あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

セミのから

2007-07-31 01:41:28 | 生き物
 朝、草引きをしていて、葉っぱの上にセミの抜け殻を見つけました。これはニイニイゼミです。へくそかずらの葉の上で羽化したようです。
 下の娘が小学校2年生の時、夏休みの宿題でセミの抜け殻を集めて統計を取ったことがあるのですが、ニイニイゼミはかなり低い場所で羽化します。それにしてもこれはかなり低い位置。地面から10㎝も離れていませんから。雨の日だと葉っぱの陰など雨の当たりにくい場所で羽化しますから(これも研究の結果わかったこと)これは晴れた日に羽化したのでしょう。
 ところで、なぜニイニイゼミの殻は泥だらけなんでしょうか。アブラゼミやクマゼミ、ツクツクホウシなどはみな、つやつやの油でも塗ったような殻なのですが。その油で揚げたようなセミの殻を毎朝袋いっぱい集めてきて「唐揚げにして!」と見せに来るのが娘たちの夏休みの日課のようになっていました。そのころは我が家の前はみかん畑で、そんなにもたくさんのセミがいたのです。今はみかんの木も切られ草ぼうぼうの空き地で、空から降り注ぐようなセミの声も少なくなってしまいました。でも、我が家の庭の下でセミは生きていたんだね、そう思ったらなんだかうれしくなりました。
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タマゴを産む瞬間

2007-07-30 00:29:04 | 生き物
 ニワトリ小屋にもたまごどろぼうがもいました。前々から時々、たまごが割れて殻だけになっていることがあるのです。犯人はもちろんニワトリに決まっています。殻が柔らかく割れやすいのがあって、割れるとすぐ中身を食べてしまうニワトリがいるのです。では、なぜ殻の柔らかいたまごは割れるのか、その原因がわかりました。原因は、ニワトリがタマゴを産む姿勢にありました。ニワトリはタマゴを産むとき地面にうずくまって産むのではなく、中腰で産み落とすのです。それもかなりの長い時間いきんだ末に。うちのニワトリはみんな狭い箱の中に入ってタマゴを産みます。たまごが箱に落ちたとたん、ゴトッと音がしました。拾い上げてみると、箱に当たった部分にひびが入っていました。箱の中にわらをしきつめてやり、たまごは割れなくなりました。それでたまごどろぼうもいなくなりました。

 ところで今日、再びタマゴを産む瞬間を目撃しました。決定的瞬間をカメラに納めるチャンスです。わたしは、カメラの焦点を合わせてじっと待つことにしました。1羽のニワトリが、ちょうどこちらにお尻を向けてすわっています。下にいるのは、向こうにお尻を向けて産もうとしているニワトリです。狭い箱の中で上に乗っかかられて苦しそうです。ただでさえ、タマゴを産むのは簡単ではありません。時間を計ったことはないのですが10分以上は座っていきんでいるようです。今までニワトリは簡単にタマゴを産むと思っていたのですが、その姿を見るとなんだかたまごを食べるのが申し訳なくなってきます。ニワトリは毎日産みの苦しみを味わっているのですから。
 いよいよ産まれるころになると中腰になっていきみだします。下のニワトリは首の所を力いっぱい踏んづけられて、失神するのではないかと思えるほどです。それでもわたしは汗をぽたぽた落としながらカメラを構えています。カメラは1分たつと節電のため自動的に切れてしまうので、そのつど電源を入れ直し、3回もそれを繰り返しました。もうすぐだーと思ったらまた、液晶画面が真っ暗に。「もうー、またあ。」と思った瞬間、「ああー!」ニワトリのおしりからたまごがするりとすべり落ち・・・。
 この写真は、たまごを産む前に撮ったもの。たまごが写っていますが、別のニワトリが産んでいたものです。
 当ののニワトリは「コケーッコッコッコ、コケーッコッコッコ」と高らかに叫んで急いでえさを食べに行きました。毎日毎日苦しんで産んでいるはずなのに、なんだか誇らしげな元気な声でした。
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茗荷(みょうが)の花

2007-07-28 22:21:42 | 植物
 テレビで見た料理を作るために、庭にミョウガを採りに行きました。わたしたちが口にするミョウガは、実はたくさんのつぼみを何重にも包んだ苞の部分です。ここからクリームがかった白い花が次々と咲きます。葉は50㎝ぐらいの茎に茂っていて、葉っぱでうすぐらい地面に半分くらい顔を出しています。けっこう目立ちにくい姿です。
 わたしは子どもの頃ミョウガの花を探すのが好きで、夏の間ミョウガの葉っぱの元に首をつっこんでいました。母はそれをナスといっしょに煮ていました。くせのないナスが不思議な匂いになりました。きらいではありませんが、子ども向きの匂いでなかったことは確かです。もう一つ、ミョウガの葉っぱに包んだおまんじゅうもよく作ってくれました。米粉をこねてあんこをくるんだまんじゅうですが、それをミョウガの葉っぱで包んで蒸すと、これも何とも表現しがたい不思議な匂い。子供心にあまりおいしい匂いだとは思わなかったのですが、あんこはおいしいので喜んで食べていました。
 ところで、ミョウガの花はなんのために咲くのでしょう。普通花は枯れると実がなり種を作って子孫を増やします。ミョウガは主に地下茎で増えていくようです。花が枯れても種らしきものは見あたりません。第一、こんな薄暗いところでどうやって受粉するのか。チョウやハチはこんな所まで飛んできません。風もあたりません。つまり、虫や風によって受粉はできそうもないのです。だったら受粉は何によってするのか。受粉できなかったら種がないのも当然で、ならばミョウガは何のために花を咲かすのか。種のない植物はあり得ないので、わたしが種を知らないだけなのでしょうか。匂い以上に不思議です。
 ともあれ、今のわたしはミョウガが大好きです。きざんで冷や奴にのせたり、冷やしそうめんの薬味にしたり、ナスの即席漬けに入れたり。天ぷらにしたりもします。でも我が家のミョウガは植えて2,3年しかたってないので、花もせいぜい4,5個。需要に追いつきません。
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千の風になって

2007-07-27 22:36:27 | ペット
 美容院に行ったら七夕の笹がかざってありました。私の住んでいる地方では、七夕は7月7日ではなく8月7日にかざります。お客さんに願い事を書いてもらっているとかで、短冊を渡されました。ああ、昨日までだったら、「シロ、できるだけ長く生きていてね。」って書けたのに。ちょっと考えて次のように書きました。
    
    「シロ、千の風になって、いつまでもわたしたちのそばにいてね。」

 先日、新聞に「死者が千の風になるという考えかたは、全てのものに魂が宿るという原始的なアニミズムに通じる。仏教などの成熟した宗教は、それを克服して『死者は極楽浄土へ行く』ということで魂を救済しようとした」といった内容の記事が出ていました。しかしながら「千の風になる」という考えかたが広く人々の共感を得たのは、残されたものの悲しみを癒す考えかただったからだと思います。死んだら極楽浄土へ行く(生きていける)という教えは、死すべき人間にとっては、死の苦しみや恐怖を除き、来世への希望をもたらすかもしれませんが、残されたものの喪失感は簡単には消えません。
 とはいうものの、24時間ずっと悲しんでいるわけではないのです。喪失の思いはふとした瞬間に浮かんできます。たとえば、朝えさをやりに外へ出て、いつも戸口で期待に満ちた顔で待っているシロの姿が見えないとき、あるいは車庫の隅でぐったりと横になっているのを起こさないように、そっと車を乗り入れようとして「ああ、もうそんなことしなくていいんだ」と思うとき。そんなとき、あの子は風になって今ここにいると考えると、ふっと心が軽くなるような気がします。
 「千の風になって」の歌が大ヒットしたということは、それだけ多くの人が悲しみを抱えて生きているということなのでしょう。

 
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別れ

2007-07-27 01:03:01 | ペット
 うちの病犬が死にました。闘病4ヶ月余り、この夏は越せないだろうと覚悟はしていましたが、こんなにあっけなく逝ってしまうなんて。
 昼過ぎには、知り合いのおばさんが久々に訪ねてきて、他の2匹の犬が激しくほえているのに、彼女だけは(雌です)親しげに近寄っていったのです。「覚えといてくれたんじゃね。」と頭をなでてもらってうれしそうにしっぽをふっていたのに。その3時間後、帰宅した娘が暑い通路で倒れているのを発見したときには、もう硬くなっていました。もしかしたら、おばさんに近寄っていったのはおわかれのつもりだったのかしら。
 
 この子の母犬が死んだときは、わたしも仕事をしており、朝あわただしく出かけるのをうずくまって見送ってくれるのを車の窓から見たのが最後でした。娘たちは県外の大学におり、夫が一人で畑の隅に埋めてくれました。病院にこそ通いましたが、十分にかまってもやれず、心細い思いをしたのではないかと、悔いの残る死でした。
 この子はわたしが仕事を辞めいつも家にいるので、母犬よりは多くのふれあいがありました。それがせめてものなぐさめです。律儀で従順な性格で、家の者がそばへ行くと、ぐったりと寝ていても起きあがってしっぽを振るのです。そのたびに顔をなで、体をなでてやるのが習慣になりました。鎖が重たいだろうと、自由にしてやってからは、よく、同じ日に生まれた姉妹犬のそばで寝ていました。昔のようにじゃれ合うわけでもなく姉妹が静かに寝ているのを見ると、お互いに別れが近いことを知っているような気がしました。
 その姉妹犬がしきりに死んだ犬を気にするので、そばに連れて行くと、くんくんにおいをかいで鼻や耳をなめました。「どうしたの?ねえ、起きて。」とでもいうように。でも起きあがらないとわかると、そばをはなれていきました。きっと、永遠のお別れだと言うことがわかったにちがいありません。
 
 娘たちと庭の隅に穴を掘って埋めました。畑に咲いていたひまわりとヘメロカリスの花を顔の周りにおいてやりました。赤い首輪のビーズがきらきらと光りました。

 うちにはまだ2匹の犬とねこがいます。わたしの周りの人々もわたしと同じように年を重ねていきます。これから先、どれだけたくさんの別れがあるのでしょう。夕方になっても、いつものように花畑の手入れをする気にもなれず、ぼんやりと空を眺めていました。
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夜の訪問者

2007-07-25 15:42:30 | 生き物
 夜アトリエで作業をしていると、灯りにひかれていろいろな虫がやってきます。
 ドーンと盛大に網戸にぶつかるのはカブトムシ。我が家にはもう小さな子どもがいませんから、窓を開けて捕まえたりもしないのですが、朝、仰向けにひっくり返ったまま起きあがれないでじたばたしているのをよく見かけます。
 もう少し軽くトーンとぶつかるのは、たぶんカナブンかセミ。セミは何を勘違いしてか、そのまま窓にとまって夜中にジージーと鳴きだしたりします。
 そして、音もなくいつの間にか忍び寄ってくるお客様。これが、写真の「やもり」です。彼(彼女?)は必ず毎晩現れるので、たまに姿が見えないときになってしかたありません。「やもり」は家の守り神と言われ、ヤモリがいるとその家には悪いことがおきないそうです。うれしいことに我が家にはあちこちに現れるので、当分大丈夫かな?
 「うちにやもりがいてね。」と人に話すとたいていの人は「ああ、あの、おなかの赤いやつ?気持ち悪くない?」と言います。おなかの赤いのは「イモリ」。両生類で水の中に住んでいます。おなかの赤と黒のもようが毒々しくて不気味。でも、見かけによらずかわいいのです。教員時代に子どもたちとイモリを飼って産卵とふ化に成功したことがあります。赤ちゃんイモリには外側にえらがあってウーパールーパーみたいです。人にもなれて、わりばしから直接えさのイトミミズを食べたりします。
 さて、「ヤモリ」はごらんのとおりおなかは白っぽく、背中は灰色っぽい茶色です。とかげやへびとおなじは虫類の仲間です。夜現れるのは、窓に寄ってきた小さな昆虫をえさにしているから。手足の吸盤を使ってまどがらすにぺたっとはりついています。一生懸命広げた指がとってもかわいい。実は、顔もかわいいんですよ。目がまん丸で、へびやとかげより丸顔です。残念ながらすばしっこくてゆっくり観察できません。ゆっくり見られるのは、彼らがお食事に夢中になっている間だけ。それで、作業に疲れるとヤモリを眺めます。一時するとおなかがいっぱいになるのか、また音もなく消えるのです。
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ワイルドストロベリーって?

2007-07-24 15:52:31 | 植物
 去年の秋、ワイルドストロベリーの苗だというのでもらってきたイチゴに花が咲きました。どうみてもこれはへびいちご。実になってもへびいちご。子どもの頃は野生の木の実や野いちごはおやつ代わりに食べていましたが、「へび」という名前のせいか決して食べてみようとは思わなかったいちごです。
 教員時代、子どもたちと登山をした帰り道で、桑の実やら木イチゴやらを見つけて食べながら帰ったことがあります。田舎の子でも今の子は野生の植物を食べるという意識が全くありません。でも、本当に食べられるとわかったら大喜びで、我先にと採るようになりました。くたびれはてたおばさん先生を置き去りにして行ってしまった子どもたちは、数10メートル先で待っていてくれました。「ここにいっぱいありますよ。」目をきらきらさせて指さした先には、なんとへびいちごが・・・「ええっ?! 食べたの?これ。」脳裏にちらっと保護者のお怒りの顔が。でも、ヘビイチゴは無毒のはず。食べてしまったものはしかたない。「それで、どんな味だった?」と聞くと、「あじはありませんっ。」ときっぱり。・・・どうやら無味無臭だったようです。
 で、ヘビイチゴがワイルドストロベリー?そんなはずはないよね。でもかわいいからそのままおいとこうか。とプランターに放置されているのがこの写真なんですが、2,3日前の新聞記事でワイルドストロベリーは、別名「えぞへびいちご」だと言うことを知りました。なんだ、どうりでよく似ているはずです。やっぱりうちのはへびいちご。花が黄色だし、実も小粒です。でも「えぞへびいちご」が食べられるのならへびいちごも食べられるはず。子どもたちもおなかもこわさず無事だったし。というわけで、ついに生まれて初めてへびいちごを食べてみました!
 ほんのちょっぴり酸味があるだけで匂いもなし。「あじはありませんっ」と元気よく答えた子どもたちを懐かしく思い出したのでした。
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革の絞り染め

2007-07-23 10:01:07 | レザークラフト
 革で絞り染めをしました。染め方をおさらいしてみます。
 使うのはギン革です。(表面だけの薄い革)布のように薄く、洋裁感覚で扱えます。
 1 革の表裏を水でぬらす。
 2 ピンセットや指で革を細かくつまんでいく。つまむ方向を変えたり、ねじったり、つまむ分量を変えたりして変化をつける。・・・これで元の大きさの半分ぐらいに縮めます。
 3 縮んだまま乾かす。
 4 表面から染料をかけていく。しわになった中の部分は色が入りにくいので、手で広げて染料をすり込むようにする。
 5 しわを伸ばしていく。完全にのばすのではなくややしわが残る程度にする。
 6 乾かす。
 7 表面にアクリルカラーのパールゴールドをかける。
     
         できあがり
 
 カメラではなく携帯電話で撮ったので色が実物とちがうのですが、雰囲気はこんな感じ。どんなバッグにしようかな。完成したときが楽しみです。 
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手作りの首輪

2007-07-21 22:24:40 | ペット
 我が家の犬は病気です。2週間に1回病院へ行っています。食欲がなく骨と皮だけにやせこけて、毛づやも悪く、飢えた野良犬のようにみすぼらしくなっています。
 病院に行くと、周りは純血種のきれいな犬ばかり。病院に来るからにはどこか悪いところがあるんでしょうけど、シャンプーをしてトリミングをしておしゃれをしてきています。うちの犬のように雑種で薄汚いのはいません。診察台にのせるときも「すみません、きたなくて。」と謝ったりして・・・。先生は「雑種でも、うちの子が一番(かわいい)じゃろ。」と飼い主の気持ちを受け止めてくれるのでありがたいです。
 うちの子が野良犬に見えるのは、姿がみすぼらしいだけじゃない。首輪のせいだ。と気がつきました。なんせ、10年近く首輪を替えたことがありません。色あせてぼろぼろになった首輪。やせてゆるゆるで、スポッと抜けてしまいそうです。
「そうだ、首輪を作ってやろう。病犬だっておしゃれをしなくちゃ。」そう思い立って作ったのが写真の首輪。0.6㎜の柔らかめの革を突き合わせに折って、スタンピングで模様をつけました。白い毛に似合うように色は赤。アルコール染料で色つけしました。星形のカシメとピンクの飾りカシメを打ち込み、金具だけはすぐに手に入らないので(売ってないのです。取り寄せなければ)ちょっとさびの出た古い金具を使うことにしました。さっそくつけてやると、飾りカシメがきらきら光ってすてき。ちょっとだけ飼い犬らしくなりました。
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パパイア味のかぼちゃ

2007-07-19 15:21:21 | くらし
 実家の母が生で食べられるというかぼちゃをくれました。母が何度説明しても父は、「これはパパイアだ」と言ってきかなかったそうです。父は第2次世界大戦のとき、少年兵として戦場に行っていました。南方の島で壮絶な飢えを経験したそうです。南方で食べたパパイアの味が忘れられないのかもしれません。
 で、さっそく食べてみました。まず二つに切ると、中も黄色です。堅いかぼちゃとちがって、まだ未熟な若い実を切るような、軽い切り心地です。ちょっとかじってみるとー うーん、歯触りはパパイアのような。ほんのり甘みもあるし。でも、熟したパパイアのようないい匂いもおいしさもないです。父が飢えに耐えかねて食べたのは、まだ熟してない若い実だったんでしょうか。
 いつだったか、沖縄では、パパイアを千切りにして炒めて食べると聞いたような気がします。(非常に不確かな記憶)試しに細く切って油炒めしてみました。味は塩こしょうだけ。歯触りがしゃきしゃきとして、とってもおいしいとはいえないけれど、食べられないほどまずくもなくて、かぼちゃとはとても思えない味。父がパパイアと思うんならそれでもいいかと思える味でした。
 家族のものは別段文句も言わず、これは何かと疑問に思うふうでもなく、淡々と食べていましたけど。
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