人考察ですので、そこは大目にみてくださいませ。

 今年の開花のばらつきを見て、思ったこと。
 ヒガンバナの開花は、気温に左右されるのか?

 今年一番に見つけたのは9月7日、大木の影の藪の中でした。この辺りの土地に詳しい農家の人が言うには、その辺は冷気の溜まる場所なんだそうです。
 
 こんな草の中に、ぽつりぽつりと咲いていたように思います。


 それから、桜三里の山影の方が、田んぼの畦より早く咲いていたように思います。
 
 毎年、空き地全体に花が咲くこの場所
  大きな八朔の木の下に早々と花が咲きました。そして、早々と刈り取られました。


 倉庫の陰にもさきました。


 けれど太陽がさんさんと照りつける真ん中の方は



 まだこんな状態だったのです。

 昨日(10月4日)散歩の時に、突然真っ赤っかになっていたのでびっくり‼️2日ほど雨でこの道を行かなかったんです。
 一斉に咲いたのは、雨で気温が下がったからではないかしら。
 
 今朝大急ぎで写真を撮ってきました。
 


 ああ〜、手前の方はだいぶ刈り取られていました。




 同じ場所なのにこんなに咲き方にズレがあるのは、日向と日陰、ほんのちょっとの温度差が影響しているのかもしれません。

 ただ、そうとは言い切れないかも。というのは、この広場の持ち主はヒガンバナが嫌いなのか、道端は咲く前から刈り取ってしまったのです。毎日少しずつ中央に向かって刈っているようです。その、刈り取られた道端(写真、手前の部分)
は?


 ふたたびヒガンバナの花芽が!



 一番早く刈り取ったところは、もう一度赤い帯のようになろうとしているのです。
 


 茎を刈られたヒガンバナは、もう一度茎を伸ばしてくるものなのか? ちょっとそれはあり得ないとわたしは思うのですが、だとしたら別の球根が伸びてきたのか?

 草のない場所のヒガンバナが咲くのが遅いのは温度差のせいと言い切れないのはこういうことがあるからなんです。

 それにしても…

 どうせまた咲くなら、全部咲ききってから刈ればいいものをー
一番綺麗な時に刈ってしまうんですものね。













コメント (4)
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彼岸の頃

2024-10-02 21:17:57 | いろいろ

 秋の彼岸からはや一週間たちました。お盆のころにつづいて、今年の気候の記録として書いておきます。

 
 彼岸前、愛媛では5日続けて熱中症アラートが発令されました。もう、これだけでも異常事態。そして彼岸の日のあの豪雨です。久々の雨とはいえ、叩きつけるような激しい雨でした。
能登地方の雨被害には言葉もありません。どうして同じ地域ばかり・・・
 あの日を堺に夜の気温がグッと下がりました。ポポーがなかなか木から落ちず、マンゴーも熟れません。
 
 9月23日、墓参りに行って弟宅へ寄りましたら、倉庫の隅にヒガンバナが咲いていました。
 


 今年はちょうど彼岸に咲いたのう。と弟は言いましたが、



 けど、本当にそうかしら。
 この水路の土手には、毎年見事な彼岸花の絨毯ができるのですが、今年はお彼岸がきてもまだこんな感じ。
 
 同じ9月23日の写真です。


 この日、桜三里の山裾には既に花が咲いていました。どうも山の方が先に咲き始めたみたい。
 さらに、同じ23日の夕方、散歩の途中でキーウイ畑の下にたくさん咲いているのを見つけました。
 はなちゃん、綺麗ね。とても上の写真と同じ日とは思えないでしょう?

 ここも日陰と言えば日陰です。



 せっかくだから、モデルになってもらいましょうか? はなちゃん、こっち向いて



 なんとか向いてくれたけど、カメラ目線じゃない〜



 やっぱり写真慣れしたモデル犬にはなれませんでした
 
   それから五日後
 川の土手や草がきれいに刈られて、彼岸花だけがツンツン伸びていました。でもまだ固いつぼみでした。彼岸花と言ってもこんなにも咲き方が違うのです。



 やっぱりなぁ。 総じて言うと、今年の彼岸花は咲くのが遅いです
 
 9月1日に松山市へ出かけたところ、あちらの方では畔端の彼岸花満開でした。美しい彼岸花の景色はまた別にー

ここからは追記です。
(今朝はっと気づいたことがあります。

 草を刈られた場所だけだなあ。

後日もう一度ヒガンバナについて考察してみます。)

 そういえば、うちの白い彼岸花はどうなってるのかしら?見に行ったら
 
 ???
 
 めちゃくちゃ蔓延ったオシロイバナの花の中にちょっと白いものが見えました。
 



 精一杯背伸びして咲いていました。私は大急ぎでオシロイバナを始末しました。



 今年は彼岸花だけでなく、他にも花が遅いと感じるものがあります
 
 例えばヤブミョウガ
 もうとっくに実がついていてもいい頃なのにまだ花盛りでした。
 薄暗い夕方、近づけない場所なのでこんな写真しかありませんが。
 



 ところで、道を走っていて、こんな風景に出会いました。


 
 まるで田植え直後のように満々と水をたたえた田んぼ 縛っているのは、穂が水につかないようにしているためだと思います。出穂期には田んぼに水を張らなければならないと聞いたことがあります。そういうことなのかなぁ。そんなつもりで田んぼを見てみると
 こちらの田は水が引いていますが



 注目したのは、その稲の様子。まぁなんときれいに生え揃っているんでしょ。いつもは実って穂の垂れた田んぼしか見てなかったなぁ。その前は、こんな姿だったのか。この歳になってそんなことにも気づかなかったなんて。
 改めて、その凛とし立ち姿に見惚れました。



 
 ポポー畑に行くと、2つの朝顔に似た花が花盛りです。
 夏のころから咲いているのですが、まだ二種類のアサガオ?がせめぎめぎ合っています。




  清々しい青と愛らしいピンク

  ポポーの木に這い上がるホシアサガオ? 
 


 地を這うソライロアサガオ? 
 
 
 去年も同じころ花盛りだっと思うのは
 イタドリの花です。





 近くで見るとこんなに愛らしい。そして咲き始めは純白です。


 
 運動公園ではいつまでもツクツクボウシが鳴いていましたが、秋の虫も鳴いています。
 
 残念、トリミングしたらボケてしまいましたけど、多分カネタタキ。
 
 
 ほかにもコオロギ、スズムシ、マツムシなどの鳴き声も聞こえます。
 
 最後に秋の美しい空を
 秋の夕焼け鎌を砥げといいます。 晴天続きの彼岸前はこんな夕焼けがよく見られました。
 
 



 
 
 彼岸直前まで、まだ入道雲が出ていたのですよ。
 
 
 とても大きかった9月19日の月
 
 
 
 徐々に秋らしくはなっていますが、さて?
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