あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

感動のトルコ周遊14 今夜の宿泊は

2011-03-10 00:03:44 | 海外旅行トルコ

 パムッカレを後にして、バスは次の観光地へ。 移動距離410キロ、海を離れて内陸部に向かいます。 
 今夜の宿泊はコンヤです。・・・・と、シャレを言わないつもりでも、つい、言ってしまう町、コンヤ。


 コンヤには、紀元前6000年頃からヒッタイトやフリギア(世界史に出てきたような気がする)が居住していた形跡が見られるそうです。その後、ペルシアやアレクサンダー大王、ローマ帝国の支配下に置かれた後、アラブ人の侵攻をうけ、ついでルームセルジューク王朝の首都になって繁栄しました。が、その後モンゴル人に侵略され、ついでオスマントルコ帝国の領土となりました。 コンヤは東西交易の中心地であり、文化の十字路だったのです。


 SBさんの説明では、このように様々な民族の支配を受け、混血して今のトルコ人があるのだそうです。ですから、トルコでは、人と人との調和を非常に大切にするのだとか。
 コンヤの歴史を考えると、なるほどとうなずけます。


 コンヤに着いて、まずホテルに荷物を降ろし、メブラーナ博物館を訪れました。 
 緑のタイルで覆われた尖塔が印象的。 



 時刻は既に4時をまわって、回廊には明かりがともされていました。 この建物には入らずわたしたちが入ったのは緑の尖塔の建物でした。



 メヴラーナ博物館は、イスラム神秘主義の一派で、メヴレヴィ教という教団を創始したメヴラーナ・ルーミーの霊廟です。 もともとはこの教団の修行の場であり祈りの場であったそうですが、今はこの教団は解散し、霊廟が博物館として公開されています。


 中へはいるには、靴カバーをはかなくてはなりません。



 みんながみんな、この青いビニールをはいている恰好は、かなりへん 
 トルコでは宗教施設にはいるときはスカーフで髪を覆わなければならないと聞いていたのですが、その必要はありませんでした。 ここはもう、博物館で、寺院ではないからです。
 
  緑のタイルの建物が霊廟なのですが、内部の撮影は禁止です。
 内部は装飾的にデザインされたアラビア文字が、壁一面に書かれていました。 
 一段と高いところには、なんとたくさんの棺が並べられていました。これらはこの教団の指導者のものだそうです。 棺の上には、生前かぶっていた帽子が飾られて、誰の棺か分かるようになっています。
 奥の方にひときわ大きく、美しく飾られているのがメヴラーナ・ルーミーの棺でした。

 うぉ~、もしかしてわたしたちは今、大勢の死者と対面しているわけ?

 間近にたくさんの棺を見て、ちょっと心がひるみましたが、遺体はこの中に入っているわけではなく、棺の真下の地下に埋葬されているとのことです。 ちょっと安心しました。


 外へ出た頃には、もう日が暮れかけていました。 が、もう一つ行くところがありました。


 インジェ・ミナーレ博物館。 ここはもとは神学校でした。
 この細くて長い尖塔が名前の由来です。 美しいタイルで覆われていました。 



 それにしても、こんなに遅く入らせてもらえるのかしら。
 と、思ったらー


 外から写真を撮るだけでした



 正門に彫られた幾何学模様のレリーフは、トルコを代表するすぐれた美術だそうです。
しかし、ここは人通りの多い歩道の上、ゆっくりと観察するには不向きな場所でした。

 むしろ、すぐそばで見られるコンヤの夜の風景がなかなか興味深かったです。


 道路清掃中。 超大型掃除機みたいなので木の葉を吸い込んでいます。



 トルコの救急車



 すぐそばにマクドナルドの店もありましたが、ピンぼけでした。 


 そして、ホテルに帰ってきました。 リクソス。 高級ホテルです。 


 回転ドアのガラスに印刷されているのは、メヴレヴィ教のセマー(日本語で旋舞と呼ばれる)という祈りを捧げる人の姿。 メヴレヴィ教では、神と対話するために何時間もくるくると回り続けるのだそうです。
 で、回転ドアのこの人は、24時間、人が出入りする度に廻っております。
 トルコへ出発する前、偶然ですがテレビでコンヤの町を紹介している番組を見て、セマーのことを知りました。 
 ついでにいうと、回転ドアの向こうには、空港にあるようなセキュリティーチェックのゲートがあります。 わたしたち日本人のツアー客はフリーパスで入れましたが、個人客はゲートを通らされていました。
 こういうことに出会うと、なんだかんだ言っても、日本は平和で安全なんだなとつくづく思いました。


 エレベーターの中です。 どれが本物のわたしでしょう?



 前後、左右、上下すべてガラス張り。 ちょっとでも怪しいそぶりをするとすぐわかってしまいますね。 装飾的に楽しいだけでなく、安全だなと思いました。



 このホテルは、本当にすてきでした。 飾られている花ひとつとってもおしゃれで、アメニティグッズまで写真を撮ったのは、このホテルが初めてです。 もちろん、プールもジムもただで使えたそうです。残念! 早々と寝てしまいました。
 そしてクロゼットに衣類乾燥室が これも残念、気づくのが遅かった。


 せっかくのいいホテルなのに、あまり活用しないまま翌朝になってしまいました。


 出発してバスの窓から覗いたら、ホテルのすぐそばにある電車の駅には、朝市がたっていました。



 ああ、散歩をする時間もなかった・・・・・            ーつづくー

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感動のトルコ周遊13  パムッカレウォーキング 

2011-03-03 23:20:29 | 海外旅行トルコ

 パノラマで撮ったパムッカレ全景ーではありません。 まだここから左手にぐるっと石灰棚は広がっていました。 



  


 人が並んでいるところが、足湯のできる場所です。 晴れた日だと水に青空が写ってとてもきれいなんだそうですが、あいにくの曇り空。 写真を撮っても真っ白にしか写らないでしょうとガイドのSBさんは言っていました。
 全くその通りだったので、この写真は棚の形が見やすいように少しコントラストを調整しています。



 この壁を抜けると180度石灰棚が見えます。 石灰棚の際まで都市が会ったことを物語る遺跡です。



 壁の向こうには、きれいに整備された公園もありました。 公園につきものの池も、ここでは温水でできています。



 


 それから左手に石灰棚を見ながら遊歩道をぐるっと一回り。



 
 温水の流れている所には湯気が立っています。 前回も書きましたが、近年の開発ラッシュで流れる水量が減ったため、今は日によって流れる場所が変わるように調整しているのだそうです。
水の流れなくなったところは、黒く汚れています。 



  


  石灰棚の反対側にはこうした遺跡が残っていて、博物館もあるのですが・・・・・



 時間がない!
  
 見事な石灰棚はいくら見ても見飽きないくらいだし、写真もいっぱい撮りたいし、でも集合場所は遥か向こう。
  時折立ち止まって写真も撮りながら、駆け足に近い速度で歩いたのではないかしら。 すばらしいダイエットウォーク  さほどに石灰棚は広かったのです。


  やっとの思いで集合場所の「アンティーク プール」という建物に着きました。

  しかし、

  長蛇の列のトイレに行くのを優先するか、この、温水の中に遺跡が沈んでいるというプールを見るのを優先するか、究極の選択を迫られるほど時間は押し迫っていました


 で、どうしたかって? もちろん遺跡プールを見ました。 もう一生見られないかもしれないのに。


 このプールはお金を出すと入ることができます  貴重な遺跡のわりには、かなりアバウトな保存だと思うけど・・・
 誰もいないように見えますけど、実際は大勢の観光客がここから見ていますので、ここで泳ぐにはかなり勇気がいりそうです。


 さっさとここに着いてお土産まで買う余裕のあった皆さんは、どこをどう歩いてきたのでしょうね。


  ーつづくー 


 

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感動のトルコ周遊12  複合世界遺産

2011-02-17 22:27:57 | 海外旅行トルコ

 旅行5日目、宿泊地パムッカレを出てパムッカレへ・・・・・ あれ? 地名のパムッカレと観光地のパムッカレとは違うみたいですね。
 行程表をもらったときからちょっとわけがわからなかった所です。 パムッカレへいくのだけれど、観光の中心はヒエラポリス遺跡となっています。 ややこし~


 ガイドさんの説明で分かったことは、ここが複合世界遺産だということ。 どういうことなんでしょう。


 入場ゲートをくぐると看板が立っていました。ヒエラポリスの復元図でした。 赤い数字のところが遺跡として残っているところです。 



 すご~い、 ここにこんな大きな町があったんですね。 (期待できそう)
 ヒエラポリスは紀元前190年くらいに始まり、後にローマ帝国の直轄地として栄えました。 その後、アジアから進出してきたトルコ人の支配下になり、14世紀に大地震によって崩壊し放置されました。
  


 遺跡への入り口。 看板の説明ではサウスローマンゲートとなっています。



 ここをくぐればヒエラポリスの巨大な遺跡・・・・・・のはずが


 あらら 広大な荒野



 手前の長い石積みはたしか水道と言っていたような? 早くも記憶が薄れかけています


 保存状態がよいと言われる大劇場。 これは通路からはずいぶん遠くて、写真に撮っただけです。



 柵で囲まれたここはなんだったかな? 



 ここの都市遺跡は、今まで見たもののどれよりも広くて、ほとんどが形をとどめておらず、形ある物はかなりの距離をおいて散在していました。 とても一つひとつ見て回ることはできなさそうです。


  
 雪ネタ続きで雪景色? 



 いいえ、雪ではありません。 これがパムッカレ。 都市遺跡の南側に広がる石灰棚です。 石灰を含む温泉が地上に流れ出して、冷えていくうちに石灰が沈殿してかたまったものだそうです。
パムッカレとは「綿の城」という意味だそうです。 その名の通り、真っ白な石灰棚が、雪景色のように広がっています。
 しかし、最近開発が盛んになったせいで、溢れる湯量が減り、黒く汚れてきたと言うことです。 押し寄せる観光客のせいでこうなったと思うとちょっと複雑な気持ち・・・・
 
 複合世界遺産とは、ヒエラポリスという歴史遺産と、パムッカレという自然遺産が同じ場所にあるということでした。 


 さて、この石灰棚のそばで大勢の人が靴をぬいでいますよ。 何をするのでしょう。



 


 なんとこの石灰棚の所に入ることができるのです。 もちろん限られた場所だけ、そしてはだしが条件です。



 みんなが並んでいるところは温かいお湯が流れる水路になっていて、気持ちのよい足湯を楽しみました。
 ただ、そこへ行くまでがー

 つめた~い、 足の裏がいた~い、およよ、すべりそう~
 
というわけで、なかなか大変でした。 ーつづくー 

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感動のトルコ周遊11 温泉保養地のホテルはー

2011-02-09 21:41:00 | 海外旅行トルコ

 今日の観光はエフェス遺跡のみ。  宿泊はパムッカレのサーマル・コロッセアと言うホテルです。 アイワルクを出てからの移動距離は435キロでした。


 お部屋は、どこの国のホテルも似たり寄ったりですね。


 このホテルには温泉プールがあります。 ちゃんと水着も持っていきましたよ。


 「ええ~! 入るん?」 と娘は難色を示しましたが、
 「だいじょうぶよ、外国人なんかボンレスハムみたいなおばさんでもビキニ着てるだろ?」
 まあ、わたしの体型もそれに近い物がありますが、わたしのは露出の少ないスポーツ水着(競泳用じゃないよ)ですからね。 うちのほうのプールでも、普段見かけるのはおばさんとおばさん以上の人ばかり。 今やプールは若者専用じゃないのよ。


 と言うわけで、まずは偵察に。
 恐る恐る覗いていたら、「入りたいのか?」と聞かれ、それなら帽子のレンタルは有料、バスタオルは無料、着替えはあちらで、とていねいに教えてくれました。

 わたしは部屋で着替えていきましたが、衣服を置くために更衣室に入ってびっくり。
 だって、男女一緒の部屋なのです。 ただし、それは着替えた衣類を置く棚が並んでいる場所のことで、実際に着替えをするのはトイレくらいの個室の中です。 


 プールは、10メートル×20メートルくらいの大きなプールと、大浴場のような小さめのプールがありました。小さい方は温度も高めで、まったくお風呂のようでした。
 他にジャグジーと、サウナのような部屋。 
 「ハマム」と呼ばれるトルコのお風呂がサウナらしいのですが・・・・・水着で入るのはハマムではありませんよね。 
 プールの半分はとても深くてつま先立ちしてようやく顔が出るくらいでしたが、歩いたり泳いだりして30分くらい楽しみました。


 さあ、9時までには出て着替えなくては。
 9時からは、ホテルのバーで、べりーダンスショーがあるのです。


  プールから出て9時ぎりぎりに行ったわたしは、入り口近くの席しか空いてなくて、うまく写真を撮ることができませんでした。


 


 ひとしきり踊った後、見ていたお客さんを引っ張り出して一緒に踊り出しました。 みなさん慣れない腰つきで、でも堂々と、楽しく踊ってましたよ。


 お! こっちにやってくる。



 テーブル一つひとつ踊って廻るのです。 もちろんチップ集めですね。 お腹の所にはさんであるでしょ。


 わたしたちのテーブルにも来てくれました。
 もっとアップで見たいですか?


 


  かっわいい~


 

  とろけるような笑顔と、セクシーな衣装と、抜群のスタイル。お腹もと~ってもよく動きます。 
 楽しい夜でした。


  
  翌朝、例によってお庭探検。


  ドームの向こう側がホテルの玄関です。



 


 すごいのは、室内プールではなくて外のプールだった!



 外のプールも温水、しかもお湯が滝のように上から落ちてくるのです。 ここが温泉保養地だということを実感しました。


 そこからいくつものプールをたどっていくと



 こんなにもたくさんありました。 これは部屋からパノラマで撮った写真です。


 いよいよ出発の時


 バスの中から玄関の写真を撮っていたら、ドアボーイの彼が、自分の写真を撮れと身振り手振りで言うので・・・・・・



  って合図したら、笑顔で手を振ってくれました。


 ここのホテルのスタッフはみんなフレンドリー。 プール担当のスタッフもですが、朝食の時も、写真を撮っているわたしに、シェフがカメラを貸せと言うので、撮っちゃいけないのかとびびっていたら、ずらりと並んだごちそうといっしょにわたしを写してくれたのです。


 トルコ旅行の始めの頃は、ホテルで働く人があいさつをしないのが気になりました。 子どもたちは人なつっこく笑顔で話しかけてくるのに、大人はどうしてあんなに無愛想なんだろうと言う人さえいたのですが、それは多分習慣の問題で、本当はトルコの男性はお調子者、いや愛嬌者が多いということが分かりました。 レストランでも、お土産物屋でも、楽しい人はいっぱいいました。 そして内陸部に入るほどその傾向が強いように思いました。 
 女性は・・・・・イスラム教の国だけに、とびきりの笑顔は旦那さんだけに見せるんでしょうね、多分。 外で働く女性自体が大変少ない国でした。 ーつづくー

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感動のトルコ周遊10 古代人のくらし(エフェス遺跡その2)

2011-02-03 22:01:00 | 海外旅行トルコ

 エフェス遺跡から古代人の暮らしを見てみましょう。


 バリウスの浴場。



 公衆浴場です。 冷水浴場 温水浴場 休憩室 読書室、サロンを兼ね備え、床暖房ですって
 ガイドのSBさんによると、交易船で港に着いた船員たちはまず浴場で体を洗い、さっぱりとしてから町に入ったのだそうです。 港の近くにも浴場がありました。 
 ふむふむ、むさ苦しい恰好で町は歩けなかったのですね。


 古代人の清潔志向はこんなところにも



 みんなが取り囲んで見ている柵の下は下水道だったところだそうです。


 上水道ももちろん整備されていました。


 そして・・・・・ 公衆トイレです。 下には水が流れるようになっています。 つまり水洗トイレ



 現代都市と変わらないシステムがすでに作られていたのでした。


 現代にはないものもありました。
 この建物に行く道しるべ(広告?)が残っていたのですが、 平らな石に女性とハート、左足が刻まれています。 左足は前方左にあるということだそうです。 さて、一体何の建物でしょうか。



 女性が心を込めておもてなししますということで、娼館だそうです。 娼館といっても、清潔でいろいろな設備が整っており、細やかな健康管理がなされていたとか。 


 そして12000冊の書物を所蔵していたというケルスス図書館。



 書物は、始めはエジプトのパピルスに書いていましたが、やがて羊皮紙へ書かれるようになりました。
おお!パピルスと羊皮紙の時代なんですね。


 大劇場。 24000人も収容できたそうです。



 


 のちには猛獣と剣士との戦いもここで行われたとか。



 


   こちらはオデオン。小音楽堂です。 収容数1400人、もとは屋根付きであったろうと考えられています。



 


 クレステ通りにあるモザイクの道。



 ここは高級ブランド品を売る店が建ち並ぶ通りだったそうです。 売られる品物にふさわしい美しい通りと店構えだったのです。 この通りの上の方には高級住宅地がありました。


 歩いて2時間ばかりで端から端まで行くことのできる小さな都市に、図書館と二つの劇場と、それとは別に17000人収容の競技場や、格闘技場、それに港の浴場にはプールまであったというのです。そして商店街、いくつもの神殿。 
 エフェスの人々が、経済的に豊かであったのみならず、信仰深く、それでいて日々の生活を大いに楽しんで暮らしていたと想像できました。 ーつづくー

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感動のトルコ周遊9 感動の旅はじまる(エフェス遺跡)

2011-02-01 23:38:49 | 海外旅行トルコ

 次に着いたのはエフェソスです。 トルコではエフェスと言うそうで、わたしもそれに従ってエフェスと表記しておきます。 エフェスはビールの名前にもなっています。


 行程表ではエフェス見学の跡アルテミス神殿跡の予定でしたが、逆にしますと説明があってアルテミス神殿跡に先に寄ったのですが、それが正解だったと分かりました。 


 入り口を入った途端、この風景


 うぉ~、ひろい


 


 すごい、すごい



 


 装飾的な柱やレリーフ。 古代へタイムスリップしたみたいですね。



 エフェスは紀元前2000年もの昔から人が住んでいたそうですが、紀元前11世紀頃にギリシア人が移り住み、アルテミス神殿を中心に繁栄してきました。 ここは昔は海に近く、交易が盛んだったそうです。
ついでローマ帝国に支配されるようになり、やがて長い年月の間に川が運んだ土砂が埋まって町は次第に海から離れて、エフェスは衰退してうち捨てられました。
 この遺跡は、一つの都市丸ごとを見ることができるすばらしいものでした。


 市庁舎の跡。 ここには聖火がともされ、それが消えることはなかったそうです。 



 イオニア式(うずまき)とコリント式(アカンサス模様)の二つの様式を持つ柱。 市庁舎の下の部分はヘレニズム時代、上部はローマ時代のものだそうです。


 



 町には二つの大きな通りがありました。
 一つは来たからケルススの図書館へ下るクレステ通り



 もう一つは、クレステ通りと直角に交わって港へと続いていたマーブル通り。 名前の通り、大理石の柱が並んでいます。



  このスケールと、遺跡の多様さーどうしてこれが世界遺産ではないんだろうね、と不思議に思いながら歩いたことでした。

  この二つの通りの周辺には

  ギリシア神話に出てくるヘラクレス。 じつはこれは門だったんですね。 うっかり1本の門柱しか写してません。


 



 同じく勝利の女神ニケ。 これはもともとヘラクレスの門のアーチ部分にあったのだそうです。



 それから、ローマ皇帝の名を冠した建物の数々


 ハドリアヌスの神殿。 門の部分



 


 アーチ部分にはギリシア神話に出てくるメドゥーサが彫られています。


 


  これもローマ皇帝トラヤヌスに捧げられた泉



 などなど、ギリシアやローマ帝国を想起させる遺跡が散在しています。 また、市民の生活に関わる遺跡からは、当時の人々の豊かで、現代にも通じる合理的な暮らしの仕組みをかいま見ることができました。
 
 そして今も発掘と修復とが続けられているようです。 



 ここまでの旅は、たしかに物珍しくもあり、興味もあり、楽しい旅を続けてきたのですが、ツアータイトルのような「感動のトルコ」かと聞かれれば、その答えは、う~ん、ビミョー・・・・でしたが
 しかし、ここへきてわたしたちのテンションは一気に上昇。 そして日を追うごとに感動はうなぎ登りに高まっていくのでした。 ーつづくー

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感動のトルコ周遊7 トロイ遺跡

2011-01-18 21:04:40 | 海外旅行トルコ

  しばし木馬で遊んだ後、遺跡の見学へと向かいます。 ほんとうはこちらが目的なんですけど

 大人の背丈よりも高い城壁跡が遺跡への入り口。 



 このトロイ遺跡ですが、
 ドイツ人シュリーマンが生涯を発掘に捧げてついに発見したことで有名です。 偶然にもわたしは夏頃「シュリーマン伝」を読んだところでした。 そのときははるばるここまで来ようとは思ってもいませんでした。 でも、多少なりとも予備知識があると興味は倍増します。

 シュリーマンはギリシアの詩人ホメロスが「イーリアスとオデュッセイア」の中で描いたトロイの実在を信じていました。 そして卓越した商才で莫大な財産を築くかたわらトロイを探し続け、最後にここヒサルルクの丘に目星をつけて、発掘をすすめたのです。


 「イーリアスとオデュッセイア」によると、トロイはギリシアと10年にもわたる戦争を続け、最後にギリシア軍が残していった巨大な木馬を城壁内に引き入れたため、木馬の中に潜んでいたギリシア兵の奇襲にあって焼け落ちたとされています。


 しかし、後の研究でシュリーマンの発掘した場所はトロイではなく、もっと古いものだということがわかりました。 驚くべきことに、トロイ遺跡には、紀元前3000年前から建設と破壊を繰り返されため、9層からなる都市跡が残されていたのです。
 この丘がトロイであることは定説にはなっていますが、9層のうちどれがトロイなのか、その証拠になるものは発見されてないそうです。


 遺跡を垂直に掘り起こした部分が残されていました。 数字の書いた白いカートが、時代を表しています。 手前の高いところに4層、下に層、向こうに2層・・・・・


 


 従って現在明らかになっている遺跡は、9層が混在しており複雑きわまりない状態でした。とても簡単に理解できるようなものではありません。
 ガイドさんのそばにいないと話は分からないし、写真を撮っていたらみんな先へ行ってしまってるし、話を聞いても覚えきれないし・・・・ 以下おぼろげな記憶とガイドブックを頼りに説明していますので、間違いがあるかも。 そのへんはさらっと読み飛ばしてください。


 入り口の城壁は第6層のものでした。 順路に沿って歩いていくと石を並べた平らなところに来ました。 ここは第8層のアテネ神殿跡です。 



 
 続いて天蓋に覆われた第2層。 シュリーマンはここをトロイとしたそうですが、実際はもっと古いもの。 4500年前(これだけは覚えてた!)の日干しレンガです。泥を固めて太陽で乾かしただけのもので、当然崩れやすいです。


 ところが、日干しレンガが、火災にあって本物のレンガになってしまったのだそうです。



 色がちがっていますね。


 第1層の集落跡。 今から5000年くらい前のもの。これも覚えてた。



 
 第2層へ続く石畳の道。 なにか詳しい説明を聞いた気がするのですが・・・・忘れた



 
 7~9層頃の聖域。 神殿跡や、生け贄の獣を捧げた台座などだそうです。



 
 城壁の外へ出ると、第9層の小さな劇場跡があります。



 
 いたるところに無造作に横たわる柱や石。 



 
 いつか研究が進んで復元される日がくるのでしょうか。
 このように、 形として残っているものが少ないため、ガイドの説明を聞かなければなんじゃらほいの石の群れ。 観光地としてはかなり地味です。 あの巨大な木馬と、ブラピ主演の映画がなければ来る人も少ないのではないかと思われました。 たとえるなら・・・・・・
 規模はまったくちがうものの、我が市で国の史跡に指定されている世田山城址の土塁みたいなものか。
 つまり、歴史的には非常に価値のあるものながら、興味のないものにとってはなんの変哲もない石ころだらけの場所、といったところでした。 ーつづくー 
  

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感動のトルコ周遊6 海を渡る

2011-01-14 00:45:07 | 海外旅行トルコ

 旅行3日目


 フェリーでダーダネルス海峡を渡りアジア側へ


「バスが船の左右どちらに入るかを見ていてくださいね。そして下りるときはバスのある方の階段を下りてください。」 と何度も言われたけれど・・・・・・・


 写真を撮るのに夢中


 ここでトルコの地形について


  トルコはアジア大陸とヨーロッパ大陸とにまたがる国です。 イスタンブールはヨーロッパ大陸側。国土の大半を占めるのはアジア側です。アジア側の北には黒海、南には地中海、その西はエーゲ海。エーゲ海を挟んで対岸にギリシアがあります。
 イスタンブールとアジア側の間には二つの海峡があります。 川と言っていいくらいの狭い海峡ですが、黒海に続く方をボスフォラス海峡、エーゲ海に続く方をダーダネルス海峡と呼ぶようです。
 この二つの海峡の間に大きな湖のようにマルマラ海があります。
 さらにイスタンブールの旧市街(歴史地区を含む市街区)と新市街(タクシム広場のあるほう)との間に小さな湾があってこれは金角湾と言います。
 と、まあ、初っぱなからこんな風にたくさんの海の名前がでてきて、ガイドさんが解説する度に頭の中は大混乱状態でした。
 この地形を十分分かっていたら、映画の007シリーズ「ロシアより愛を込めて」がもっとわかりやすく楽しく見られたでしょうに。 これについてはもう少し先で詳しく書きます。


 船が動き出すと、たくさんのカモメがついてきました。



 乗客がばらまくえさに群がってくるのです。



 船に乗り込んでいるお土産物屋さんを冷やかしたり、小さな売店でチャイを飲んだり、カモメの傑作写真を撮ろうと夢中になっているうちに、対岸のチャナッカレに着きました。 ちっとも退屈しなかった


 そこからバスはエーゲ海にそってひた走ります。 あいにく海と反対側に座っていたわたしは、海の写真が撮れずじまいでした。


 羊が放牧されている緩やかな丘陵地帯に近づきました。 もうすぐかな?



 さて、着きましたよ。


 ジャジャーン 

 大きな木馬! ここは?



 そう、ここは世界遺産にも指定されているトロイの遺跡なのです。


 入り口近くの木馬は、もちろんレプリカ。 ここを訪れる観光客のためのサービス施設です。



 この木馬は上に上れるようになっています。 
 急な階段を上って、四角い窓から下を見てみると



 みんなカメラを構えてこちらを見ていました。 ーつづくー

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感動のトルコ周遊5 美食?の旅

2011-01-10 08:48:38 | 海外旅行トルコ

 トルコの食べ物、まだまだあります。


 最初は、「これは・・・」と思った今回の旅ですが、日を追うに従って簡素な昼食にも慣れてきました。 よく考えてみると、一応「スープ 前菜 メイン料理 デザート」と一通りのコースにのっとっており、ほどよくお腹いっぱいになる量でしたし、スープ一つでも決して同じ献立にならないように配慮されていたと思います。 おかげでたくさんのトルコ料理を楽しむことができました。


 4日目 チョップシシ(ミニのシシケバブ) 肉は牛肉でした(ホッ) 味もよく完食



  デザートはとってもおいしかったライスプディング。 ミルク味でした。



 5日目 トルコ風ピザ 



 


最後の夜 


 無発酵パンのユフカ 中が空洞で、ナンに似ています。 ここに野菜の煮込みを入れて食べてみました。



 これにトルコ風ピザとハンバーグがついてボリューム満点。 メイン料理に必ずついてくるピラフもその都度味は違っていました。 これはトマト味


また、 


 また、食べた場所も、


 6日目、7日目は洞窟レストランで


 岩に掘られた細長い入り口を入っていくと、中は予想外に広く明るい雰囲気。 もちろん穴蔵です。ここで出された鱒のフライは丸まま1匹で大きかったです。


 10人くらい座れる半円のテーブルを囲んで、煮込み料理。 石造りだからこそのテーブルの広さです。 


 


  オレンジ色の瓶は杏のジュースだったかな? 飲み物も、ザクロジュース、さくらんぼジュース、トルコのビール、トルコワイン、チャイ(トルコ風の紅茶)と毎回違ったものを注文してみました。


 7日目の夜はアンカラ駅構内のレストランで

 ギョズレメ(チーズや挽肉の入ったクレープ)



 肉と野菜の煮込み



 


 8日目朝はアンカラエキスプレスの食堂車で



 食堂車はテーブルが限られているため、何人かずつ入れ替わりで食べます。 時間厳守、早く行き過ぎても遅くなってもいけません。
 メニューは、ゆで卵、ソーセージ、トマト、キュウリ、塩漬けのオリーブ、チーズ。 ジャム、蜂蜜、バターのパックがついています。 


 ただね、いくら料理を出されてもごちそうといった感じがしないのは、盛りつけのせいではないかしら。



 食べかけではありませんよ。 ウェイターがふざけて、グラスの上に置いていったばかりのインゲンの煮物。なんともデリカシーのない・・・・・ もちろん彩りよくなんては考えていないようです。


 これはなんだかわかりますか? 



  デザートに出されたりんごなんですが、お皿に無造作に置いているだけなんです。 しかも剥き方が見事にいびつだしー ところが見かけによらずとてもおいしいりんごなんです。


 


 こんな所でおやつも食べました。



 バス移動の途中、トイレ休憩に立ち寄ったドライブインみたいなところ。 売店と喫茶店とを合わせたような施設で、ガソリンスタンドもあります。 日本のサービスエリアをうんと小さくしたような所。売店で売られているものも、コンビニのようなお菓子類もあれば、その土地の名産品もありました。


 ここで食べたのは、ヨーグルトに蜂蜜を混ぜ、芥子の実をまぜた物。 まろやかなヨーグルトに芥子の実にぷつぷつとした食感がおもしろかったです。 さっそく芥子の実を買って帰りました。


 


 わずか14,5分の間にトイレに行って、お土産を物色して、おやつを食べるという早技 


 


 海峡を渡る船の中ではチャイを



 チャイは紅茶ですが、トルコのは入れ方が独特。 2段になった容器の下の方の入れ物に水を入れて湧かし、蒸気で上の茶葉を煮出すとか言っていました。


 そしてカッパドキアの露店ではトルコ風アイス



 粘りが強くなが~くのびるので有名です。 これはまだ伸ばし始めの短いとき。 この棒をあやつってコーンに入れてくれるのですが、娘がさっそくおちょくられていました。
 コーンに入れて棒をつきだしてくれるから取ろうとしたら、さっと引っ込められたり、真っ逆さまにされたり・・・・・ それでも棒の先から落ちないのです。
 味は、とっても甘いです。それというのも、トルコでは砂糖を使わず甘藷(砂糖大根)から甘みをとっているそうで、これはパンチの効いた甘さというか、後々まで口の中に甘さが残りました。 
 デザートのお菓子類はさらに甘いシロップに漬け込んだものが多く、どれもこれも甘かったです。 


 こうしてまとめて書いてみると、よく食べていますねえ。 ところが、わたしは乗り物の中ではほとんど食べられないのに、他の人たちはバスを降りる度になんやかやと買い込み、しょっちゅう口を動かしてる。 もう、どんだけ食べるのか・・・・ みなさんほんとに元気で、めいっぱい食べることを楽しんでいました。


  

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感動のトルコ周遊4 食べ物の恨みは・・・・

2011-01-06 02:02:57 | 海外旅行トルコ

 ここでトルコ料理について。
 世界3大料理と言えば、フランス料理、中華料理、そしてトルコ料理。 トルコは美食の国でもあるのです。 ガイドブックにはおいしそうな料理写真がいっぱい。 
 しかし、毎度のことながら食欲がありません。 環境の変化に胃が追いつくまでしばらく時間がかかるようです。せっかくの機内食も半分くらいしか食べられませんでした。 レストランのようなメニューが配られて、なかなか豪華な食事でしたのに。 (写真を撮ろうとすると、飛行機嫌いの娘が撮るなと言います。 デジカメで飛行機の計器類を狂わせたら怖いと。そんなことはないはずですが・・・・・)
 


 早めの機内食を食べてから8時間が経過しようとしています。 さすがに少々お腹が空いてきたような気がしました。 
 トルコ1日目の夕食は、イスタンブール市内のレストランで。


 まず赤いスープ。 酸味の強いトマトスープで、この酸味が合わなかった人もいましたが、わたしはOK。 
 次に小型の春巻きみたいなのが出てきました。 中はチーズとパセリが入っていました。 シガラ・ボレーイというものらしいです。 これは一人1個ずつ。



  そしてメインがチキンケバブ。 フライドポテト、トマト、ピラフといっしょに。



 もちろんチキンは食べません。 ポテトもピラフも少々脂っこかったけど、味はよかったので完食。 で、他にも出てくるかと待っていたけれど、デザートらしき甘いお菓子が出てきただけでした。
 これだけ? これだけ? 誰もが心の中でつぶやいていましたが

 「これだけ?」
 
 ついにだれかが声に出しました。 はい、これだけでした。

 タクシム広場でドルネケバブ食べとくんだった。 添乗員さんが何でもトライしてみましょうと言ったわけですわ~
 ただ、翌朝のホテルの朝食はおいしかったのです。 バイキング形式でしたが、種類も豊富、味もよし。 


 トルコ2日目の昼食。


 レストラン入り口です。



  これは期待できるかも。



 飲み物はヨーグルトをたのみました。 トルコはヨーグルト発祥の地なんだそうです。 味はわたしが家で作るケフィアヨーグルトに似て、酸味の少ないまろやかな味でした。 が、 塩味です。 
 スープは豆のスープのようでした。 トルコのスープは、きのこのスープとか、食事の度に必ず出てきましたが、どれもおいしかったです。



 次にホウレンソウの煮込んだもの。 お米のようなものとかがまざっていますが正体不明。 味はいいです。
 そしてメインは魚料理。 昨日と同じフライドポテトとピラフがついています。



 これ、なんの魚? 
 鯖じゃないですか。
 ほんと、鯖みたいね。 
 鯖よねえ。
 確かに鯖ですね。 鯖はね~ わたし的には甘塩の塩鯖が一番ですわ。
 あとシロップにつけたミニケーキみたいなのが二つでてー はい、おしまいです。


 やっぱりねえ、1日1万円の格安旅行では。 早くも美食の夢破れる・・・・・

 ところが夜、またまたホテルのディナーバイキングがとってもよかったのです。 珍しいトルコ料理がいっぱい。 美しく盛りつけられたデザートや果物に大興奮。 2日目~6日目まで夕食はすべてホテルのバイキングでした。 昼間の粗食・・・・じゃなくて簡素な食事のうらみを晴らすべく、お腹の許す限り食べまくりました。 


 パンだけでこの種類の多さ!レストランでもパンは必ず付いてきましたが、ホテルのパンのおいしさにはかないません。



 一番豪華だったカッパドキア洞窟ホテルのバイキング



 きゃあ~、 このお菓子のかずかず



 



 
 バイキング料理を写真向きに盛るのはむずかしくてー



 中央、ピーマンの肉詰めや、ナスの肉詰めがとてもおいしいです。 右側のはトルコ風ハンバーグ。 スパイスの使い方が独特です。 そしてフォークのそばにあるのは、ヤプラク・ドルマスという、塩漬けのぶどうの葉に米や松のみ、スパイスを包み込んだもの。


 夜はこんなのをお腹いっぱい詰め込んで、後は寝るだけ。


 朝は朝で、 緑や赤のオリーブが楽しくて毎朝全種類のオリーブを食べ、
 たくさん種類のあるチーズやヨーグルトを何種類も食べ、
 上質なオリーブオイルや蜂蜜をパンにつけて食べ、
 シロップ漬けのいちじくやオリーブやその他あま~い果物を食べ



 5日目のコンヤのホテルで、おしゃれなホテルに不釣り合いの体重計(昔温泉旅館の大浴場においてあったレトロな体重計)があったので乗ってみたら


 ひょえ~


 となりました。 ーつづくー

コメント (14)
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